ASSERT 273号(2000年8月26日発行)

【投稿】 沖縄サミットが明らかにしたもの
【投稿】 公共事業の政策転換は本物か
【投稿】 公務員にも「能力・実績」重視の人事制度の動き
【書評】 『医療倫理の夜明け--臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって』
【コラム】 ひとりごと--日本共産党の低迷と『査問』--

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投稿 沖縄サミットが明らかにしたもの

<<無知・無能さらけ出す森総理>>
 以前から森首相に関しては、首相としての資質そのものが皆無ではないかと問われていたのであるが、沖縄サミットはそのことを端的に実証したともいえよう。すでに 準備段階から沖縄県知事を前にサミット会場を万博会場と発言したり、IT革命を、IC革命とか、"イット革命"などと言うお粗末振りが際立っていたが、それらはまだ国内での無知として済ますことも出来た。しかしサミット当日の7/22の昼食会談(ワーキングランチ)、1時間20分をまるまる雑談に終始させ、議長役の森首相自ら「伝統文化・スポーツの話題」で先導し、相撲、華道、茶道、書道、柔道、合気道など「道」のつくものを片っ端から上げて説明をし、あげくに「西欧の庭園では噴水で水が下から上に上がるが、日本では滝をしつらえ、上から下に流れることが多い」などと延々と駄弁を弄し、そうこうするうちに時間切れとなってしまい、山積する重要な案件について何一つ率直な意見交換をすることもなく、本来予定されていた議題も持ち出さなかったために、さすがの各国首脳もあきれ果てて、苦笑するばかりだったと言う。そのぎこちなさと、はしゃぎすぎ、サミットの外形やショー化にばかり気を取られて、具体的な論議になると貧弱そのもの、論議の方向付けも出来ない、ただただ"対米ゴマスリ"に終始する日本の首相の姿をさらけ出したのである。クリントンやプーチンは時間の無駄とばかりに当然のごとく、森首相との個別会談をキャンセルしている。
 沖縄でサミットが開かれた意義など吹き飛ばしてしまったのは、森首相自身だったのである。

<<「皆さんがいじめるから萎縮する」>>
 沖縄サミットで最大の関心事でもあり、今後の国際情勢を大きく左右する問題は、極東アジアにおける緊張緩和の問題であった。とりわけ朝鮮半島での初めての南北首脳会談の実現と相互交流、軍事的緊張緩和の急速な動きは、サミット諸国がこれを歓迎し、いっそう促進させ、支援する絶好の機会でもあった。しかし、ロシアのプーチン大統領が沖縄入り直前に北朝鮮を訪問し、金正日総書記から「他の国が平和目的の衛星ロケット開発に協力してくれるなら、独自のミサイル開発は停止する」という提案を携えてきたにもかかわらず、議長国の日本はアメリカに遠慮して議題に取り上げることさえしなかった。
 米本土ミサイル防衛計画(NMD)は、この北朝鮮のミサイル開発・配備計画を最大の口実として行われてきたのである。口実である以上、北朝鮮との裏取引さえ疑われるところである。ところが7/8に行われたNMDの三回目の迎撃実験は前回に引き続き失敗に終わり、こうした「軍需資本と超保守派を喜ばせる空虚でばかげた計画」に米国内でも憂慮の声が続出し、「NMDの配備が中ロ両国の核軍拡をあおる」とする中央情報局(CIA)の機密報告が出されたばかりである。さらに7/18には、中国を訪問中のロシアのプーチン大統領が、江沢民国家主席とともに、NMD計画を非難する共同声明を発表したところである。フランス、ドイツも反対姿勢を公表している。ドイツのシュレーダー首相は6月のクリントン大統領の訪独の際、「NMDが新しい軍拡競争の引金となりうる」と率直に反対姿勢を表明している。サミットで議題にならないほうがおかしいのである。
 ところが日本は、北朝鮮のミサイル開発を口実にアメリカと戦域ミサイル防衛計画(TMD)の共同研究に加担しているところから、沈黙を押し通したのである。森首相はもちろんこうしたことの本質の理解云々以前に、問題のスケールの大きさに萎縮し、逃げ出したといったほうが適当であろう。「皆さんがいじめるから萎縮する」(8/11、記者団への不満)というあの姿勢である。

