ASSERT 267号(2000年2月19日)

【投稿】 解散・総選挙へ動き出す政局
【本の紹介】 『第三の道』--効率と公正の新たな同盟
【対談】 吉村さんを訪ねて(2000年新春編)
【投稿】 自治体財政の破綻と労働組合(その2)
【コラム】 ひとりごと--アサートもホームページで--

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【投稿】  解散・総選挙へ動き出す政局

<<自自公暴走が意味するもの>>
 1/20に召集された国会では、すべての審議が自自公与党三党だけで進められるという異常事態が現出した。首相の施政方針演説をはじめ、政府四演説が、野党議員が誰一人出席しないままに与党議員だけで行われたことは、戦前の翼賛国会ならいざ知らず、戦後は一度もない。代表質問も与党議員だけで行われ、ヤジ一つなく、自画自賛の拍手だけが議場にこだまする、議場では大あくびと居眠りの姿があちこちに見られる、なんとも空々しい国会の姿であった。
 ことの発端は、衆院比例定数の20削減法案の一方的な強行採決であった。そもそもこうした定数削減法案が、国会の開会冒頭で処理しなければならないほどの緊急かつ不可欠な法案であるなどとは誰も考えてはいない。ただただ自自両党合意の証し、自由党の連立離脱を食い止めるための演出として、つまりは当面の連立政権維持のためにだけ、まさに与党内の内向きの事情によってだけ、議長の斡旋まで拒否して無理やり強行されたものであった。参議院では委員会審議すら一回も行われないままにいきなり本会議で強行採決するという暴走にまで至った。そうした暴走を棚に上げて与党幹部は野党の審議拒否を「議会人としての自殺につながる暴挙」(森・自民幹事長)、「政略的な思惑を優先した党利党略」(神崎・公明代表)などと強がって見せたのであるが、これこそ天に唾するものの典型であろう。
 民主党の鳩山代表はこの事態を「大政翼賛政治、ファッショそのものではないか」と、また同党の羽田幹事長も「今の状況を見ると、ワイマール共和国のもとでナチスやヒトラーが生まれた状況に似ていると思う」と糾弾している。確かにその通りであろうし、そうであればこそこうした暴走を徹底的に孤立化させ、自自公政権の瓦解にまで追い込むことが求められていたと言えよう。しかしその後の事態の展開は、大阪府知事選と京都市長選の結果を受けて、いつのまにか「国会正常化」が合意され、野党が審議に復帰し、政府・与党の責任はうやむやのままに予算案審議が行われている。
与党側は野党側を屈服させたとほくそえんでいるのかもしれないが、こうした前代未聞の、「国会不用論」まで言われ出すような事態をもたらした自自公連立への警戒感と嫌悪感の拡大、そして野党側のふがいなさへの失望感は与野党双方に重くのしかかってくることは間違いないと言えよう。

<<朝日世論調査へのショック>>
 1月末実施の朝日新聞全国世論調査はそのことをよく示している。「国会混乱の責任は与党と野党のどちらにあると思うか」という問いに対して、「与党」と答えた人は34%。25%の「野党」を大きく上回っている。「予算優先」を口実に審議を強行する与党に最大の責任があるとみなし、審議拒否を貫いていた野党に理解を示していたのである。同時に「両方に責任がある」という回答が19%あったことも見逃せない。この調査でより重要なことは、自自公連立拒否の根強さを鮮明に浮かび上がらせたことである。自自公連立政権を「よくない」とする回答が57%に達し、「よい」の20%を圧倒しているのである。さらに特徴的なのは、小渕内閣の支持率も4%下がって39%と、連立発足以来の最低を記録し、政党支持率でも自民党が34%から29%に、自民に擦り寄る公明も4%から2%に大幅に減少させたことである。
 この調査結果が発表された1/31、「朝日の世論調査で内閣支持率が下がり、国会の混乱について与党に責任があるという結果が出ていますが」という記者の質問に、小渕首相は「野党の責任も書いてあるだろ」と反論、「“与党に責任”の方が多いのですが」とたたみかけられるとまともに答えられず、「いずれにしても謙虚に受け止めています」とショックを隠せない様子をありありと見せている。昨年末、あるいは年明け早々に解散を狙っていた強気姿勢も、自自公批判の強さにたじたじといったところである。野党の取り込みと分断が急遽浮上し、首相自ら「野党の協力をひたすらお願いする」などと一転して揉み手姿勢に転換、終わったはずの施政方針演説に対する代表質問で手を打ち、次の解散時期を狙うという、ある意味では当然なのではあるが、政権延命に汲々としたそのばしのぎの無責任姿勢をいよいよ露骨にさらけ出しているとも言えよう。

