ASSERT 240号(1997年11月28日)
【投稿】 株価暴落は何を明らかにしたか
【投稿】 サナダ・ユキムラ作戦 PARTU
【投稿】 巨大生協で腐敗疑惑・・・いずみ市民生協の場合
【投稿】 日本悲観論を考える( その1)
【書評】 大沢在昌『氷舞(こおりまい)・新宿鮫』

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(投稿) 株価暴落は何を明らかにしたか

<<ブラッディマンデイ>>
 先月の10/19はニューヨーク株式市場の史上最大の暴落と言われたブラックマンディ10周年であった。このところのアジアを中心とする金融市場の動揺から、それが再来するのか否かと言うことが大きく取り上げられてきたことは周知のことである。それがついに10/27(月)再来することとなった。この日、ニューヨーク株式市場は前日終値比554$の大幅値下げを記録、10年前の508$下げを上回る史上最大の下げ幅の暴落となったのである。ブラックマンディの教訓から取り入れたサーキットブレーカー(取り引きの一時停止制度)を発動、売り注文をすべて消化しない段階で史上最大の下げ幅を記録し、ブラッディマンデイ(血の日曜日)と形容され、暴落(月)→反騰(火)→冷静(水)→急落(木)→上昇(金)→高騰(月)と乱高下を繰り返す相場に対してはヨーヨー相場と命名されたと言う。
 株の急落は、香港、日本、米国だけではなく、ロンドン、オランダから豪州、ニュージーランド、ブラジルの暴落へとすぐさま波及し、中南米からロシア、東欧にも及んだ。震源地ともいわれた、10/28の香港株式市場は、8月のピークから46%もの下落である。
 再来とはいっても、その原因、規模と形態は大きく異なることは当然である。決定的なのはその間の冷戦の終結である。87年のブラックマンデーは、米ソ冷戦体制下での膨大な軍事予算の浪費にあえぐ財政、貿易の双子の赤字を抱えた米国問題を基点としていた。

<<冷戦終結がもたらしたもの>>
 冷戦体制の崩壊は、ロシアをはじめとする旧東側諸国をドルを決済通貨とする経済圏に組み入れた結果、ドル経済圏は一挙に拡大したと言えよう。そのことによってアメリカは、ドルをいくら垂れ流しても、それに見合う利払いの必要が生じない決済通貨発行者だけが持つ利益、特権を思う存分に享受し、それによって米国経済を立ち直らせ好調を持続させてきたとも言えよう。冷戦終結の恩恵をもっとも享受してきたのが米国であった。冷戦の狭間で利益を吸い上げてきた日本が今、低迷にあえいでいるのとは対照的である。
 但しこれは逆に米国の手を離れたドルが一挙に拡大したドル経済圏にばらまかれればばらまかれるほど、その反作用とツケも大きくなることを意味している。実際、昨年10月に発表された米連邦準備制度FRBの報告によると、90年以降、新規に発行されたドルの70%以上が米国外で保有されている。その結果、流通ドルの半分以上が米国外にあるという状態をもたらしている。
 こうした米ドルの垂れ流しは、為替リスクを最小にしながら利益の出る市場を駆け巡る投機的なホットマネーを世界的規模で増大させ、制御不可能な状況に至らしめてもいるのである。今回の株暴落は、香港発と命名されているが、その過半は、米国経済が抱える矛盾に起因しており、実は米国経済が世界経済に大きく依存しており、好調米国経済の弱点がアジアにあり、アジアの金融危機の展開次第では、米国経済の好調を支えている基盤そのものが崩壊する危険性を警告したものと言えよう。これまでドル高を支えてきたさまざまな要因が徐々に剥落する可能性が高いのである。