<<約束反故、逃げ出すだけ>>
 世界平和の最大の問題で逃げ出した森首相は、もちろん沖縄の最大の問題である基地問題でも逃げ出してしまった。言うべきこと、約束したことも一切言わなかったのである。
 当然、普天間基地の移転問題では、沖縄県や地元・名護市が受け入れの最低条件とし、アメリカ側に強く申し入れることを要求していた"使用期限15年"についてさえ一切持ち出さなかった。普天間基地の移転先が年内に決着しない限り「沖縄に行きたくない」というクリントンの発言に怯えきっていたのである。欠席さえ噂され、中東和平交渉の場からとりあえずやってきたのが7/21である。この日、平和祈念公園の「平和の礎」で演説したクリントン大統領は、沖縄の米軍基地は「死活的に重要」と言い放ち、基地の無期限維持を強調するような発言をし、「米軍のプレゼンスを必要としない段階には達していない」と述べると、森首相はただ擦り寄り、例によってウンウンとうなずいただけである。「米大統領とこの問題で直接話し合う」という日本政府の沖縄県民への約束は反故にされ、事実上の基地の強化と固定化を承認し、稲嶺県知事、岸本名護市長がクリントンに直接進言するという約束も果たされなかった。
 クリントンは、直前に起きた駐留米兵による女子中学生への強制わいせつ事件に対しても、"このような事件が起こると残念だ"と言っただけで、米軍によるおびただしい人権侵害や権利の抑圧に対する謝罪の言葉は一言も聞かれなかった。翌7/22、同大統領はキャンプ端慶覧で演説、兵士の綱紀粛正を求める一方、在沖米軍の存在意義を強調している。彼自身の性的放縦と米国内で高まる沖縄米軍基地の不要論・海兵隊撤退論を知る兵士たちはどのように受け止めたのであろうか。

<<鮮やかで相反する対照>>
 「沖縄サミットが中東サミットに食われた」と報道されているが、このようにその役割を引き下げたのはむしろ森首相であり、日本政府だったのである。政府は前回のケルン・サミットの100倍以上の総額814億5200万円もの金を注ぎ込み(最多は警察庁の326億8800万円)、県外からサミット警備に2万500人も動員した大騒ぎの結果がこれである。サミットのショー化と利益誘導で沖縄県民を取り込んだつもりであるが、サミットで各国首脳などが宿泊した県内10ホテルの7月実績は、宿泊客数で前年同月比約11万人減、金額にして約30億円の減収であったという(7/25琉球新報)。琉球新報が県内53市町村の首長に沖縄サミットについての緊急アンケートをとった結果、サミットの共同宣言や議長会見の内容を評価した首長は二人にしかすぎなかった(同) 。
 しかしこうした沖縄サミットを成功させ、混乱させないためという空前のさまざまな規制や締め出しにもかかわらず、サミット直前から、7/15には沖縄県民7000人が結集して「米兵によるわいせつ事件糾弾及び連続する事件・事故に抗議する緊急県民総決起大会」が持たれ(宜野湾)、続いて7/20の「嘉手納基地包囲行動」には2万7100人もの人々が参加して、過去4回の包囲行動を超える人間の鎖による基地包囲が実現し 、期間中も多種多様な抗議行動が展開され、世界中に発信されたのである。この鮮やかで相反する対照は、首相や政府の予期しなかったところであろう。しかもこの基地包囲行動は、これまでのようにさまざまな中央組織の縦割り動員や組織化によって実現したものではなく(そもそもそのような動員がなかった)、個々の庶民、民衆の自発的なイニシャチブによって、基地包囲実行委員会の意識をはるかに超えたところに実現したものであった。沖縄サミットが明らかにした平和と緊張緩和をめぐるこうしたさまざまな相反する対照が、今後の情勢のありようを鋭く提起しているといえよう。
(生駒 敬)

