ASSERT 215号(1995年10月27日)
【投稿】 「金融不安」の徘徊と「自己責任」論
【投稿】 進む地域の「国際化」  
【本の紹介】  『現代日本のビッグビジネス』
【投稿】 長良川河口堰の撤去まで闘う
【投稿】 もたつく新党 揺らぐ村山政権

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(投稿)  「金融不安」の徘徊と「自己責任」論

<<10.27パニック説>>
 一部週刊誌ではこの10月27日に、「メガトン級の危機」、「市場最悪の金融パニック」が日本を襲い、「あなたの財産が紙クズ同然になる!!」と警告かあるいはどう喝を発し、危機感が煽られている。その根拠は、「ワイド」という「利子一括払い型利付き金融債」の償還がこの日にやってくるというところにある。このワイドという金融商品は、90年10月に売り出した「10月債」の場合、半年複利の5年満期で9.606%という超高金利商品で、当時1ヶ月弱の間に5兆円にも達するほど大量に売りさばかれ、その満期日がこの10月27日に集中しているという。
 その発行金融機関は、日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本債権信用銀行の長信銀3行と農林中金、商工中金であるが、顧客に払い戻さなければならない額が、この5行で利子を含めると5兆円にも達する。その償還額は、今年95年上半期に5行全体が販売したワイドの総額の8倍にもあたり、もはや2%前後という金利で魅力のなくなった新規発行ワイドへの買い替えなどとても期待できるものではないわけである。
 しかも、通常の預金の場合は、たとえ金融機関が経営破綻し、倒産したとしても、1000万円以内は預金保険機構の払い戻しの対象となるが、ワイドは対象外であり、その場合には紙クズにしかすぎなくなり、取り付け騒ぎになろうがどうしようが一刻も早く現金に換金する以外に守るすべがないのである。

<<「経営破綻は時間の問題」>>
 そして「経営破綻は時間の問題」とされ、しかも年内に表面化すると噂されている5行(北海道拓殖銀行、日本債権信用銀行、中央信託銀行、大阪銀行、福徳銀行)の2番目に日債銀が上がっている。同行は大手21行に分類されているが、すでに相当以前から経営不振が問題視されており、10月のワイド償還額は3000億円前後抱えているが、その資金調達が疑問視されている。「若干は他行に流れるだろうが、7割程度はとどまる見込み。その程度であれば経営に影響はない」(日債銀広報部)としているが、7割どころか2割もつなぎ止められないであろうと見られている。ここで取り付け騒ぎが発生すれば、連鎖的にワイド発行の他行に波及し、さらには危険水域にある他の金融機関までが巻き込まれ、手がつけられなくなるというわけである。
 日銀はそうした銀行の資金ショートを懸念してすでに、問題金融機関への無担保の特別融資を密かに実行しているといわれる。この特融、95年9月末現在の残高で9400億円にも達し、日常化しており、「破綻処理の仕組みが整わないうちに、金融機関の破綻が相次いでいるため」やむを得ないと開き直っている(日銀営業局、10/16日経)。国会の議決や情報公開も経ないで、不透明な秘密裡の資金供給が行われているのである。

<<「ジャパン・プレミアム」>>
 資金調達に関連して、このところ急速に浮上してきたのがジャパン・プレミアムの発生である。日本はそもそも対外資産が対外負債を大幅に上回る世界最大の純債権国となっていることは世界周知の事実である。にもかかわらず、日本の金融機関が海外で資金を調達しようとすると、ユーロ市場の基準金利に+αが要求されるという事態が生じている。純債権国化にともなって進行してきた円高によってその資金量、取引量ともに膨大化してきた邦銀がいまだにドル建てで国際業務を展開していることにも大きな要因があるが、このところの日本の金融機関や金融システムそのものへの不安感、不信感が表面化してきた現れでもある。
 このジャパン・プレミアム、+αが8月30日時点で0.12%であったが、木津信、兵庫銀行の経営破綻が報道されるや翌日には0.18%に上昇し、個々の銀行の信用力の度合いに応じてランク付けされ、大手邦銀でも+0.25%まで要求されているところが現れ、その中には先に上げた北海道拓殖銀行や中央信託銀行、そして大和銀行も入っているという。ユーロ市場で邦銀全体として約400億ドルの資金調達をしているが、0.1%の+αでも4000万ドルの金利を別に払わなければならないのである。