<<米国債放出の脅し>>
 83年以来、香港ドルが事実上の対ドル固定レート制を維持してきたことは、香港と米国のインフレ格差を考えれば、インフレ率が香港では毎年10%前後で推移しており、米国はインフレどころかデフレ懸念までいわれるほどの物価安定状況であり、いずれ矛盾が爆発せざるを得ないものであった。しかし香港がこうしたドル・ペッグ制を崩せば、すべての経済システムを見直さなければならなくなるし、ドル資金導入を中国経済発展の至上命題としている中国にとって致命的である。ドル・ペッグ制によって米ドルとの等比交換が約束されているからこそ、世界のマネーを引き付けてきた香港ドル建て資産投資と所有の魅力が減退してしまうのである。香港、中国にとってドル固定制から変動相場制への移行は、為替の下落=輸入コスト高となり、これまでのような外資流入も望めない、重大な局面に直面せざるを得ない。
 そこで中国はその豊富な外貨準備、香港には880億米ドル、中国とあわせれば、2000億ドルを超える外貨準備によってドル・ペッグ制死守に動かざるをえなかった。その際、ちょうど訪米中であった中国高官によって、米国債を売りに出すことも考慮せざるを得ないと言う脅しも使われたことは間違いないであろう。これに市場が直ちに反応したともいえよう。
 なにしろ、今年の6/23、橋本首相が訪米中、「米国債を売りたいとの誘惑にかられたことがある」と発言しただけで、ニューヨーク株価が当時としては過去2番目の192$も下げたのである。実際に中国の外貨準備は事実上そのほとんどが米国債で運用されており、中国、香港経済が混乱に陥ってこれを売りに出せば、米国債の急落→米長期金利の上昇→米国株の暴落の連鎖が起きることは必至であり、米国自身が真っ先にパニックに陥りかねない客観的条件がそろっているのである。

<<新たな通貨切下げ競争>>
 こうした事態は、これまで米国債の大きな買い手であったアジア各国の中央銀行が、自国通貨防衛のためにドル(米国債)売り介入を行えば、いつでも起こりかねないことを示している。その意味では、ドルの世界支配という構図の終末段階にさしかかっているとも言えよう。米国債保有残高10位は表の通りである。どこから事態の急展開が起きても不思議ではない。

米国債の保有残高
------------------------
日本    3078億$ 25.3%
英国    2327    18.1
ドイツ    667     5.5
OPEC   538     4.4
中国     509    4.2
オランダ   503    4.1
スペイン   501    4.1
香港     441    3.6
シンガポール  353    2.9
台湾     346    2.8
------------------------
(米財務省調べ、97/5現在)

 しかしその焦点はアジアにあると言えよう。今回のアジアの通貨危機の起点は、94年に中国が大幅に元を切り下げ(34%)、ASEANやNIESの競争力を相対的に下落させたことに求められる。ASEAN諸国は中国の通貨切り下げ前までは、年率20〜30%のペースで輸出が伸びていたが、96年後半以降、それが5〜6%に落ち込み、この夏以降の金融危機で借金国に転落、さらに通貨切り下げでドルベースの借金は20〜40%増大し、借金漬けのためにさらに通貨切り下げによって輸出競争力を回復し、飢餓輸出であっても輸出増大を図ろうとする悪循環に陥ろうとしている。その意味では、アジア各国は新たな通貨切下げ競争に入ったのである。
 まず7月には、タイ・バーツがバスケット・ペッグ制(主要通貨の為替の加重平均に自国通貨を連動させる方式)から管理フロート制へ移行、その後、マレーシア、インドネシア、フィリピン、シンガポールなどへ次々と通貨切り下げが波及、韓国ウォンの対ドルレートも史上最低となり、そして10/21、台湾がそれまで豊富な外貨準備を背景に中央銀行が通貨買い支えを行っていたが、突如市場介入取り止めの方針を発表、台湾元の大幅下落を容認するに至った。これら諸国から引き上げてきたホットマネーが、投機的差益を求めて、対ドル固定制を維持している香港に集中したのは当然であった。10/23、香港の金融当局は短期金利を6%から一気に200%にまで引き上げて、同時に市場介入を実施して、ペッグ制を守ることを優先させた。その結果が株式
市場の暴落であった。

<<「大アジア救済計画」>>
 こうした背景には、アジアNIES諸国の経済規模が拡大する中で、人件費や不動産価格が上昇するなど、絶えずインフレ圧力が続いていたにもかかわらず、それぞれの国の通貨がドルに固定されていたプラス面が逆に重い負担となり、過大評価されたいたそれぞれの通貨が、経済実態にあわせざるを得ない時期にきたことを示している。
 さらに根源的には、アジアNIES諸国がこれまで享受してきた恵まれたポジションが失われつつあることが指摘できよう。低賃金と過重・過酷労働の優位性、環境破壊を無視した生産立地、抑圧的独裁的政治支配体制による労働と生産の組織化、等々による輸出競争力確保は、今や公然たる大衆的反撃と挑戦を受けており、これまでどおりにはいかなくなってきているのである。過去の日本や韓国の発展と矛盾の姿がより短いサイクルで急展開しているとも言えよう。
 これまで直接投資であれ、間接投資であれ、世界の資金がアジアに向かっていたのが、昨年後半から急速に成長期待がなえ始め、多国籍企業は、生産拠点をアジアから別の地域、たとえば中南米やロシアへシフトするという動きを見せ始め、国際資本のアジアからの流出が顕著になってきたのである。
 今回の株式市場の暴落が指し示したことは、ドル・ペッグ制を挟んでの米国と中国、アジア諸国との問題であると同時に、米国の株バブル、日本や欧州の景気低迷、という状況下で起きた、よりグローバルで根源的な問題を内包しており、事態はより深刻である。であればこそ、IMF主導の下に、急遽、インドネシアの金融危機回避の救済のために400億ドル、タイ救済に220億ドルという巨額融資が提起され、さらには「大アジア救済計画」なるものまで出されてきており、これには、アメリカを中心とする先進国の新しい金融植民地主義であると言う反発がアジア諸国に巻き起こっている。