(投稿) 公共事業の政策転換は本物か

 6月衆議院選挙で、自民党は特に都市部で敗北し、来年7月の参議院選挙に向けた深刻な議論が党内で巻き起こっている。都市部での無党派層が自民党離れを起こし、東京、静岡、愛知などで、有力代議士の落選や比例票において民主党に負けるなどの状態となったからである。
 記憶に新しいが、総選挙の争点に景気対策と財政再建の課題があった。民主党は、最後は曖昧になったが、課税最低限の引き下げなどの税制改革と無駄な公共事業の縮小などを提起したのに対して、自民党など与党は、少なくとも景気が本格的に回復するまでは、財政再建課題は「棚上げ」し、公共事業をこれまでどうり実施すると従来型の施策の継続を唱えた。
 しかし、総選挙の結果は、都市部で顕著なように公共事業重視の従来型財政運営に対して、国民世論はNO!を突きつけ、自民党は完全に敗北した。こうした状況を受けて、沖縄サミット以後、急速に自民党から「公共事業の見直し」議論が飛び出したのである。

<大規模公共事業の見直し>
 亀井静香政調会長が7月25日、「時がたてば必要でなくなる公共事業がある。・・・中海や吉野川。政治の目ですべて検討し切るべきものは切る」と記者会見し、大規模公共事業の見直しに着手を表明した。8月末の来年度予算の概算要求までに見直しを行うという。総選挙から1ヶ月後だが、誰が見ても民主党の「主張」を取り込んだ発言だった。どうして、総選挙の時に、政策提起できなかったのか。これも自民党の学習効果というものだろうか。現在伝えられる見直し基準は@事業採択後5年経過しても未着工の事業A着工後20年経過しても未完の事業B第三者機関による再評価を受けて凍結されている事業で、原則として中止、という内容だ。
 吉野川可動堰が争点になった徳島1区では、民主党の仙石議員が小選挙区で自民党を破って再選された地域、2年前の参議院選挙でも民主党推薦の候補が選挙区選挙で自民党を下している地域だ。地域の行政や地元政治家からは猛反発が予想されるが、全体の見直しで突破し、この地域での自民党復権狙いは明らかだ。
 ともかくも吉野川の場合は、まだ事業は本格的に実施されておらず、調整は可能ということだが中海の場合は、すでに500億円以上が投資されており、亀井発言以後県側と自民党との交渉がつづくのである。

<中海干拓事業、中止か凍結か>
 中海干拓事業は、島根県の宍道湖中海の4分の1を埋め立て、約2000haの農地を生み出すことを目的に1963年にはじまる。70年には最大の本庄工区を除く四地区は完成するが、88年からは減反政策なども絡み工事は中断された。すでに500億を越える周辺道路などの工事は完成しているが、島根県も9月議会には、県財政の悪化や完成しても農地売却のめどが立たないと、澄田知事は干拓事業の「凍結」表明を準備していたらしい。
 そこへ、自民党の見直しが提案され、新聞報道にもあるように、「凍結」に固守していた澄田知事も代替の「干拓事業に替わる地元振興策」を条件に、「凍結」から「中止」に同意する方向と言われている。

<公共事業見直しは本物か>
 こうして、来年1月の省庁再編、次年度予算をにらんでの自民党の大規模公共事業の見直しは、目に見えるものとなった。しかし、この見直しは、本物なのか。答えは否と言わざるを得ない。まず、今回の見直しが、事業決定からの年数などを基準にしていることである。事業決定しても着手されない理由はいろいろあるが、ダムや干拓、可動堰、河口堰など川と海など自然破壊を起こす事業に対する環境問題としての視点は全くない点である。8月上旬にテレビ報道されたが、ヨーロッパでは、ライン川やドナウ川では、汚染や自然破壊された現状に対して、元の姿に戻す「公共事業」が実施されているという状況と比べれば、如何に低レベルか分かる。何を目的にした事業なのか、その目的は現在も合致しているのか、根本的な検討は行われることはない。さらに、事業項目の見直しであっても、総額公共事業の見直しという視点はない。従来型の景気対策としての公共事業という性格は変わらず、他に公共事業を探す、という構造である。
 都市部の渋滞や通勤地獄をなくす公共事業などが提起されるに違いないが、はたしてそれで問題は解決されるのか。地方分権に相応しい、必要な公共事業とは何か、哲学も含めた提起が求められているのである。

