アサート 277号(2000年12月16日)
【投稿】 労働組合運動の危機か、連合運動の危機か
-----「21世紀を切り開く連合運動」--21世紀連合ビジョンーーーを読んで 
 連合は、1998年17日の第29回中央委員会で「連合21世紀への挑戦委員会」の設置を決め、2年間にわたる検討を行い、本年10月に表記の「21世紀を切り開く連合運動」(21世紀連合ビジョン)を第33回中央委員会で「特別報告」として提案、全組織的な討議に付された。来年(2001年1月)には、この文書をもとに「連合21世紀宣言」を発表し、来年秋の第7回連合定期大会で、これを下に連合の基本文書として採択する予定とされている。
 21世紀といっても、ただ時が過ぎれば21世紀がくるわけだが、漫然と迎えるのではなく、世紀を画する時期に、新しい運動の方向を示そうと言う努力は是とするものだ。
 しかし結成10年を経て、予想以上と言うべきか、経済社会状況の激変のためというべきか、連合労働運動は前進どころか、「停滞」から「後退」しているように思える現実を、どう打開し、新しい局面を切り開くべきか、大いに「激論」を交わす必要があるように思える。
 特に、この「21世紀連合ビジョン」は、21世紀に向かう「連合の基本文書」と言う位置付けを持っているということで、文書の概要紹介と若干の感想と意見を述べて見ようと思う。

 冒頭、まず私自身の問題意識を簡単に述べて見たい。明らかに労働運動は危機に陥りつつあるように思う。危機とは具体的に何か、簡単に言えば、その力が低下してきていること。そして、その低下の原因が、閉鎖的な組織運営や、企業別労組の限界を突破できない現状にある、と捉える。企業の壁、大企業と中小企業、正規職員と非正規職員、男性と女性、官と民などを越える「連合の価値、労働運動の価値」を、共通認識として形成しえていない。こうした現状に、果たして「21世紀を切り開く連合運動」は、果たして応えているのであろうか。

 「報告にあたって」では、『「21世紀を切り開く連合運動」は、21世紀における労働組合の存在意義(アイデンティティ)を明らかにし、構成組織、地域組織、単位連合を含めた連合労働運動がめざすべき方向性を指し示そうとするものである。』と述べられている。
 全体の構成は、第1章 現代と私たちの課題を直視する(情勢認識) 第2章 私たちがめざす社会(目標) 第3章 いかに実現するか(運動の課題、組織運動)である。

<危機意識は強烈だ>
 「はじめに」の中では、21世紀が経済のグローバリゼーション、情報化、少子・高齢化への対応など変革と不確実性への挑戦の時代と位置付けているが、同時に「労働組合」そのものへの危機感が表されている。「また労働組合運動は、こうした産業・企業の環境の変化の中で、1999年の組織率は22.4%と低下が止まらず、労働組合への帰属意識も希薄化している。組合費のチェックオフ禁止提案などの政治的逆風にさらされる中、労働組合内部における存在の「空洞化」と社会的影響力の斬新的後退、そしてその存在意義が世の中から強く世から問われている。」と。
 先日、笹森事務局長の講演を聞く機会があったが、今年の雪印乳業事件、昨年のJCO事件など、労働組合がチェック機能を果たせなかったことに対する厳しい危惧を持たれているようだった。労働組合の社会的信頼や認知度も「ひとつの圧力団体」や「利益団体」としか見られていないことに、深刻な問題を感じられていることは理解できた。
 こうした危機意識は我々も共有しているのだが。