<<「預金者の自己責任」?!>>
 しかも資金調達のクレジットの上限額が信用度に応じて大きく引き下げられており、その結果、邦銀大手21行の中の数行は取引そのものが出来なくなっており、日債銀はその中に入っているといわれているのである。
 問題はこうした事実が日本国内ではいっさい情報開示されていないことである。一方では、銀行業界全体としては、都市銀行を中心に史上空前の業務純益を上げ、94年度末でその内部留保額(各種引当金、法定準備金、剰余金の合計額)は32兆9585億円にも達し、バブル崩壊後の4年間で他の業界の不振を尻目に、預金金利の引き下げを武器に実に5兆6000億円余りもその内部留保額を増大させているのである。不良債権などどこ吹く風である。自らの責任を不問にして、預金者の自己責任論をばらまき、十分に不良債権をまかなえる純益を上げながら、債権回収を他に押しつけ、あげくのはてに公的資金投入が全国民の要求であるかのごとくにふるまっている。こうしたことを許しているのは、大蔵省、日銀、銀行業界が一体となって日本の金融システムの腐敗しきった病巣を覆い隠し、情報開示を拒否していることにあるといえよう。しかしこうした健全な切開の術も見い出せないやり方は、自らに降りかかってくるものである。その端緒がさまざまな信用危機となって現れているのではないだろうか。
(生駒 敬)

  (投稿) 進む地域の「国際化」
                          ー大阪南河内の例からー

 「国際化」という言葉がマスコミで言われ始めてからかなり久しい。今や、巷の日常会話でも「国際化」という言葉は違和感なく使われ、抗うことのできない大きな流れとして、国も自治体も企業も学校もそして個人もそれに対応しようと様々な試みを行っている。この間「国際化」については様々な議論がなされ、その意味するところはかなり深く考えられるようになってきたと思うのだが、実際には、私たちの身の回りではこの言葉の意味やそれによって私たちが目指すもの、私たち自身の行動原理として曖昧な部分が多いように思う。私たちの地域では以前アサート誌

上で紹介した反アパルトヘイト運動や在日韓国・朝鮮人問題を考える市民団体が発展し、昨年10月「地域の国際交流を進める南河内の会」が結成された。(この原稿の締切日の10月14日・15日には、富田林市のすばるホールで「国際交流フェスティバル」を行っている)この運動にかかわる中で感じた地域の「国際化」あるいは「国際交流」のあり方について考えてみたい。

<地域の「国際化」の状況>
*増えている在日外国人*
 まず、実際の地域の「国際化」の状況について見てみたい。
 「地域の」国際化と言った場合、当然その地域によって「国際化」の度合は違ってくる。統計的な面から見れば南河内地域は大阪府下的にはかなり遅れていると言っていいだろう。例えば豊中市では93年で外国人登録人員が4994人(人口比1.2%)に対し、富田林市では、同年で外国人登録人員848人(人口比0.7%)にすぎない。もちろん、この内の多くは在日韓国・朝鮮人で、その地域の歴史的形成過程の影響が大きいと思うが、大学や企業等の存在も大きく左右していると思われる。この人口比は全国平均(約1%)より低い。年別の推移を見てみると、88年までは500人を少し上回る程度で、登録人員も人口比もほとんど変化がないにもかかわらず、89年からは急に人員が増え、わずか5年間で1.5倍になっている。国籍別の内訳は不明だが、このことから富田林市での「国際化」は統計上は、東南アジア・南米・中国帰還者等のいわゆるニュウカマーによって顕在化していると推測できる(もちろん統計ではあらわれない部分もかなりあると思うが)。実際、我が家の校区の小学校は、近くに中小企業団地があるため、中国帰還者・ベトナム難民の子弟が多く、昨年から大阪府より外国人教育のための加配教員がつけられている。

