アサート295号(2002年6月22日)

【投稿】 小泉内閣の政治的退廃と非核三原則放棄
【投稿】 小野さんの講演録を読んで
【投稿】 吉野川をたずねて--徳島知事選挙と第十堰--
【本の紹介】  川上 徹著 「アカ」
【コラム】 ひとりごと--防衛庁の思想調査に思う--  

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【投稿】小泉内閣の政治的退廃と非核三原則放棄
                                      生駒 敬
<<「首相よ目を覚ませ」>>
 これは6/16付朝日社説の表題である。社説は冒頭から、「この荒涼たる風景は何だろうか。政治の機能低下も極まった」と断じている。「構造改革の看板も最近は色落ちが激しい。外交課題、経済政策、政治とカネの問題、何もかも暗雲が漂う。…良くなるかもしれないという希望すら断たれたら、政権の命運は尽きる」、「小泉さん、目を覚まそう」と結んでいる。
 おりしも、サッカー・ワールドカップ初勝利−決勝トーナメント進出とあって、至るところ大騒ぎである。このところ「命運尽きる」寸前の小泉首相は、こんな警告などどこ吹く風、浮かれ騒ぎの今こそ挽回のチャンスとばかりに人気取りのパフォーマンスにご執心である。5/31ソウルの開会式に出席、6/4の対ベルギー戦、6/9の対ロシア戦にも競技場に足を運び、サッカーボールのネクタイと青いメガホンで大騒ぎをし、14日の対チュニジア戦にも「応援に行きたい」と言い出して周辺を慌てさせ、「国民と共にある」首相の演出に懸命である。デタラメと綻びが露わな有事立法、防衛庁の違法な個人情報リスト作成と責任のなすりつけあい、別人になりすました官房長官の核武装容認発言、等々、首相周辺のきな臭い反動的本質が吹き出し、本来なら国会と官邸にクギ付け、身動きもままならぬ火だるま状態であり、政権崩壊寸前の事態といえよう。ところがこの最中、首相自身が責任放棄で、映画「突入せよ!あさま山荘事件」を見て例のごとく涙を流し(5/18)、44年ぶりという現職総理の日本ダービー観戦、馬券的中でご満悦(5/26)、オペラ鑑賞で楽屋訪問、「ワンダフル」の連発(6/8)、ところが国会の審議空転も政府・与党の無責任な対応もすべて「我関せず」、ワールドカップの騒ぎの中でぼやけさせ、後は会期を大幅延長させて、政府提出重要4法案をすべて強行突破しようという魂胆であろう。

<<「どうってことない」>>
 そしてこの政治の「荒涼たる風景」を典型的に象徴するのが、福田官房長官の核武装容認発言であり、それを小泉首相が「あれはどうってことない」と言ってのけた無能に近い政治的鈍感さ、政治的退廃であろう。
 問題の福田長官は、5/31の記者会見で、非核三原則に関連し「政治論であり、憲法上、法理論的に(核兵器を)持ってはいけないとは書いていない」、「専守防衛なら核兵器を持つことができる」、「長距離ミサイルとか核爆弾とか、非核三原則もあるかもしれないが、理屈から言えば持てる」などと放言し、さらにその後の記者懇談の席上、「憲法改正を言う時代だから、非核三原則だって、国際緊張が高まれば国民が持つべきではないか、となるかもしれない」、と本音丸出しの見解を示したのであった。「実質総理」、「次期首相最有力候補」などとおだてられて増長しきっていた本音の吐露でもあろう。すでにその1週間前に部下の安倍官房副長官が「小型核兵器の保有なら憲法上問題ない」と発言していたこととの明らかな連携プレイであった。
 メディア各社はこれを「国是の変更につながる」重大事として、翌6/1以後、大きく報道したのであるが、この段階ではまだ匿名報道で、「政府首脳発言」であった。ところが韓国メディアをはじめ外国紙は一斉に6/1段階で、「福田官房長官が記者会見で日本の核保有も可能だとの認識を示した」と報じ、韓国の有力紙「朝鮮日報」は6/2付の社説で「福田官房長官を即刻更迭し、非核三原則を順守する意思を明らかにすべき」だと主張して、事態は国際問題に発展しはじめてから、官邸があわてだした。6/2付朝日は<「唐突」自民も批判 政府、火消しに躍起>の見出しで「政府首脳発言」を報じ、福田長官自身がこの「政府首脳」発言に関して「現政権で非核三原則を変えることはない」と語った、と報じている。さらにこれに便乗して、福田長官は6/3の記者会見で、「(政府首脳本人に)真意を確認したが、そういうことはいっていないとはっきりいっていた」としらじらしくも述べたのである。自分で自分に確かめる、お笑い、茶番も茶番。よくもぬけぬけと言える厚顔無恥。
 6/4付朝日は、オフレコ取材では官房長官発言を「政府首脳発言」とすることを「双方が取り決めている」ことを明らかにし、それは「国民の「知る権利」にこたえることにもなる」と言い訳をしている。しかしこれでは、メディアと権力が一体となって情報操作をし、読者を欺いてきたことを証明したようなものである。政治の「荒涼たる風景」にメディア側も一枚かんでいたのである。

