ASSERT 317号(2004年4月24日発行予定)

【投稿】 自衛隊撤退と「自己責任」論
【投稿】 ベトナム戦争から何を学んだか
     --- イラク日本人人質解放におもう---
【報告と討論】  広がりつつある能力・成果主義
     --- どうなる?これからの賃金システム---
【書評】 森信成 『唯物論哲学入門』再刊
【雑感】  by 大木 透
【コラム】ひとりごと 地方の反乱は起こるか--7月参議院選挙--

トップページに戻る

【投稿】 自衛隊撤退と「自己責任」論

<<首相の「卑劣な論理」>>
 まさか小泉首相は、どんなにブッシュ政権が孤立しようとも尻尾を振ってこびへつらってきたことからすれば、パウエル米国務長官からたしなめられるなどとは思いもしなかったであろう。3人の人質について同長官は「よりよい目的のために自ら危険を冒した日本人たちがいたことを私はうれしく思う」と述べ、さらに「日本では、人質になった人は自分の行動に責任を持つべきだという人がいるが」と聞かれて、これに反論し、むしろ「日本の人々は誇りに思うべきだ。もし人質になったとしても、『危険をおかしてしまったあなたがたの過ちだ』などと言うべきではない」と語ったのである(4/15インタビュー)。 「今年に入ってからは既に14回、危険ですからイラクには入らないでくださいと退避勧告を出していた。政府の退避勧告を全ての日本人が真剣に受けとめていただきたい。これに従わないでイラクに入る人がまだいるようですが」と言って、「自己責任」論を何度も強調してきたのは、首相自身である。この自己責任論に冷水が浴びせられたのであるから、さぞかし肝を冷やしたことであろう。
 しかしながら、そもそもイラクが安全だといい続けてきたのは政府であり、首相自身である。自衛隊派兵に際しては、イラクは「戦地」ではないと言い、だからこそ平和的な復興支援事業に派遣するのだと言いつくろい、むしろ危険性を意図的に薄めることに腐心し、事態をごまかしてきたのである。最高度の危険性と避難勧告を認識しているのならば、まずは自衛隊を撤退させることが政府・与党、首相らの「自己責任」である。
しかも首相は、人質事件の一報を知らされた直後もその後も2時間にわたって赤坂プリンスホテルで酒宴に興じ、ホテルを出た後は、事件の対策本部が置かれた首相官邸には顔さえ出さず、仮公邸に直行して帰宅してしまったのである。一夜明けた9日になって、何よりも第一に自衛隊撤退の要求を拒否し、しかも相手側を挑発するかのようにわざわざ「テロリストの卑劣な脅迫に屈してはならない」と言明し、「(拘束が)事実であれば、無事救出に全力を」と発言したが、その後も仮公邸に引きこもり、関係閣僚に「とにかく、情報収集お願いします」の一点張りで、「無責任総理」の面目躍如たる姿をさらけ出した。家族からの「総理にお会いして、自衛隊の早期撤退と息子たちを返してもらうよう、お願いしたい」との訴えにも、「それは外務省が対応することですから」とにべもなくはねつける冷たさと卑劣さである。

<<“いわぬこっちゃない”>>
 読売新聞は、4月13日付の社説で「3人は事件に巻き込まれたのではなく、自ら危険な地域に飛び込み、今回の事件を招いたのである。自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係諸機関などに、大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である」と述べる。同じような論調は、「誤解を恐れずにいえば、“いわぬこっちゃない”とは、本来、人質になった三人の日本人に対していわねばならぬ言葉だ。確かに、国家には国民の生命や財産を保護する責務はある。しかしここでは『自己責任の原則』がとられるべきだ。」(4/10付、産経新聞・産経抄)にも見られる。
 こうした論調に悪乗りして、3人を「恥さらし」となじったり、家族をあざ笑ったり、品性下劣な口汚い被害者叩きが行われ、被害者の一人、高遠菜穂子さんのホームページの掲示板には、様々な誹謗中傷が書き込まれ、閉鎖に追い込まれた、という。
 こうした風潮に力を得たのであろう、公明党の幹事長や自民党の幹事長が「躊躇せず被害者に救出費用の一部請求を行う」べきだと言い出し始めた。あきれた連中である。なんの法的根拠もない「救出費用自己負担」論など、彼らがイラクへの自衛隊派遣によって招き寄せた彼ら自身の責任を放棄した、きわめて悪質、無責任かつ不見識な暴論である。
 20億円以上もかかったというが、政府・与党がやったことは、「3人の命よりも対米関係を優先する」というメッセージを世界中に発信したのと同じことであり、救出を遅らせこそすれ、救出そのものは政府・与党とは別の次元で実現されたものであり、彼らのアメリカ一辺倒の姿勢が事態を悪化させたことは間違いがないことといえよう。事件を招いた第一の責任者は、小泉首相自身である。九日の記者会見で、自衛隊派兵を強行した自らの責任を問われて、「私自身の問題ではない、、国全体の問題だ」と気色ばんで、うろたえたことにそれは象徴されている。

