青年の旗 162号(1991年4月15日)

【問題提起】 社会主義をめぐって(吉村 励)--続--
【投稿】  民主主義とネットワーク的組織形態
【投稿】  人類全体の課題--「地球環境問題」(上)

トップページに戻る

(「社会主義をめぐって」は、NO161とNO162の2回に分けて掲載されました。NO161に一括掲載していますので、そちらでご覧ください。)

【投稿】 民主主義とネットワーク的組織形態
                        生駒 敬
はじめに
 89年以来の現実の社会主義の崩壊過程は、社会主義とは何かという問題と同時に、民主主義と社会主義の問題をあらためて提起していると思います。すくなくともわれわれの間では、本来、社会主義こそが民主主義の徹底であり、その発展形態である、したがって民主主義の土台の上にたたない社会主義などは本来ありえない、というようなことは何度も確認きれてきたことだと思います。しかし現実の社会主義は、およそ民主主義の強化、発展を軽視し、むしろ民主主義=ブルジョアジーの支配形態の名の下に蔑視、ないしは抑圧してきたといえます。このこと自体は、歴史的にも理論的にも検証しなおし、かっこ付きのマルクス・レーニン主義や日共流の科学的社会主義が唱えてきたセクト主義、あるいは唯一前衛党主義を根本的に批判し、それらを克服する理論的思想的政治的立場を発展させる必要があると思います。
 ゴルバチョフ氏が「もっと民主主義を!もっと社会主義を!」というスローガンを掲げてイニシャチプをとったベレストロイカは、社会主義の再生を願うすべての人々の願いを託したものでした。しかし事態はきわめて複雑化し、ソ連邦という連邦制の統一形態そのものが問い直される微妙で重大な段階にさしかかっています。その具体的な見通しは、当事者自身にさえまったく不確定であり、振幅の大きさはまさに激動、革命と呼ぶにふさわしいものといえるでしょう。いわば現在の事態は、政治経済文化を含めて社会全体の民主主義的再編成という途方もない課題に直面しているのであって、その帰趨はけっしてひとごとではありえないものです。保守的反動的な解決にならないような国際連帯が要請されていると思います。資本主義によって設定された限界を越える民主主義の発展と強化こそが望まれます。
 しかしここでは、以上のような問題意識の上に立って、もっと身近に民主集中制の問題と関連して、現在の段階における民主主義の限界とそれを打破する組織形態について若干の問題提起をしたいと思います。