<<日本がIMFに借款要請?>>
 今回の株価暴落、さらにはアジアの金融危機の深化によって、日本固有の深刻な問題が加速される可能性が高まっていることも指摘されねばならない。日本は、世界第2位の経済大国、先進国というが、日本の東南アジア向け輸出比率は今や4割を超えており、96年のASEAN・NIES8カ国の対日貿易赤字は計794億$に達し、実際にはアジアへの輸出とファイナンスで儲けてきたのが実態である。
 したがってこれら諸国の通貨・経済混乱が長引けば、同地域向けの輸出は相当な落ち込みを免れないし、加えて、邦銀の東南アジア向け債権の焦げ付きが顕在化すれば、新たな不良債権問題が浮上しかねない事態である。
 ASEAN4カ国だけで邦銀の融資額は700億$程度あり、インドネシアだけでもすでに16の銀行が閉鎖されており、このうち相当額が今回の金融危機の進行の中で不良債権化したことは間違いなく、日本円で2〜3兆円はあると見られている。
 11/10号の米ビジネス・ウィーク誌は「日本は不景気と株式市場の崩落、それにアジア諸国のローンの不履行による重荷に悩まされ、さらには多額の不良債権に悩まされて、政府はついにIMFに頭を下げて借款を申し入れた。2910億$に上る米財務省債券を手放すという手はあったが、それで国際金融市場をこれ以上撹乱させるのを避けるために、同債券を抵当に緊急借款を申し入れることを決心した」、「日本のように裕福な国がそんなことをするなど想像もつかないことなのだが、こんな噂が先月27日に世界各地の株式市場で株価が暴落を続けている最中にウォール街を駆け回っていた」、「日本は国際経済政策を持たず、アジア金融危機の中心であったタイの救済政策を推進する力もなかった」、「国内金融組織は崩壊寸前で、大手金融機関の中にはその生存さえ危惧されているところがある」とまで報道されるような状況である。
 日本の金融システムが戦後初の機能麻痺に陥っていることは事実であり、消費税増税、所得税減税の廃止が、個人消費を大きく鈍らせ、景気の立ち直りに重大なブレーキ要因となり、実物経済が明らかにマイナス成長に近い局面に入っていることは否定しがたい厳然たる事実である。事態を打開する内外の声に対して、緊縮財政しか叫べない日本の政府、政党の実態が根本的に問われているといえよう。
(生駒 敬)

(投稿)サナダ・ユキムラ作戦 PARTU

村山富市の提案は、離職した炭鉱労働者に、トンネルの掘削を請け負ってもらえば良い、という突拍子もないものだった。
しかし、リマ事件の時も炭鉱労働者が、突入用トンネル造りに動員されたということであり、人が通れるだけの大きさで良いのだから、一理あるかと小沢は思った。
だが、やはり失敗した時のことを考えると、迂闊に承諾するわけにはいかない、やはりこのじじいは自分の足をひっぱりにきたのではないかと、小沢は疑いの眼差しを向けながら、村山の申し出を辞退した。
村山は「そうですか、残念じゃのう」と、いとも簡単に諦めたが、即座に第2弾を放ってきた。
「それなら、テロリストを撹乱さすために、迎賓館の周りで連日決起集会を開けばどうじゃ」
さすがの小沢も腕を組んで考え込んでしまったが、村山の執拗な要望に、周辺の道路をグルグル廻るだけならと、提案を受け入れた。
村山は、来たときよりも百倍も元気になった様子で部屋を出ていった。