<地方での民主党政策課題>
 こうした自民党の公共事業見直しの動きは、確かに一方で総額公共事業費の削減というものではなく、公共事業項目のリストラという感が強い。しかし、強烈なメッセージとも言える。自民党はそれなりに必死なのである。この悲壮な政策転換に対して、民主党の方は、その悲壮感という意味においては、完全に負けているのではないか。
 一つの課題は、特に地方において民主党は党組織が圧倒的に弱い。地方議員もまだまだ少ない。都市部は、連合など組織労働者と労働組合が多く、地方議員もそれなりに存在している。しかし、地方での民主党は、旧日本新党や自民党などからの参加者も多く、政治家個人の後援会などが主流で、党組織は中々できていない。
 8月に告示される民主党党首選挙の「サポーター制」も、1000円の登録料で市民も参加できる、と「活性化」論で宣伝されているが、実態は少し違う。要するに地方には、国会議員以外の地方議員や党員が少なく、「金」でも取らないと、民主党国会議員の個人後援会が勝手に数を拡大して投票されてはかなわない、ということだ。投票には「党費」が要る、という制度なのである。これも、鳩山がだけが立候補ということになれば、その意味もなくなってしまうのだが。
 8月19日の報道によると、民主党も「地方向け政策」の検討に着手しているという。衆議院選挙での地方・農村部での苦戦を受けて、農業・中小企業政策について若手議員中心に検討が始まった。6月のアサートでも触れたが、例えば、長崎の諫早干拓の場合、長崎の民主党には、諫早干拓の中止というスローガンはなかった。公共事業に依存する自民党だが、それに替わる民主党の新鮮なスローガンは、まだ出てきていない。選挙の終盤には、都市部に集中した選挙シフトで「風」が吹いた民主党だったが、まだ「地方政策」の形は見えてこないのである。

<地方財政見直しなどの焦点に>
 公共事業の見直しの他に、都市部に向けた自民党から聞こえてくるメッセージは、地方財政問題である。特に「地方交付税」制度をめぐって野中幹事長が発言しているし、政府税調での議論でも特に経済界から強い姿勢が伝えられている。要するに、地方交付税制度が一面で、地方自治体の財政運営におけるモラルハザードを生み出している原因であり、市町村合併を阻害している原因になっている、という主張らしい。所得税をはじめ都市部住民の納税は、10分の1程度しか、都市部には還元されず、地方での公共事業に回されている、という議論への対応なのである。総じて、都市の不満に自民党はちゃんと取り組んでいる、という意図的な発言なのだが、それならば、都市部と地方のいわいる「一票の格差」が2倍を越えている問題はどうなるのか。場当たり的な自民党の政策に、包括的な対案が求められているように思う。(佐野)

投稿 公務員にも「能力・実績」重視の人事制度の動き

 「親方日の丸」と言われ、「休まず、遅れず、仕事せず」などと揶揄されてきた公務職場だが、近年民間の動向にも影響されて、「能力、実績」を重視した人事管理・人事評価を導入する議論が盛んになっている。
 8月15日に出された「2000年人勧」においても、「公務員人事管理の改革に関する報告」が行われ、勧告本文にも「X職務と能力・実績に応じた給与システムの改革」が叙述されている。総務庁、人事院のそれぞれの「人事評価制度研究会」報告は、今年の暮れには、成案となり、2001年4月からの省庁再編に合わせ行政職T表職員に、人事評価制度が導入されようとしている。

<省庁再編と公務員改革>
 大きな流れとしては、橋本首相時代6大改革のひとつである行政改革の流れを受けた中央省庁の1府12省への再編があり、これに連動する「公務員制度調査会」(1999年3月)における「公務員制度改革の基本方向に関する答申」、そして「地方公務員制度調査会」の「地方自治・新時代の地方公務員制度」(1999年4月)が先行している。それらは共通して「職員の能力・実績をより重視した人事管理を行っていくためには、公正で客観的な評価システムが必要であり、それを昇任や給与等に反映すべき」という内容になっている。 さらに、大蔵省や農水省の官僚による企業癒着や利権・汚職事件が発生し、キャリア制度による功罪が白日のもとになり、また新潟・神奈川県警の事件で、世間を知らないキャリア署長の無能力もまた、マスコミに取り上げられる事態など、国家公務員に対する厳しい世論に対して、省庁の人事管理が大きく問われている、ということも影響していると思われる。
 
