アサート 248号(1998年7月25日)
【投稿】 98ワールド・カップ観戦記 by 大阪 宝山 豊
<<これがユーロか>>
 1998年6月19日(金)AM11:10.JAL425便は雨の中、関空を一路パリに向かい離陸。私たちの出で立ちは、日本代表と同じユニホーム姿。飛行時間約12時間、佐渡島上空を越えて、ハバロフスク、シベリヤ、ウラル山脈、バルト海、オランダからフランス領空へ、とにかく長い、眼下に見えて来たのは広大な農地、さすが農業国フランス。最近の飛行機は、ナビゲーションのようなものが機内のモニターに映り、現在位地、航路等がわかるようになっているのには驚いた。

パリ、シャルルドゴール空港は思いのほか古い感じの建物。大阪・伊丹空港の方がはるかに奇麗。空港からバスに乗り約20〜30分でホテルに到着。このホテルが驚き、出発以前に旅行社から「ホテルは期待しないでくださいね」と聞かされていたので、心づもりはしていたがここまでひどいとは、想像を超えたものでした。確かにホテルとは書いてあるが、隣に建ってある大型のスーパーの独身社員寮にしか見えません。
 その後、近所のスーパーに行きました。日本と比べて安いという感覚はなし。ただし、肉類とワインは安いかなという程度。ここで一つ発見、価格表示がフランだけでなく、ユーロの表示がありました。なるほど、これがユーロか!

<<大勢の日本人>>
 6月20日、天気快晴、朝6時起床、今日はいよいよ日本の第2戦目、対クロアチア戦。バスでモンパルナス駅へ、TGV(フランス版新幹線)で2時間、ナントに到着。
 もちろんユニホーム姿に身を固め、気合充分、モンパルナス駅のホームは日本の青いユニフォーム姿の人の波で埋め尽くされた状態。その中を迷彩服に身を固めた軍人が、サブマシンガンを手に警備のため三人一組で巡回している景色は不思議な感覚でした。
 ナント駅は以外と小さい。「ナントの勅令」で有名な町。駅を出るとここも日本人で一杯、これほどまでにこの町に一時期に大勢の日本人が来たことはないだろう。バスで20分ほどロワール川沿いの道を行きしばらくすると、めざすスタジアムが目前にあらわれた。入り口近くには記念品を売る店、様々なパフオーマンスする人がたくさん。私には、ほとんど理解ができないものもありました。
 スタジアムの警備は念入りで、周辺に入る時に第1回のチケットによるチエック、建物に入る直前にボデイーチエックおよび持ち物検査、持ち込もうとするミネエラルウオーターのふたまで捨てる念の入れよう。

<<止まることを知らぬウエーブ>>
 いよいよスタンドへ、位置はロイヤルボックスからみて、左手コーナー、前から7、8段目の席。コーナーキックは目の前。ただし左手スタジアム中央にむかいフエンスがあり、これが邪魔。
 収容人員約3万9千人。その内、日本人は約8割、1割がクロアチア、残り1割が地元関係。圧倒的に日本人の多いこと、おそらく3万人以上入ってる感じ。
 サポーターのボルテージはすでに上がりぱなし。自然と沸き起こる歓声、いつかウエーブが始まりスタンドを一周、さらに一周、さらに、さらに、さらに、・・・・・・・
 止まることを知らぬようにウエーブがつづく。
 クロアチアも日本もなく全員参加。さすがに、今世紀最後の世界的な祭りは違う!
 試合まえの練習が始まり選手がピッチに姿を現した時、スタンドの興奮は更に高まるばかり。川口は男前、中田は頭が黄色いからすぐ分かる、伊原、中山、名波、城・・・・
 日本チームは列を組んでウオームアップ。対してクロアチアは、ばらばらにウオームアップ開始。文化の違いかなとおもいつつ更に興奮は極限に。
 そのとき、後ろから「ロイヤルボックスに常陸宮がきてる」との声、なるほどおるおる、皇族とゆうのはえええな。わしら12時間もエコノミーで来て、おまけにチケットの心配までしてるのに、とゆうようなことを考えると、応援に身が入らなくなるので集中!
 選手達は一度ロッカーに姿を消す、ほどなくクロアチア、日本両国国旗の入場、つづいて両国選手入場。両国国歌斉唱。ペナントの交換。

