アサート 237号(1997年8月23日)
【投稿】 戦後52年目の夏に考える
 なにか、とても中途半端な時間が過ぎていくような気がしてならない。
それは、あせりなのか、それとも飛躍の前の静寂なのか。
とても平和そうな52年目の夏。それでいいのか、と自問しつつ、気になる点を挙げてみる。

<教科書論争について>
私自身は、所謂教科書論争と言う形で登場している「右翼的論議」にはあまり興味がない。敢えて言えば「右翼」の側の「あせり」の表現でしかない、と考えている。自虐史観という表現も理解できない。残念ながら、少なくとも明治の中期から第2次世界大戦の終わりまで、日本という国家的行動の有り様は、ほとんど反省・糾弾・謝罪ものの連続で、「自虐」しても仕切れないほどの「犯罪行為」の連続であろうと思う。
被侵略国側にとってそうであっただけでなく、日本国民に対しても、国民を徹底的に傷つけた無責任な戦争指導者達やそれに連なる人々は、戦後も生き延び、岸信介の例を引くまでもなく、戦後に復活を遂げている。731部隊に関わった医療関係者は戦後の大学や医療関係に君臨した。そのリストも公開されていない。
夏になると、読み返す本の1冊に「失敗の本質・・日本軍の組織論的研究」(中公文庫)というものがある。防衛大学関係者の手になるものだが、がダルカナル、ミッドウェー、ノモンハン、レイテ、インパール、沖縄戦について、日本陸海軍の「失敗の本質」を追求している。(NHKのドキュメント太平洋戦争の元番のような印象もある)いろいろな面があるが、印象的なのは、日本陸海軍は敵も殺したが、自軍の兵士も無駄死に、犬死に同然に死に至らしめた事実だ。兵站・補給を無視した精神主義。単に物量だけに負けたのではなく、兵士をなるべく死なないように保護した航空機の製造からレーダーなどの情報機器の開発、また陸海空軍を統括した統合本部を確立した米軍と、最後まで陸海の確執を残した日本。(この本の結論は、自己革新性を持たない組織は腐敗し、敗北するという点に集約されている)
この本からは、日本軍が負けるべくして負けたことが実証的に明らかにされている。他方、教科書論争と言われているものは、実証的な装いを持ちながら、極めて「感情的」な論争であるように感じるのだが。
そういう意味では、よくNHKのドキュメンタリーなどで「アメリカ国立公文書センター」(?)などで軍事関係の文書が公開されているが、日本はどうなのだろうか。事実に基づく論争というなら、政府にすべての文書の公開を一緒に求めることがまず第1なのではないか、と考えるのだが。・・・・・
<事実を明確にするということ>
事実、そして認識という意味で、私が非常に興味を感じているのは、やはりマルクス主義とは事実に照らして何であり、今後は、どのような意味で再生が可能なのか、ということだ。
事実に照らして、と言う意味で興味深いのは、ソ連関係の文書公開(公開と言っても研究者が書類の山の中から探してくるらしいが)が進んで、ソビエト社会主義の歴史的事実の解明、さらに「社会主義世界体制」の実態が明らかになりつつあることだろう。残念ながら、そのなかで明らかになってくるのは、残念ながら、共産主義という全体主義が粛清と殺戮、民主主義とは程遠いものであった、という事実であろうことは想像できる。
私自身にとっても、少なくともこの20数年間の運動の基盤が91年のソ連崩壊以上に揺らぐことになるのだが、幸いなことに、個人的にはそんなにダメージがないことだろうか。
こうしたレベルからは、現在の保保連合の動きや、また日本共産党の「躍進」もまた、
さほど驚くこともない。共産主義と民主集中制を基本的に残している団体に今後どれほどの生命力があるのか、甚だ疑問だからである。
そういう意味では、最近三一書房から北海道大学の鷲田小彌太氏が「講座・マルクスとマルクス主義」(1997年4月)という本を出されているが、その中で、マルクス主義の総括をきっぱりとされているのは、とても印象的である。その中の一節に「・・・・社会主義は、自由で平等で豊かで平和な社会と人間関係をつくるのだ、という目標(イデー=理念)を掲げました。しかし、そういうものは、ことごとく正しくなかった。実現しなかった。それが社会主義の70年の現実の歴史の中でわかりました。・・・」「マルクス主義の徹底した清算が必要:・・・マルクス主義といわれているものが、これまで掲げてきた目標、それを実現しようとする社会システム、それを実現するためのさまざまな手段、あるいは、共産党も含めた、社会主義的な思想と行動集団は、ぜんぶ御破算にしたほうがいい。マルクス的社会主義の150年、70数年の歴史というものは、人類に災厄をもたらした、人類にとって悪夢であった、とまず理解しなければなりません。・・・・その上でなおかつ、マルクス主義に可能性があるのかを考える必要がある、というのが私の考え方です。」
この部分だけがすべてではないのですが、これほど明快に言われると、すっきりします。読者各位も是非一読していただきたい。
事実を大事にするという姿勢に必ず立って議論する、ということは、何につけても曲げてはいけない原則だと考えています。