<有名無実の現行勤務評定制度>
 勤評反対闘争で記憶されているように、現在、公務員には「勤務評定」制度があり、法律上は、個々人の勤務評定が行われている。しかし、それらは、特別昇給や昇進・昇格に使われている、と言われているが、人事担当者以外は目にしたことがなく、もちろん本人にも開示されない。地方においては、特別昇給も順番制という実態もある。当然、評価の基準や本人努力の課題も明らかにされず、機能はしていないのが現実である。
 さらに、実態を言えば、勤務評定を行う評価者の側にも「管理能力」「評価能力」に疑問と不安が存在し、公務労働に問われるべき基準はあいまいなままなのである。 

<総務庁の人事評価研究会報告書>
 本年5月に公表された総務庁の人事評価研究会報告を読んでみると比較的よくできていると思われる。人事管理システムの中の要素(サブシステム)として、人事評価システム、任用システム、育成システム、処遇システムを想定し、評価システムは、その上位概念としての組織目標の明確化が必要であることを重視している。また、公務の業務プロセスを構成する基本要素(能力・適正・意欲・仕事・成果)を視点に、その現状を評価するものであり、何を重視した評価システムとするかは、組織目標に関わるものである、として評価の目的をはっきりさせようとしていること。また、評価システムの基本要件として「公平性」「客観性」「透明性」「納得性」の向上の確保、差をつけるための人事評価ではなく、職員及び組織の目標実現に貢献する人事評価であること、を挙げている。また、現行の人事評価システム(勤務評定制度)を踏まえて重視すべき点として、・・革新的・積極的な取り組みを行った職員への加点主義的な評価であること、人間性など一般的な人物評価でなく、具体的な職務行動を通じて現れた能力、業績を評価するものであること、新たな評価システムが、組織内で人事当局、評価者及び被評価者のコンセンサスを確保できるシステムとなること、などが挙げられているのである。

<国家公務員で先行する議論>
 こうした国レベルの議論は、2001年に向け総務庁・人事院の評価制度研究会の中間報告を受けて、9月からは国公の労働組合との協議が始まろうとしている。もはや、後戻りはできないところである。6月には連合・公務員連絡会の「公務における能力、実績評価制度対策委員会」が、こうした『国家公務員の「能力、実績」を重視した人事管理システムの見直しと新たな人事管理システムについての考え方(案)』を各産別に提案し、9月上旬までの組織討議を呼びかけている。
 端的にまとめれば、社会情勢の様々な変化や公務を取り巻く環境の変化からは、現在の「勤務評定」制度は廃止し、「能力、実績を重視した」人事評価システムの導入に対しては、条件付で応じざるをえないこと、その際には、「公正・公平性」「透明性」「客観性」「納得性」を確保し、労働組合が関与・参加するシステムであること、苦情処理制度の確立などの確立が必要であること。こうした人事評価システムは、格差をつけることが目的ではないことを明確にし、昇任や昇給への反映については、別途十分労使協議を行うこと、などが提案されている。

<現在の昇任・昇格には職場で不満が強い>
私なりに公務職場を見た場合、二つの層に不満が蓄積されている。ひとつは若年層である。地方自治体でも大学卒業組が若い層では多数派になっており、賃金・労働条件についての関心より、働き甲斐の方に関心が高くなっている。上司と部下という身分的関係を重要視するより、仕事ぶりで上司を評価する傾向にある。自分の方がよく働き、責任も持っているのに賃金は低い、という不満である。ふたつには、団塊の世代で、同世代の数は多いのにポストは限られており、昇任も不合理な場合が多い。客観的な評価は示されず、昇進の結果だけが明らかになるからである。そういう意味では、労働組合の立場・方針は別にして、職場の意見としては、自分の仕事をちゃんと評価してほしいという気持ちは広範に存在しているように思う。むしろ、労働組合の方が人事評価については消極的な立場が強い。それは、賃金や昇任などに個人別要素が入ってきた場合、「平等」や「連帯」という、これまで労組の看板としてきた役割が、後退することへの危惧であり、労働組合の職場における地位が脅かされる心配を強く感じているからに他ならない。