小渕内閣             自自公連立     国会混乱の責任
----------------------------------------------------
支持  39(43)         よい   20(25) 与党  34
不支持 38(34)         よくない 57(57) 野党  25
その他 23(23)   その他   23(38)  両方  19
                    その他 22
----------------------------------------------------
支持政党     総選挙時期        総選挙で自民に勝ってほしいか
-------------------------------------------------------------------------
自民  29(34) できるだけ早く 44(33) 勝ってほしい  39
民主  10( 7) 急ぐ必要なし  43(54) そうは思わない 46
公明   2( 4) その他     13(13) その他     15
自由   4( 3)      ( )昨年8月
共産   4( 4)
社民   3( 4)
なし  36(39)
-------------------------------------------------------------------------
1/29,30朝日世論調査、( )は前回12月

<<大阪府知事選・京都市長選が明らかにしたもの>>
 「国会正常化」への口実とした大阪府知事選と京都市長選での与党側勝利の実態は、いずれも民主党との相乗り候補であり、共産党が善戦したとはいえ、共産党単独で勝てるほどの幅広さと柔軟性を持たない現在の党指導部の姿勢では結果がある程度は見えていたことも事実と言えよう。
 選挙の実態はむしろ自民党の分裂選挙を浮き彫りにし、底辺では、「政教分離」の公約も投げ捨てた公明党=創価学会と、共産党との熾烈な党派間抗争が展開され、これに他の諸党派が加勢するといった実情で、こうした党利党略への庶民の拒絶反応は根強く、大阪府知事選では、過去最低の投票率(44.58%)となったのである。連立政権への信任などとはとてもいえるものではないし、むしろ際立ったのは自自公連立への批判票が共産党候補の善戦に示されたことだと言えよう。
 その意味では、自自公とともに民主党の姿勢も大きく問われている。最大野党である民主党は、旧自民と旧社会、旧民社を抱え、一方で衆院比例定数50削減を主張しながら、「20削減なら反対」というあいまいな主張を展開し、内部では旧民社系・友愛グループを中心に中選挙区論の公明党に同調する議員が多数存在し、党として定数削減については方針を明確に打ち出せない状態である。自自公与党三党が定数削減法案を野党欠席の中で強行採決した際、鳩山代表は「小渕内閣を解散・総選挙に追い込む。皆さんの命を私に預けてください」と両院議員総会で大見得を切ったのであるが、姿勢が定まらなくては命を預けるどころか、それぞれの議員は右往左往せざるを得ないのが実態と言えよう。しかしそうした矛盾や弱点を抱えながらも、自自公に対決して野党共闘を堅持し得た実績は貴重なものである。いよいよ政局は予算成立直後の解散が濃厚となってきた。野党のそれぞれには、自自公の無責任で非民主的な連立政権に対抗する対決軸をまとめ上げ、政局転換と政界再編へのイニシャチブを発揮することこそが求められている。
(生駒 敬)

<本の紹介>
アンソニー・ギデンズ『第三の道−効率と公正の新たな同盟』
佐和隆光訳、日本経済新聞社、1999.10


世界の根源的な変化に適応せよ

 イギリス労働党のブレア、フランス社共連立政権のジョスパン、ドイツ赤・緑連立のシュレーダー、イタリア左翼民主党のダレマ…。ヨーロッパでは、EU15ヶ国のうち13ヶ国で、社会民主主義政党が政権与党にある。この事実は、21世紀の政治の主役として、社会民主主義が再登場したことを意味するのであろうか。
 本書の著者であるギデンズは、ブレアの「第三の道」に強い影響力を与えた著名な社会学者である。彼は、「『第三の道』とは、過去2、30年間に根源的な変化を遂げた世界に、社会民主主義を適応させるために必要な、思考と政策立案のための枠組であり、旧式の社会民主主義と新自由主義という二つの道を超克する道である」と主張する。