トンネル工事が始まると同時に大阪城公園では、「サミットテロ事件の早期平和的解決をめざす全国総決起集会」が開催され、約5万人が集まった。
集会には、退職者も結構多く参加していたが、そこが一番元気が良かった。
「こんな集会は久々やのう」「ほんまや、メーデーでの人が集まらんようになってしもたしのう」「はよデモに行こうや」「ところで今日は何の集会やった」
主催者、来賓等の挨拶は早々に切り上げられ、早速でもが開始された。先頭にたったのは村山を始めとする社民党や旧総評の役員だった。
デモはいきなりジグザグ行進から始まった「わっしょい!ワッショイ!てぇーろぉー粉砕!人質解放」砂塵を巻き上げながら、16列縦隊のデモ隊は公園内を進んだ。
久々のデモを過激に開始したため、足を踏まれる者、将棋倒しになる者など怪我人が続出、まっさきに村山富市が担架で運ばれていった。第一挺団が通過したあとには、靴や財布の他、入れ歯や眼鏡などが散乱していた。
対策本部で様子を聞いた、小沢らは頭を抱え込んだが、異様な盛り上がりを見せるデモ隊を止めることは出来なかった。

それでも、暴騒音規制条例の適用除外となった、シュプレヒコールと、スピーカーの大音響に、トンネル掘削工事の音は、完全にかき消されてしまっていた。
集会は工事終了まで断続的に続けられ、最後は模擬店やカラオケ大会まで開かれ、内外の報道陣を唖然とさせたが、主催者や参加者はいたって満足げであった。
「死人が出ずに良かったのう」「来年もまたやろうや」

いよいよ突入は、秒読みに入っていた。トンネル内に息をひそめている、200名の自衛隊員は攻撃の手順を反芻していた。
まず、最初にプラスティック爆弾で迎賓館の床を吹き飛ばす、さらに、建物の周囲からも地上に飛び出し、スタン・グレネードを投擲しつつ、一挙に管内に突入、犯人が動かなくなるまで、射撃を続ける。
テロリストに容赦はいらない、命乞いをしようと許されるものではない。
そして、橋本首相から突入の指令が出されようとしていた、まさにその時、突然3機のヘリコプターが爆音と共に姿を現わした。
この全然シナリオにない事態に、対策本部はもちろん、周辺に展開していた各国特殊部隊も呆気にとられた。
橋本は、すっかり動転してしまい、思わず小沢を怒鳴りつけた。
「土壇場になって作戦変更とはどういうことだ!俺は何も聞いていない」
こればかりは身に覚えのない小沢は、対策本部の要員に向かって当たり散らした「どの国の部隊が動いたのかすぐに調べろ!」
対策本部が混乱している間に、ヘリからは次々と黒い影がロープを伝って、迎賓館の屋根に降り立っていた。
対策本部に第1報が入った。
「ヘリの機体に河内航空と記載」
「なんだそれは」「先ほど八尾空港から飛び立った民間機です」「?????」橋本も小沢も頭を抱えた。
その直後、迎賓館の方角から歓声が上がった。モニターの画面には、解放された人質の姿が映し出されていた。

明らかになった経過はこうだった。
突入した「真理赤軍」の武装はモデルガンなど、とるにたらないものだった。
人質の内に経済団体のリーダーもいたが、その人物は、各国首脳に売り込むために持っていた、自社製の超小型通信機を使って、民間のセキュリティサービスに救出を依頼したのだった。
政府機関に連絡しなかった理由について、彼は民間活力の導入だと、語った。
作戦には、傭兵経験のある外国人も参加していた。面目をつぶされた政府は、「入管法」違反で摘発しようとしたが八つ当たりのそしりは免れず、結局うやむやになった。
その後国会で、自衛隊の民営化法案が成立し、例の財界人の会社が経営権を獲得した。
コメントを求められた橋本は、ぶっきらぼうに答えた。「まあ、とにかく行革が一つ進んだという事だ」(おわり)

(投稿) 巨大生協で腐敗疑惑
・・・いずみ市民生協の場合


<副理事長辞任はしたが>
年間売上高約660億円、店舗26店舗、職員800人、組合員97年3月現在29万5千人。大阪府内ではトップの生協、いずみ市民生協で激震が続いている。
施設の私物化、ゴルフ漬け、生協予算の私物化、職員への退職強要など一連の副理事長による腐敗事件の公表とその処理をめぐる問題だ。
97年5月21日読売新聞が「いずみ生協、研修寮めぐり内紛」と、20日に行われた「いずみ市民生協総代会」で幹部研修寮の私物化問題で告発文書が配られ、常勤理事7名の内4人が解任されるなど、お家騒動があった、と報道。以来読売新聞がこの問題を主に報道していく。この告発文書を公表したグループは、生協中枢の良心派と見られるが、以後読売が中心になって、疑惑報道が続くとともに、以下のような展開を見せる。

