アサート 219号(1996年2月21日)
【投稿】 ロシア情勢  エリツィンのジレンマ
<<チェチェンでの孤立化>>
 強引かつ粗暴であり、慎重な配慮と思慮に欠けたエリツィン大統領の個人的性格は、チェチェン独立派武装勢力の人質作戦に対する無差別絶滅攻撃でもいかんなく発揮されたといえよう。ベルボマイスコエ村での出来事について、国内外の心ある人々はその目を覆いたくなるような惨状を見せつけられたのである。
 これを機にチェチェンでは反ロシア抗議集会がこれまで以上に活発化しており、2月4日には1万人規模の大規模な集会が行われ、それは各市町村に広がっており、ロシア軍の撤退、親ロ派政権ザブガエフ氏の辞任、共和国の独立承認を要求している。これを力で抑え込むことはもはや不可能であろう。軍事的介入にはこれまで以上の大規模な戦闘と多大な人的物的財政的損失を伴うことが明らかであるし、たとえ一時的に制圧できたとしても、独立派勢力を絶滅できるものではない。
 そして今やロシア国内においても、エリツィン大統領に和平の主導権をとるよう求める圧力が高まってきており、ニージニーノブゴロド州のボリス・ネムツォフ知事が、戦争終結を求める請願運動を開始するや、100万人以上の署名が集まり、多くの民主改革派、人権活動団体も、この運動に参加し始めている。

<<「民主的改革から完全に逸脱」>>
 大統領直属人権問題委員会議長であるセルゲイ・コワリョフ下院議員はすでにこの1月23日に、エリツィン大統領宛ての公開書簡を発表し、「私はこれ以上、あなたと仕事を共に出来ない。民主主義、人権、自由の擁護者とは言えなくなった大統領のあなたとは」と述べて、大統領評議会をはじめ大統領府の全公職から辞任することを明らかにした。「あなたは、ジュガノフやジリノフスキーを大統領にさせないためには、自分を選ぶしかない、と言いたいのだろうが、悪あがきだ。あなたたちの間には、違いよりも共通点のほうが多い」、「あなたの政治は、ボリシェビキのぬかるみを復活させている。
当時と違うのは、共産主義の用語が反共レトリックに置き換えられていることだけだ」と、ずばり本質を突いている。
 チェチェン紛争についても「真の目的は罪のない人質の解放ではなかった」と非難し、「エリツィン大統領は民主的改革の政策から完全に逸脱した」ことを確認し、6月の大統領選においては「私はあなたには投票しない」と断言している。

<<政権与党の大統領非難>>
 さらにロシア下院の政権与党「わが家ロシア」(NDR)の指導者ベリャエフ氏は、2月2日の記者会見で、記者団の予想に反して、チェチェン情勢についてロシアの政府と大統領を非難し、「チェチェンの内部対話を発展させ、国内の合法的な権力機関を強化すべきだ。平和解決問題は地元当局が引き受けなければならない」と述べ、NDRはチェチェン問題を解決できない大統領と政府を批判すると言明し、同時にニージニーノブゴロド州の住民とネムツォフ同州知事の立場に連帯の意を表明した。同氏は「現在の執行権力を代表する候補者が大統領に当選する可能性があるのは、選挙までにチェチェン情勢を解決できた場合だ」と述べた。
 米国・カナダ研究所のA・コノワロフ氏は「ネムツォフ知事の運動はエリツィン大統領に面目を保って撤退する逃げ道を開いている。大統領はゲリラに強制されたのではなく、ロシア国民の意志に従った決定として撤退を提案できるだろう」と述べているが、果たして4月末までには、何らかの形で戦争は終わったと宣言できるような情勢を作り出すことができるのであろうか。現状では、エリツィン氏が6月16日の大統領選挙までに戦闘を終わらせ、平和の立て役者として自分を売り込むことが出来るとはほとんど誰も考えていないのである。