<問われる労働組合のあり方>
 参考になるのは、民間での経験だが、まだ労働組合側の評価システムへのまとまった文献を読んでいないが、NTTでさえ7月の定期大会で「成績主義賃金制度」の提案を行っている。60年・70年代以降民間では、年功基準の賃金制度から資格給などに重きをおく賃金制度に変化し、さらにそれぞれに成績・実績的要素が加わり、極端には「年俸制」というものの、一部に出始めている。おそらく大企業の組合の場合は、評価する側に労組代表も入っているだろうと思われる。公務以上に職場の活性化が収益という具体的実績に連動する民間の場合、評価システムも硬直的なものでなく、年々とは言わないが、システムシステム自体の改善・変更も労使協議の対象とならなければならない。
 そういう意味で組織の活性化に本当に寄与できる評価システムなのか、どうかが問われるところであるし、その検討こそ一方的な使用者側だけの意図だけでは活性化は望めないはずである。労使対等、労使協議型へのあり方の変更が求められているように思う。

<地方自治体での実施は国に続いて>
 こうして秋から、国公の場では、人事評価システムの導入をめぐる交渉が具体的に開始されようとしている。来年春からの実施のあとは、翌年ないし翌々年の地方での実施が想定されているという。さらに、本年の人事院勧告では、「一定期間の勤務に伴う能力の伸長や経験の蓄積、職務遂行にあたり発揮される優れた成果や実績の三要素を踏まえた、現在の俸給表の基本的な見直し」にも言及し、総合給的な現在の給料表から能力・実績重視の評価システムと連動する給料表への見直しにも言及もされているのである。
 時間はそんなに残されていない。労働組合側の早急な対策が求められているのである。単なる反対のための反対では、当局の一方的な制度導入を許すことは必至であろう。(佐野)

書評
『医療倫理の夜明け──臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって』
 (ディヴィッド・ロスマン、酒井忠昭監訳、2000.3.10.発行、晶文社)

