アサート 303号(2003年2月15日)

 【意見交換】労働運動の過去・現在・未来を考える懇話会(その2)
<総評時代にもなかった厳しい情勢>
巣張)組合運動についてね、今言われた事はよく分かるんですが、ひとつはね、マスコミその他を通じて国民的要求やいろんなことを組合がやっているということが伝えられていませんね。
 先日大阪総評のOBの会議がありました。今、長期不況、バブルの崩壊、倒産・リストラによる失業者の増大がある、こんな事は総評を長い事やった役員連中でも、こんな不景気な状態は初めての事やというわけですね。その限りにおいてはね、今の諸君というのは大変な中で運動をしているんじゃないかとね。好意的な見方ですね。しかし、向こうは弱いところにかさにかかって来てますね。そういう時だからこそ労働組合が時の権力に立ち向かうという姿勢をもっと示していかないことにはいかんのではないかという意見があるわけですね。
 じゃ、連合がなかったらどうなのか。僕はね、連合がなければ向こうはね、もっともっとえげつない形で攻めてくると思いますね。連合でまとまったからね、何とか発言権がある。
 週刊労働ニュースなんか見ていますとね、失業の解消とか雇用問題とかね社会保障について政府と交渉するとか、資本家団体、関西経営者団体とか経団連とか、彼らと審議会にも参加している。これらは総評時代にはできなかった事です。OBだからあまり言えないんだけれど、連合ができてね、時の権力と渉りあえるようになったにも関わらず、結局ひとつも実現していないわけやね。形式的な交渉というかね、要求は出して交渉してくれるわけだけれど、どこまで獲得できたのかというのがないというのはね、運動の背景の問題なんですね。大衆集会をするとか時には実力行使をするとかね、それをやらないからマスコミの利用もできないのではないか。
 私も現役の頃先輩からよく言われました、労働組合があかんということは企業別組合だからあかんと言われたわけですね。いっぺん解散してね個人加入にしてしまうのはどうかとね。おたくの問題提起はそれとは少し違うけれどね。言われることはわかるけれども、どうすればいいのかということやね。それがなかなか出ないところに問題があるわけやね。

<労組の民主的運営について>
 あと僕からみたらね、日常の単組・地方・中央における労働組合の運営がね、民主的に本当にやられているかどうかという点ね。僕は現役を離れて15年ぐらいになりますからね、ちょっと労働組合の運営の民主化というのがね、昔に比べたら不十分になっていないかと思うのとね、対政府、対経営者団体とかねこれを通じて、相手に対して発言権が強まっているのかどうか、僕らやっている戦後の労働運動の時でもね不況の時は、やっぱり弱かったな、という事なんですね。ストライキとか抵抗はしましたがね、日本でも世界でも景気動向に弱いんですね。弱いけれどね、弱いときは向こうも弱っているんだから、発言権を強めるチャンスでもあるんだとね言ってきましたね。そして、僕らの時代には社会主義の背景がありましたからね、これがなくなったというのも大きく影響もしていますね。
 
 <運動の成果が取り返されている>
 さらに、僕らの時代にはやる事がたくさんありました。日本の労働者の賃金というのは、戦前から言われていたのが植民地の賃金よりまだ低い賃金だとね。戦後の初めの闘争宣言の中にはね、植民地以下の低賃金、インド以下の低賃金を打ち破ろうと言う言葉がありましたね。それが最初のスローガンだったですね。その事は総評を退任する時の挨拶の中で、ふと思い出してお話したことがあります。その後、戦後の初めはその低賃金のさらに3分の1くらいになったんですね。それを賃上げしてきてね、50年代の中頃になるとヨーロッパ並みの賃金をというスローガンになったわけですね。そして、その後名目的に世界一の賃金になったということで、ヨーロッパ並みの生活水準をとなったわけですね。しかし、今それが取り返されているという感じですね。
 そんなことで今非常に難しいけれどね、労働組合がね労働者はもちろんのこと国民の要求を捉えて政府に、自治体に、経営者に対してねぶつけていく、それをどれだけやったかと言う事なんやね。負けてもええけれどこれだけやってくれた、というね、それが今大事なんだと思うわけですね。そういう雰囲気が出てくると、労働組合の組織率の問題から、今提起されたような問題も解決できるような気がするわけですね。
 