<進歩的文化人は元気か?>
「マルクス主義の清算」という立場にたって考えると、この間の政治状況も違った面が見えてきます。
確かに、93年の細川連立政権の成立以降これまで、社会党が壊滅状況となり、保保連合の動きに対抗する民主党は出来たものの、まだ停滞している。世の中の論調を見ていると、旧社会党的論調は影を薄め、反自民党的論調も当然のごとくありつつも、国民を納得させるような、やや中間的だが、反自民あるいは反保保と言う形での論壇は明らかに停滞している。従来の「進歩的文化人」と言われるような人々からの積極的な発言も、もう一つ聞かないし、影響力を感じられないのが現状ではないか。
「『悪魔祓い』の戦後史・・・・進歩的文化人の言論と責任」という単行本が最近出ていて盆の間に読みました。「諸君!」という雑誌に連載されたものをまとめた本だけれど、中々通史的に読めて面白かった訳です。(もちろん、趣旨に同意するわけではない)
結局、「世界」の岩波と朝日新聞を攻撃しているわけで、戦後の「全面講和論争」「非武装中立路線」「文化大革命」「北朝鮮」「ベトナム戦争」「家永裁判」「大学紛争」などをテーマに、そのころ進歩的文化人が、どんな「無責任な言論」を展開したかを、口汚く罵る内容になっているわけです。ただ、結構事実っぽく展開されているので、一見説得力があるようにも思えます。紹介したのは「良い本」と言う意味ではなく、反面教師として読むのも一興と言う程度なんですが、私が言いたいのは、この本の著者が忌み嫌う進歩的文化人達、決して社会主義支持者、運動家ではない人々にも「社会主義は善、資本主義は悪」というような歴史的に形成された広範な意識が存在していたこと。それらの言論が、国民・社会に与える影響は大きなものがあったということ。社会党・共産党・その他新左翼や市民運動といった「反体制派」にとって、それは守るべき財産であったし、国民的な影響力も持っていた。
しかし残念ながら、ソ連の崩壊、社会主義の崩壊以後、これら進歩的文化人の発言力は明らかに低下してきていること。その背景に、単にマルクス主義者にとってのみ大ショックだったと思っていた「社会主義の崩壊」は、実は日本の良心的陣営すらも大きな影響を受けているのではないか、と思い当たり、私は少々ショックを受けている、という訳です。
一方、現在の「世界」は、あまり私にとって面白くありません。労働運動に対しては、連合否定の立場で編集されているし、せいぜい全労協か少数派運動しか載りません。まだ「RONZA」の方がまし、というものです。もちろん読者も減っているでしょうから、影響力はますます落ちてはいるのでしょうが。

<もう少し議論したいところ>
まあ、自分の責任の取れない範囲を批判してもあまり役には立ちません。しかし、ソ連崩壊から7年になろうという現在、鷲田さんではありませんが、「清算」はまだできていないような気がしているわけです。明日から、また通常の生活に戻るわけですが、「マルクス主義の清算」と新たな政治・思想戦略だけは、いずれ明確にしたいものだと思っています。(97ー08ー16佐野秀夫) 

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