 医療技術の急速な進歩の下、医療に対する見方についても変化が生じている。本書は、伝統的に続いてきた医療の見方が、さまざまな医療事件を通じて、新しい医療倫理の確立へといたる過程を描いたフィクションである。そしてこの過程は、医療実験の被験者と研究者、臨床上の患者と医者の関係が、前者の保護に向けて劇的に変化していく過程であり、同時に「それまで医療専門家の自由に任されていた医療上の裁量権が次第に制限されるようになっていく過程でもあった。
 まず第2次世界大戦以前のいくつかの人体実験についての検討から、それらが倫理の許す境界を越えていることが指摘された後、本書では、しかしまだこの時代には「人体実験でなにが公正で、なにが不正かについての感覚が広く行き渡っていることを物語っていた」とされる。
 ところが戦時中には、「こうした研究は作戦の一部と考えられたため、戦場の原則は研究室にも適用された」。すなわち医療実験の被験者たちは、戦時努力に貢献する国民の一員と見なされ、このために実験に際して彼らの承諾を得るという社会的な価値は無視されるにいたった。そしてこの基準が、戦後も長く医療研究者の間に残ることになるのである。
 戦後1945年までは、それ故被験者の福利よりは研究者のニーズが優先されてきたことになる。しかも治験(実験室)と治療(診察室)、すなわち研究者─被験者の関係と、治療者である医師─患者の関係の境界があいまいであったことが、問題を混乱させてきたと言えよう。このような状況において医療専門家の裁量権が行使されてきたのである。
 ところが、はじめには実験室で、続いて診察室で「重大な変化は1966年から1976年のあいだに起った。変革の出発点は1966年、ハーヴァード大学医学部のヘンリー・ピーチャーによる人体実験にたいする告発だった。そしてその後、1973年、ウォルター・モンデールとエドワード・ケネディの2名の上院議員の指導の下での、医療倫理調査の国家委員会の設置を経て、1976年にニュージャージー州最高裁が、医師たちに対して、親の養成に従ってカレン・アン・クィンラン(22歳)の人工呼吸機の停止を命じたことで終るのである。
 この変化は、「最初、新たに多数のひと(法律家、社会学者、生命倫理学者等──引用者)が意思決定に参加するという形で現れ」、「つぎに、意思決定を特徴づける、新しい形式が考案された」、「第三に、いまや部外者が、あまり目立たないが、ほぼ主導権をもって医者と患者の関係の標準になる原則をつくった」というかたちで要約される。つまり「医療がなされる外的条件(免許制度によって州がこれまで統制してきた)だけでなく、その実質(病室での医師の決断)までもが変化を迫られたのだ」。この変化は、もちろん「医の倫理がすべて医療の世界に委ねられねばならないという強力な主張」の抵抗を呼び起こしたが、しかしそれ以上に、現実の医療をめぐる状況が進展したのである。
 例えば臓器移植では、「医師は患者の利益に反して治療することはない」という前提があてはまらない。というのも、健康な腎臓を片方とることで、患者の幸福を前進させることはできないからであり、しかも資源の分配の問題が、直接医師にかかってくるからである。「要するに医師は、移植によって、命はいつ終るかという難しい問題だけでなく、ある患者が恩恵にあずかるとき、もうひとりの患者の命をいつ終りにするかという、さらに耐えがたい問題まで背負いこむことになったのだ」。
 さらにジョン・ホプキンズ病院の新生児の事件(精神遅滞をもった新生児に対する治療停止事件)では、医師、両親、新生児の立場の対立があった。それ故「新生児をめぐる問題の解決には、非専門家がさらに医療の中へ踏みこむ必要があった」。すなわち新生児に関する意思決定の議論では、「集中治療室が、医師の独占的な区域でなくなった」のである。そしてこの事件が、医療の分野への哲学の参入に主導的な立場を保証することとなった。「このことは、(略)個人的な倫理の原則が、医療をめぐる知的な議論を支配することを意味する」と著者は述べる。
 この傾向は、カレン・アン・クィンラン事件でさらに明確にされる。カレン事件では、「その核心は、患者の『死ぬ権利』などではなく、もっと具体的で本質的な問題、すなわち『だれが医療を支配するのか』という問いかけだった」とされ、患者の利益を代表する存在が、医師から弁護士や裁判官の手に移った、ということが指摘される。
 そしてこの点に、哲学とりわけ生命倫理学が大きな成果を上げた理由があったのである。というのも生命倫理学者たちの関心は、上記の事件に関して、「米国医療の社会的側面よりも、患者と医師との一対一の関係に向けられた」のであり、「個々の患者の権利を守ることは、しばしば社会階級の境界線を越えて意味をもった」からである。つまり生命倫理学者が、患者の権利と関わって自己決定の原則を強調したことは、一方においては、権力(保護者・専門家等をも含む)に対して、無力に見えた個人の集団を守るための諸運動(女性、受刑者、同性愛者等の運動)と共通のものを有していたとともに、他方において、「持てる者の関心事にたいし、持たざる者の関心事にたいするのと少くとも同等のあるいはそれ以上の敏感さを備えていた」のである(誰でも患者になる可能性がある)。
 このように医療上の意思決定の変革は、現在もなお進行中であり、それが将来的にどのような形で落ち着くのかについては、議論されるべき事項は多い。しかも本書で述べられてきた以上に、今日、医療をめぐる状況はさらに急激に進展しており、本書の最後にある、「患者は医療を権力的で非人格的な現代そのものとして体験してゆくことになるだろう」との指摘は、医療のみならず現代そのものに対する鋭い批判として残されている。
 以上のアメリカの状況と比較して、わが国の医療をめぐる状況がどのように検討されるべきであるのか。本書の一読を薦める次第である。(R)

