ASSERT 263号(1999年10月23日)
【投稿】 原発撤退以外に道なし--東海村臨界事故と自自公政権
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書評】 『障害学への招待---社会、文化、ディスアビリティ』
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【投稿】 原発撤退以外に道なし --東海村臨界事故と自自公政権--

<<核暴走の放置>>
 またもや重大な事態の発生に際しての日本政府の無責任・無能ぶりがさらけ出されることとなった。場合によっては大震災以上に日本全国、周辺諸国にまで致命的な影響を及ぼしかねない放射能汚染にたいする認識の欠如である。
 周知のように、東海村で臨界事故が発生したのは9/30午前10時35分であった。しかし首相官邸は2時間以上も経過した午後1時前になっても事故の発生すら知らず、記者団からの情報で初めて事態の一端を知る始末であった。それより前の11時半過ぎ、事故発生から1時間後に茨城県側に第一報が届き、県は「重大事故」を示唆する最初の防災無線を流しているのである。核の暴走が1時間以上も知らされなかったことも重大であるが、問題はさらにその1時間後に臨界事故の発生を知らされたその後の政府の対応である。
 小渕首相は、野中官房長官、青木次期官房長官と執務室にこもりっぱなしで事故に対する対策も指示も何も出さず、すべて科学技術庁任せに放置していたのである。その科学技術庁からのあやふやでいいかげんな情報を元に、午後4時過ぎには、野中官房長官が何の確たる証拠や調査もなしに「被害はこれ以上、拡大しないと認識している」と発表。茨城県も3回目の防災無線放送からは「現在は通常の値に戻っている」と流し、一部地域では「通常どおりの生活を行っても問題はありません」とまで放送していた。
 しかしこの間、事故現場では核の暴走に打つ手が何もなく、監視装置も制御・抑制装置も何もない状態でただ呆然と当事者たちだけが直ちに避難し、傍観し、核事故を隠して消防署の救急隊員まで被爆させ、放射能汚染がどんどん垂れ流されていたのである。

<<低次元なやり取り>>
 午後5時ごろ、首相は、再臨界という事態の深刻さを科学技術庁から知らされたが、それでも「しばらくしたら三党首会談をやる」と野中官房長官に指示し、自自公政策協議と組閣、三役人事に没頭していたのである。政府対策本部を立ち上げたのは事故発生から10時間も経過した午後9時過ぎである。すでにそれよりずっと前の午後3時半ごろには、350m以内の住民に避難勧告が出されたが、それとて、事故発生からすでに5時間以上もたっていた。
 首相の頭の中では、臨界事故などただ単に迷惑な程度のことにしかすぎず、地元住民の避難措置や不安など何も考えておらず、すべての神経は組閣人事に絞られていたわけである。実際、7時過ぎには、自民党総裁選で善戦した加藤紘一氏に電話をして報復人事の最後通告をし、「オレだって、総裁選をやりたくてやったんじゃない。あんたはオレに逆らったじゃないか」と低次元なやり取りに全精力を傾けていた。公明党の擦り寄りに気を良くし、一気に三党協議を決着させようとしていたが、自由党の小沢党首がゴネて雲隠れ、そもそもその日中の決着には無理があった。それでも野中氏が何度も内閣改造の延期を進言しても渋りつづけたという。テレビで住民の避難勧告と特別番組のあわただしい画面を見て初めてこれはまずいと判断、組閣の延期と政府対策本部の設置を決めたのが実態であった。そして対策本部と協議して茨城県が屋内退避を勧告したのは、実に事故から12時間後のことであった。
 10/3付けニューヨーク・タイムズ紙が「日本政府が緊急事態を宣言し、最高幹部らが指揮を取るまで、12時間も要したのは何故なのか」と問うのも当然といえよう。