*もうひとつ盛り上がらない「国際化」への対応*
 一方、住民の意識の面での「国際化」はどうであろうか。豊中市等では住民アンケートを行い、この問題にかかわっていこうという、住民の積極的な意識を引き出しているようだが、南河内地域でそのようなアンケートを実施したという話は聞かない。住民運動も「進める会」以外は、アジア友の会等はあるものの地域での活動は見えてこない。ただ、公民館主催の「国際交流講座」には主婦を中心にかなりの申し込みがあったようである。他に、農業地帯であるだけに中国との技術交流等もあるようだが関係者だけの交流になっているようである。
 それでは、自治体の政策面での「国際化」はどうであろうか。それは、はなはだお寒い。富田林市の場合、総合計画案では「国際化」という言葉が頻繁に出てくるにもかかわらず、市がこの政策課題を一体どのように受け止め、具体的にどのように展開しようとしているのかまったく見えてこない。これまで市の国際化政策と言えば、アメリカのベツレヘム市との姉妹都市交流だけで、市長はさかんに「日本でも最も早く姉妹都市提携をし、国際交流をしている」と自慢するが、全く古い形の「国際交流」の域から一歩も出ていない。アジアや在日外国人に対する「内なる国際化」への視点が全く欠落している。この4月にようやく担当窓口ができたものの、予算もなく、新たに担当となった職員は困惑の表情ありありである。自治省からの指導もあって多くの自治体で国際交流協会や国際交流センターができている中で、富田林市の対応はあまりにお粗末ではないかというのが、「進める会」の中心メンバーの率直な感想である。
 しかし、国際交流協会ができても必ずしも素晴らしい国際交流ができるわけではない。富田林市のお隣の河内長野市では市が大々的に援助して「国際交流協会」を設立し、様々な事業を行っているが、上からの運動の限界で市民への広がりや自発性に欠けているように思う。できれば、豊中市のように多くの地道な国際交流活動を行っている民間団体が存在し、それらに活動の場を提供するような形で国際交流協会や国際交流センターができるのが理想ではないだろうか。

*がんばっている現場*
 市の方針のなさにもかかわらず、行政の現場レベルでは、住民のニーズに対応してユニークな取り組みも行われている。それが公民館で行われている「日本語読み書き教室」と「ザ・河内インターナショナル」である。前者は元解放会館で識字学級を担当していた職員が、全市民を対象とした公民館でこそ識字をやるべきだという考えで開催したもので、結果としてほとんど在日外国人の生徒で占められている。
 後者は、この日本語教室の生徒を主体に、行政区を越えて河内の在日外国人の交流の場として開催されたもので、お互いの文化を交流し、悩みを出し合う場として喜ばれている。また、ボランティアとしてかかわる日本人も、肩肘のはらない本音を言い合える国際交流の場として、大いに刺激を受けている。
 今後、地域の国際化が進んでいく中で(今は実態把握さえできていないが)、地域の在日外国人と同じ目の高さで、率直に交流できる場が益々必要になってくるだろう。

<地域の「国際化」を考える基準は何か>
 以上の地域の実態を踏まえて、まだ浅い経験ではあるが「進める会」の活動や在日外国人の方々とのお付き合いを通じて、「国際化」というものを地域にこだわって考えてみたい。

 *後ろ向きの国際化と前向きの国際化*
 一つは、「国際化」というのは「後ろ向きの国際化」と「前向きの国際化」があるのではないか。それをきちんと区別していく必要があるのではないかということである。どんどん海外旅行に行き、英語をペラペラしゃべるのが本当の「国際化」だろうか。たとえ海外旅行に頻繁に行っても日本人だけかたまって行動し、「XXは黒人が多いから恐い」などというガイドの説明をうのみにして、知ったかぶりで日本で吹聴している人間はとても国際人などと言えないだろう。まして、東南アジアで買春ツアーなどというのはもってのほかである。これらは本当の国際化などとはとても言えない。むしろ、百害あって一利なしの「後ろ向きの国際化」といっていいだろう。外国人を呼んで話を聞き、結局「日本に生まれてよかったわー」で終わってしまう「後ろ向きの国際交流」はけっこう多いのである。そうではなく、お互いの違いを認め合い、様々な問題を協力して解決していくような、人間的信頼関係を築いて、自分自身を変え高めていく「前向きの国際化」こそ今求められている。

*地域にこだわり共生社会の実現*
 二つ目は、「国際化」を考える時、地域にこだわろうということである。抽象的な「国際化」は私たちにはピンとこない。自分達の地域に在日外国人がどれだけいて、どんな生活をし、どんな悩みを抱えているのか。地域の在日外国人の具体的状況に対応し、人権を尊重する立場で共生社会を実現していく中で、地域の「国際化」は進んでいくのではないだろうか。また、外国への援助にしても、政府間援助と言うのではなく、具体的な地域に対して、その地域の実情に合わせたかたちで援助をしていく。地域と地域を結ぶネットワークこそ国際交流と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。