<<ファルージャの虐殺>>
 いまやイラク全土が、米英軍とそれに協力する有志軍の軍事占領支配に怒り、抵抗運動を強め、文字通り全土が戦闘地域になっている。政府・与党が「安全だ」、「非戦闘地域だ」と叫んできたサマワでさえ、陸自宿営地を狙って三発の砲弾が撃ち込まれ、市内でも連日、砲撃事件が発生し、日本を含めた外国軍の撤退を要求するデモが展開されている。すでに現実は、「非戦闘地域なんかどこにもないということであれば、撤退ということもございましょう」(石破防衛庁長官、2/9、参院イラク有事特別委員会)という事態である。首相自身も2/14に行われた党首討論で、「戦闘状況においてたいへん遺憾な状況が起こっているのは事実だ」、「ファルージャの状況は厳しいものがある。(米軍の包囲作戦が)イラク国民の反発を買っている向きもある」と苦渋の表情で認めざるを得ない事態である。
 このようにイラクの現状は、明らかに「戦闘終結」どころかいよいよ激化する戦争状態であることを示している。すでに、駐留米軍司令官は八日、ナジャフ、クートの両都市が米軍の統制下にはないことを認めており、今月四日からたった五日間で、ファルージャの包囲作戦ではイラク人600人以上を無差別に虐殺するという事態を引き起こしている。この問題のファルージャでは、市全体が米軍により完全に包囲され、一般市民が、女性や子供が米狙撃兵によって、撃たれ続け、遠隔制御無人戦闘機で爆撃され、「集団処罰」を受けているという。住民は二つのサッカー競技場を集団墓地にして、次々と死体を葬っている。「一時停戦」の最中にも包囲網をとかずに爆弾を投下し、海兵隊員が間断なく狙撃している。これが「ファルージャの虐殺」であるが、日本のメディアではろくに報道されもしない。米軍はいまや、民衆の解放どころか、民衆を虐殺し、血に飢えた侵略者の本性をあらわにし、民衆からの大規模な反撃をがむしゃらに押さえ込もうとしている。米英軍こそがもっとも凶暴なテロリストなのである。

<<すがる気持ちの方針転換>>
 こうしたイラク情勢の「泥沼化」に、ブッシュ大統領は2/14、「必要なら決定的な軍事力を行使する」として、2個旅団(1万人)から4個旅団規模のさらなる兵士の増派を明らかにした。いまや大義も大量破壊兵器も主張できなくなり、今度は言うに事欠いて、「文明世界」によるイラクの暴徒に対する闘争の一部だと主張した。いくら強がってみても、「戦闘終結」後の増派は、度重なる失敗と誤算を自ら表明したようなものである。
 さらに4/16の米英首脳会談の共同記者会見でのブッシュ発言は、これまで国連を無視し、袖にしてきた米政権としては、一転して、暫定政権づくりに国連の主導的な役割を認めるという、追い詰められた末のすがる気持ちの方針転換であった。この国連案支持の表明も、結局は自らの占領政策の失敗を認めたことでもある。たとえ表面上の妥協、ごまかしではあっても、こうでもしなければ、袋小路から脱出し、イラクはもちろん、全世界で燃えさかる反米感情の緩和も、ますます高くつく財政的軍事的負担の軽減にも、そして何よりも大統領選での反転攻勢にも打って出られないと判断したのであろう。
 だが、一方で強行突破の軍事力行使のために増派している限りは、泥沼化をいっそう促進させるだけであろう。思い切って軍事占領を解かない限りは事態は改善しないといえよう。スペインの新政権は選挙公約通りに撤兵することを明らかにしている。開戦当初の米、英、スペインの一角が崩れ、突出した日本の無批判な追随ぶりがあらためて浮き彫りになっている今日、この意味でも小泉政権のブッシュ追随は百害あって一利なしである。
(生駒 敬)