<低下し続ける組合組織率>
巣張)労働組合の組織率について、今年の6月調査の結果が12月の末に出されるわけやけれど、おそらく20を切るのではないか、と言う声がある。ある人が18.5ぐらいになるのでは、という程ね低下していると。
佐野)大企業のリストラが大きいからね。
巣張)正月にかけて発表されますからね、20%割っているのは間違いがないと思いますね。最高は昭和24年の53%なんですがね。
依辺)18.5%というのはすごいですね。労働組合が存在しない、みたいなところから出発すべき数字のように思います。やはり労働組合という被雇用者・勤労者の権利擁護・問題解決のための組織はないのが現状だと。
佐野)雇用者数は増えての上での組織率低下なのでは?母数が増えてね。
元田)労働組合の場合には、絶対的な組織者数も減っているわけです。労働力人口のうちの就業者人口は最近は増加傾向なんですが、分母は不況とは言っても余り減っていない。その中身が正規から非常勤、パート等に替わっているとしても。ただ、労働組合の組織率も絶対的な組織者数も減っているわけ。
民守)4.5年くらい前まではね、組織人数もやや増えていたわけ、労働力人口が増えているというのもあって、組織率は低下したわけ。女性の社会進出の増加もありました。しかし、この数年では絶対数も組織人口も減っているんです。
A)今連合が「パートはパートナー」というポスターを作っているんですが、それを産別本部持っていっても、まだまだ抵抗があるようですね。そのステッカーを貼ること自体にね。各産別は取るべきものは結構取っているんですね。プラスアルファを含めてね。ところが外に出さないわけです。常に競争相手がいるということでね。
 議論になるのがNTTの合理化問題ですね。一般論としてはダメだという意見が多いです。だけど、実際に労働組合がなければあそこまで行けたのかということですね。新聞の評価でもそういう評価はないですね。しかし、あの条件を見たときに、今の状況ではよくやったな、という評価になるのではないか。労働組合がなかったらできなかった、と言う評価は必要だと思います。
巣張)出しにくいけれどね、最近、実際に企業内でね本工と非本工の比率が逆転しているところが増えています。ある所へ行くと、非本工が多いためストライキしてもこたえへんというところまでね来ている。それならば余計にそこに目を付けなければあかん。そういう方向に意識が変わっていかないと、特権的な階級になりますよ。
依辺)労働者のある層を組織している組織が自らの構成員の利害を危うくする事を組織課題にできるというのは、難しいのではないでしょうか。先ほどの地域ユニオンの話のように、劣悪で問題の多い条件の層の権利擁護をしようと思えば、裁判闘争のような労働組合ではないルートで取り組むとか、或いは既存の労働組合とは違う形を取って対応するというのは止むを得ないのではないかと思います。
佐野)先ほどの裁判闘争の評価について、否定的な評価に取れたけれど・・
A)10年ぐらいまえにある判決がでました。8割の賃金が妥当だと言う内容で運動側はそれを使ってきたわけやね。それを越えて同一労働同一賃金やないか、という突っ込み方をしたわけ。同じ仕事をしているんだから、賃金も同じにすべきだと。そこを認めてしまうと終身雇用からみんなひっくり返るということで、元に戻して、雇用契約時にあなたはパートとして賃金が5割の契約をしたのだから文句を言うのはおかしい、と。
 司法でやろうという組み立てがユニオンの中にあるんです。それが結果として前に進んでいない、ということを言いたかったわけですが。