*人権概念の拡張としての国際化ー外国人概念の無意味化*
 三つ目は、「国際化」という現象が、私たちに根本的な価値観の転換を迫っていると感じることである。それは人権という概念の拡張であり、逆の側から見れば国家という概念の曖昧化である。ご存じのように人権という概念は、封建社会の王権に対するブルジョアジーの権利として、自由権をその歴史的出発点としている。この概念は社会主義運動の進展の中で社会権を含むものとして発展してきた。だが、それもあくまでも国家を前提として、国権に対して主張されてきたのである。しかし、「国際化」という流れの前では、国家というものの枠の中では人権について語れなくなってきているのではないか。例えば、在日外国人が地域の住民として生活している以上、参政権や社会保障を始めその人権は当然保障されなければならない。しかし、法律は「国民」という枠を設けてそれを阻害しようとする。どう見ても大きな矛盾である。この点については現在様々な運動が展開されており、その結果は徐々に人権を「国民」に限定することの不合理を明らかにしつつある。
 人権の視点から「国民」の概念が揺れているように「外国人」というのも実にあやふやである。例えば日系ブラジル人のMさん。彼女は日本で生まれ、幼少の時ブラジルにわたり40才台で日本に帰って来た。その間彼女の国籍はずっと日本である。顔ももちろん日本人。しかし、日本語は苦手で日本の習慣に戸惑っている。彼女は「日本人」それとも「外国人」? 在日韓国人2世のKさん。彼女は日本で生まれ、日本で育ち、日本語をしゃべる。習慣等も全く苦労しない。しかし、彼女の国籍は韓国。彼女は「外国人」? 中国から日本に帰化したUさん。国籍は日本になったが、子供は「おまえのかあちゃん、中国人」といじめられる。彼女は「日本人」? こういう現実を見ると「外国人」という概念も実にいいかげんなものだと気付かされる。
 このように「国際化」ということは、国家の枠をとっぱらい、人権の概念を拡張して本当に人間と人間との関係を考えていくことではないか。当然それは「平和」ということに繋がっていくだろう。 そんなことを考えながら、多くの人との結び付きとカルチャーショックを楽しんでこの活動を続けている。
 南河内の住民の方、一度「地域の国際交流を進める南河内の会」の活動をのぞいて見て下さい。               (若松一郎)


【本の紹介】 『現代日本のビッグビジネス 企業行動と産業組織』
               安喜博彦著、95/10/15発行、日本評論社、3502円
 今や日本のビッグビジネス、巨大企業の一挙一動は、良きにつけ悪しきにつけ全世界注目の的である。日米自動車摩擦と大和銀行の不正取引は、日本の産業資本と金融資本の実態、系列支配や参入障壁、株式の相互持ち合いやグループ支配の不透明性を浮かび上がらせているともいえよう。これまでは上昇傾向一本槍で、世界経済の中でも常に成長率トップの地位を保持し続けてきた日本経済、あるいは日本企業の地位が、このところ、とりわけ冷戦体制崩壊以後芳しくなくなってきていることは周知の通りである。そしてここ数年、その経済成長率は、ECD加盟25ヶ国中24番目という事態である(1994年、0.6%)。
 ここに紹介する『現代日本のビッグビジネス』は、そうした大きな曲がり角に立っている日本経済の直面する課題について、多くの複雑性と多様性に富み、またそれゆえにこそ意義ある論点と問題を提起してくれているといえよう。
 著者は「はしがき」の中で、「本書は2度の石油ショックと80年代後半の円高時を経緯したこの20年余にわたるわが国の巨大企業のビヘイビアについて、価格設定行動と雇用調整、および、多角化行動の三つの側面に焦点を当てた分析を試みたものである」と述べ、その際、「わが国の産業・企業を特殊なものとしてみるのではなく、国際的に共通した一般的フレームワークと対応させてみるというのが基本姿勢である」ことを強調している。
 さらに「また、実態・実証分析においても、そこから一定の結論を引き出すことを急がなかった。むしろ現実の複雑さ・多面性を容認し、一定の視点を提示しつつも、極力、事実そのものを忠実にフォローすることを意図した。このようなスタンスで構成された本書は、日本経済の進路が企業行動のあり方とかかわって大きく問われているなかで、必ずしも切れ味のよい解答を用意するものではないけれども、少なくとも現在の立脚点を再確認するためのいくつかの手がかりは提示しえたと思う」と自負しておられる。
 本書で分析されている上位100社の激しい地位変動の実態や価格支配の具体的動向と経緯、系列、グループ化の実態は、あらためて独占と競争の問題が、独占の完成や固定化ではなくて、常に競争の優位において進行し、経済のグローバル化にともなってそれがますます切り離し得ないことを明らかにしているともいえよう。
 本書の目次は以下の通りである。
Part1 企業成長の理論と実態
1.ビッグビジネス分析の視点
補論A.集中論の再検討
2.ビッグビジネスの国内的・国際的地位
Part2 価格支配と雇用調整
3.第1次石油ショックと管理価格問題
4.高位集中産業における協調と対抗
5.雇用調整と事業所単位の雇用変動
Part3 多角化の展開と内部組織
6.企業の多角化をめぐる論点
補論B.企業の多角化と内部組織論
7.一般集中・市場集中・多角化
8.多角化・内部組織・企業グループと企業成果
9.多角化の推移と現況」
                                 (生駒 敬)