97年5月25日「生協経費でゴルフ漬け:大阪いずみ生協副理事長」と報道
その後、26日には「ハワイの別荘、副理事長が独り占め」の報道があった。
29日には、大阪府が臨時の指導監査を行う旨の決定。
6月1日「いずみ市民生協理事長:府幹部をゴルフ接待94年から」。
6月2日 いずみ生協副理事長:私物化は否定するも、疑惑の責任を取ると辞任を発表。

<内部告発者を解雇、恐怖経営の実態>
言うまでもなく、生活共同組合は「生協法」に基づく公的団体であり、大きな意味でNPOである。私企業ではなく、組合員から少額の出資金を募り、物資の購入、低廉な価格で販売するという勤労者のための組合である。コーポラティズムという共同購入を通じて、単に安く販売するという原点から発展して、最近では無農薬野菜、産地直販による新鮮さ、さまざまな有害食品との訣別など消費者運動としてその地位を築いてきた。そして、いずみ市民生協は特に大阪南部を基点に全国9位の規模をもつ「巨大生協」に他ならない。
自治体職場でのいずみ市民生協を見れば、明らかに共産党系労組と結びつき、その活動を展開してきた。私にとっては、「共産党生協」だ。
そうした巨大生協でなにが起こったのか。
私の手元に「”いずみ”を組合員にとりもどす会」のパンフレット( 以下パンフと呼ぶ) これが問題の告発文書に他ならない。発行者は3名。内ふたりは、97年6月10日付けでいずみ市民生協から懲戒解雇されたと記載されている。それまでの肩書きは「元開発部長、(現在は総務部次長)」と「役員室長」。残るひとりは「元役員室長(現共同購入部次長) でまだ現役だ。( これ以後の展開でどうなったかは?)

明らかになった疑惑は、すべて辞任した比嘉副理事長とその側近達に絡んだもの。
第1は、大阪狭山市内にある「研修寮」として建設された施設が、事実上副理事長の私邸として利用され、土地は副理事長個人の登記だが、建築物は未登記で建設は生協が幹部研修施設として費用負担。生協は副理事長に借地料を支払っていたが、研修施設目的には一切利用されていなかった、というもの。
第2は、副理事長が96年1月から97年3月までの間に、接待、私的ゴルフに国内だけで84回、約1650万円の生協負担で、ゴルフ漬けになっているもの。その同行者の中に、「行政関係者」や「いずみ労組幹部」の名前も頻繁に出てくる。
第3は、ハワイにコンドミニアムを「組合員・役職員の福利厚生のため」と確保したが、事実上、副理事長の私物化されている。( 福利厚生というのは、後からデッチ上げたらしく、当初から副理事長の私邸扱いだったらしい)
第4は、高額医療機関の、これまた副理事長の私的利用に対して生協が年間500万円を超える負担を行っていること。
さらに職員の労働条件は、実超勤が60〜80時間はあるのに、月8時間しか手当てが支払われていない、など過重な労働と、副理事長のワンマン経営の結果、95年には100名、そして96年には132名の職員が退職していったこと、などである。(以上パンフより)

<9月臨時総代会では、反対が100名も>
副理事長辞任の後も、日本生協連が調査を実施し「前副理事長の行為は生協トップのモラルを逸脱しており、生協の対応も都合の悪いことを隠蔽しようとしている」「これまでの情報や資料から判断して、『事実無根』とは考えられない」「( 内部告発への対応について)組織破壊の陰謀ととらえ、事実関係を究明しようとしない姿勢は生協としてふさわしいものとはいえない。批判や異論も出せる民主的な職場であれば告発に出なくてもよかったはず」と同生協の運営に疑問を投げかけ、調査継続とするなど、内外からの批判が相次ぐことになる。さらに8月には、日本生協連が「一連の問題に対して反省がない」と前副理事長に損失補填要求するとともに、理事会の責任を明らかにするよう、異例の勧告を行う事態となった。
組合員からの要求などを受けて9月16日には、臨時総代会が開かれ、研修施設等の有効利用など改善案が提案された。定数の5分の1近い100名余りの総代が反対の意思を示したという。これまで、ほとんど満場一致で可決されてきた経過とは様替わりとなった。