過去のアイデンティティーは通用しない

 ギデンズは、旧来の社会民主主義と新自由主義について次のように評価する。
 旧来の社会民主主義は、市民社会よりも国家が優位にあると考え、社会生活や経済生活への広範な国家の関与を支持する。性別役割分担が、完全雇用と福祉国家の達成を支えてきたが、「過去のアイデンティティーはもはや通用しない。社会的、文化的な多様化が進みつつあることを前提にして、社会民主主義政党は自己の新しいアイデンティティーを模索しなければならない」と指摘する。
 一方、新自由主義は、市場原理主義と同時に道徳的権威主義や伝統的なナショナリズムを唱えてきたが、市場原理主義の基礎である個人主義や「選択の自由」が、伝統的な家族やナショナリズムを内部から掘り崩していくと述べる。

左派は平等と社会的公正を重視する

 これからの社会民主主義をめぐる論点として、ギデンズはグローバリゼーション、個人主義、左派と右派、政治のあり方、環境問題の5点を取り上げる。
 グローバリゼーションにより、「国民国家の姿形が変わり、国家主権の及ぶ範囲は、かつてのようにオール・オア・ナッシングではない」と、国家の役割の変化を指摘する。
 また、「自己実現や潜在的可能性の実現等は、言葉だけの慰めか、お金持ちのわがままでしかない、と左派の論者は言うが、人々の心構えや願望の大きな変化を見落としている」と新しい個人主義について語る。
 さらに、左派と右派の区別はいまも有効であり、「平等と社会的公正を重んじるのが左派の基本的立場である」と断言する。
 そして、「政府は市民団体から学び、それらが提起する問題に答え、それらと協議する用意がなくてはならない」とこれからの政治のあり方を提起する。
 最後に、環境問題について、「私たちは、リスクに対する防波堤を必要とするが、リスクに立ち向かい、リスクを引き受けることによって価値を生み出す能力を身につけなければならない」と強調する。

民主主義の民主化が問われている

 第三章「国家と市民社会」、第四章「社会投資国家」、第五章「グローバル時代に向けて」でギデンズは、「第三の道の総合的政治プログラムの概略」を明らかにする。
 まず、「政府の再構築を目指すのが第三の道であり、民主主義の民主化こそが課題である」。そのため、中央から地方への権限委譲、公共部門の刷新−透明性の確保、行政の効率化、直接民主制の導入、リスクを管理する政府、上下双方向の民主化が必要であり、「政府と市民社会は、お互いに助け合い、お互いを監視し合うという意味での協力関係を築くべきである」と主張する。
 また、家族は市民社会の基本単位であり、「保守主義者は伝統的家族への回帰を目指すが、その『伝統的家族』とは、労働力市場へ女性が大量進出するには至っておらず、性的差別も依然として顕著であった1950年代の理想的家族にほかならない。私たちは男女平等の原則から出発すべきであり、そこからの後戻りは、一歩たりとも許されない」と強調する。