(投稿) 長良川河口堰の撤去まで闘う
     ---11月3・4・5日に長良川監視D
AY

 <本格運用がシジミに影響>
 5月の野坂建設大臣(当時)による長良川河口堰本格運用開始の決定強行以降、現地では、しじみプロジェクト(反対運動メンバーと赤須賀漁協有志による河口堰生態モニタリング調査)が続けられている。影響調査は河口堰上流10km、河口堰隣の揖斐川付近、河口堰下流500m、河口堰上流700m、河口堰上流3600mの5カ所で行われ、5Kgのしじみ取り漁による生貝、死貝、ごみ、他の生物の重量、および個数を調べるもので、94年3月以来月に1回行われてきました。上流10k地点ではまだ河口堰の影響が出ていないのに対して、河口堰下流500m地点ではほとんどしじみの姿が見られないという結果がでました。この場所は河口堰建設以前には、しじみ漁の最高の場所であり、淡水と海水が交わる汽水域でした。そして最高漁場だった河口堰付近はいまや真っ黒なヘドロと腐った植物だけなってしまいました。堰が本格運用されたことによる生態系への影響がはっきりとしてきたわけです。

<生態調査、環境調査結果は全面公開せよ>
 こうした結果は予想されてきたとは言え、今年3月から8回の「長良川河口堰円卓会議」がの中で建設省と反対派がそれぞれの主張を闘わせ、生態調査などの議論が行われている最中の建設大臣による「見切り発車」が生み出したものです。
 一方サツキマスは、ちょうど遡上の時期に堰の試験運用が始まり、3日ゲートを閉め1日開くという操作が行われたため、サツキマス漁は今年は昨年の1/3という不漁になっています。アユについては、昨年生まれた稚魚は海から4月頃に川を上り、9月から10月に河口から45kmの岐阜市の南部付近で産卵し、孵化した稚魚は河口堰を越えて海に向かうことになりますが、ダム湖である河口堰をはたしてどれだけの稚魚が越えられるものか。今年生まれた稚魚が成魚になって帰ってくるのは来年のことになりますが、長良川のアユ全滅の事態が迫っているのは確実です。それを知ってか建設省は受精させた2億個のアユの卵を海へ放つ計画だそうですが・・・・・
 しじみ、サツキマス、そしてアユと長良川の賜物とも言える生き物たちへの河口堰の影響は確実に生まれてきており、反対運動の側は「長良川監視委員会」を結成して自ら環境調査、生態調査を続けつつ、建設省・水資源公団による環境調査データの全面公開を求めているのです。

<11月5日に長良川監視DAY>
 生態調査の結果は、長良川河口堰問題が「見切り発車=本格運用開始」によっても何ら解決していないことを示しています。反対運動側は毎年秋に全国規模の結集を「長良川DAY」として開催してきたが、今年は「長良川監視DAY」を計画しています。
 11月3日には、長良川上流でカヌーデモを行い、4日には長良川河口堰上流の伊勢大橋右岸でコンサートや監視委員会からの詳しい報告を受けるイベント、そして5日にはデモ、カヌ−による水上デモなどの一斉行動が予定されています。
 もし読者の中で、この反対行動に行ってみたいという方がありましたら編集委員会までご連絡ください。詳しい資料をお送りします。(佐野)

