ASSERT 320号(2004年7月24日発行)

【投稿】 小泉連立政権に不信任を突きつけた参院選
【投稿】 揺れ動く核燃料サイクル政策と福井県
【本の紹介】 山口二郎著 「戦後政治の崩壊
【コラム】 ひとりごと --アサート10年に思う--

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【投稿】 小泉連立政権に不信任を突きつけた参院選

<<首相の屈辱的な敗北>>
 7/11の開票速報に小泉首相は思わず顔をしかめ、その「ひるんだ」表情がテレビ画像を通じて放映された。世論調査がどうあれ、3年間の小泉内閣の実績を問えば、「選挙に強い」わが存在のもとで大勝すると確信していた首相にとっては、思いも寄らぬ結果だったのであろう。何しろ「小泉政権を信任した」と自負したあの総選挙から8カ月しかたっていない。そして数ヶ月前、4月の朝日の世論調査では、6割の人が政権の実績を評価し、内閣支持率は依然として高く、政権が1年以上続くことを期待する人が7割にのぼっていたのである。
 ところがそれからわずか数ヵ月後のこの参院選で、自民党は最低限の目標とした51議席にも届かず、今回の参院選に限って見れば、第1党の座を民主党に奪われ、公明党を加えた与党としても、過半数を取れなかったのである。比例代表では434万票近い差をつけられた。議席数においても、比例区得票数においても、選挙区得票数においても民主党の後塵を拝し、トータルで自民党が民主党に敗北したのは今回が初めてなのである。2001年に大勝した非改選組の存在がなければ、過半数維持どころか退陣に追い込まれかねない屈辱的な敗北であった。この敗北は、マスコミ各紙が言うような「小泉政権にお灸をすえた」とか「自公政権に反省を求めた」といった程度のものではなく、明らかに小泉首相の「即刻退陣」を求めたものであり、小泉内閣に対する紛れもない不信任を付き付けたものだといえよう。その衝撃の深さは、歯切れの悪い「与党で過半数を取れれば」とか、「逆風のなかで、よく安定多数を与えてくれた」、「野党の声にも耳を傾けて、改革を推進しろという声と受け止める」といった言い訳や、腰が引けて疲れが目立つ首相の表情に端的に現れていた。ワンフレーズ宰相の虚構が崩れ、小泉人気も急降下し、与党連合が当てにしてきたその神通力も消え去り、首相にとっては初めての厳しい審判が下され、そのおごり高ぶった鼻がへし折られたのである。

<党派別獲得議席数>
     比例区  選挙区  合計
 民主党 19   31   50
 自民党 15   34   49
 公明党  8    3   11
 共産党  4    0    4
 社民党  2    0    2
  他   0    5    5

<党派別比例区得票数>
 民主党 21,137,458(37.79%)
 自民党 16,797,687(30.03%)
 公明党  8,621,265(15.41%)
 共産党  4,362,574( 7.80%)
 社民党  2,990,665( 5.35%)

<党派別選挙区得票数>
 民主党 21,931,984(39.09%)
 自民党 19,687,954(35.09%)
 公明党  2,161,764( 3.85%)
 共産党  5,520,141( 9.84%)
 社民党    984,338( 1.75%)