市民的権利の尊重が平等である

 また、「社会民主主義者は、『不平等は悪である』という年来の強迫観念から自らを解き放ち、平等とは何かを再考すべきである。平等は多様性に寄与すべきであり、個々人の潜在能力をできる限り研磨することが、『結果』の再分配に置き換えられなければならない。第三の道の政治は、平等を包含、不平等を排除と定義する。包含とは、社会の全構成員が、形式的にではなく日常生活において保有する市民としての権利・義務を尊重することであり、機会を与えるこ公共空間に参加する権利を保証することを意味する」と主張する。
 さらに、ポジティブ・ウェルフェアを提案し、「資金ではなくリスクを共同管理しようというのが福祉国家である。不足を自主性に、病気を健康に、無知を(一生涯にわたる)教育に、惨めを幸福に、そして怠惰をイニシアチブに置き換えようではないか」と、福祉国家の抜本的な改革を呼びかける。
 最後に、グローバル時代には、「ナショナリズムを抑止するのは、コスモポリタンな国家でしかない。安定、平等、繁栄が一つに溶け合う世界を実現したいのなら、行き先もわからぬグローバル市場の不規則な混沌、そして無力な国際機関に、これらの問題解決を委ねてすますわけにはゆかない」と、グローバルなガバナンスの必要性を強調する。
 日本でも、介護保険制度をめぐって、「伝統的家族」への志向があからさまに主張されるなど、「社会的公正と平等」に対する挑戦が起こっている。日本の民主勢力にも、「変化する時代と世界に適応した新しい自己のアイデンティティー」を形成するための論争が求められている。(2月14日、H.U)


 吉村さんを訪ねて(2000年新春編)

 1月8日に生駒・佐野で吉村励さんを自宅に訪ねました。吉村さんはとてもお元気で、『労働運動研究』12月号に掲載された「木下悦二君への手紙ーー社会主義に関する断想」についての話になりました。(以下の文章の責任は、すべて編集委員会にあります。)

<社会主義をどう捉え直すか>
佐野)『労働運動研究12月号』の先生の文章は、どんな経緯なんですか。
吉村)木下君に返事を書いてね、ふと思って、見てもらったら、これは面白いから、どこかに出したら、ということになったわけだ。そこで柴山君に電話したら、「先生、送ってください」ということになって、手紙のままなので、升目にも入れ直して送ったら、彼がワープロを打ってくれたわけだ。200字詰で25枚くらいになった。
生駒)あれを実際に木下さんに送られたわけですね。
吉村)そうです、後の方は少し変わったわけですが。それで『労働運動研究』は柴山君が5冊送ってくれたので、木下君に2冊送ったわけ。その間に木下君のところへ、2,3人の人から問い合わせがあったらしく、彼から「吉村、おまえは何を書いたんだ」と電話も架かりましたよ。
佐野)私も労研の読者なので、先生からコピーを送っていただく前に読んでいましたよ。
吉村)本当は、アサートに、とも思ったんだが、あれでは載りきらないと思ったわけ。3回か4回にわけないとね。
佐野)うちは、ページはいくらでも増やすんですけれど。
吉村)いろいろ反応がありましてね。一つは、社会主義を共同体として捉えなおす、というのが、具体的構想としてどうなのか、という点。私も木下君もはっきりしていないのですが、つまり、所有は国家にして経営はむしろ民間に任すというような形ね。それから、共同体、共同組合、クロポトキンなんかも一時言ったね、そんなものと組み合すようなことも考えてもいいというような、社会主義を共同体として捉え直す、というようなことはまだ、はっきりしていない。まあ、社会主義像がはっきりしていないという点ね。その点が問題としてある。
 それから古い共同体がたくさん残っておった国、つまり資本主義を飛び越えて社会主義になった国、そんな中に東欧やソビエトも入れているけれど、東欧なんかもっと進歩していたのではないか、という意見もありました。
 それから、もう一つは、共同体をたくさん残していた古い社会の場合の社会主義への移行の形態として、アン・ジッヒの社会主義からフィア・ジッヒの社会主義、市民社会へ国家が指導して、市民社会化を促進して、そして日本はすでに市民社会だから、直接社会主義をめざすべきではないか、と書いたことに対して、「日本は本当に市民社会なのか」という意見もありましたね。