<<時期尚早な「安全宣言」>>
 さらに問題なのは、事故の重大性に気づかず、危険性を知ってからはその重大性を隠しつづけた為政者たちの責任である。それは、事故発生から安全宣言の発表に至るまでの、あまりにも場当たり的な対応に象徴的である。
 10/1午前6時30分には、被爆覚悟の「決死隊」によって水抜き作業の結果、臨界状態は停止した。同日午後6時30分には避難勧告もとかれたが、プラント内には大量の放射能を抱え放射しつづける沈殿槽があり、手付かずのまま放置されている。臨界状態が停止しただけなのである。
 10/2午後6時30分、「放射線と土壌を念入りに調査し、原子力安全委員会で厳密に分析した結果、放射線レベルは通常の範囲に復帰いたしました」として、野中官房長官が「安全宣言」を発表している。この発表の1時間前、午後5時30分には、1万袋もの土嚢を用意して問題のJCOの建物の周囲を囲み、それでも建物南側の放射線量が下がらず、積み足し作業を行っている。誰が見ても単なる応急措置にしか過ぎない段階であることが歴然としているにもかかわらず、この「安全宣言」である。いったいいつ、どこで「念入りな調査」を実行したのであろうか、明らかにすべきであろう。
 政府内部には、現場から350m以内に土中のガンマ線の数値が高水準の地域が残っているという理由で、安全宣言は時期尚早という意見があったにもかかわらず、結局は事故で遅れた組閣を進めるためにも事態を早く収束させようとする”政治的判断”がここでも働いたわけである。
 「安全宣言」の翌日には、JCOの工場の南側を通る県道62号線の一般路上で通常の5倍以上の放射線量が記録されている。通行禁止措置が解除されるなどもってのほかであった。
 半径10km以内の屋内退避の仕方もいいかげんなもので、「15kmにすると県庁も対象になり、11〜12kmでは水戸市の中心部が入ってしまい、パニックになってしまう。そこで区切りのいい10kmにした」という。さらにより危険な350m以内の地域は中性子線が届くと予想される範囲内であった。政府の現地対策本部では、事故発生翌日の未明、現場周辺への中性子線放射が続いていることから、「避難の範囲を350mから500m圏に広げるべきだ」という意見が出たにもかかわらず、「深夜で雨も降っており、混乱が予想される」などの理由で放置され、住民が被爆しつづけることを知りながら避難範囲の拡大を見送ったのである。

<<信じがたい実態>>
 この中性子線測定については、より重要な問題が存在している。臨界事故には必ず観測される不可欠な測定であったにもかかわらず、事故発生から6時間近くも実施されていなかった。ガンマ線の測定でさえ始めるまでに約1時間もかかっている。しかし、JCOから1km以内にあるニュークリアディベロオプメントと三菱原子燃料東海事業所では、事故発生直後の午前10時37分、放射線の上昇を検出、屋内退避が指示され、さらに2km離れている原研那珂研究所でも臨界事故直後に異常を検知、原研東海研究所に報告、構内放送で建屋内退避が呼びかけられたていたのである。それぞれには中性子線測定装置がありながら、使われなかったし、情報公開はもちろん、相互の連絡、協力も行われなかったのである。
 この中性子線放射は、現場から2300m離れた地点でも1平方センチ当たり数千個も観測されており、現場から800mの地点では23万個前後に達していたという(10/17朝日、学術調査グループ暫定報告)。中性子線はコンクリートなどの構造物も貫通、透過する。屋内退避であっても容赦ない。兵員、人員だけを強力に殺傷する中性子爆弾の原理である。
 「安全宣言」のあと、住民の被爆量調査が行われたが、これは表面の外部被爆にしか過ぎない。中性子線による体内被曝の調査は除外されているのである。
 日本で最初の原子力発電所が立地し、その後の各種の原発や原子力関係の様々な施設が集中している東海村、いわば「原子力の先進基地」でのこのひどい実態である。そして、この「先進基地」内の事故について、東海村は「安全神話」のもとに全面的に協力してきたにもかかわらず、村当局はホットラインもなく、込み合い、なかなかつながらない電話回線に依存して事態の推移がつかめないという信じがたい実態が暴露されてしまった。他の原発地域も似たり寄ったりであることは間違いないといえよう。

<<うんざりするお粗末さ>>
 さらに「安全宣言」の中で「茨城産の農畜産物については、すべての安全性に問題はないという結論に達した」と強調している問題である。10/6になってようやく現地入りした小渕首相が例によってカメラの前で茨城産のメロンを頬張って見せたのであるが、10/4に現地調査を実施した京大原子炉実験所の調査によれば、葉物類のヨモギから放射性ヨウ素が検出されている。半減期が8日であり、事故から2日しかたっていない段階での「安全宣言」は明らかに早すぎるし、そのずさんな調査の実態をさらけ出してもいる。
 そもそも今回の東海村事故では、当初ヨウ素131は検出されていないと発表されていた。その後、10/11になって廃棄筒からもれていることが判明したとして、科学技術庁は「早く対策を取るよう指導すべきだった」と対応の遅れを認めているが、すでに遅しである。こうした事態は当然確実に起こりうることであったにもかかわらず、一切の対応措置を取ってこなかったということこそが問題なのである。さらに付け加えるのもうんざりするのであるが、その廃棄筒の停止後もヨウ素の放出は止まっていなかったことがわかり、吸収フィルターを設置したのが実に10/16というお粗末さである。
 この放射性ヨウ素131は、甲状腺に急激に沈着し、甲状腺がんを引き起こすことはチェルノブイリ原発事故で広範囲に実証されており、最も警戒しなければならないもののひとつであった。しかし東海村現地ではこれに対する対症療法としてのヨウ素材も常備されていなかった。この事故後に、全国各地からヨウ素材への発注が急増したというが、形容しがたいほどの「安全性神話」の崩壊を表現していると言えよう。

