アサート 203号(1994年10月15日)
【投稿】 「垣間見たインド世界」
○なぜインドか?
 「海外旅行で一週間休暇をとります」
 「どこへ行くの?」
 「インドへ。」
 「インド!?」という驚きと変な興味心をもったような反応が職場の大方であった。
 その言葉の裏には、なんでわざわざインドのような国へ?と、インドは謎めいておもしろそう、という意味が込められていたと思う。実際、インドに対して「変わったもの見たさ」のような関心もあった。
○インドは広くて多様な世界
 一口にインドと言っても実は広い。西ヨーロッパ全体に匹敵する面積があるという。その広いインドを限られた時間でなるべく広く回りたいことから訪問地は東部のカルカッタ、南部のマドラス、西部のボンベイを航空機で回ることとした。それぞれ列車で移動すると30時間以上の距離。飛行機で2時間くらいである。インドというと、ターバンを巻いた言わゆる「インド人」をイメージするが、「インド人」は単一的な存在ではない。宗教は最大数はヒンドゥー教徒だが、イスラム教徒、仏教徒も多く、それらの寺院も数多い。また、ターバンを巻いているのは通常、シーク教徒であり、他の人が巻くことは少ない。また、州により言葉が違う。標準語と大阪弁のような違いではなく、文字の形から全然違うのである。イギリスの植民地であったことから英語が最も全国的に通用するようだ。ヒンディー語は一応公用語とされているが、実態は首都周辺の地方語に過ぎないようである。一つの言葉では全国には通用しないので紙幣の裏には10種類以上の言葉で説明されている。今回訪問した3都市もそれぞれ全く別の言語が使われていた。それぞれの州が一つの国のように言葉が違う。それでいて、インド全体に共通した独特の雰囲気もあり、全体として「インド」という世界をつくっている。

○甘党はインドに向いてないか?
 インドと言えばカレー。日本のような「カレーライス」というものは存在しないが、街のいたるところには多種多様な香料が売られており、これらが料理に混ぜられる。いわゆる「カレー」(必ずしもカレーという名称はついていない)だけでなく、肉や野菜、焼きそば(中華料理として作られる)など、ほとんどのメニューが辛いし、それもピリッと辛いというよりはじわっと染みてくる辛さだ。しかし、とびあがるような辛さのものは以外と少ない。インドの気候は地域にもよるが、全般的に暑い。そこでは辛さの刺激がないと食欲がわかないのであろう。しかし、辛いものだらけの一方で、超甘口のヨーグルトやミルクが実に多い。辛いものを食べての口直しなのであろうが、定食のようなものを頼むと、必ずヨーグルトがついてくる。しかも甘すぎるほど甘い。私はインドで唯一食べられなかったのは実は甘すぎるヨーグルトなのである。

○インドは貧しいか?
 インドが貧しいというのは間違ってはいないが正確ではない。貧富の格差が大きいのである。今回の旅行で最も印象に残り、忘れがたいのは貧富の差である。また、その格差が固定化していることである。
 まず、街の中で驚くのは「物乞い」の多さである。街を歩いていると子供や、若い母親が手を伸ばして「ジャパーニ」「ハロー、ハロー」と寄ってきて進路をふせぐ。小銭を渡すまで立ち退かないのだ。しかし、下手に渡してしまうとその他大勢もわっと寄ってきて収拾がつかなくなる。ボンベイでは交差点での信号停止中を狙って近づき、小銭をとろうとする集団にも出会った。拒みつづけるわけにもいかず、かといって与えつづけてもきりががないし、またそれで何が解決するわけでもない。インドを旅行中、複雑な気持ちで彼らと接し続けざるを得なかった。
 しかし、インド人全てが物乞いであるわけではない。近代的なマンションや大邸宅に住んでいる人もいる。一方でスラム化した街の中で住む人々もいる。「階級・身分の違い」という言葉がそのままあてはまる世界であった。大人に人力車を引かして通学するきれいな洋服を着た子供たちがいれば、裸足で物乞いをしており学校にも行けない子供たちがいる。彼らの関係はおそらく30年たっても変わりようがないほど固定的なものに見えた。身分制度で有名なカースト制は既に憲法の上では廃止されているが、民衆の職業や地域、生活に密着して根強く残っているということである。しかし、1週間の旅行者にはそれ以上を見ることはできなかった。今回はインド世界を垣間見ただけであったが、旅行後1ヵ月たった今、ペストの流行に気を揉みつつも、もういちど訪れる日を期待する毎日である。(大阪 ABC) 

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