≪書けば、やっぱり反応がありました>
 自治研センターでやっている吉田君が分厚い書評をくれました。特に第3番目に書いた「分派の存在を許す党」という事について、他の点はいろいろ意見があるけれど、その点、「対抗者のない、緊張関係のない中では腐敗する」というくだりは、皆に廻したいと言ってくれました。やっぱり書いたら、反応がでますね。
 今は、執筆も講演もすべてお断りをしているんですが、木下君の件で、書けば反応がくるんだね。
 他の人と違って、僕は、暴力革命も10月革命も肯定しているんであってね、むしろある時点まで独裁を肯定している点では、純然たる民主主義者というんですかね、平和革命論者とは違うんでね、共同体が残っている時期までは独裁は必要だという考え方なんです。(笑い)このあたりも議論のあるところなんですがね。
 それから、中国をよく知っている連中は、そんな社会構造としての市民社会化なんて言うが共産党の幹部連中の腐敗と略奪ぶりは目に余るものがあって、そんなにうまくいくとは考えられないとね。
 いろんな反応があって面白かったですよ。
佐野)今、議論する場も少なくなってきましたからね。

<未だ分派を許さない共産党>
吉村)それこそアサートとあれ(労研)ぐらいでしょう。それから、大阪商大事件で同じ日に逮捕されたHも、立場は共産党で喧嘩はするんだが、同じ仲間という関係なんで、コピーを送ったんです。すると、「納得できるが、ただ分派の存在を許すという点は絶対にあかん」と言うんですね。
佐野)共産党は、あれだけ軟化してきているのに、最後の一線なんですかね。
吉村)今、世の中はある種の閉塞状態になってますね。これを越えていくのは、今までは社会党だったかもしれないが、社会党があんな状態なんだから、例えば朝日の世論調査で共産党支持が9%、社民党の支持が7%。そういう時期には、共産党が主導権を握って、統一戦線の提起をすべきなんです、民主党も含んでの人民戦線などね。しかし、そのためには共産党がね、分派の存在を認めないという立場を取り続けていると、もし共産党が政権を取ったら、自分以外の政党は全部排除するということになる。分派の存在を許さないということは、自分達の中でさえ、意見の違いで放逐するということで民主主義でも何でもない。並存できないわけです。共産党が革命的だから排除しているんじゃなくて、むしろそれがあるからなんですね。共産党が主導権を取って人民戦線を作って現在の閉塞状態を打開していこうとするなら、共産党自身が変わる必要がある、ということを実は匂わせたわけなんです。実際には少し削って別の形にしたんですが。

<我々の側にも、分派排除の考え方>
 そして考えてみると、我々自身の中にね、分派の存在を許さないという考え方がね、かつて国際派が細かに分裂していった歴史もそうだし、例えば、僕のところには『統一の旗』も送ってくるし、『思想運動』も来るんだが、本来は一つになるべきものですよね。『労働運動研究』に集まっている連中も。それはね、共産党だけに注文を付けるだけではなしにね、自分達自身もそんなものを持っていたんではないかと思うわけですね。
生駒)要するに、統一戦線、人民戦線という時も、多様性の存在を認めると言うよりも、思想闘争・政治闘争の場に転化する、利用するために言ってきた面がありますね。
吉村)それは、コミンテルンの第5回大会でイタリアの代表がね「俺はおまえ達を大衆の場で分離するために、おまえ達と手を握るんだ」とやるわけだね。
生駒)人民戦線や統一戦線と言うんだったら、党内にもその反映があるべきなんですね。それが、グループであり分派であり諸集団があってもいいと。

<自民党の「民主主義」>
吉村)党の運営と組織という意味では、自民党は手本になると思うな。まあ、あれは利権で繋がっていますけれどね。
生駒)そうとう、自由でね。
吉村)それを公認しているでしょ。あそこまで行かないと民主主義はいかんのではないかとね(笑い)利権が前提にあるのだけれどね。そして立場が悪くなると、一番人民に近い少数派の三木や海部なんかを首相にしたりね。
生駒)少数派であるにも関わらず党首になれる、というのは共産党では考えられませんね。
吉村)君らは経験がないだろうが、僕らは研究会まで止めろと言われましたからね。
生駒)共産党は、グループで集まること自体を禁止していましたからね。細胞の中だけの議論ね。
吉村)意見の違いは認めるけれど、後は民主集中制でね。そして「個人は誤っても党は誤らない」というようなね。
佐野)横田三郎さんからの年賀状にもね、現状は閉塞しているから民学同三派もいつまでもバラバラではいかん、というようなことを書かれていましたね。我々は現役世代は、派手に喧嘩もした中だから、むつかしいんだけれど、吉村さんや横田さんの立場では、同じように写るんですね。
佐野)先生の家に来る途中、生駒さんと話をしてたんですが、小野さんが亡くなって今年で10年なんですね。何かしたいなという話ですよ。
(中略)