<<やはり生はいい>>
 14:30キックオフ (日本時間21:30)。やはり生はいい、スタジアムの中で選手と、万を超えるサポータと同じ空気を吸えることは感動ものです。試合結果はご存じのとうり1−0で日本の惜敗。神仏やヤタガラスの力を借りても及ばぬ世界の壁。
 幾度となく沸き起こる歓声、ため息、歴史的な闘い(日本が初めてワールド・カップ出場)を目のあたりにした感動は忘れられません。
 試合の中で、やはり注目は中田の動き。彼だけがスピード、テクニックの点で相手に引けをとらなかつた。世界は、高くて、早くて、力強い。
 日本は守備に重点をおいたシフトを固めていた。結果的には3試合とも同じスタメンで同じシフト。確かに岡田監督は以前から、「守備に重点を置く」とは言っていたがまさしくそのとうり。しかし、もう少し攻撃的なゲームができなかつたのだろうか。反面、あのようなシフトでなければ、さらに数点を失っていただろう。

<<「減点主義」と「加点主義」>>
 ワールド・カップを見て、聞いて考えたことのひとつは、日本の選手選考方法です。日本は、22人の選手枠に対して、25人をフランスへ連れて行き、大会直前に3人を切るという方法で選考をおこなった。アメリカは20人をまず選び、その後に2人を呼び寄せるという形をとったらしい。よく言われるところの「減点主義」「加点主義」の違いなのか。
 予選リーグの3試合とも勝つことができなかった日本。アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカ、いづれにしろ日本に比べれば、経済力とゆう点においては明確な格差がありながら、サッカーの世界では逆に明確な格差が生じている。歴史、競技人口等の要因が違うにしてもなにか原因があるのでは。

<<行儀の良さ>>
 二つめは、日本人の行儀の良さ、地元紙に報道されたように日本人サポーターは確かにスタンドを掃除していました。フーリガンの事を思えばフランスの人々には驚くべきことのようです。
 それにしても、のべ10万人以上の日本人がフランスへ行ったわけですから、日本人のなかにもフーリガンがいるかと思っていたが、みな行儀は良い方だったみたいです。
 チケット問題ににしてもワールドカップにはオーバーブッキングによる混乱はつきものだそうだが、今回は完ぺきに「空売り」=「詐欺」が横行したみたいだ。日本の名だたる旅行社が簡単にだまされているわけだ。2002年にはチケットの販売、警備態勢の点で相当の研究が必要。

<<「日の丸」「君が代」>>
 三つ目は、「日の丸」「君が代」です。外国で国対抗のゲームを見ていると、ナショナリストになるものです。私も、完ぺきにはまってしまいました。ゲーム前の国歌吹奏の際に3万人以上と一緒に「君が代」を斉唱しました。なかなかの感動ものです。このことを日本に帰つて知人に話すと、「『日の丸』はええけど『君が代』は問題や、君は天皇のことやから」等の話がありました。でも私は、「君が代」「日の丸」はワンセットものだと思う。確かに、近代史的な意味ではアジア諸国民には重大な侵略の事実を押し付けたことはまちがいない。それは、日本の歴史教育の問題であり、日の丸の赤色は、幾多のアジアを主とする何の罪もない人々の無念の「血」で染まっていることを正しく教える事が大切です。こんなことを言うと、現在日本版「アウシュビッツのウソ」ような論陣が流布されるような状況の中で無責任だと言われるかもしれないが、私のなかでは、いたつて盛り上がってしまいました。

<<ラ・マルセイユの歌声と多民族>>
 98年フランス大会は地元開催国の優勝で終わりました。優勝の瞬間、シャンゼリゼ通りは150万人の人々で埋めつくされ、ラ・マルセイユの歌声があちこちで沸き起こったそうです。フランスナショナルチームは多民族で、白人、黒人、アラブ人から構成されており、まさしくフランスの現状の反映。
 4年後は、日本と韓国の共同開催による大会です。ワールドカップ史上初めての形。かつてオリンピックでもやられたことのない形。日本と韓国の新しい歴史を始めるポイントになるかもしれない大会。
 日本が開催国の責任として、強いチーム造りができることをねがい、新世紀の開幕にふさわしい素晴らしい大会になることを心から願ってやみません。
(大阪・宝山 豊) 

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