(投稿) もたつく新党 揺らぐ村山政権

 <新党議論は水面下へ>
 社会党の新党づくりが遅れている。9月の社会党臨時大会は新党結成を確認したものの「看板の書き換え」に近い内容となり、新党推進派と慎重派の妥協の産物になったうえ、10月中にも「新党の理念」を打ち出すとしたにも関わらず、現時点でもその時期は明らかにされていない。第3極が必要との議論も自民・新進の保守党に対抗する政治的政策的な論戦も提起がされないなかで、第3極の議論、民主リベラル政党の結成そのものへの期待感も薄れつつあるというのが現実ではなかろうか。
 新党推進派の陣型は、横路を党首にし、さきがけとの合流、旧民社党内の一部分も取り込んでのゆるやかネットワーク政党の結成であろう。しかし、横路はまだ動かない。地域フォーラムつくりには奔走しているようだが、肝心の社会党の新党議論にはまだ発言する時期ではないと「慎重」である。他方、さきがけの側は鳩山の発言にもあるように、労組側からの「新党推進」の動きに違和感を感じており、「労組が前に出すぎると、新党そのもののイメージが悪い」と、新党への発言も控えめなものに終始している。
 社会党大会まではマスコミも新党問題に注目していたが、社会党内、横路、さきがけ、労組など新党の推進者そのものが互いを牽制しあい、発言を控え始めたことと、オウム、宗教法人法、金融不安、フランス核実験、日米地位協定など政治社会的な注目課題が続出するなかで、社会党新党問題への注目度もかなり落ちてきているようだ。

<根本的な解決が求められる課題が続出>
 これらの課題はどれ一つをとっても日本の選択が問われる重要課題であり、それぞれの政党の議論が伯仲すべき課題である。残念ながら自社さ・村山政権の対応はそうした根本的な議論を回避した、付け焼き刃的対応に終始しているようで歯切れが悪い。
 沖縄の米兵による少女暴行事件で明らかになった日米安保条約の不平等性は地位協定の問題にのみ限定された議論があるが、犯人の米兵逮捕権における不平等に対する怒りが発端とは言え、日米安保条約そのものの歴史的役割が終わっているのかどうか、明確にされすでにアメリカ国内では、日米安保解消論も生まれているし、安保に替わる安全保障、平和の維持の課題はどうなるか、明確な議論展開は見られていない。沖縄県知事の基地利用への署名拒否問題で村山首相は「政権の命運をかけて・・」と発言したそうだが、日米安保を認めた政策転換と今後のあるべき安全保障の政策は区別し、社会党的な(新党を視野にいれた)対応こそ求められる。
 金融不安の問題も東京協和、コスモ、木津信用、兵庫銀行に続いて、大和銀行の米国債券での巨額の損失問題が明らかになり、日本国内のみの不良債券議論から国際的な金融市場における金融不安問題へと深刻さを増している。11年にもわたる不正に対して個人ではなく銀行ぐるみで隠蔽していきた銀行の問題として、巨額の不良債券問題とも絡み国際的な不信感が強まっている。今後国際的な日本の金融機関の信用度は軒並みAランクからBランクへ下がることが確実であり、融資原資の35%程度を海外での資金調達に依存してきた都市銀行にとって、不良債券の償却問題とも絡んで金融不安は一層深刻化すると見るべきであり、公的資金の導入についても国民の議論が別れている上に、たとえそれが行われても金融不安が短期で解消できる保障はない。「暴力的」な解決の可能性もある。
 これまで大手を振ってきた大蔵官僚の信頼も、汚職、灰色官僚の続出で地に落ちておりバブルの後始末では終わらない問題についても、公的資金の導入問題だけが焦点化している感があり、政治の側の政策提起が求められている。
 これらの課題に残念ながら自社さ政権は、まともな対応ができていない。社会党の新党議論が萎みがちなのもこれら課題への政策対応ができていないことの反映でもある。現実政治への介入、政治的主張抜きに新党ができるわけがない。そういう実態こそ看板の書き換えということなのではないか。