<民主主義の形式的理解>
 民主主義というものをデモス(民衆)とクラティア(支配)に分割して、これは文字どおりの意味、さらには本質論からすれば、政治支配の一形態であり、従ってそれぞれの時代にはそれに照応した民主主義が存在してきたのであって、民主主義の徹底とか、よりいっそうの民主主義といった考え方そのものが誤っているだけではなくて、現在の支配形態を容認し、それに追随するものでしかない、というような議論が時々聞かれます。しかしこのような議論は、実践的には、圧倒的にほとんどの進歩的諸勢力の運動が民主主義のために闘っていることからして、同意にするには値しないと思います。しかしながら、民主主義の発展を妨げるものは何か、その障害をいかに克服するか、そしてそれが社会主義とどう結びつくかという問題は、きわめて現実的であり、焦眉の課題となっています。
 資本主義の現実の下での民主主義は、まさに民衆の闘争と強制がない限りは、どんどん後退し、形骸化されることはことさらに強調するまでもないことです。現実には、民主主義=間接民主主義=代議制民主主義=議会制民主主義=一票の投票行使権に矮小化されています。そこでは、とにかく票を獲得することだけが自己目的化し、しかもその選挙運動たるや、およそ民主主義的モラルとはほど遠いものであって、大衆の政治参加というよりは衆愚政治の手段と化しかねない現状です。ここでは単純に民主主義=多数決原理でしかありません。もちろん、議会主義についてこのことだけを強調するのは正しくはありません。政党や労働組合を含めてさまざまな社会グループはそれぞれの利益と目標実現のために、この議会制民主主義を足場にして闘っているのです。
 ところが、このような民主主義の形骸化と闘っている民主勢力の側にも、自己の組織内あるいは他の諸勢力との統一戦線や共同闘争、連帯における民主主義となると、とたんに内容希薄、形式的な理解しか持ち合わせていない状況が少なくありません。とりわけそれは日共指導部の現実と、その民主集中制議論によく現れています。昨年末の朝日ジャーナル誌上で「民主集中制名目の中央集権・上意下達構造」に失望した、「批判・反対論は、日和見的敗北主義の異端とされ、民主集中制の破壊者として排除される」という投書に対して、共産党がその後の同誌上で反論しています。例によって決まりきった空文句を並べ立てています。すなわち、「わが党は党の指導や方針への党内批判の権利を党員に完全に保障しており、それを排除するなどというのは全くのでたらめです」というわけです。しかしながら小数意見を主張したがために、「裏切り者」や「脱落者」、「反党分子」等々、悪罵の数々を投げつけられた人々は枚挙にいとまがありません。ところがそうした事実を突きつけられると、結社の自由や団結権などを持ち出して「自由な結社がその性格や目的に応じて合理的な拘束を結社の成員に加える」ことは当然であると開き直ることしかできません。かれらは、民主主義が本来的な内容として獲得してきた基本的人権と平等というものをまったく常識程度にも身につけていないし、理解さえしていないわけです。
 ここでもかれらは、組織内民主主義を多数決原理といった程度にしか理解していないし、むしろ集中の名の下にそのことを合理化しているのです。「民主的な討議の上で多数で決定したことは全員が実行する」と通り一遍のことを述べながら、日共指導部は、その民主的な討議の一環としてかれらと異なった意見を表明するや、「嫌悪と軽蔑、唾棄すべき対象」として人格的にも社会的にも打倒すべき対象となるのです。そこには人間としてごく自然なヒューマニズムのかけらも見い出せません。しかしながら民主主義の本質の一つは、このヒューマニズムにあり、人権思想、人類性にあるのです。
 さらにこれにつけ加えなければならないのは、唯ー前衛党論です。日共宮本議長は「科学的社会主義を理論的基礎とする党は一国で一つであるべきだ。複数前衛党論は理論的にも実践的にも破綻した」と述べて、自らをそれこそ勝手に「唯一の前衛党」と称しています。そしてその傘下に入らないような組織運動は「反共主義」であり、「右転落」であり、民主勢力の一翼にさえ加えられるものではないという論理です。まさにこのような運動全体に対する覇権主義的な論理は、民主主義的な運動の論理に真っ向から対立するものです。民主集中制と唯一前衛党論のこのような合体は、まさしく民主主義的実践と相入れるものではありません。しかしこのような論理はごく最近までまかり通ってきたものですし、筆者自身が批判をしながらも、これに巻き込まれ、否定的な関与をしてきたことを深く反省するものです。

<質的に新しい変化>
 ところで現在の我々を取り巻く状況は、国家や国境、大陸を越えて地球環境にまで至るボーダーレスな国際主義的志向をますます強めると同時に、一見まったく逆に民族から地方、地域、労働現場、職場単位、さらには個々のグループ、生活単位にまで至るローカルな自治的志向が同時に存在し、しかもそれぞれが強化される傾向にあります。
 こうした基本的発展傾向は一世代前の状況とは根本的に異なるといえます。複雑であると同時に、より分化、分散し、しかもこれまで以上にに互いに強く結び付き、連帯しなければ多くの諸問題が解決しないという状況なのです。つまり、さまざまな傾向やさまざまな文化、多種多様な要求や課題が共存しながら、せめぎ合い、しかもそれぞれが自治的、自律的であると同時に結合するという方向なのです。
 当然、民主主義というものも、現在の形態が固定化されるのではなく、新たな変革をこうむらなければなりません。民主主義の本質的内容である基本的人権と平等、自治の原則があらゆる領域・次元に拡大されると同時に、上から下まで分節化して徹底されなければなりません。とりわけ民主主義的諸権利の経済領域への拡大は、私的資本主義的制限を乗り趨えることを必至のものとしています。資本主義的近代化に対抗して、大企業、大資本の絶対的権力、富の偏在、情報の独占、資源の無制限利用、自然破壊等々に明確な制限を加え、国家と市場、企業に新たな規制を強制し、労働の人間化から消費、文化、芸術、教育、社会的サービス、差別の撤廃、女性の権利、社会と人類の共同財産、環境保護責任にまで至る新たな民主主義的諸権利を確立しなければなりませんし、そのことが可能な状況が生まれつつあるのです。こうしたことは民主主義の変化の新しい段階を画するものであり、これこそが社会主義の民主主義でなければなりません。

