ASSERT 330号(2005月21日発行)

【投稿】 小泉外交の破綻と孤立化
【書評】 『アーレントとマルクス』
【投稿】 大阪市問題を考える
【コラム】 ひとりごと---生活保護の現場から---
編集後記

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【投稿】 小泉外交の破綻と孤立化

<<わい曲と言い逃れ>>
 日本にとって、戦後60年という節目にいかに対峙するかということが、国際社会からこれほど厳しく問われるということはかつてなかったことであろう。小泉政権は、国連の安保理常任理事国入りを目指しながら、実に軽くこの問題を扱ってきた。国内ではむしろ過去の日本の軍事ファシズムを正当化し、その象徴でさえあった靖国神社参拝を臆面もなく誇示し、検定制度によって中国、朝鮮、アジア諸国侵略の歴史的事実をさえ教科書から抹殺することに誘導しておきながら、その検定制度をたてに日韓共同の研究委員会がまとめたものについては「それは自分の権限ではできない」(小泉首相)とかわす、このような姿勢が日本の外交を完全に孤立化させてしまったのである。
 この5/9に開かれた第二次世界大戦終結六十周年を記念する国連総会の特別会合で、アジアからは中国、韓国、日本の三カ国が演説したのであるが、中国、韓国からは、過去の歴史認識をめぐって、明らかに日本の現在の政治姿勢を前提とした鋭い批判が展開される事態となった。国連総会という場で、しかもアジアの隣国から常任理事国にふさわしくない国として糾弾されるという異常な事態を招いたのである。
 中国の王光亜国連大使は、「戦後六十年たっても、ナチズムと軍国主義の亡霊は消え去らず、極右勢力の信奉者がいまもしきりに過去の犯罪をわい曲し、否定しようとしている」と日本の歴史修正主義の動きを批判し、「歴史をかがみとして、恥ずべきことも知り、それを前向きに変えねばならない。この特別会合では犠牲者を追悼するだけでなく、歴史を記憶し、それに向き合い、教訓を学ぶことが重要だ。そのようにしてこそ、次の世代は戦争の災難から逃れられる」と指摘している。
 韓国の金三勲国連大使は「第二次大戦中に大きな被害をこうむった国の市民として、平和を乱した者が真摯で誠実な償いをする必要があることを強調したい」、「真の償いには、単なる言葉の謝罪だけでは不十分である。真摯な謝罪は行動に移されねばならない。歴史をわい曲しようとすることは、和解という目的を後退させる。過去の過ちについて言い逃れ、残虐行為を犯した者を称賛することは、真の和解を阻害するものである」とあらためて日本政府の無責任な政治姿勢の根本的な転換を促したのである。

<<常任理事国の条件>>
 さらに国連総会の特別会合と同じ5/9、「対独戦勝60周年」式典出席のためモスクワ訪問中の韓国の盧武鉉大統領は、アナン国連事務総長と会談し、国連改革について「アジアを代表して常任理事国になるのであれば、アジアの支持を受けなければならない」と指摘し、常任理事国の条件として「世界平和にどれだけ犠牲を払い、どんな道徳的妥当性を有しているのかを考慮する必要がある」と発言、さらに「(国連負担金など財政的な)寄与金額が多いことがすべてではない」とも述べ、日本の常任理事国入りに事実上反対する姿勢を明確に示したのである。
 そして同じくモスクワを訪れた中国の胡錦涛国家主席と盧武鉉大統領が会談し、両首脳は北東アジアの平和と繁栄のために歴史認識の問題が何よりも重要だという認識で一致したというのである。また両首脳は、北朝鮮の核問題について、6者協議再開のめどが立たない現状を深く憂慮するとし、北朝鮮が協議に復帰するよう外交的努力を強化することで合意したのであるが、同じくモスクワを訪問し、当事者でもある小泉首相はまったく蚊帳の外であった。
 こうした批判に対し、国連総会の特別会合で日本の大島国連大使は、「歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのおわびの気持ちを常に心に刻みつつ、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も、武力によらず平和的に解決するとの立場を堅持していく」とした1995年の村山談話を繰り返した小泉演説を紹介したが、あくまでも村山談話であり、免罪符として利用しただけであり、小泉首相の姿勢とはかけ離れた説得力のない空虚な言い訳にしか過ぎないものであった。