<<「合憲的核兵器」>>
 福田長官は現内閣での「非核3原則の堅持」を言明し、小泉首相は「私の内閣では変えない」という答弁で事態の沈静化に躍起であるが、いずれも近い将来の見直しに含みと期待を持たせている。歴代内閣が堅持してきた「不変の国是」であったはずの非核三原則をこの際、改憲論議と同様に論議の俎上に乗せることを目論んでいるのであろう。そのために、「自衛のためなら核兵器を持てる」という手前勝手な法理論はあくまでも放棄も否定もしようとはしていない。野党側から、それでは「合憲的核兵器とはどういうものだ」と突っ込まれると、「意味がない議論」(安倍官房副長官)だと逃げまわるだけである。政府・与党の政権維持の基本理念に、戦争を放棄した平和憲法を有し、唯一の核兵器の被爆国として、将来にわたって核兵器の製造も保有も持ち込み許さないという意識が決定的に欠如しているのである。むしろこの際、「日本はいつでも核兵器を持てる、持てる国になりたい」という本音をちらつかせ始めたのである。
 事態を静観していた米紙ニューヨークタイムズも6/4付で、福田官房長官の名前を挙げて発言内容を紹介し、6/9付では一面記事に「日本で核兵器のタブーが挑戦を受ける」との見出しを掲げ、「一部の有力政治家が半世紀の平和主義政策を破って、核兵器保有政策を検討し始めた」「これらの発言は、日本の安全保障に関する考え方に大きな変化が生じ始めたことを示唆している」と指摘している。アーミテージ米国務副長官は「発言を問題視せず」という見解であると報道されている。
 6/9付毎日新聞によると、ブッシュ大統領は今年2月の訪日の際、日米首脳会談で「イラクの攻撃は必ず行なう」と言明し、これに対し小泉首相が「テロとの戦いには必ず支援する」と語ったことで、“イラク攻撃に日本の支援をとりつけた”と理解したようだと報じている。小泉内閣の一連の右傾化・軍事的暴走は、明らかにブッシュ政権の好戦政策と軌を一にしており、非核三原則放棄・核兵器容認発言も、むしろ米国の「黙認と激励」が背景に横たわっていると言えよう。

<<「政治的な退却の道」>>
 しかしこうした危険な路線は世界中から孤立化せざるを得ないとも言えよう。すでに米国内では、米下院議員31人が6/11、ブッシュ政権が議会との協議なしにロシアとの弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約から脱退したのは憲法違反であるとして、ブッシュ大統領らを提訴しており、同じ日、米下院には「核兵器による破壊の脅威が高まっている」としてその終結を求める決議案が上程され、「核兵器廃絶に向け他の核保有国と協力するとの核不拡散条約(NPT)の約束の履行」、「核兵器の先制使用を放棄し、核兵器の開発・実験・製造を永久に禁止する」ことなどを政府に要求している。同決議案は、「核の危機の終結」を求める緊急署名運動と連動して呼びかけられており、呼びかけ人の一人、ジョナサン・シェル氏は、今日の世界での核の危険の高まりの一例として、「日本の政府高官が核兵器を作る可能性を吹聴している」ことを指摘している。
 おりしもパキスタンとインドの緊張は、核戦争の危機の様相を呈している。「決戦の時だ」とインドのバジパイ首相が前線基地を訪れて兵士を鼓舞し、パキスタンのムシャラフ大統領は「(戦争になれば)最後の血の一滴まで戦う」と対決姿勢を鮮明にし、核搭載可能な中距離ミサイルの発射実験を強行し、一触即発の事態である。
 先ごろ発表されたインド・パキスタン両平和運動の共同声明は、「現在のところ、誤算や偶発的原因による戦争の脅威は、きわめて深刻である。残念ながら、戦争ヒステリーが両国で意図的に醸成されてきた。理由がどうであれ、ひとたび戦争が起きれば、核戦争に至ってしまう深刻な危険性がある。私たちは、核兵器を使って戦うに値する大儀などあり得ないと断言する。両国は、好戦的な姿勢をとることによって、自らを袋小路に追い込んでしまっているが、政治的な退却の道を見いださなければならない。正義と正気に照らして、それ以外の選択肢はあり得ない。どちらの国の政府も、相手国に対して、無用な挑発をしたり、侮辱したりすることがあってはならない。核戦争に至ってしまうかもしれないという厳然たる危険性を前にしたいま、両国の軍隊が、平和時の地点にまで同時に撤退することがきわめて重要である。私たちは、両国政府に対し、軍隊の撤退を達成し、通常の関係を回復するために、すべての必要な措置を講じるよう求めるとともに、国際社会に対し、このプロセスを支持するよう訴える。」インドの「核軍縮と平和のための連合(CNDP)」の代表とパキスタンの「パキスタン平和連合(PPC)」の代表による悲痛に満ちた声明である。
 「核を持たない」ことを誇りにし、核兵器廃絶の先頭に立つべき日本の政権が、非核三原則を放棄し、核兵器を容認する事態である。小泉内閣にも「政治的な退却の道」がいよいよ用意されなければならない。
(生駒 敬)