<流動化する労働と組織化>
民守)依辺さんの言われている中で、労働者にもいろいろな階層があるということなんだけれど、確かに正規雇用と非正規雇用という単純な分け方に止まらず非正規雇用の中にまた複雑な区分が出てきている。そういう意味ではいろいろな立て方があって良いと思います。私は企業内組合を歴史的に見ても今日的に見ても否定的な立場に立っていないわけですが、どちらかと言えば、やや一辺倒的な運動ではなかったのか。特に連合などのメジャーな労働運動では地域ユニオンなどの運動に否定的な見方をしてきた。
 しかし労働運動の多様化する一形態として地域ユニオンをもっと評価すべきだというのが私の考えなんです。地域ユニオンや管理職ユニオンなどもそうなのですが、基本的には一人が闘っているんです。バックアップはしていますが、フランチャイズ方式みたいなものでね。貴方が闘うのに看板を貸しますよみたいなね。それも含めて多様な運動形態を認めていかないと、組織率が20%を切り、伝統的な企業内組合も厳しい中で、どうなっていくのか。
 全労連も連合も流動化する労働力をどう組織化するかという模索をしている。その観点に立てば、新しい形態としてのユニオンを正面から位置づけ、支援していく必要があるのではないかというのが個人的な意見です。
依辺)先ほど具体化が伴わないとダメだよという指摘を巣張さんからいただいたと思います。実は、組合が多様化への対応ということで、それぞれの層の権利を守ることをやっていますよとアリバイ作りのために言っていても、その組織の中ではきっちり位置づけられていないという実態があるわけですね。だから、一つ一つの層がそれぞれ自立した組織を作っていかないといけないと思います。ただ、問題が二つあって、一つは、しんどい条件にある人たちが自主的に活動をやっていけるとか、組織を運営していくということはありえないわけです。実際問題としてね。昔は地区労の専従の人がシコシコとオルグをしていたわけですね。ところが今は職業活動家みたいな層がないというか、その役割を担う人も生活があるわけだから、その人材をどう確保するのか、生活を支えるコストを誰が調達していくのか、という意味で広い金の集め方というか、分担の仕方をもっと全国的に大きなレベルで考えないといけない。もう一つはそれぞれの層が組織化したら別々の利害を持っているわけですが、どこがで調整しないといけないわけですね。ある程度現実化していこうとした場合には。ところが、日本の場合、政治運動も組合運動も社会運動も一番弱いのは、違うもの、違う意見があっていいのに、それを調整する、意思一致をしていくという文化が弱いわけです。民主党を見ていても調整して一つの固まりにしていくマネジメント能力が全然ないというか、そうした文化が身に付いていくのかというのが気になるところですね。やっていくうちに身に付くということもあるだろうけれど。
 特に「世話をする人」とコストを誰が負担していくのかということが気になります。自力でやれというのも無理な話で、革命運動をやれと言われてするような新たな活動家層が生まれるというのも期待できないしね。新しい仕組みを用意できないと益々組織率は下がる一方になるのではないでしょうか。 

<地域ユニオンの評価に関して>
元田)最近思うんですが、労働運動がどんな役割を果たしており、これからどうなっていくのかと。幾つかの切り口があります。昔みたいに使用者と労働者という単純な割り切りで横断的に単純化されるわけではないとということが出てきています。それから現在の連合についてみても先ほど巣張さんが言われたように、20%切るから役に立たない、相手にせんでいいと言われるわけで、そういう傾向は強くなっています。だけど本当にゼロだという世界を考えた時に、社会的安定を想定できるかどうかと思います。やはり、原始的な初期資本主義のような状態は再現するだろうと。過去の成果の上に今の連合運動は少なくとも歯止めをかけていると思います。企業内組合であれ、現実の力関係はどうであれ、一定の社会的機能を果たしていることは認めるべきだと思います。評価の問題としてね。
 ユニオンの問題では、先ほど出たように、ユニオンというのは理想と現実が違う組織だろうと思います。理想は企業に囚われない横断的な組織ということですね。そう言う意味で果たすべき役割は大きいわけですね。現実には、非常に少数のところも多く結集率と言う意味では厳しい現実がある。組織論の世界からは千人の組織でさえ何人の専従が確保できるのか。 二人持つのがやっとではないか。今のユニオンは数百人あれば大きい方です。そうなるとごく一部の人の活動、ボランティアで別に収入があるという前提の上の活動に支えられている場合が多い。これが、争議を起こして解決金で生活をするということにもつながりやすい。組織存続ために自転車操業をしている場合が多いわけです。地場の組合である泉州労連などは組合員が700名というところまで減少し、役員は市会議員をしてやっと組織を維持している。ここなどは真面目にやられていると思いますが。これが多少過激思想の持ち主であればもともと争議に走りやすいところから、一人の労働者の争議を拡大して解決金を志向する運動になりやすい。大阪のユニオンの歴史はその傾向が強い。その事は率直に見る必要があると思いますね。
 一方で企業内組織は組織のしやすさ、現実に組合を結集できると、それで組織が残っているという現実は評価しなければいけないけれど、昔労働者と言われた層が非常に多様化しているというのはおっしゃるとおりなんです。だから、企業活動の中核にいる社員や、研究者みたいな者は、「弱いから集団で支えてもらう必要」を感じない。組織の必要を感じていませんね。そんな層が増加している。一方で、典型労働・単純労働という部分は、非正規社員として増えており、その部分は流動的な労働力、短時間労働力とすることでコストを下げると。そんな中で労働組合が従来どおり正規社員の包括的な組織で行けるのかというのは突きつけられている問題ではあると思います。
 
