アサート 240号(1997年11月28日)
【投稿】 日本悲観論を考える( その1)
<日本悲観論とは何か。>
それは、先月号でRさんの書評で紹介された日本経済新聞社の「2020年への警鐘」に特徴的な主張であり、日本が明らかに世界の中で「下り坂」を転げ始めたという議論である。 最近の日経新聞の論調にも特徴的に現われており、そこから導かれる結論は、「行財政改革」「金融改革」などを断行しないと、日本はだめになるという論調である。
これら悲観論は、Rさんものべているように妥当性のある側面を持っている。確かに「危機的状況」に立ち至り、「改革」あるいは「革命」なしには、21世紀を迎えられないという意識を我々にも与えている。
しかし、一例を労働規制の緩和議論に見ると、現状でも労基法違反企業があとを立たない状況での男女雇用均等法での規制緩和とは、あらゆる場面での男女平等措置が実効的に機能しない中で、一層の労働強化に繋がると懸念が広がっていることは当然と言える。
経済の低成長に止まらず、特に金融面で進行している事態は、明らかに日本経済の敗北を意味するものであり、将来への不安というより、今この時点での社会不安を惹起しつつある現状では、悲観論は、一層妥当性をもって受け入れられる可能性がある。
ただ財界主導の改革だから、弱者への犠牲のしわ寄せだからそれに反対する、というだけの議論では、実はもはやすまないところまで、根は深いものがあるのではないか、というのが筆者の実感である。

<悲観論に対する3つの傾向>
悲観論に対する対応は、3つの傾向があると思われる。
第1は、概ねこれら主張に同調し、「改革」を進めるべきだ、というもの。その改革とは、市場万能主義に基づく規制緩和、国際標準(グローバルスタンダード)をそのまま日本に適用しようとするなど財界の主流がその中心と思われるが、改革の中心軸論や段階論などをめぐって議論が多い。
第2は、日本がいろいろな意味で閉塞状況に立ち至っている現状は認めつつも、その方向などをめぐっては、必ずしも「市場万能論」に立たず、むしろ「社会的規制」のあり方については、弱者保護の立場に立とうとするものである。連合の新体制のもとで鷲尾会長が主張している傾向。これらの部分は、第1の部分と現状認識や問題意識において、一部共通のものがあるので、議論が成立する可能性がある。
第3には、日本共産党などの主張に顕著なように、第1の部分に反対する主張である。いわく、大企業からの増税、軍事費削減、公共事業の縮小により福祉拡大などの主張を対置している。
今後、それぞれの主張と傾向、問題点について、連載で整理していきたいと考えている。とりあえず、走りながら整理しようと思っているが、「日本経済の後退局面」にあって、悲観論に代表される、傾向に対して、どのような対抗軸が提起されているかを順次検証していきたいと考えている。
これから展開しようとしている本当の動機は、冷戦終結・非自民連立政権成立以後のこれまでの政治・経済・社会の激動の中で、戦略議論の希薄という状況(本誌も含めて)の中で、少なくとも向こう10年くらいのスパンで、我々がよって立つべき原点を確認したい、という願望の故である。日々多忙の中でなかなかまとまった検証と議論ができていない自分の反省も込めて、考えてみたい。
とりあえず、次回は日本共産党の戦略について、考えてみたい。(つづく:佐野)  

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