<<「想定外の事故」の責任>>
 当然予想されたことであるが、今回の事故に対して政府・与党は、「想定外の事故」、「技術者のモラルが弱くなっている」などとして、すべての責任をJCOに押し付けようとしている。この7月の敦賀原発の再生熱交換器事故でも「想定外」が使われたばかりである。今回の事故は、原発・原子力処理施設で、上から下まで天下り官僚と独占企業が事業を分け合い、下請けに丸投げして責任を転嫁する典型だと言えよう。

 「臨界事故は想定していない」から制御装置も監視装置も多重防護装置も警報装置も事故の場合の対処対策も一切ない、それでも科学技術庁も原子力安全委員会も安全審査をパスさせ、JCOの高濃度ウラン加工事業の変更許可申請に、「臨界事故対策に対する考慮は要しない」として許可していた。許可条件を追及されると、84/2と84/4のJCOの変更許可申請の書類は行方不明、89/2の申請書は一部非公開と逃げ回る。まさに今回の事故は、政府当局のこうした姿勢の必然的帰結であり、重大な犯罪行為なのである。
 さらに今回の事故は、通産省が「資源の有効利用策」として推進し、2010年までに16〜18基の実現を見込んだプルサーマル計画を柱とする「核燃料サイクル」に不可欠な高濃縮ウラン製造過程で生じたものであり、明らかに安全性も危険性も無視して無理やりこれを推し進めてきた政府当局と電力業界が最大の責任を負うべきものである。
 こうした政策のひずみの中で、今年6月には、原発内に貯蔵しきれなくなった使用済み核燃料を一時的に原発の敷地内に保管できる「中間貯蔵」の法案が通った。これから建設されるこの中間貯蔵施設がまたもや安全性を無視した危険と隣り合わせの大問題となることは必至であろう。
 今や世界的には、こうした危険極まりないプルサーマル計画などどこの国も推進しようとはしていない異常な行為である。原発そのものさえ、その安全性、経済性、放射性廃棄物の処分問題、いずれをとってももはや耐えがたい負担となっていることから、アメリカ、カナダ、イギリス、ドイツなどでは原発増設など1基もなく、閉鎖・縮小の方向である。もはや一刻も早く原発から撤退すべきことを今回の事故は訴えていると言えよう。
 当面、10/7、水戸市で発表されたグリーンピース・ジャパンの要求と提言の内容が確実に実行されるよう、要求し監視していく必要が問われているのではないだろうか。
(生駒 敬)
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グリーンピース・ジャパン
10/7 「当面の要求と提言」

[1]政府に対して、以下を要求する
<事故原因の究明と責任追求>
・ 原因の究明に当たって、原子力産業と関係のない団体なども含めた公平な第三者機関を設置し、JCOだけでなく国や原子力安全委員会などの責任も明らかにすること。
<原子力関連施設の安全管理>
・ 全ての原子力関連施設の一斉点検と安全菅理の強化を図ること。
・ 核燃料取り扱い施設を含む全ての原子力関連施設の設置許可・安全審査基準を見直すこと。特に原子力災害対策を審査項目に加えること。
・ 全ての原子力関連施設に、周辺自治体との安全協定などを義務づけること。
<防災計画の見直し>
・ 現実の原子力事故に対応し得る「原子力防災計画」を整備すること。特に地震など自然災害との複合災害対策を確立すること。
<情報公開>
・ 原子力行政及び原子力関連産業の情報公開を義務化すること。
<原子力政策の全面見直し>
・ プルサーマル計画を凍結すること。また、高速増殖炉・新型転換炉などから撤退すること。東海村再処理工場の操業再開を許可しないこと。
・ その上で、原子力からの撤退を視野に入れて原子力政策を全面的に見直し、代替エネルギー政策の研究と推進をはかること。

[2]原子力災害は広範囲にわたる可能性があることから、全国の自治体に、以下を提言する。
<自治体独自の安全管理能力の確立>
・ 自治体独自の原子力安全管理に関わる部門を強化し、専門家、原子力に批判的な学者・識者、周辺住民なども含めた委員会や協議会を設置すること。また周辺自治体同士による連携・協力をはかること。
・ 原子力関連施設との現行協定を再検討し、必要であればそれを見直すこと。
<情報公開>
・ 原子力施設の安全管理に関わる情報公開を拡充すること。
<事故対策、実効性のある防災計画の確立>
・ 今回の事故に関わる茨城県関係市町村の経験を共有化し、今後の対策に役立てること。
・ 実効性のある原子力災害時緊急体制を整備・拡充すること。
以上