アサート No.342(2006年5月20日)

【書評】 『人間科学の新展開』
(滝内大三・田畑稔編、2005.10.10.発行、ミネルヴァ書房、2400円+税)

 地球的規模の環境問題が意識され、それに応じた新たな知的探究・学問の分野が成立、進展するにつれ、これを探究する人間自身もまた新たな探究の対象となっていくことが、反省的意識として認識されてきた。いわゆる科学(自然科学)の対象とされてきた客体としての人間を超えて、その客体との関係を含み込んだ人間存在そのもののあり方が探究の対象となってきたのである。一方において近代自然科学の成果を踏まえつつ、他方においてその成果自体の意味をも問う視点が議論されるようになったのである。

 「人間科学」はこのような状況の中に姿を現わした。それ故それは現在のところ、まだ模索の域を出ていない部分を含むが、しかし人間の全体像を捉える知の営みとして注目されている。本書はこの一つの試みである。

 本書は、「T シンポジウム『人間科学の新展開』」と「U 人間科学のプロジェクト」の2部から構成されており、前者では人間科学の理論的構築の視点・可能性が探られ、後者では人間科学の諸分野での個別的実証的研究が展開されている。

 第「T」部、「1.人間科学とは何か--その対象・方法・組織・課題をめぐる諸論点」(田畑稔)では、人間科学を「鳥の目」で見て、いくつかのモデルに整理することで人間科学のイメージを示そうとする。それによれば、人間科学は歴史的には、人文諸科学(humanities)、人間学(anthropology)、人間の科学(the science of man)などと用いられてきたが、19世紀以降ではもっぱらthe human sciences という語が使用されている。しかしその内容とするところが多様な上に、「自己認識的な科学」であるので、必ずしも一定していない。そこでこれを6つのモデルで分類することを提案する。すなわち(1)便宜系人間科学モデル(以下「人間科学モデル」を省略)、(2)自然系、(3)還元系、(4)自律系、(! 5)総合系、(6)応用系、の諸モデルである。

 このうち(1)は学部学科名称としてのみ意味を持つものであるので除外されるが、(2)は「自然科学の総合、あるいは自然存在としての人間に関する総合科学」を、(3)は自然科学以外との分業的共存を拒否し、自然科学的方法による人間科学を目指す。これに対して(4)は「自然としての人間」を対象から除外して、「人間を自然から区別させるゆえんのもの」を括ることで自然科学からの自律を主張する。また(5)は人間についての総合的研究として、生物的と文化的、ミクロとマクロ、生成と構造,個人と社会、中心と周縁等々の「総合」を試みる。最後の(6)は「産業的実践や日常生活実践における実用価値(Human Well-being)の実現を目指して、自然科学を含む諸科学を応用する」とされる。

 そして著者は、21世紀の課題への人間科学の挑戦として、上記のそれぞれの人間科学の展開が問われると同時に、「アソシエーション革命」の可能性についての人間科学的な吟味と、(4)との関係で「フーコーの人間科学批判」の視点の参照が要請されているとする。

 「2.人間科学の可能性を探る」(太田裕彦)では、人間科学に含まれている基礎科学(「人間とは何か」を問う)と応用科学(「人間を幸せにする科学」)との区別と連関、個別科学と学際科学の進展から人間科学の可能性が探られる。

 「3.構造構成主義--人間科学の新たな認識論の理論的・実践的射程」(西條剛央)では、複合領域にわたる人間科学にかけられた「呪」--現状の人間科学の組織で生じている基礎と臨床、生物学者と社会学者、方法論的、認識論的な諸対立--を克服する手段としての「人間科学のメタ理論」が提唱される。それは、「哲学的構造構成」と「科学的構造構成」という二つの営為領域とこれら双方にまたがる中核原理としての「関心相関性」による「構造構成主義」の視点とされる。すなわち「自分の関心を対象化することによって、自分が感じ取っている価値や意味を相対的に(より客観的に! )捉える」「関心相関」を通じて、信念対立の解消と科学的知の生産が可能になるとされる。

 第「U」部においては、上述の田畑論文の(6)にあたる人間科学が様々な側面で展開される。それらは大まかには〔身体〕〔いのち〕〔若者〕〔ジェンダー〕〔ヒーロー〕といった項目に分けられているが、それぞれに興味深い内容を持っている。

 例えば〔いのち〕では、「人間らしい生と死を求めて」(平等文博)は、「他者との関わり」と「自らの生と死」の二つの契機を統合する視点で「人間らしさ」を考えることが必要であるとして、「人は死して土に還るのであればその土との関わりにおける生き方を、また人は死して人びとのうちに還るのであればその人びととの関わりにおける生き方を、死という現実と向き合う中で問い返す必要がある」と問いかける。

 〔若者〕では、「荒れる成人式をめぐって--マヤの若者と日本の若者をめぐる比較文化的考察」(桜井三枝子)が、グアテマラの成人への通過儀礼との比較において、日本の戦前〜戦後〜高度成長期において子どもの位置づけが変化し、子どもが「生産財」から「消費財」、管理の対象へと、そして森岡正博のいう「自己家畜化」へと移っていったことが指摘される。

 また「大学生の携帯電話と携帯メールの利用に及ぼす心理的要因の分析」(松田幸弘)は、携帯電話・メールの利用実態を心理的要因、個人的属性、社会・経済的状況等の実証的な調査データをもとに考察を加え、大学生にとって携帯電話・メールがすでにライフスタイルを構成する必須アイテムとしてのコミュニケーションツールであり、孤独感の解消と親密感の形成に加えて、人間関係の維持・強化に重要な役割を果たしていることを解明する。

 そして〔ジェンダー〕項目の「子育てを楽しむ--子育ての現状と展望」(市川緑)、「少女小説に見るウーマンヘイト」(小川直美)、「ドイツと魔女」(大槻裕子)等の諸論考は、いわゆる「近代自然科学」の男性性を突く様々な素材を与える。

 以上見たように、本書は「人間科学」をめぐる諸問題を改めて諸レベルにおいて焙り出してくれるものである。ただ第「T」部での理論的考察と第「U」部の個別的実証的考察との間に必ずしも統一性の取れていない側面=「鳥の目」と「虫の目」の食い違い、関心の焦点が分散している部分が見受けられるのが難と言えば難であるが、このことはかえって「人間科学」の置かれている現状と直面している課題を象徴しているものと解することができよう。より重要なことは、人間の知的な営みの諸アスペクト(哲学知、科学知、技術知、日常知)をその区別と連関を踏まえてより総合的な地平へと導くことであり、「人間科学」の様々な試みは、その一環として評価されるべきであろう。(R)

No.342のTOPへ トップページに戻る