<ネットワーク的組織形態>
 客観情勢のこのような変化は、それに照応した組織形態を要求していると思います。多種多様な要求と課題、さまざまな傾向と志向、これらを一律に束ねようとすることなどそもそも不可能であるし、反動的なものしかもたらさないでしょう。むしろそれぞれに分岐、分節化し、なおかつ自主的で自律的である組織形態を発展させ、共存させると同時に結合させていくという組織形態が要請されているのです。一言で言えば、それがネットワーク的組織形態です。
 現代の技術革新と結び付いて、情報産業にとどまらずあらゆる分野にLANやWANといったものが急速に広がりつつあります。まだまだ原初的ではありますが、これらローカルエリアネットワークやワイドエリアネットワークの特徴は、それぞれの孤立分散的単位のコンピューターや情報手段を相互に結び付けて、それぞれの資源を有効に活用するだけではなく、共通の資源を新たに築き上げ、そこから新たな付加価値を作り出そうというものです。これは、これまでの垂直統合型組織形態では、組織がうまく機能しないことの反映でもあります。
 こうした組織形態はわれわれにとってこそ必要なものではないではないでしょうか。もちろん相互に結び付くことだけが重要なのではなく、共通のネットワークに提供される政治的諸資源が決定的に重要であり、政策、方針、情報、文化の資源をお互いに提供、共有し、しかもそれを切磋琢磨し、発展させる共通の場を持ちながら、それぞれの自治と主権において選択し、グラースノスチ(公開性)と民主主義的費任のもとで結合、連帯していくという組織形態なのです。

【投稿】 人類全体の課題ーー「地球環境問題」(上)

 ■はじめに
 1980年代は、ベルリンの壁の崩壊に象徴されるような、東西冷戦の終りという歴史的な大転換で幕を閉じた。冷戦構造の変化によって、軍事力の比重は大きく低下し、変わって、金融・通商問題などの「地球経済」や「地球環境」が国際的な課題に浮上してきている。
 「環境破壊の危機の前では、二極化したイデオロギー的世界という対立図式は却下される。経済圏や軍事同盟の体制の差によって、生命圏を分割することはできない。全ての国が一つの気侯体系を共有しており、一国たりとも自国だけを隔絶する独自の環境防衛上の国境を設けるわけにはいかない。」(シュワルナゼ外相88年国連演説)
 このように、世界の生産活動によって引き起こされた地球規模の環境問題に対する認識が広がり、解決に向けた国際条約の作成交渉がいよいよ本格化しようとしている。92年6月のブラジル国連環境開発会議は、「地球温暖化防止条約」「熱帯林保護条約」そして地球上に生息する動植物の種の保護を目指した「生物種多様性(バイオタイバーシティー)保護条約」という将来の地球環境対策の枠組みを決める極めて重要な3つの条約作りを目指している。

■オゾンホールーフロン問題
 地球環境問題が、世界共通の課題として取り上げられた最初の国際会議は1972年6月ストックホルムで開催された国連人間環境会議であった。しかし、今回のように国際的に広がりを見せるようになったのは、1980年代の中頃以降である。初めて北極に於て発見されたオゾンホール(大気圏に存在するオゾン層が破壊されてその層に穴があいた状態)は、全世界に大きな衝撃を与えた。
 地球上の生物は大気によって保護され、この中で、オゾン層の役割は紫外線・一部の宇宙放射線のコントロールの役割を担っている。この為、このオゾンホールが地球上の多くの部分で発生するならば生物体系に大きな変化をもたらし、紫外線の生物への大量暴露は、皮膚癌の発生(白人の場合この危険性は、非常に大きい)、そればかりでなく、この状況が今後進めば、2,000種類の生物が近い将来死滅すると言われている。
 このオゾンホール問題について、各国の科学者によって国際議で討議が繰り返され、原因物質は塩素系化学物質とフッ素系化学物質がその大きな原因であるとの結果を得た。特に問題であるのは、CFC(クロロフルオロカーボン)といわれる化学物質、一般に「フロン」と呼ばれ1930年に開発され、毒性がなく無臭、安定性があり、他の物質と反応しにくいなどの便利な性質を持っているためエアコン・冷蔵庫の冷媒やスプレー缶に不燃物質として大量に安全な物として使用されていた物質が最もオゾン破壊をする物として注目された。その結果、2000年までに特定フロンを全廃する「ヘルシンキ宣言」が出された。

