ASSERT 297号(2002年8月24日)

【投稿】 米国型資本主義衰退がもたらすもの
【投稿】 9・11テロと「国益」論
【書評】 『遺伝子組換え作物──大論争・何が問題なのか』
【コラム】 ひとりごと---企業等の不正事件に見る退廃---

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【投稿】米国型資本主義衰退がもたらすもの

<<「ニューエコノミーの死」>>
 夏期休暇中のブッシュ、小泉、両首脳とも長期休暇を取っていたそうだが、いずれも身辺に押し寄せ、その地位を掘り崩す動きに気が気ではなく、おちおちとはしていられなかったであろう。米・日両資本主義の足下がこれまでにない規模と質で崩れだし始めたのである。
 「ニューヨーク株式市場でのブームが去った今となっては、それ(株価上昇による資産効果)も幻想にすぎないことが明らかになった。米国の繁栄は、持ちこたえることができないほどに膨らんだ債務に支えられていたのが実態なのだ」、と指摘するロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授のジョン・グレイ氏(8/9付日経)。氏はさらに「米国の繁栄は大部分が低利の融資と外資の流入によって演出されていたのだ」、「多くの米国企業の収益も誇張あるいは捏造されたものだった。事実が明るみに出て、米国経済の奇跡という幻想を生み出した要因はたちまち逆方向に作用し、事態は急変した。」、「今回の事態は大規模な地政学的影響をはらんだ危機の到来なのだ」、「明らかに世界の政治情勢が激変する可能性がある」と、その影響の重大性に言及している。そして、事態が意味することの帰結として、「共産主義の崩壊は米国型資本主義の勝利と喧伝されたが、その時点で米国型資本主義が地球規模で衰退し始めていたと見るほうが実態に近いのではないか」との問題を提起している。
 株価の下落と企業スキャンダルの続発が象徴する「ニューエコノミーの死」は、同時に、90年代のアメリカでは、あらゆる種類の不正行為、粉飾決算、インサイダー取引、利益相反行為が公然非公然に展開され、それには投資銀行家、アナリスト、会計士、コンサルタント、社外役員、CEO(最高経営責任者)、市場当局者、政治家、ジャーナリスト、さらには規制当局者まで巻き込んでいたこと、金融機関や証券会社は、無価値な株価の吊り上げに狂奔し、奇跡的と言われた経済成長も、実態はほとんどバブルにすぎなかった、こうした認識が米国民の間に急速に広がり、さまざまな形で怒りが表明され始めている。なにしろ、アメリカの株式時価総額は2000年3月のピーク時から45%、金額で7兆7000億ドルも減ったのである。株価の右肩上がりを前提としていた確定拠出型年金・401Kで年金を運用する人々は、すでに2000年時点で5割に達していたが(在来型年金被保険者は2割)、この二年で4割以上も株価が下落し、今や生活設計の基礎がぶち壊され、訴訟も頻発している。

<<「企業経営腐敗防止法」>>
 ブッシュ大統領の支持率も、株価急落とともに10ポイント以上の急落である。慌てたブッシュは、11月選挙におびえる共和党議員の突き上げもあって、当初厳しすぎるとして渋っていた、企業トップや会計監査法人の背任や粉飾決算を厳罰に処し、不正経営者を20年の実刑に処するという民主党案による「企業経営腐敗防止法」に賛成を表明。 民主党案が登場してからわずか4カ月で法案が成立。法案に署名直後、早々に、倒産に追い込まれた通信大手・ワールドコムで5000億ドルもの大型粉飾決算をした財務責任者2人を背任と詐欺容疑でFBIに逮捕させている。エネルギー大手・エンロンの「子飼いの政治屋」と皮肉られていたブッシュにしてこの対応である。その点では、小泉内閣の、狂牛病対策から斡旋収賄、脱税に至る数々の次から次へと登場してくる日本の政官業の癒着と腐敗に対する甘い対応と放任、無責任体質が際立っているとも言えようし、それだけ日本の国民がなめられきっているのだとも言えよう。
 いずれにせよ、大統領が「われわれの経済の基盤は強固だ。景気は回復してきている」といくら叫んでも、世界規模での景気後退が再来する兆候が押し寄せ、それはアメリカを震源地としていることを明らかにしてきていると言えよう。7/31、米商務省から発表された02年第2四半期(4-6月)の実質GDP(国内総生産)速報値が前期比1.1%増となり、前期の同5.0%増から大幅に減速し始めた。8/2、米労働省が発表した7月の失業率は前月比横ばいの5.9%。しかし、非農業部門就業者数は市場予測の7〜8万人の増加どころか、前月比6000人増(前月実績・同6万6000人増)にすぎない。
 株式市場では景気下触れのリスク拡大への懸念や、企業会計・統治(コーポレートガバナンス)の問題に関連する不透明性の増大に伴い、乱高下を繰り返しているが、いつ暴落してもおかしくない事態をむかえている。ここまでに至った米国経済、バブル経済の根は深いし、そのバブル株高反動の逆資産効果によるマイナス効果は経済のあらゆる分野に悪影響を及ぼし、本格的で重大な景気後退となる可能性を増大させている。

