アサート No.309(2003年8月23日)

【投稿】 デフレ時代をどう生きるか

 経済の現状をどう考えるか。様々な判断場面において基礎になる問題であろう。公的にも私的にもである。我々の世代の多くは、現在高校や大学に通う子供を抱え、そしておそらくはバブルの前後にローンを組んで住宅を取得し、そして今、賃金が下がり続けるという現実の中にいるだろう。
 また10年に渡って資産価値が続落している現実は、切実な問題でもある。狭いマンションを買い換えようとすると、資産価値の下落、例えば2500万円で買ったマンションが、売るとなれば1000万円がいいところ。まだローンは半分以上残っている。新築マンション価格が下がってきているとは言え、二重にローンを払い続ける場合も出てくる。
 かつて筆者も労働組合の役員として、生活設計に見合う賃金ラインというものを要求した経過もある。もちろん、年功賃金を前提とした上の議論ではある。しかし、まだその頃はバブル崩壊の少し後だったとは言え、将来に対する「まだ何とかなる」との意識があったような気がする。しかし、もはや賃上げすら期待できず、現状維持も困難。所謂生涯設計というものが立てられないのである。
 さらに、小泉構造改革がさらに拍車をかけている。市場原理主義ともいうべき竹中大臣を中心とする「改革」路線と「抵抗勢力」とも言われる「守旧派」の従来型公共事業の拡大路線、いずれにも期待ができないことは明白としても、一体今の経済、そして今後の経済はどうなるのか。最近読んだ経済本の中から印象に残ったものを紹介しながら考えてみたい。
 
○インフレの世紀からデフレの世紀へ
 21世紀そのものが「構造的デフレの世紀」になると主張する論者がいる。水野和夫氏や榊原英資氏である。榊原氏は、元大蔵省財務官も務めた政府中枢に席を占めた経験を持つエコノミストだが、現在は、小泉改革・政権からは距離を置いて論陣を張っておられる。
 3月には「構造的デフレの世紀」6月には「デフレ生活革命」を出版している。
 「構造的デフレの世紀」では、これまでのマクロ経済学がデフレ・インフレの指標に資産価格の動向を組み入れておらず、財・サービスの価格変動と区別された資産価格の1990年以降の引き続く下落こそは、日本が1960年代以降の構造的インフレから構造的デフレの時代に入ったことの証左であり、構造的デフレにどう対応するか、という意味での構造改革の目的の明確化が必要であるのに、小泉構造改革はその戦略が不明確となっていると批判する。
 そして、世界的にも1990年代以降、物価の上昇傾向は鈍化の傾向にあり、日本だけに留まらず世界的なデフレ傾向にあると仮定してもいいと論じる。
 世界的デフレの原因は、第三次産業革命としての技術革新と冷戦後のグローバリゼーションの進行、そして中国・インドなどの低価格・高品質製品の市場への大量投入を挙げている。(著書の後半はマクロ経済学批判を主な内容としている)
 同様に、21世紀は100年デフレとなると論じている論者が、水野和夫氏(三菱証券チーフエコノミスト)である。「100年デフレ--21世紀はバブル多発型物価下落の時代」を著しておられる。米10年国債利回りが急低下しており、1960年代を下回る水準となり、消費者物価もテロ事件以前からマイナスに転じている。バブル崩壊後の米経済は今後せいぜい年平均1%程度の成長となり、株高構造の崩壊以降は貯蓄率の上昇も現れており、消費が頭打ちともなれば、消費需要の低迷は、一層の米物価下落を意味する。日本だけがデフレなのではなく、世界的なデフレが進行していると。
 
○デフレ時代をどう生きるか。
 榊原氏は6月に出版された「デフレ生活革命」において、構造的デフレを前提に、これまで半世紀に渡り、構造的インフレの中で生きてきた我々の常識を転換する必要を具体的に示している。これまで土地資産価格は常に上昇するとする土地神話を前提に、持ち家政策が採られて、勤労者もそれを受け入れローンを組んで住宅を購入するのが「常識」となった。しかし、これはインフレを前提にしているもので、資産価格の下落が続く前提では、負債を増やすこととなる。さらに賃金も下がるとなると益々固定の借金返済は負担増となる。持ち家より賃貸にシフトすべきという。
 すでにバブル時代に住宅を購入し、その後の賃下げ・リストラで負担に耐えられずに自己破産に至る勤労者が急増しているのが現実でもある。
 本書の興味深いのは、単に経済上の発想の転換に留まらず、大量消費・大量廃棄を生んできたインフレ時代の生活の有り様から、モノとカネに縛られない自然と共存する生活・生き方への転換=「生活革命」を実現する、というある意味思想的な提起も含まれている点である。
 残念ながら、年功賃金・定昇・ベースアップはデフレの下ではもはやありえない、という点だけは、そう簡単には行かないよ、というのが私の考えであることは付け加えておきたい。インフレ前提の賃金体系から変更する場合、様々なルール作りが求められるわけで、労働組合のコミットなしには、できない。当然労働組合の側にも参加路線とともに政策提起が問われてくるととなる。
  
○森永卓郎「年収300万円時代を生き抜く経済学」
 この著書も結構売れているようだ。図書館で借りて読んだので今手元にないので詳細な紹介はできないが、賃金低下を前提として、違う生き方を提案していたように記憶している。決して貧しいという生活ではない、豊かな生活の提案というところでしょうか。残業はしないで、家庭を大切にしバカンスもそこそこ楽しむヨーロッパ型の生活をめざしては、というものです。
 両著とも、「賃金低下」を前提とし、「豊かな生活は可能」と説かれる点共通しており、賃下げもやむをえないという状況判断を流布している点、俄かに同意できないところではあります。オランダなどでは年収300万でも立派に「豊かな生活」をされている現実があるとは言え、国民性にすべてを還元することはできないし、社会保障や住宅や物価水準の問題など社会的に解消すべき問題も同時に明らかにすべきでは、とも感じます。
 一方で、家庭や地域生活を犠牲にして仕事に打ち込む、みたいなライフスタイルからの転換を図る動きも決して少なくなく、若い世代や、早期のリタイヤで田舎暮らしみたいな志向も生まれている世相の中では、説得力を感じる方も多いのではと感じました。週間ポストでも大前研一氏が、同趣旨の連載をされているようです。生活スタイルを変えよう、という提案です。
 
○果たして、21世紀はデフレの世紀なのか。
 一方的に紹介をしてきましたが、デフレ論は論壇でも議論の対象となっており、日本は確かにデフレだが、それが世界的なものなのか、長期に渡るのか短期になるのかと。
 榊原氏も、好況・不況とデフレ・インフレは絡みあうとは言え、別の問題として認識すべきだと述べられている。デフレであっても景気が持続することもある。大英帝国の繁栄期はずっとデフレだったとの指摘もされている。
 いずれにしても、高度成長は過去のモノとなり、マスの時代から個性の時代に移り、より個人の判断が重視される時代になってきていること。そして個人の責任が問われるとしても、労働組合や地域のNPO、政治組織・政治参加を通じての改革への参画が必要だということだろう。
 道路公団の民営化を掲げる小泉政権だが、これで高速道路は未来永劫無料にはならないということだし、国土交通省の天下りは絶対に無くならないということだろうから、来るべき総選挙できっちり自己主張をしようと思っていますが。(H)

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