<<「小泉内閣は死に体だわな」>>
 この参院選直後の各紙の緊急世論調査でも(7/14)、朝日調査では、政党支持率で民主が29%、自民が27%となり、読売でも「自民党28.7%、民主党30.2%」であり、55年の保守合同以来初めて自民が他党を下回る結果となった。自民の敗北理由では、「(党の)古い体質が変わらないから」が40%と最多で、「政策が不満」も32%を占め、民主の議席増の理由については「自民に問題があるから」が73%で、「政策に期待」(12%)、「岡田代表が信頼できる」(9%)を大きく上回っている。共同通信の世論調査によると、小泉内閣の支持率は、前回5月調査の54・9%から16・0ポイントも下落して38・9%で、小泉首相が01年4月に就任以来、初めて40%を割り込み、逆に不支持率は51・0%で初めて50%を上回った。
 無理やり投票日直前に設定した曽我さん・ジェンキンスさん家族の再会、唐突な社保庁長官への民間人登用、降って沸いたような高速道路料金の値下げ案、等々、なりふりかまわぬ選挙への奇手奇策、そして極め付けが民主党を「ウソツキ」「一貫性がない」と批判した新聞一頁全面の意見広告、これらがすべて裏目に出たのである。有権者は、自ら天に唾する小泉内閣のあがきを見抜いていたともいえよう。
 いまや自民党のドンといわれる青木幹雄参院幹事長は選挙前に「改選議席の51を割ったら、小泉内閣は死に体だわな」と言っていたが、選挙結果が出るとあわてて「死に体にならないよう挙党態勢が必要だ」と言いつくろう始末である。首相自身も、選挙戦序盤では自信満々に「小泉政治の信任を問う選挙だ」と言い、「国民が辞めてくれと言えばすぐに辞める」と叫んでいたにもかかわらず、不信任が明らかな選挙結果に直面するや「世間の意思を問うのは衆院選ですから」と逃げ回り、「私はやはり退陣するわけにはいかない」と居座り宣言である。自民党内は小泉退陣の声が即座にあがらないほどのダメージを受け、代わりの総理総裁候補も選挙結果に押しつぶされ、結局は「死に体内閣」、「死に体政権」へのしがみつき路線である。

<<泣き付き、頼み込み>>
 その軽薄さでは首相と一二を争う自民党の安倍幹事長は、開票速報に青ざめ、さすがに「一番重い責任を取るのは私。その考えは変わらない」、「すぐに臨時国会がある。政局を混乱させない責任がある」として辞意を固め、青木参院幹事長や派の領袖・森前首相には早々に辞意を伝えていたという。ところが彼らに「他の幹部にも波及する」、困った事態になるといさめられ、とりあえずは、9月の大幅内閣改造まで「待て」というわけである。昨年9月、安倍晋三を幹事長に抜擢したのは小泉自身であった。総選挙対策の「サプライズ幹事長」であった。二人は二人三脚で、改憲問題、とりわけ九条改悪問題、多国籍軍派遣問題で突出した発言を行い、選挙戦をリードしたつもりであった。しかしこの浮付いた政治姿勢は逆に作用し、民意から遊離していることを自覚せざるを得ず、選挙戦中盤以降は、閉じた貝になって、苦戦が伝えられる候補者へのてこ入れに奔走、全国を駆け巡ったが、彼らにはもはや求心力さえ失われていたといえよう。「今回は小泉効果どころか、小泉に足を引っ張られた」という自民党幹部の恨み節に典型的である。
 彼らに残された最後の頼みの綱は公明党であった。7/5の自民党情勢分析会議の結果に驚いた青木参院幹事長が、創価学会の秋谷会長とホテルで会い、「51議席を割ると連立が崩壊する」と泣き付き、具体的に10選挙区の名前を挙げて協力を求め、安倍幹事長は冬柴幹事長に頭を下げて、選挙区で学会票をもらう代わりに比例区で公明党に投票することを申し出、「14選挙区での協力をお願いしたい」と頼み込んだのであった。そして実際に自民党は、岡山では選挙区候補の後援会員3万人の名簿を創価学会側に流し、公明・学会側はその名簿を使って、「選挙区は自民、比例区は公明へ」となりふりかまわぬ選挙戦を展開。こうして参院選の選挙区で自民候補に流れた公明・学会票は約400万票といわれるが、これがなければ自民党単独では20議席も取れなかったと分析されている。