<<免罪符「村山談話」>>
 そもそもこの村山談話、小泉首相が4/22のバンドン会議で引用したものであるが、その同じ日に、小泉内閣の閣僚でもある麻生総務大臣をはじめ、民主党の議員2人も加えた80人の国会議員が勢ぞろいして靖国神社に参拝しているのである。言葉の謝罪の裏で、行動では侵略戦争を賛美する参拝をあえて強行する、まさに小泉内閣の本質をさらけ出したものである。参拝を組織した「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の藤井孝男副会長は、年内の小泉首相の参拝の可能性について「ぜひ参加してほしいし、参拝すると確信している」と語る始末である。
 この「村山談話」、いいように使われた当の村山元首相は、「談話を引用して反省とおわびの姿勢を示すのなら、靖国参拝はただちにやめるべきだ」と指摘しているが、その通りであろう。
 首相は、高まる批判の前に一定の「反省」の言葉をくちにはすれども、あくまでもうやむやな態度で靖国参拝への言及を避け、機会と隙さえあれば参拝を強行する構えである。事実、自民党の中川国会対策委員長は5/8のテレビ番組で、首相の靖国参拝について「今年も行くと思う。時期は慎重に判断するだろう」との見通しを明らかにしている。中国が参拝を批判していることに関しては「しなかったからといって、劇的に日中関係が改善されるものではない」と関係改善をする意欲を初めから放棄しているのである。この同じ番組で自民党の加藤元幹事長が「行かない方がよい」と首相参拝に反対する姿勢を明らかにするとともに、「靖国問題を解決するには、A級戦犯の分祀、新たな慰霊施設の建設、歴史教科書の日中韓3カ国での共同研究しかない」と語っているが、これこそ正論といえよう。
 ところが次期リーダーに擬せられてのぼせ上がっているかに見える安倍幹事長代理は、訪米中の講演で、「次の首相も靖国神社に参拝すべきだ。国民のために戦った方に尊敬の念を表すのはリーダーの責務だ」とまで述べたという。

<<「反日」の「反」>>
 ところが日本の大手マスメディアは、こうした小泉外交の完全な破綻と孤立化についてまともな報道をするどころか、逆に反中国、反韓国ムードをいっせいにあおっているかにさえ見える状況である。「反日デモ」を、その過激さから一方的に断罪し、その抗議行動が提起する小泉政権に対する問題提起を受け止めるのではなく、これを逆に「中国はけしからん」「韓国はけしからん」という嫌中・嫌韓のナショナリズムに利用さえしているといえよう。その結果でもあろう、中国・韓国への旅行ブームは一挙に冷え込み、韓流ブームは冷水を浴びせかけられた状態である。
 全国紙横並びで「中国外相、謝罪せず」の大見出しが踊りはすれども、こうした事態をもたらした小泉政権の政治姿勢、バンドン会議での首相の「謝罪」についてはまったく小さな扱いでしかない。そして、自らの非を棚に上げて、中国、韓国の歴史教科書もけしからん、「反日教育」をしている、調査するべきだと煽り立ててさえいる。町村外相などはこれに力を得て、中国、韓国に申し入れまでしており、それをまたメディアが大きく取り上げるという事態である。野党までこれに乗せられ、小泉政権はのうのうと責任を回避している。
 問題の「反日」の「反」は、日本の文科省が承認した「新しい歴史教科書をつくる会」に対する反対行動であり、首相自身が復活させ、挑発的に誇示してきた「靖国参拝」に対する反対行動であり、これらの根本に横たわる過去の日本の侵略戦争を正当化する歴史認識の問題に対する反対行動という、きわめて具体的なものなのである。ナショナリズムを煽り立てるマスメディアに対するきびしい監視が必要といえよう。
(生駒 敬)