<国税調査がはじまったが・・.>
一方、解雇された職員らは、すでに前副理事長に対して、業務上横領での告発をおこなっており、私物化の断罪はこれからである。さらに、大阪国税局が9月中旬、「資産私物化」と「不正な会計処理」に対して、税務調査に乗り出すなど、法的な解明も開始されている。
しかし、どうしも、なぜ?と考えざるをえない。この前副理事長は74年の生協設立以来の役員で、いずみ生協を育てた第一人者という実績らしいが、やっていたのは、そこらの俄か成り金企業のワンマン社長と変わらない。さらに、おそらく生協の役員クラスは、おそらく共産党員ないしはシンパと思われるが、こうした「不公正」「乱脈」な生協私物化を阻止できなかったのか、ということである。
パンフの最後のページでは、2名の解雇者が、「告発の報復としての懲戒解雇に抗議する」や「嘘とデッチあげで解雇、これはファシズムだ」と訴えを載せている。いずれも生協中枢にいた人々で、「わたしは比嘉氏や西専務らの関わったサギ、横領、背任の証拠をすべて持っています。すでに地検特捜部にも提出している」と語っている。
9月総代会は、まだまだ「いずみ生協を守れ」みたいな、共産党や生協幹部の息のかかった総代多数で、真相解明が見送られたが、いずれ司直の手が闇を照らすことは明らかだ。

<一番恐れているのは共産党?>
これら告発者もおそらくは共産党に近い人々だと思われる。いわば内紛というわけだ。共産党だろうと自民党だろうと、組織の私物化、横領、背任は組織自らが解明すべきで、検察への告発は最後の手段だ。まさに外部にしか頼れないほど、いずみ生協の腐敗が進み、民主的運営が不可能になっていたのだろう。こうして「いずみ生協の腐敗と内紛」の解明を一番恐れているのは、共産党ではないか。前副理事長が共産党員であった可能性が非常に高いからだ。
告発者達は、疑惑の解明を求めながら、「組合員が主人公になる”いずみ”の再生と、不当解雇撤回は同じもの」として、いずみ生協の活動強化を語っている。複雑な思いのする表現であるが、徹底した解明と責任の明確化が求められている。(97ー11 H・I)

日本悲観論を考える( その1)

<日本悲観論とは何か。>
それは、先月号でRさんの書評で紹介された日本経済新聞社の「2020年への警鐘」に特徴的な主張であり、日本が明らかに世界の中で「下り坂」を転げ始めたという議論である。 最近の日経新聞の論調にも特徴的に現われており、そこから導かれる結論は、「行財政改革」「金融改革」などを断行しないと、日本はだめになるという論調である。
これら悲観論は、Rさんものべているように妥当性のある側面を持っている。確かに「危機的状況」に立ち至り、「改革」あるいは「革命」なしには、21世紀を迎えられないという意識を我々にも与えている。
しかし、一例を労働規制の緩和議論に見ると、現状でも労基法違反企業があとを立たない状況での男女雇用均等法での規制緩和とは、あらゆる場面での男女平等措置が実効的に機能しない中で、一層の労働強化に繋がると懸念が広がっていることは当然と言える。
経済の低成長に止まらず、特に金融面で進行している事態は、明らかに日本経済の敗北を意味するものであり、将来への不安というより、今この時点での社会不安を惹起しつつある現状では、悲観論は、一層妥当性をもって受け入れられる可能性がある。
ただ財界主導の改革だから、弱者への犠牲のしわ寄せだからそれに反対する、というだけの議論では、実はもはやすまないところまで、根は深いものがあるのではないか、というのが筆者の実感である。