<ゴルバチョフの評価について>
佐野)僕達の場合も、70年代からゴルバチョフが出てくるまでは、やはり前衛党建設というような意識の中にいたんですよね。
吉村)ゴルバチョフと言えば、あの文章の中のゴルバチョフの評価はきつい、というのが関西には多いな。
生駒)私もあれは少し意外でしたね。松本弁護士さんと年末にお会いした時に、あれは大賛成やと言われるわけです。中国の評価とゴルバチョフの評価についてね。
吉村)案外、僕と同じような考え方は意外と多いんですよ。特に東京方面にね。「よう言うてくれた」とね。別に究極的な発言というわけではなくてね、討議の素材として書いたわけなんですがね。それで一度議論しようか、と言うことになれば、僕の役割は果たせたと思っているわけですね。
 佐野君、あれを読んでくれたらわかると思うけれど、僕は久々に情熱を持って書きましたね。実は三日ほどで書いたんです。いままで思っていたのが溢れ出た、という感じですね。これまで、社会主義について、あまり発言してこなかったでしょ。発言できなかったということですね。もやもやしててね。
佐野)91年頃に、一度講演の記録で掲載させていただきました。あれ以来ですね。

<労働者連帯の物質的基礎とは>
佐野)公務員の世界でも、年功賃金ということでは変化が起きようとしていますね。終身雇用という面は中々変わらないとしても。
吉村)逆にアメリカでね、年功賃金を採用したところもありましたね。ほとんどパ−トタイマーか派遣労働者にしてしまって、できるだけ年功賃金は狭い範囲にしてしまおうという方向ですね。僕は元来から年功賃金は崩壊したほうがいいという立場です。ただ、しかし、今でも残念なんですが、仲間と一緒に賃金や一時金を決めるんだと、その基礎的なものを決めてね、独自の+アルファは企業毎にきめるんだと、いっしょに闘うということが大事なんですね。そんな基盤がなくてね、労働者の連帯ということを観念的に唱えてもだめ。そういうものがなかったのが、バブル以降の労働運動後退の奥にあるんじゃないかな、と思うわけです。横の連絡・仲間意識が育まれずに、日本ではむしろ、仲間を蹴落としても自分だけは、というミーイズムって言うんでしょうかね。それを前から言ってきたんだが、誰も、せいぜいそれは理想であって、みたいに過ぎてきているのが、今でも残念ですね。労働者の連帯というのは、やはり物質的基盤がないと成立しないんですね。
 こういうように、職務内容が頻々と変わっていくわけで、共通の評価委員会があってね、それで経営者と対抗すると。職務の内容が決まれば、次は職務の分量を決められる。それが決まっていないと、いわいるユーティリティプレイヤーとして「おまえ、あれもこれもやれ!」ということになる。
 公務員もね、向こうから言われてくると、まずいから、組合の内部から職務内容とはどんなものか、どこがどう変わり、今後どう変わっていくのかを検討しておかないと、結局、いろいろなリストラ攻撃に対抗できないと思うな。向うから言われてからでは、資本に乗った、とか言われるわけでね。そういうことをやっておくべきですね。

