アサート 237号(1997年8月23日)
【投稿】 戦後民主主義を問いなおす No.2 by 織田 功
 歴史教育をめぐる熱い論争
 ここ1年あまり、歴史教育のあり方、とりわけ今年度からの中学校の歴史教科書に「日本軍が従軍慰安婦を戦地へ連行した」という記述が全教科書に掲載された事をめぐって、熱い論争が展開されている。
 「従軍慰安婦問題」については、論点は出つくしたと思う。
(1)戦地に「慰安所」並びに「慰安婦」が存在したことについては誰もが認めている。
(2)「慰安所」「慰安婦」に日本政府・軍が公的に関与していたことについても誰もが  認めている。
(3)戦時中に日本の兵士が戦地住民の女性にたいし強姦した事実が存在したことも誰も
  否定していない。
(4)焦点となっているのは、「慰安婦」を集めるにあたって、日本政府・軍が国策とし
  て朝鮮半島や中国、東南アジアに住んでいた女性を「強制連行」したか否かという問
  題である。
 今までのところ、「強制連行」を国策として行なったという「公的文書」は出てきていない。また強制連行を実際行なったという当時の日本軍人の証人や強制連行の現場をみたという現地の証人も現われていない。当時「慰安婦」であったという人々の証言が、今のところ唯一の根拠となっている。

「強制連行」が問題の核心
 「強制連行」を当時の日本政府・軍が行なったか否かがこの問題の根本である。しかしながら「強制連行があった」という立場の陣営の論点は必ずしも定まっておらず、論者によって(1)から(4)までが区別されずに論じられている。何ゆえに区別して論じられなければならないのか。
 それは、当時の日本政府・軍が国策として「強制連行」を行なったか否かが、当時の戦時国際法に照らして国家犯罪か否かに直結するからである。もし「強制連行」が確かに存在したとしても、「極東国際軍事裁判」によって日本の戦争犯罪が裁かれた経過、並びに戦後日本政府と中国、韓国、東南アジア各国との間で交わされた条約や戦争賠償金の支払の経過からして(北朝鮮を除く)、今日日本政府が被害者の方々に国家による個人賠償をするべきか否かについては、国際法、国内法的に多いに議論のあるところだと思う。

日・韓両政府は早急に決着すべきだ
 しかし、私は「強制連行」が当時の国策として行なわれていたことが事実であるなら、現在の日本政府そしてわれわれ日本人はその道義的責任を、同じような道義的責任をもっていると思われる諸外国に先駆けて、積極的に担うべきだと思う。そのための特別税を導入してでも償うべきである。そして諸外国にも道義的責任を迫っていくべきである。 しかし、国策として「強制連行」したという証拠としては、「従軍慰安婦」と名乗りでた人の「証言」だけである。7万人から20万人いたとされる「慰安婦」、そんな数の女性たちを日本軍による軍事力で有無をいわせず「強制連行」したとするならば、当時でもその家族や地域で反乱が起こらないはずがないのではないか。また日本の敗戦後、娘を強制連行された家族や朝鮮民族の日本に対する怨みが爆発しないわけがない。それが今日これだけ韓国でも大きく取り上げられている「従軍慰安婦」問題であるにも関わらず、その家族や当時「強制連行」を目撃したであろう地域の人からの証言が皆無であるのは不思議である。韓国政府もその家族や目撃者の証言を募り、その真意を日本政府と共に確かめる調査を行なうべきである。
 また日本政府も、そのことを韓国政府に要求すべきである。と当時に日本政府としても当時の日本兵の中からの証言の有無を徹底的に調査すべきである。今のところ日本政府は、「強制連行」を国策として行なったという「文書」は見つかっていないという。
 こんな段階で、道義的責任を日本政府・国民が果たすために特別税を導入することに国民的合意が得られるわけがないではないか。事は急を要することである。早急にシロ、クロをはっきりすべきである。それは今日韓国政府と日本政府の責任ではないだろうか。
 それにつけても日本政府のこの問題に対する姿勢はデタラメである。「従軍慰安婦」と名乗りをあげた人の証言だけを唯一の根拠に、その裏づけ調査もせず、「公式文書」も調査しても見つからない段階で、当時の日本政府・軍の「強制連行」は存在したと内外に発表したのである。(宮沢内閣時の河野官房長官)

今後の論争に目が離せない
 この河野官房長官談話のデタラメさが、「慰安婦」問題を複雑化させ、国際問題にまで発展させている諸悪の根源である。ここにも戦後日本の民主主義の弊害が露呈していると思えてならない。
 これは何も河野氏に限らない。「強制連行」有り派の「朝日新聞」の論調も同じである。この間の「朝日新聞」と「産経新聞」の論戦を始めとする様々な月刊誌や単行本での「強制連行有り派」と「強制連行疑問派、無し派」の論戦を読んで感じるのは、「疑問派、無し派」の具体的問題提起に正面から応えず、「強制連行」ありき論を一方的に繰り返すだけでその論に質的発展がまるでみられない。
 そんな中で、今年度から中学校の歴史教科書に「従軍慰安婦」の記述が一斉に掲載されたという事について、かってない論争が巻き起こるのは当然である。
 「慰安婦の強制連行の有無」については、日・韓両政府が早急に誰もが納得する形で決着をつけ、国内外に明らかにすべきである。
 しかしこの間の「慰安婦」をめぐる論争は、この問題はあくまできっかけであり、今後多くの問題を抱えて論争は発展していくべき問題であり、発展していくだろうと期待している。戦後50余年が経過した今日、改めて日本の明治維新以降の「近・現代史」のとらえかえしに始まって、そこから江戸時代、戦国時代とさかのぼり、日本史全体のとらえなおしに発展していく質を持っていると実感している。そこから歴史教育の今後のあり方、今後の日本の歩むべき道が見えてくるのではないかとひそかに期待している。今この論争から目が離せない。(続く)                  織田 功 

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