■ 地球温暖化の問題
 しかし、同時に進行しつつあった地球温暖化の問題は極めて問題が難しく、原因物質が化石燃料によって大量に排出されCO2である事から対策は現在も充分に進んでいない。「炭酸ガスやメタンガスなど、温暖化の原因が現在のベースで増加し続ければ、地球の平均気温は21世紀末までに現在より約3度上昇するであろう」は、IPCC(国連の「気象変動に閑する政府間パネル」)の結論である。
 このIPCCには、3つの作業部会があり、第1部会は、温暖化の将来予潮を担当する部会で、世界の300人の気象研究専門家が1年半前から温暖化の将来予測を行って出した結論が上述の内容であり、更にこの結果「21世紀末まで海面の高さは現在より65センチ上昇する」と予測した。
 第1部会の報告を基に温暖化が社会、環境に及ほす影響を調査してきた第2部会は、「海面上昇によりインド洋のモルティブ、太平洋のキリバス等は、国そのものが水没の危機にひんする」と警告している。日本に於いても大都市は臨海地域に集中しているため、対岸の火事と言った事も言っていられない。地球各地の気温や降水量の変化が農業に及ぼす影響は洪水や干ばつ、暴風雨の増加などで発展途上国に大きな影響を与え食料不足などの深刻な被害が生じると警鐘を鳴らしている。
 一方、最も重要な温暖化対策を検討してきた第3部会は、まず世界が炭酸ガスの排出規制策を実施しなかった場合、2025年には現在の2倍の排出量(年間120億トン=炭素換算)の見通しを示した。そして、具体的な温暖化対策としては、各産業での省エネルギーの徹底や炭酸ガスの発生量が少ない原子力など代替エネルギーの開発・導入の促進、自動車の燃費改善等をあげた。また炭酸ガスの発生量に応じて金をとる課徴金制度、国別の排出量を取り引きする「炭酸ガス排出権制度」など排出抑制に効果のある経済的手段も検討されている。

■ CO2排出親制の設定と日本の対応
 1990年11月、スイスのジュネーブで開催された第2回世界気侯会議で、当初先進国のCO2の排出量削減目標を設定する予定であったが、温暖化防止に積極的に取り組むことを明記しただけにとどまった。
 欧州18カ国、日本、オーストラリア等は「CO2排出量を2000年に1990年の水準で安定化」を公約すると共に、条約作りと並行してCO2規制目標などを盛り込んだ議定書も作るべきとの立場をとったが、米国が、「CO2が温暖化の原因であるという科学的知見がまだ十分ではない」ため、条約を国際協力や技術開発の推進など地球温暖化防止のための基本的な枠組みを示すものにとどめ、具体的な規制目標の設定は条約がまとまった後に改めて国際的に論議すべき、と言う立場をとったためである。
 これに先立って、日本政府は「地球温暖化防止行動計画」を正式に決定し、本格的な温暖化防止対策に着手することを表明した。この中で、最大の焦点だった二酸化炭素(co2)排出抑制の目標は、「@一人当りCO2排出量について2000年以降、おおむね1990年レベルでの安定化を図る。Aさらに、太陽光、水素等の新エネルギー、CO2の固定化などの革新的技術開発などが、現在予測される以上に早期に大幅に進展することにより、CO2排出総量が2000年以降おおむね1990年レベルで安定化するよう努める。」という二段階設定方式であった。
 二段階の日凄設定は、1991〜2000年の人口伸び率が5.6%と見込まれるため、「一人当り」が達成されても排出総量は1,700トン増加することができるという、環境、通産省の主張を折衷した苦肉の策となった。この背景には、日本の産業界が地球規模にまで広がった環境問題を、世界に冠たる公害対策技術のノウハウを生かすことのできるビジネス・チャンスと受け止めている一方、世界経済の中核に新しい規範として定着させない限り企業の未来はないと言う認識を深めめている表れである。
 <以下次号へ続く>     (名古屋 Y)