佐野)ほとんど同じ問題意識をもっています。公務員の場合も、昇任とか昇格とかありますが、現在は年功賃金システムが基本の賃金体系ですよ。一方、民間の動向を反映して、、成績主義的システムを入れたいと考えているようです。ところが、当局の方には、職務の分類や必要な職務遂行の力量はこれだあ、みたいな基準が未だに確立していないという現状にあるわけです。しかし、当局側は成績主義を入れたいとなると、組合の側から、そうした職務分析・職務量・人事政策について、提案を準備しないといけない、というのが流れになっていると思います。そうしないと、役所がまわらない、というのが現状ではないでしょうか。
吉村)社会主義が崩壊したのはね、それと関連してね、労働者自身の内部的な規律、これをなあなあにすると全て崩壊しますよ。我々も仲間の中でね、警察の例じゃないが、仲間に甘いと言う面があるんじゃないかな。
佐野)確かに、これまでは賃上げの方が組合員に言い易かったですね。でも、これからは違う形の運動を考える必要がありますね。
吉村)やはり、状況によって、時期によって、きつい仕事も楽な仕事もあるしね。
佐野)若い人は、そういうことを求めているような気がします。
吉村)職務を我々から検討するようなことね、組合の議論のテーマにしていくということは良い事ですね。
佐野)準備しておかないと、妙な方向に行きかねませんよ。
吉村)それは僕も前から言ってきたことで、同感だな。
佐野)昨年の賃金闘争では、地方財政の危機ということもあって、昇給延伸提案が半数に近い市でありましたし、この傾向は当分続くと思われます。しかし、延伸というのは、賃金を現状維持するということであって、賃金ダウンということではないんですね。民間全体の動向次第では、ダウンということを想定した議論が必要かな、と思うんです。そうしないと、労働組合自身が耐えられないんですね。労働組合の存在意義そのものの問題になると思います。
吉村)ヨーロッパで経験されているワークシェーリングも真剣に検討する必要がありますね。                           (THE END)

(実際には3時間余り。昨年のドイツ旅行のお話など、奥さんも交えて楽しいひと時でした。すでに公職からも退かれ、結構自由な日々とのことで、どんどん訪ねてきてほしい、とのことです。 文責:編集委員会 佐野)

(投稿)
 <自治体財政の破綻と労働組合>(その2)

 前回は、民間の賃金動向と年功賃金システムの変容の課題について、取り上げた。
 さて、大阪府内の年末賃金闘争は、何とか合理化提案を、賃金引き上げ(マイナス人勧だあったが)とは概ね切り離すことができた。とは言っても賃金合理化は、2000年3月の年度末までの課題として残されていた。
 大阪府知事選挙が終わり、3月が近づくにつれ、賃金合理化への対応が労働組合にも求められてきており、いくつかの自治体で交渉が最終局面を迎えつつある。
 共通する対応は、当然ながら組合員への打撃を少しでも小さく、そして、復元を速やかに求めていくための軌道の整備ということである。
 どの自治体を取っても言えることだが、12ヶ月昇給延伸やそれに相当する賃金カット方式だが、それでは、自治体の単年度赤字の10分の1程度の削減効果しかない人件費カットに過ぎない。つまり、自治体財政の赤字は当然ながらほとんどの場合、人件費そのものを究極の原因とはしていないわけである。
 共通しているのは、90年代以降の景気浮揚策に連動した単独建設費の激増に伴う起債の償還時期の到来と、景気低迷による地方税の減収、特別減税の地方税への影響などである。この状態は、少々の景気拡大が起こったとしても、数年の内に解消されるとは思えない。
 こうした中で行われる賃金合理化は、今後起こるであろう市民負担の増加、サービスの低下に対する批判の集中を避けようという意図に他ならない。
 こうした自治体当局・首長の意向に対して、残念ながら一定の妥協策、交渉協議の上の判断をすることは止むを得ないことという認識には同意したい。実際に財源は枯渇し次年度予算すらまともに組めない自治体が少なくないというほど深刻だからである。
 70年代の地財危機の頃の状況とは明らかに違っている。事の深刻さが違うのである。右肩上がりの経済成長が破綻して、低成長を前提とした展望を基礎にした運動方向の練り直しが、根本的に必要になっているのである。バブルの後始末に協力させられたツケが重なり、景気低迷と公共事業重視・赤字垂れ流しの無責任な国の財政出動型財政運営も今年が最後になるのが確実という情勢下、さらにそこに地方分権元年・介護保険導入と新しい要素も加わり、自治体財政と行政のあり方が根本的に問われていると言える。
 自治体財政の健全化の展望も未だほとんど明らかになっていない。地方税議論に一石を投じた石原東京都知事の銀行への外形標準課税の動きも、金融政策で巨額の公的資金が投入されているのにも関わらず、自己責任を明確にできない金融機関への国民の不信を背景に、自公の賛成が確実になった都議会で成立の方向となった。しかし、これとて東京都財政の健全化の一部ではあっても、決定打ではない。それがスタンドプレーと見られる所以である。もちろん議論素材としては、方向は間違っていないが。
 99年の年末闘争では一時金の削減もあった。さらに今年は調整手当の見直しが必至。2000年人勧でも、さらなる一時金の削減が予想され、個別別自治体では、延伸・賃金カットの動き、まさに、今までなら10年分ぐらいまとめての労働条件悪化の年になろうとしている。
 明らかに「退却戦」なのである。ただ、退却しつつ、新しい路線を確立する努力・議論が求められている。この状況では、ストライキで闘う、あるいは、ひたすらに合理化反対、そして政治決戦で展望を、みたいな政治主義的解決では、元のもくあみという展開は必至で、組合員も確実にそれを実感している。労働組合が新しい共通の価値観、次につなぐ確信のある方向性を示す必要がある。賃下げが強行されても、組合への求心力を失わない運動の質が求められているように思えてならない。(続く)     佐野