<職場の労組「空洞化」の原因は何か>
 第1章は情勢認識の章である。市場万能主義の蔓延と企業のリストラの進行は、勤労者を不安に陥れており、雇用重視や従業員重視の職場の良き伝統である労使関係を無視・軽視する傾向が強まっており、このままでは21世紀は「解雇自由の時代」ともなりかねない、と「直面する現実」では述べられている。そして、危機はまたチャンスである、という意味で80年代に市場万能主義が席巻したイギリスや欧米で、市場万能主義への修正の動きが生まれ、社会民主主義政権が生まれたこと。「そこで、持続可能な社会経済システムつくりに労働組合運動が大胆に挑戦していくことが、職場の信認を回復し、社会的存在感を高め、自らの運動の活性化をもたらすことになる」と、21世紀を創造する労働運動の可能性が語られている。
 第1章の2では、日本の社会経済システムの到達点と課題と題して、企業別組合と労組の社会的代表機能について述べられている。この部分は議論の出そうなところだ。
 日本的な産業民主主義という表現で、労使協議制や長期雇用などを評価し、それが揺らいできていることを問題とし、これがリストラや一方的な雇用削減など、経営側が従来労使慣行を軽視しているため、労組の職場における影響低下が起こっているとして、「労組は職場の労働者を代表することに日常活動の基本がおかれなければならない。それが労働組合内部の「空洞化」回避の基本である。」としている。
 しかし、経営側の慣行をも無視したリストラがあることと、職場の労組の空洞化には、直接の関係はないのではないか。例えリストラがあったとしても、労組の闘いの姿、組合員全体の連帯の行動があれば、労組の「空洞化」は生じない。むしろ、産業民主主義という言葉で語られている、悪しき「労使協調」型という一部大手組合に存在する、職場闘争軽視の問題や「伝統」が、リストラ進行の中で揺らいでいる、と言う方が当たってはいないか。

<企業別組合の限界>
 さらに「企業別労働組合運動の限界を越えて」として、90年代以降の大競争時代になって限界が意識されるようになったとし、企業不祥事でもチェックアンドバランスが十分に機能しなかった点や、高齢者や女性労働者を十分にケアできていない点などを上げている。しかし、それをどう克服していくのか、ということは深く掘り下げられてはいない。
 企業別労組が単に企業内関係にとどまらず、産別課題や全国的・地域的運動に寄与する大胆な自己改革に踏み込むことを期待して「企業中心主義社会」を越えた社会のシステム作りに参加する必要を促す表現はあるものの、極めて曖昧な分析と言わねばならない。

 第1章は、これ以降、情勢の変化と課題ということで、@少子・高齢化、Aグローバル化のリスクとチャンス、B情報技術(IT)革新のインパクト、C地球環境--環境循環型(リサイクル型)社会をめざして、の4点が分析されているが、紹介を省きます。

<実質的差別と均等待遇>
 「変化する労働と社会」では、日本の産業構造・就業構造の変化が、大企業・大事業所から、中規模・小規模事業所の比重の拡大、そして長期安定雇用が緩やかに低下し、流動的な雇用形態が増加していること。そうした労働者に対して実質的な差別的労働条件が押し付けられ、均等待遇を社会的規制として必要なことなど、それができなければ、日本の労働市場は「底ぬけ」し、労働条件の絶対水準が低下しつづけると警告している。
 この認識は共有するものだが、第3章での打開の方針を後で分析したい。

<個人尊重・社会連帯型の社会を選択>
 「第2章私たちがめざす社会」の1,どのような社会をめざすか、は2Pが割かれているが、ポイントは、次の二つに尽きる。別に異存はないことだ。
『企業中心社会のあとにくる社会モデルとして、われわれは「個人中心・市場万能」型の社会ではなく、「個人慎重・社会連帯」型の社会を選択する。・・・市場の限界を認識したしっかりとしたルールをつくり、セーフティネットを組み込むことによって、社会的規範を育み、社会的連帯を重視していく必要がある』
『いたずらに「小さな政府をめざすのではなく、社会のニーズに適切に応える「有効かつ効率的な政府」をめざすべきである。・・・・そのためには、徹底した分権と参加、行政機構の改革、情報公開が必要である』
第2章の2は、「ヒューマンな労働と生活の枠組みづくり」は、1に基づく具体的な運動目標ということができる。
 ただし、課題の列挙に終わっている感もある。1完全雇用政策の再構築、2新しいワークルールの確立、3「人生80年時代」の雇用・就業システムの確立、4仕事と家庭の両立(ファミリーフレンドリーな職場と社会)、5戦略課題としての労働時間短縮、6賃金制度および賃金闘争のあり方、7産業民主主義の変化などである。
 やはり、中心に議論すべきは、2ワークルールと5労働時間短縮、6賃金闘争であろうか。