 <橋本自民党総裁の誕生>
 9月の総裁選挙で誕生した橋本自民党は、いまのところ「自社さ連立政権」を維持する立場は表面的には変えていないものの、自民党単独政権、または連立政権であっても自民党からの首相奪還の基本姿勢を明確にしつつある。特に衝撃的なオウム事件に対する国民の危機感に便乗して、本来の目的は新進党の実働部隊である創価学会への活動規制を狙った宗教法人法の改正に力点を置いている。
 一方で自民党のキーマンは以前として旧田中派、経世会の竹下元首相である。橋本総裁の誕生も竹下のシナリオであろうし、保・保連合なる選択肢も、新進党の羽田を視野に入れた旧田中派・経世会の再登場であろう。自社さ政権がリクルート・協和汚職などダーティイメージで政権を失った自民党の充電期間に過ぎないとの議論も否定できない。おそらくは新進党を創価学会追い出しで分裂させ、保・保連合による政権をめざしていると考えて間違いはないと思われる。 

<村山政権 支持率低下続く>
 こうして揺らぎ始めた村山政権に対して、世論の風あたりは一層厳しくなっている。10月17日の日経新聞は全国電話世論調査の結果を報じている。村山政権の支持率は政権発足時の29.9%といかないまでも31.0%と低下している。政党の支持率では自民党が橋本総裁誕生の成果か35.6%と回復し、新進党は参議院選挙後8月の調査では20.3%であったものが今回13.6%と6.7%も低下している。日経新聞は「7月の参院選で新進党勝利をもたらした有権者の意識が微妙に変化している様子が垣間見える」と分析している。宗教法人法改正などの創価学会=新進党の実働部隊をのキャンペーンは効いているようだ。「宗教法人法の早期改正」に56.7%が賛成し、オウム真理教への破防法適用に72.1%が賛成している。
 さらにショックなのは、国民の村山政権への支持率が低下しているばかりか、社会党支持者の中でも不支持が増えていることだ。前回調査では社会党支持者のうち前回80%が支持、9%が不支持であったものが、今回は支持するが65%、不支持が18%となっている。村山首相の指導力についても社会党支持者の中で、指導力がないとする人が前回でも51%あったが今回は58%近くになっている。
 こうした状況の反映として、「自社さ連立政権がのぞましい」前回34.6%、今回27.8% 「新しい連立政権が望ましい」には63.6%が答えるに至っている。新しい政権を望む中では自民・新進連合26.5%、自民党単独政権24.0%、非自民連立政権18.1%、新進党単独政権14.6%という結果になっている。
 「村山政権離れ 鮮明に」「保守への期待強く」と見出しされているが、この世論調査結果を見る限り、村山政権はかなり終盤にきていると言わざるを得ない状況である。

<新党議論は、政治・政策論争を通じて>
 こうして明らかになってくるのは、ますます新党議論が遠のいていく危険性である。たしかに日経の世論調査では金融不安や景気対策を考えて解散は来年度予算が成立してからの来年4月から夏にかけてを望む42.8%、解散は来年秋以降でよい20.0%となっており村山政権、自社さ政権が半年以上続く可能性は高い。しかし、すでに述べたように現在の日本の状況は、政治・政策論争を通じて課題の解決が早急に求められている。政権政党も結構だが、政権が崩壊したとき、政党も消えてしまったという笑えない現実が近づいているのではないか。
 前号でも指摘したとおり、このままずるずるでは新党どころではない。現実課題への対応を通じて、新党作りを協力に進めるべきだと思うのだが、それを望んでもあまり期待できないというのが社会党の現実なのかな、とそんなところに落ち着くのがとてもさびしい気持ちなのだが。
 最後に、この問題も前号で触れたが、労働組合側の対応である。21単産でスタートした「新党推進労組会議」は現在33単産になったという。文書をみる限りもたつく新党論議にかなりやきもきしているようだ。最終的には連合の方針である「自民党にかわる新しい政治勢力」としての新党を目標にしているのだが、さきがけの鳩山が発言しているように労組色が強くなることは控えるべきだし、推進労組会議の代表たちも最近は公式発言を抑えているように思う。労組も組合員の利益代表として金融問題、日米安保など政治的課題への大衆運動・行動を強めることで政治闘争の盛り上げ、焦点化の中であるべき新党の政策と力を備える努力こそ今求められているのではないか。(1995-10-18 佐野)