ASSERT 232号(1997年3月21日)
【投稿】 動燃爆発事故:もんじゆと東海村は即刻閉鎖・解体を
【投稿】 「歴史観論争」で気になること
【映画紹介】 ケン・ローチ監督「大地と自由」
【書評】 内発的発展論をめぐる二冊の書物
【投稿】 再び公務員攻撃:人事院勧告凍結論の跳梁

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投稿 動燃爆発事故 もんじゆと東海村は即刻閉鎖・解体を

■(原発増設)同意は当分延期する
 この原稿を書きかけた矢先に(3/16.14:50)、突如家が揺れだした。大阪の震度は2で、静岡・愛知県境が震源地で震度5であった。そのすぐ東側の近くには中部電力の浜岡原発が位置している。先日来度々強襲している震度4〜5クラスの地震が頻発している伊豆半島はそのまたすぐ東側である。いわばこの原発は地震の巣の真っ只中に存在しているのである。報道ではこの原発の様子は一切漏れ伝わってこない。この浜岡原発では、4号炉迄現在稼働中であるが、その内の1、2号炉は81年に改定される前の78年の甘い耐震設計審査指針設定前から運転している危険極まりない原発である。中部電力はそこへまた5号炉の増設を申請し、静岡県の石川知事は先月2/25の記者会見で増設同意を表明していたのである。ところが3月11日の動燃東海村核燃料再処理工場での爆発事故に驚いた静岡県当局は、翌日の3/12、急遽「知事同意は当分延期する」と発表した。「同意は県議会開会中に間に合うことが望ましい」(県企画部長)と同意を出す姿勢は変わってはいないが慌てふためいているのである。そこへ今度の地震である。動燃の事態と言い、静岡県の事態と言い、原発当局や官僚どもは情報を秘匿しながら、自己の保身と利害追及に汲々として、生命と環境にかかわる重大事は視野の外に置かれ、情報公開の要求の前に身を固くして責任をなすりつけ合っている現在の日本の姿がここに典型的に示されている。

■起こるべくして起こった爆発
 しかしそのぼろやほころびは今や繕えなくなってきたとも言えよう。動燃東海の事態の推移を見てみよう。
 3/11、10:06AM、アスファルト固化処理施設の火災警報が作動。職員一人がのぞき窓から炎を確認、スプリンクラーを手動で起動(自動スプリンクラーが取り付けられていない)。10:12から10:13まで1分間だけ3・3立方m放水して手動で停止。炎が見えなくなったからと言うが、室内は煙が充満していて消火が確認できる状態ではなかった。当初、動燃は「セルの窓から消火を確認した。16分後に消火した」と発表していたが、実際には処理施設に入って確認をした訳ではなかった。遠隔監視用のテレビカメラは設置されていなかったと発表していたが、これも嘘であった。東海事業所の小山副所長は、スプリンクラーを止めた理由について「室内に撒いた水は放射性廃液になり、処理が難しいということが念頭にあったのではないか」と担当職員に責任をかぶせたが、スプリンクラーを作動させる消火訓練はしたことがなかったこと、鎮火確認のマニュアルも存在するかどうか分からないと答える始末であった。消防法違反どころの話ではない。
13:34から9分間、消防職員と職員の2人が施設内に入ったが、照明電源も落ち、暗くて内部が良く見えず、放射能汚染の危険性もあったため、すぐ表に出たという。消防署には「午前中のボヤは鎮火した」と伝えていたため、放射線防護服もつけずに入ろうとしたが、ボヤどころの話ではなく、事態はそんなに甘くはなかったのである。室内には固化処理用のアスファルト入りドラム缶が31本、160度以上にに熱せられていた上に、換気装置が作動していなかった。
 17:00前、換気装置の復旧作業のために制御室に入り、起動スイッチを入れたが作動しなかったと言う。ここからはもはやただただ爆発が起こるのを手をこまねいて見守っていたともいえよう。ただしそうした事態の進展にどれだけの当事者が自覚し、早急な回避処置をとろうとしていたかは疑問である。
 20:14、爆発は起こるべくして起こった。不幸中の幸いは、隣の建屋の更衣室で技術者42人が現場に入ろうとして着替え中で、まだ爆発現場に入っていなかった事である。ただしこの建屋の渡り廊下のハッチは吹き飛ばされており、放射能汚染がこの建屋にも及んだことは間違いない。