<<最低の信頼度>>
 エリツィン大統領は昨年二度にわたって心臓病が悪化し、常に健康不安説がささやかれているのだが、この2月15日には連邦議会で施政方針演説に当たる「年次報告」発表の場で、政策綱領を発表して、大統領選への出馬を宣言するとみられている。その中で、従来の緊縮路線を見直し、社会福祉、国内産業に配慮した方針への転換を表明、さらにチェチェン紛争の終結に向けた新提案を発表する意向だと伝えられている。
 しかしエリツィン氏の支持率に関しては、民間機関「世論」が1月末に実施した「今日大統領選挙が行われたら、誰に投票するか」との質問に、1位ジュガーノフ共産党委員長(17.1%)、2位ヤブリンスキー改革派野党「ヤブロコ」代表(11.3%)、3位エリツィン大統領(10%)、4位ジリノフスキー自由民主党党首(8.9%)、5位レベジ退役中将(8.5%)という状態である。これでも1週間前の6位から”躍進”したという。
 さらに全ロシア世論調査センターが同じ1月末に実施した政治家の信頼度調査では、1位ジュガーノフ(17%)、2位ヤブリンスキー(15%)、3位レベジ(14%)、4位に4人(9%)、眼科医フョードフ、ジリノフスキー、チェルノムイルジン首相、ガイダル「民主的選択」代表で、エリツィン大統領は5%にすぎず、10位に終わった。

<<またもや大統領令の連発>>
 そこでエリツィン大統領は、今年に入っていくつかの方向転換に着手し出したことは間違いないようである。まずまだ残っていた改革派閣僚を相次いで解任した。これによって91年に発足した「改革派チーム」の閣僚は全て政府を去り、保守・強硬派にとってかえられた。そして軍需産業を基盤にしているソスコベツ第一副首相を本部長とする大統領再選本部を発足させた。エゴロフ新大統領府長官は、下院選挙で政権与党支持で積極的な動きを見せなかった各地の大統領代表、知事らの締め付けを強化し、解任も始めているという。
 政策的にもこれまでの緊縮政策から一転して、炭坑労働者や教師の未払い賃金や年金の早急な支払い、年金や奨学金引き上げを命じる大統領令を連発し始めた。この結果、ロシア炭坑労働者労組幹部会は2月1日から実施していたロシア全土での炭坑ストライキを二日間で中止することを決定したが、約束が実行されない場合、3月1日から再度ストに突入することを明らかにしている。
 炭坑労働者の未払い賃金は2億ドルに上っており、年金増額に24億ドル、奨学金増額に6400万ドル、チェチェン復興に54億ドル、「大統領社会基金」の設立に60億ドル以上と、支出約束を連発しているが、財源については全く触れてはいない。エブゲニー・ヤシン経済相は、それらを実行することは無理であり、「大統領がそのような道に進めば、極めて危険な役を果たすことになる」と警告している。

<<共産党がエリツィン政権支持?>>
 一方、共産党はこうした「エリツィン政権の行動は共産党の主張に沿ったもの」であると積極的な支持を表明、改革派野党「ヤブロコ」提案の内閣不信任案にも同調せず、今やエリツィンの強力な味方となった感を呈している。事実、エリツィン大統領自身が、2月2日、共産党のセレズニョフ下院議長と会談し、議会と政府とのより密接な協力関係について話し合い、対話路線を確認したという。この会談の中で、エリツィン大統領は、チェチェン問題で新たな平和的解決を主眼とした提案を行うこと、炭坑労働者や教師らへの給与の遅配問題について、早急な給与の支払いを命じたことを伝えている。
 他方、共産党系プラウダ紙の記者らが、党指導部と現政権との裏取引を批判する声明を発表し、双方共に複雑怪奇で矛盾に満ちた動きが表面化している。
 今最も注目を浴びているジュガーノフ・ロシア共産党委員長は、スイスのダボスで開かれている「世界経済フォーラム」で記者会見(2/5)し、「ジュガーノフ政権が実現すれば、現在よりも良い投資環境を作り出すことを世界の経済界指導者に納得してもらうことが、フォーラムに参加した目的だ」と述べ、「ロシア経済が旧ソ連時代の国家独占体制に戻ることはありえない」、「経済の全面的国家統制が危機を招いた」、「自らの政権では国家と民間による混合経済を促進する」、「ロシア経済の民営化および外国資本の導入に賛成する」、「多様な所有形態を認めている」ことを強調している。単なる便法なのか、社会民主主義路線への真摯な転換なのかが、現実に問われようとしていることは事実であろう。

 エリツィンのジレンマはロシアのジレンマでもある。ロシアのジレンマは解決可能であろうが、エリツィン氏のジレンマは氏のこれまでの行動や言動、性格からみて果たして解決可能なのであろうか。深まる一方ではないかと危惧される状況である。
(大阪、I.K.) 

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