<悲観論に対する3つの傾向>
悲観論に対する対応は、3つの傾向があると思われる。
第1は、概ねこれら主張に同調し、「改革」を進めるべきだ、というもの。その改革とは、市場万能主義に基づく規制緩和、国際標準(グローバルスタンダード)をそのまま日本に適用しようとするなど財界の主流がその中心と思われるが、改革の中心軸論や段階論などをめぐって議論が多い。
第2は、日本がいろいろな意味で閉塞状況に立ち至っている現状は認めつつも、その方向などをめぐっては、必ずしも「市場万能論」に立たず、むしろ「社会的規制」のあり方については、弱者保護の立場に立とうとするものである。連合の新体制のもとで鷲尾会長が主張している傾向。これらの部分は、第1の部分と現状認識や問題意識において、一部共通のものがあるので、議論が成立する可能性がある。
第3には、日本共産党などの主張に顕著なように、第1の部分に反対する主張である。いわく、大企業からの増税、軍事費削減、公共事業の縮小により福祉拡大などの主張を対置している。
今後、それぞれの主張と傾向、問題点について、連載で整理していきたいと考えている。とりあえず、走りながら整理しようと思っているが、「日本経済の後退局面」にあって、悲観論に代表される、傾向に対して、どのような対抗軸が提起されているかを順次検証していきたいと考えている。
これから展開しようとしている本当の動機は、冷戦終結・非自民連立政権成立以後のこれまでの政治・経済・社会の激動の中で、戦略議論の希薄という状況(本誌も含めて)の中で、少なくとも向こう10年くらいのスパンで、我々がよって立つべき原点を確認したい、という願望の故である。日々多忙の中でなかなかまとまった検証と議論ができていない自分の反省も込めて、考えてみたい。
とりあえず、次回は日本共産党の戦略について、考えてみたい。(つづく:佐野)

(投稿) 日本悲観論を考える( その1)

<日本悲観論とは何か。>
それは、先月号でRさんの書評で紹介された日本経済新聞社の「2020年への警鐘」に特徴的な主張であり、日本が明らかに世界の中で「下り坂」を転げ始めたという議論である。 最近の日経新聞の論調にも特徴的に現われており、そこから導かれる結論は、「行財政改革」「金融改革」などを断行しないと、日本はだめになるという論調である。
これら悲観論は、Rさんものべているように妥当性のある側面を持っている。確かに「危機的状況」に立ち至り、「改革」あるいは「革命」なしには、21世紀を迎えられないという意識を我々にも与えている。
しかし、一例を労働規制の緩和議論に見ると、現状でも労基法違反企業があとを立たない状況での男女雇用均等法での規制緩和とは、あらゆる場面での男女平等措置が実効的に機能しない中で、一層の労働強化に繋がると懸念が広がっていることは当然と言える。
経済の低成長に止まらず、特に金融面で進行している事態は、明らかに日本経済の敗北を意味するものであり、将来への不安というより、今この時点での社会不安を惹起しつつある現状では、悲観論は、一層妥当性をもって受け入れられる可能性がある。
ただ財界主導の改革だから、弱者への犠牲のしわ寄せだからそれに反対する、というだけの議論では、実はもはやすまないところまで、根は深いものがあるのではないか、というのが筆者の実感である。

<悲観論に対する3つの傾向>
悲観論に対する対応は、3つの傾向があると思われる。
第1は、概ねこれら主張に同調し、「改革」を進めるべきだ、というもの。その改革とは、市場万能主義に基づく規制緩和、国際標準(グローバルスタンダード)をそのまま日本に適用しようとするなど財界の主流がその中心と思われるが、改革の中心軸論や段階論などをめぐって議論が多い。
第2は、日本がいろいろな意味で閉塞状況に立ち至っている現状は認めつつも、その方向などをめぐっては、必ずしも「市場万能論」に立たず、むしろ「社会的規制」のあり方については、弱者保護の立場に立とうとするものである。連合の新体制のもとで鷲尾会長が主張している傾向。これらの部分は、第1の部分と現状認識や問題意識において、一部共通のものがあるので、議論が成立する可能性がある。
第3には、日本共産党などの主張に顕著なように、第1の部分に反対する主張である。いわく、大企業からの増税、軍事費削減、公共事業の縮小により福祉拡大などの主張を対置している。
今後、それぞれの主張と傾向、問題点について、連載で整理していきたいと考えている。とりあえず、走りながら整理しようと思っているが、「日本経済の後退局面」にあって、悲観論に代表される、傾向に対して、どのような対抗軸が提起されているかを順次検証していきたいと考えている。
これから展開しようとしている本当の動機は、冷戦終結・非自民連立政権成立以後のこれまでの政治・経済・社会の激動の中で、戦略議論の希薄という状況(本誌も含めて)の中で、少なくとも向こう10年くらいのスパンで、我々がよって立つべき原点を確認したい、という願望の故である。日々多忙の中でなかなかまとまった検証と議論ができていない自分の反省も込めて、考えてみたい。
とりあえず、次回は日本共産党の戦略について、考えてみたい。(つづく:佐野)

書 評
 大沢在昌『氷舞(こおりまい)・新宿鮫』
  (1997.10.25.発行、光文社、848円)