<企業内技能は無くなりつつある>
 それと同時にルーチン業務的な企業外の労働が大量になってきている。これは技術革新の結果だと思いますが、結果、企業内技能は一部の高度化したところに限られてきて、企業内労働力を養成しなくても一般的に流通する社外労働力で足りるようになってきている。それが労働力流動化ということなんです
 ここの部分を組織することなしに、個々の待遇の改善と言うのはありえない。しかし、流動力が高いということなどで組織化が難しい。組織するためには「資金」を出す部分が絶対にないといけない、自らやりなさいというだけではダメだということなんですね。そこにナショナルセンターの機能が求められているわけです。
 企業内で労働者の利害対立が生じてきている一方で、労働力の流動化に対応するルールが出来ていない。解雇、賃金未払いなどのトラブルが多いわけ。ただ、全体的な国民のストックがベースにあるので、食べていけない、と言う程でもないために、運動的な盛り上がりは少ない。だから組合の存在が見えなくなっている。けれどほっておけば大変な事になるのは間違いがない。
 例えば、中国でね、労働組合が解禁されたら一編にバランスが変わるはずなんですね。

<ユニオンは成長の過程にある>
依辺)先ほどの話で、ユニオンの中には解決金に頼る構造があるとの話がありましたが、それから脱皮するために、地域ユニオンを支える層を正規のユニオン、例えばナショナルセンターが職員の面倒をみるとか、昔の活動家が関わるとかして、地域ユニオンを面倒見ていくような、あるいは、過去に人材を供給していた革新政党にかわるようなNPOを作って、そこが請けると、そのNPOに所属する人材には生活の心配がなくなるような、そんな受け皿はできないのでしょうか。
民守)ユニオン運動についてね、確かに解決金とか個別救済的になるという傾向の話ですね。例えば解雇撤回闘争となっても最後は職場復帰できないで解決金と言う結果になると。その組合員がずっと組合に残って、労使関係が維持されると言う事になかなかならないわけですね。すぐに辞めていくと。確かにこうした傾向が強いということは私も言いました。しかしね、最近は治まってきていると思っていますが、それが地域ユニオンの限界と決めてかかるのか、歴史的評価とするのは、まだ早いと思っています。決してメジャーになるという事も考えないけれどね。しかし、運動の一形態としての勢力になっているし、発展の可能性も大いにあると思います。
 アメリカの場合ですが、地域ユニオン的な組合はなくて、NPO的な運営ですね。労使協定の関係が、職場の多数を取らないと交渉相手になれないという事情からね。労働組合というよりNPO的な運営がされていると聞いています。そうしたNPO的な運動を検討しているところも現にあるようですね。労働相談から組合に組織するという形でなく、介入していく形態でね。このようにまだまだ状況が動いている中ですから、積極的にこうした動きにコミットしていくことが大切だと思います。(終わり) 

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