 『ひとりごと』
○先の総選挙で影を薄くしたのは日本共産党だけであった。議席数の減少、得票数、得票率共に前回の選挙までの増大傾向が頭打ちし、停滞という状況に陥った。この総括をめぐって、いろいろな議論が出ている。○7月の6中総で不破執行部は、依然として「方針は正しかったが、やり方が不十分だった」という、昔からの「旧左翼的」総括を行い、謀略ビラや反共宣伝の包囲網など、敵の攻撃を原因に挙げている。○一昨年の参議院選挙以降、共産党は急速に「政権」への参加というテーマに傾き、安保・自衛隊棚上げ論や国会共闘など、従来の独自路線からのなしくずし的路線転換を行ってきた。不破・志位体制のもとでの、無党派層との連携、相次ぐ選挙での議員拡大という背景のもとでの、やや中道寄りのソフト路線、「常識的な共産党」というようなイメージ転換を行って、旧社会党支持層などにも支持を拡大してきたのは事実であった。○残念ながら、中央や国会でのソフト路線と比べると、地域や従来からの全労連の組合幹部の動きには相変わらずの唯我独尊でああり、党内では十分に戦略議論された傾向ではないことが予想され、党内での未消化は明らかであろう。○また、地方議員についても、これまでの拡大傾向が頭打ちし、現状維持ないし減少傾向も現れている。今年11月には党大会が予定されているらしいが、総選挙の総括から、党の戦略議論までおよぶのかどうか、注目する必要があると思われる。○私たちが見ることができる、党内議論としては、インターネット上の「さざなみ通信」がある。7月上旬に掲載された「総選挙の表面的総括に終始した6中総」と題する文章から、特徴的な批判点を挙げてみる。○「98年参議院選挙と比べても150万票が減少した原因は、それらの票が、社民党と民主党に流れたこと。その原因は、共産党の右傾化路線だ」と。消費税減税要求の凍結、自衛隊活用論、「野党暫定連合政権」論など、が無党派層の中でも革新的無党派層の離反を招いたのだ、という批判である。また、実際の党内議論によれば、総選挙終盤になっても、「比例票は減ることがないだろう」という楽観論が支配的で、党組織の動きは、参議院選挙よりも鈍かったという。○また、例の全国的に配布された「謀略ビラ」について、例えば、「査問」問題について、赤旗号外は、査問という言葉が党内に存在しない、規約に基づく調査はある・・などの無責任な対応であったことなどで何ら有効な反論にならなかった点をも挙げている。○党内からは、表むいて不破・志位体制批判は出てきていないようだが、私としては、現実的な、民主的な、常識的な党としての流れは、結構なことだと思う。こうした流れさえ、党執行部の独走という形でしか進められないことの方がこの党の不幸と言わざるをえないのではないか。その点は、「さざなみ通信」の皆さんとは、意見が違うところだろうか。○6中総文書でも、党の組織の弱体化、高齢化が問題とされ、次期党大会にむけた課題として、党員拡大とりわけ青年層での拡大が力説されている。そういう点で、最近出版された油井喜夫氏の『虚構---日本共産党の闇の事件』が興味深い。油井氏は、当時民青静岡県委員長だった自らの「査問」体験を『汚名』という書物で明らかにした。川上徹氏の『査問』に続く、新日和見主義問題の体験本だった。新日和見主義「路線」に対して、共産党は具体的な氏名や批判対象の文書名も具体的に明らかにできないまま、膨大な批判文書が発表されたという特殊性が存在していることに対して、今回の『虚構』は、批判されたと思われる当時の文献、例えば、当時の民青機関誌「青年運動」などを探索し、検証しようという試みの本となっている。正直、退屈な本だと思うのだが、その中で、70年代に20万人の民青組織だったのが、現在は2万人という現状に触れた部分のみ紹介しようと思う。○後に新日和見主義と批判される「査問」事件の発端は、民青対象年齢を28歳から25歳に、幹部の年齢も30歳までに引き下げる、という党中央の提案に当時の民青執行部内の党員会議において議論が続出し、決定できなかったという72年5月7日であった。翌日から「査問」が始まっている。学生運動の経験から言っても、学生活動家を引き抜いて「おとな組織」で早く使おう、という傾向はよくあった話で、「それでは学生組織がもたない」みたいな話は私も理解できる。実際に油井氏によると、新日和見主義事件以降、民青の対象年齢は引き下げられ、党組織に集中が起こり、民青組織の停滞状況がその後続いたという。党中央も、その後、「引き抜き」が強まることで、青年組織が停滞している状態を危惧し、大衆組織の運動を阻害するような引き抜きを行わないよう、文書を出すことになったらしいが、「査問」対象となった「年齢引き下げ」反対の主張は、みごとに当たってしまったということだろう。○現在も、選挙の時など、共産党への青年対策に民青が街頭宣伝をしているのをよく見かけるが、民青の独自性などは本当に感じられない。党に従属した青年組織では、魅力もないと思うのだが。○長々と書いてきたが、要するに今、共産党が大きな分岐点にある、ということだ。大衆組織においては、89年の連合に対抗した全労連の結成などがあるが、残念ながら、全労連系は低迷している。(連合も低迷しているが)「さざなみ通信」編集部の傾向は、すこし「旧左翼」に近く、新しい議論は期待できないのだが、全体的に共産党系の運動は低迷している。今回の総選挙の敗北を機会に、党内や大衆運動の中から、共産党の社会民主主義的の再生ための「常識的」な議論が出てくることを期待しているのだが。(K・T)