 ハードボイルド作家・大沢在昌の人気シリーズ『氷舞・新宿鮫・』が刊行された。前作『炎蛹(ほのおさなぎ)・新宿鮫・』から2年ぶりの新作である。
 大沢は、これ以外にも精力的にハードボイルドを書いており、評判になった作品も多い。(例えば、『走らなあかん、夜明けまで』・93年、『天使の牙』・95年、等) しかし『新宿鮫』シリーズは、そこに社会批判的側面──特に国家権力の中枢を占める巨大組織中の巨大組織である警察官僚機構に対する批判──によって、彼の他の作品群とは際立って異なった特徴をもっている。
 主人公である新宿署刑事・鮫島は、国家公務員上級試験合格のキャリア(20万警察官中の500人のエリート)でありながら、過去のある事件との関わりで、所轄署である新宿署生活安全課の警部に留め置かれている。この鮫島をめぐって、シリーズでは、現代風俗・文化の最前線の事件が展開することになる。
 本書では、クレジットカードの盗難直後の次の日に、そのカードが東南アジアで不正使用されるという国際犯罪事件が端緒となって、これが、新宿に縄張りをもつ暴力団との関わり、さらにはその暴力団が扱うコカインとの関係で南米コロンビアへと拡大していく。そしてこの複雑に絡み合う国際犯罪ネットワークに加えて、CIA及び日本の公安警察が絡むことによって、事件は一挙に国家機密を要する政治問題の様相を帯びてくる。
すなわちこのような事件の背景に、保守党の選挙での大敗による保革連立政府とその中での主導権争いが、戦後政治の暗部を引きずって浮かび上がってくるのである。
 事件の詳細とその解決は、本書を読んでいただく以外にはないが、本書で注目するべきは、筋の複雑さと鮫島のダイナミックな捜査とともに、警察機構内部の対立であろう。東京警視庁と神奈川県警の対立を始めとして、警視庁本庁とその所轄署、警視庁内部での刑事部・捜査一課と公安警察、さらには公安警察の中でも表の顔のエリートである外事課と裏の顔である公安総務課という熾烈な対立抗争、縄張り争いである。そしてこれらすべての対立の前提として、エリートであるキャリアと大多数のノンキャリアの警察官との越え難い対立が存在する。
 これらがそれぞれの立場から事件を、ある時には秘匿し、またある時には駆け引きの材料として、自組織に有利な方へと引っ張っていくのである。それ故事件は、社会正義というような視点からではなくて、主要には政治的判断や組織のプライドやメンツといった上層部からの視点で扱われることになる。
 このような警察機構について鮫島は、かつて同期であり今は外事一課長で、二階級上の警視正として順当に権力の中枢へと向かっている香田にこう批判する。
 「現場にいるとな、わかることがある。キャリアは、自分たちが脳ミソで、ノンキャリアは皆、手か足だと思いこんでいる。考えるのはキャリアの仕事なのだから、手や足は考える必要がない、とな。だが手や足にも脳ミソはあるし、キャリアの脳ミソよりよっぽど上等な脳ミソだったりすることもあるんだ。ただ上等な脳ミソの持ち主は利口だから、キャリアの脳ミソを阿呆だと思っても、それを口にださないのさ」。
 ここに吐露された現場の警察官の心情は傾聴に値するであろう。しかし同時にわれわれは、鮫島自身をも含めて彼らすべてが、客観的には権力機構の末端を支えていることを忘れてはなるまい。本書で示された、社会正義と政治的判断との矛盾もさることながら、社会正義を擁護すると同時に民衆を管理抑圧する機構として現実に機能しているこの権力機構の本来の性格を視野に入れておくことは重要であろう。この点で、作者が今後、どのように権力に迫っていくかは興味深い問題である。
 なお本書には直接関係がないが、国家機構の他の職種がしばしば登場するのも本シリーズの特徴である。(例えば、国税局査察部[通称・マル査]が『屍蘭(しかばねらん)・新宿鮫・』・93年に、麻薬取締官事務所[通称・麻取]が『無間人形・新宿鮫・』・93年に、そして農水省植物防疫官が前作『炎蛹』・95年に登場する。)読者はこれらによって、国家権力のまた違った側面を垣間見ることができるであろう。
 ミステリー作品の完成度としては、本書には事件の背景となった政治状況への結び付きにやや不自然さ不十分さがあり、前々作『無間人形』および前作『炎蛹』には及んでいない。しかし本書は、社会的風俗的背景から、政治的背景へとより高く社会批判の視点を移したという意味では評価される作品であり、本シリーズの他の諸作品とともに薦めたい。(R)