■担当部署が異なっていた
 この爆発後の事態がまたどうしようもない無責任体質を露呈している。同日午後10時頃の記者会見では、爆音がして鋼鉄製の扉が吹き飛び、ガラス窓が全部割れているにもかかわらず、動燃は「まだ爆発かどうか分からない」と答え、0時の会見では、ようやく爆発までは認めたが、被爆状況の確認もされていない段階であるにもかかわらず、「被爆はない」と断言する始末である。そしてこの段階で科学技術庁の片山課長は「人的な放射能汚染、けが人などはなかった」と語ったのであるが、なんの根拠も示さず、後に10人と発表し、さらには20人、と二転三転し、結局30数人の被爆が確認されているがこれとて怪しいものである。放射能放出量や種類については計測さえろくに出来ない中で「環境への影響は軽微」と発表したが、これもまた変転し、最も危険なプルトニウムが施設外へ放出された可能性が極めて濃厚になっている。
 連絡体制に至ってはずさん極まりない実態をまたもやさらけだしてしまった。同日午前中の第一回目の火災発生直後、10:26には放射能漏出警報が作動し、11:05には測定データを確認し、異常を認識していたにもかかわらず、「動燃内部の連絡体制の不備」から、この情報が実に約8時間後の午後6時過ぎまで公表されなかったことが「動燃の調査で分かった」と言うのである。ところがすでに10:39に動燃本社には「アスファルト固化施設からの排気には異常がない」と伝えられ、午後4時過ぎからの記者会見で科学技術庁は「排気筒モニターにより環境への放射性物質の放出はないことが確認された」と発表しているのである。いったい当事者は8時間もの間、何を確認し合っていたのだろうか。「状況の確認に手間取って、連絡が遅れた」と言うのであるが、実態は事故隠し以外のなにものでもないであろう。さらに重大な事故であれば、日本国内はもとより世界中が何も知らされない間に放射能が地球規模でばらまかれるに十分な時間である。動燃は、「虚偽の報告では決してなく、情報が充分入っていなかった。アスファルト固化施設と蒸発処理施設とでは担当部署が異なっていたことが、情報がうまく伝わらなかった」などと全くあきれ果てた言い訳をしている。危険極まりない施設での、空恐ろしい実態である。

■動燃はいらない!
 首相官邸に午前中の火災情報が届いたのは、発生後6時間も後の午後4時過ぎ、古川官房副長官が受け取った。梶山官房長官は、同じ頃行われていた会見の席上、記者の質問で初めて事故の情報を知るというお粗末さであった。午後の爆発事故についても橋本首相に伝えられたのは科学技術庁からではなく、通信社電経由であった。翌3/12、状況説明をしようと首相官邸に参上した動燃の近藤理事長に対して梶山官房長官は、「予約を入れていない」という理由で面会を拒否し、「(動燃幹部は)座禅でもしていろ」、「安全というなら、自分の床の間にでも飾っておけ」、「私に釈明をする余裕があるなら、東海村へ行って、原因対策を講じるべきだ」と怒りをぶちまけたという。ごもっともではあるが、梶山氏はご当地茨城県選出の議員としてこの危険極まりない施設を推進してきた重要な責任がある人物である。
 今回の事態が改めて明らかにしたことは、たとえ当初は小規模の事故であったとしても、いったん放射能処理施設での事故が発生すると、容易に現場に近づくことも、事故の進展を最小限に止める作業に入ることすら困難な事態が出現するということである。その上にさらに動燃は高速増殖炉や核燃料再処理工場という世界的にも最も危険な施設を運転、管理する能力がそもそも欠落しており、最優先に考慮されなければならない安全確保、正確、詳細で迅速な情報公開についてその意欲も意図も全く持ち合わせていないということが、またもや暴露されたことである。もはや動燃が推進する福井県敦賀の高速増殖炉もんじゅや今回の東海村核燃料再処理工場は即刻閉鎖されるべきであり、動燃それ自体も組織的に解体されるべきであろう。原子力資料情報室代表の高木仁三郎氏が言うように「日本のプルトニウム政策と廃棄物処理にかかわる重要な研究すべてを行っているにもかかわらず、技術的能力と国民の信頼が欠如している。組織を改めるべきで、極端に言えば動燃はいらない」(3/12毎日)のである。
                  (生駒 敬)