<21世紀のワークルールとは>
 暗示的な表現ながら、これまでの労使関係の中で暗黙の了解的に企業内労使関係として維持されてきた「日本的労使関係」が揺らいでいるという問題意識から、21世紀に向けて、「雇用の安定と公正な労働条件を、暗黙の労使関係に頼るのではなく、しっかりとしたワークルールとして確立すること」が必要と述べられている。
 具体的には「1・・・すべての分野にわたってルールを組み立てること。こうしたルールを社会横断的なルールとしていくこと。2多様な働き方を保障し、パートや派遣など多様な働き方にも、均等な待遇が行われること。3整理解雇4原則の法制化 4評価と処遇に関する明確なルール作り」などが示されている。
 こうした指摘は、連合中央として問題提起できても、具体の産別、職種単位、地域相場としての「労働市場」の中で、どれだけ規制をかけることができるのか、が問われていることばかりであり、中央の危機意識がどれだけ、地域や各産別の問題意識になりうるか、これこそが問われる必要があると思われる。
 「戦略課題としての労働時間短縮」の項では、ワークシェアリングの観点から労働時間短縮が語られている。しかし、欧米のように職種、職能に基づく賃率など年齢に関わらない賃金の体系の場合、ワークシェアリングは雇用確保に直結する側面を持っている。しかし、一定の年齢給の体系の下では、時間短縮が直結して雇用確保になるとは思われない。勤務体系に関わらない「均等待遇」の整備や、企業内福祉に頼らない住宅や福祉などの充実で社会的保障が存在するもとで、はじめて労働時間短縮はワークシェアリングの意味を持ち、雇用確保に繋がるのではないだろうか。この部分でも一般的・抽象的な指摘に留まるという、この文書の弱点が現れているように思える。

<賃金の企業の枠を越えた社会的水準の追求>
 賃金闘争のあり方の部分では、「経済状況の変化は、従来の延長線上での春闘のあり方を不可能としている。賃金の相場形成を図っていく上で、労働の銘柄ごと、熟練度ごと、企業の枠を越えた社会的基準を追求することが重要。」という指摘と、「年齢に軸をおいた旧来の制度は見直されつつあるが、職員の評価について、「透明性、公平性、公開性」高める必要が説かれている。
 
 こうして見てきたように、「21世紀連合ヴィジョン」の第1章、第2章は、それなりに貴重な問題提起を含みつつも、危機意識と課題の列挙に終始している面が多い。2000年10月以降、加盟産別の討議に委ねるという内容であるので、次期中央委員会などでの議論を待つしかないが、未だ「実現」の迫力は、伝わってこないと言わざるをえない。

 紙面の都合で、第3章いかに実現するか、については次号での課題とさせていただくが、先に述べた最近の笹森講演では、この第3章については「議論途上」との表現もあり、まだまだ組織合意に至っていないらしいのである。従来の産別自決方式から「共生と連帯」の労働者の生き方、価値観を体現する組織としての連合運動は、まだ道半ば、と言わざるをえない、というのが私の実感である。ただし、批判するのは簡単なこと。共に日本の労働運動再生の課題は我々も共通の課題として受け止め、意見反映も実践も、連合運動の充実に向けて集中していく姿勢に疑問の余地もないと思われるのだが。(続く) by 佐野 秀夫

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