<<再び銀行不安説>>
 最も危険なのは、こうした情勢の打開を戦争政策に求めることであろう。ブッシュは盛んにイラク攻撃の必要性と重要性を吹聴し、世界の同意を取り付けようと躍起である。8/27にはアーミテージ米国務副長官が来日し、「日米戦略対話」を実行に移すという。狙いは来年早々とも言われる対イラク戦・戦費調達であろう。すでに小泉首相は今年2月のブッシュ大統領との会談で「テロとの戦いで日本は常に米国とともにある」と表明している。イラク攻撃などどこの国も今や支持してはいない。そうした中で日本がこれに加担するような事態は、これこそ「悪の枢軸」として、世界中からの「ジャパン・バッシング」を招くことは間違いない。
 その日本の株価もついに10000円台を割りこみ、乱高下を繰り返してはいるが、大台回復の見込みは立たず、8/14現在、9638円であるが、まだまだ下値をうかがう展開である。
 この株価1万円割れで、再び銀行不安説が騒がれ始めている。大手12行すべてが含み損に転じ、その含み損は総額2兆5000億円近くにも達したという。8/2に金融庁が発表した民間金融機関の不良債権残高は過去最大の52兆円。ここ数年来の不良債権処理によって減少しているはずの不良債権が、なんと前年比9.5兆円もの増大である。事態は、不良債権処理が逆に不良債権を生み出すと言う悪循環を明瞭に浮き彫りにしているのである。この悪循環、それがもたらす貸し渋り・貸しはがしによって、中小・零細事業者をどんどん倒産させ、金融機関が抱える本来の正常債権までもが日に日に不良債権化し、この不良債権予備軍が60兆〜70兆円にも達すると言う。しかし、もはやこれも限界状況に達しつつある。これ以上の不良債権処理はぎりぎりの自己資本比率をさらに引下げるため、完全な手詰まり状況に立ち至っているのである。
 唯一の株価上昇は新紙幣関連銘柄であった。発表と同時に、沖電気は大幅続伸し、その売買高は1銘柄で東証1部の約1割を占めるほどの過熱状況を示したが、翌日には物色意欲も後退、値を下げるだけの展開となり、国際優良株と言われるホンダ、トヨタなどの自動車株まで値を下げ、バブル後の最安値となる9383円(01/9/21)も一気に通り越してしまう展開さえ予想されている。

<<支持率持ち直し>>
 こうした事態にもかかわらず、小泉内閣の支持率が持ち直していると言う。各紙の世論調査で軒並み上昇し、朝日新聞の世論調査では6月に37%だった内閣支持率が、7月に入って47%と10ポイントも上昇したが、その理由のトップは「他に適当な人がいないから」というものである。
 そうしたあきらめムードを作り出した最大の責任は、言うまでもないことではあるが野党にある。会期末ぎりぎりの7/30になって、ようやく民主、自由、共産、社民の野党4党は、小泉内閣になって初めての不信任決議案を提出したのであるが、時期といい争点といい、焦点ボケして政治的インパクトも何もない、単なる国会閉幕のセレモニーにしか扱われず、与党に体よくあしらわれただけ、単なるアリバイ工作の類いにしか過ぎなかったのである。それが防衛庁のリスト問題で、野党がそろって審議拒否をし、政府与党が立ち往生していた当時ならば、与党間の亀裂を誘い、造反者まで予測できたのであったが、その一番重要な政治的時期に、突如、民主党と与党の取引が成立し、国会審議に応じ、他の野党の対応がばらばらに終始し、追及は中途半端、チェック機能も放棄では、見離されるだけであろう。
 一方の小泉首相は、「自民党が改革実現に賛成してくれるのなら、壊す必要はない」「最後は抵抗勢力は協力してくれる」と本音を吐露して前言を省みず、あいもかわらずの中身も実績もない「改革幻想」をばら撒くことに終始し、さらに加えて、今や迷走状態である。竹中経済相とともに米国型資本主義追随にしか自らの存在意義を確認できなかっただけに、小泉首相は米国経済の事態の進行について行くことも、その意味するところも解釈さえできないありさまと言えよう。7/26の「経済財政諮問会議」では「1兆円を上回る減税をできないか」「来年度は国債発行30兆円にもこだわらない」とこれまでとは正反対のことを言い出したかと思うと、「経済財政諮問会議」の報告書から「1兆円減税」の項目を削除させ、ペイオフ解禁見直しも何が本音なのか自分でもわからない支離滅裂、意味不明発言の連発である。首相自身がダッチロール状態にあることの反映でもあろう。ジョン・グレイ氏が前掲論文で「明らかに世界の政治情勢が激変する可能性がある」と指摘しているが、日本のこの状況はそれとは無縁なのか、それともその混迷する前夜の忠実な反映なのであろうか、注視したいところである。(生駒 敬)