<ひとりごと>
○昨年12月にCATVインターネットに変えました。24時間繋ぎっ放しで、月額6000円。もちろん、電話料金は不要。子供達にも使えるようにしました。○このおかげで、年末年始は毎日2、3時間、ホームページめぐりをしていました。それまでは、朝と夜、メールチェックをするぐらいでしたから、劇的な変化です。それから、インターネットに対する認識が大きく変わりました。○そのポイントは2つです。それはとにかく早いということ。画像などが含まれるホ−ムページでも、ほぼ瞬時に表示されます。新聞よりもまず、asahi.comなどでニュースをチェック。二つ目は、電話料金から解放されたので、時間を気にすることなく、ホームページ巡りができることです。いろいろな「左翼」がたくさんのホームページを開いていることも知りましたし、新人衆議院候補が毎日更新しているホームページも毎日見ています。○私自身は14年前からパソコンを始め、300bpsのパソコン通信から通信を活用してきました(生駒さんのお勧めもありましたが)。それがなければ、このアサートも発行し続けることはできませんでした。それから約10年。現在の環境は恐ろしいほどの変化です。○おそらく、今年はインターネットが爆発的に普及することでしょう。それは、条件が揃ってきたからです。まず、10万円を切ったパソコンが当たり前になり、「おたく」や専門家・マニアのためのパソコンではなく、家庭電化製品としてパソコンが普及する。次に、ショッピング・バンキングなど実際の商取引にインタネットが活用される条件が整ったこと。ゲームで育ち、文字mailなど携帯電話で鍛えられた若者にとって、パソコンなど簡単なことです。頭の構造が違うのですから。○そこで私も、こうした環境の整備を受けて、真剣に「アサート・ホームページ」の開設を真剣に検討し始めています。現在でも、約30人の読者・編集委員には、編集段階の原稿は、e-mailを配信しています。しかし、月1回の発行で投稿をお願いするよりは、さらに早く意見交換などが行えるとなれば、これは突入するしかないでしょう。○内容としては、掲示板とチャットができること。アサートの原稿などは、メール配信で十分。本の紹介だって、どんどん読んだ本の情報やおもしろいホームページの紹介など、読者の活発な情報交換ができれば、第1段階はOKと考えています。別に公開・非公開を気にしなくてもいいと思いますよ。また、発展させればいいのですから。3月号には「URL」(ホームページのアドレス)を公表したいものです。心配は、それでも「紙メディア」は発行することになりますが、果たして購読料は負担し続けていただけるものやら、少し心配です。○昨年ごろから、年賀状にe-mailアドレスが入ったものが増えてきました。読者の皆さんからも、早くホームページを持て!との声もありました。アサートも時代の中で、新たな対応ができればと思います。ただ、また私の「仕事」が増えるのか、それが「かなり」心配です。まあ、いっか??。(H)