<<お寒い選挙協力>>
 しかしここまで票の売り買い・取引をまでした結果、協力が実現したのは青森、山形、群馬、静岡など10選挙区であり、それによって自民が勝てたのは山形、山口、佐賀の三つだけ、その結果は3勝7敗にすぎない。安倍幹事長の実弟が出馬した地元・山口でも実際は苦戦し、すれすれの当選である。そして安倍幹事長自身が上乗せで頼もうとした4選挙区のうち、勝ちに結びついたのは熊本だけであり、秋田、三重、高知は惨敗である。もともと学会票が入るはずであった27の1人選挙区すべてについても、結果は14勝13敗であり、さらに13の2人選挙区では、自民が独占していた群馬、静岡は当然勝ってしかるべき自公協力にもかかわらず独占が崩れ、すべて民主党と分け合う結果になった。その選挙協力の実態は、同床異夢、いかにも場当たり的で、ほころびにつぎを当てる、その場しのぎのお寒い選挙協力でしかなかったといえよう。むしろ有権者は、自公の選挙協力を意図的に拒否していたともいえよう。
 それでも小泉自民党にとっては、このどたばたの公明・学会票がなければ49議席どころか40議席も獲得できなかったであろう。もはや自民党は、学会・公明に死命を制せられ、政党としての体をすらなしえない、金城湯地といわれた地方や農村部でさえ自民党離れをさらに加速させるところまで追い込まれようとしているのである。
 こうした事態に至っても小泉首相は、安倍幹事長と青木参院幹事長を「逆風の中でよくやってくれた」と持ち上げ、責任問題を封印し、たとえ支持率が下がり、有権者が離れていったとしても、公明と連立を組んでいる限りは、政権維持は可能とみているのである。首相は選挙結果を受けて、2大争点だった年金と自衛隊のイラク派遣問題にふれ、世論調査で年金法に7割以上の人が、多国籍軍への参加には約6割が反対していたことを紹介しながら、その争点についてはなんらの反省さえ見せず、「逆風のなかで、よく安定多数を与えてくれた」と虚勢を張り、今になって「51議席は高めの設定だった」、「政権へのダメージはない」と開き直り、その無責任さの象徴となった「人生いろいろ、会社もいろいろ」発言でさえも、「率直に言った。あれでよかった」とまで強弁する厚顔無恥ぶりは、自己保身と政権維持に汲々とする政権末期の象徴でもあろう。

<<宙に浮いた憲法論議>>
 今回の参院選の結果は、首相がいくら虚勢を張り、動じない姿勢を演じようも、小泉連立政権の総路線が根底的に否定されたことは疑いのないことである。とりわけ、首相が意図的に仕掛け、また保守勢力の求心力の中心に据えようとして放った憲法問題におけるタカ派路線は、否定され、行方を失ったものといえよう。それは選挙戦のさなかに首相の掲げた「憲法改正」の旗が、いつのまにか放り投げられたことに象徴的である。ブッシュへの忠義立てのあまり、一方的に独断で自衛隊の多国籍軍参加を決めたやり方を批判したメディアを「反米」の一言で切り捨てた選挙演説も、憲法問題と同様、有権者に見抜かれ、それ以上は言えなくなってしまった。
 ただただ自民党の生き残りのために繰り出され、大義も名分もない、その必要性、必然性、緊急性もない、「憲法改正」論議が宙に浮いてしまったのである。この首相や安倍幹事長の論法に振り回されて「憲法改正」論に同調し、論憲や創憲や、加憲にはせ参じた政党や議員は、自らの姿勢を再検証する必要があろう。今回の選挙結果からそのことを読み取れなければ、民主党にとってもそもそも政権交代などはかない夢でしかないともいえよう。選挙翌日の産経新聞の主張は、あくまでも改憲に固執して、「共産党が惨敗し、自民、民主両党による二大政党化の流れ」を強調してこの事態を歓迎し、「自民、民主が合意案をまとめ、公明党が協力する方式で、改憲問題の決着をはかっていくべきだろう」と促しているが、何の実りも成果もない悪魔の誘いでしかない。
 既存の政党の中では「平和憲法を守る」という立場で首尾一貫した、というよりはそれしか言えなかったのは社民党、共産党だけであった。にもかかわらずというか、それだからこそ議席を激減させ、支持を得られなかった。それは何故なのか、そのことを深刻に受け止めなければ彼らの再生もありえないであろう。ところが沖縄選挙区(改選一議席)では、新人の社大党副委員長・糸数慶子氏が社大、社民、共産、民主、みどりの会議推薦、自由連合支持の野党統一候補として、31万6148票を獲得、22万803票の自民党県連前政調会長・翁長氏=自民公認、公明推薦に9万5345票もの大差をつけて勝利をしている。このことから教訓を引き出すべきではないだろうか。
(生駒 敬)