ASSERT 345号 (2006年8月25日発行)

【投稿】 小泉・安倍政治のの破滅的路線
【投稿】 事故経験の継承よりも金がそんなに大事なのか?
     −関電美浜3号配管破断事故から2年−
【本の紹介】「抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか--覆い隠された歴史の真実--」
【投稿】 相次ぐ不祥事に思う--一連の解放同盟をめぐる事件--
【コラム】ひとりごと ---小泉の靖国公式参拝をめぐって---

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【投稿】 小泉・安倍政治のの破滅的路線

<<ヒロシマ「連続出席」のうつろさ>>
 被爆61年の8月6日、ヒロシマ、4万5000人もの人々が参列した広島の平和記念式典。昨年もそうであったが、式典に出席した小泉首相のあいさつの、耐え難いほどの軽さ、そのうつろな響き、今年はそれが一層際立ち、式典参加者の思いとはかけ離れたものであった。ただただ無内容な原稿を急いで読み終え、一刻も早くこの場から立ち去りたい意識が丸見えの、熱意もお得意の感情表現さえもないそのあいさつは、直前の広島市長の平和宣言、子ども代表二人の真剣で熱意のこもった訴えとは、格段の対照を成すものであった。
 秋葉忠利市長は平和宣言で、核廃絶を願う世界の市民の声を「世界政治のリーダーたちは無視し続けている」と痛烈に批判し、日本国政府には、被爆者や市民の代弁者として、核保有国に対して「核兵器廃絶に向けた誠実な交渉義務を果せ」と迫る、世界的運動を展開するよう要請、そのためにも世界に誇るべき平和憲法を遵守し、さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した人間本位の温かい援護策を充実するよう求めます、と訴えている。
 秋葉市長はまた、「平和問題に関する要望」の中で、日本政府に対し、憲法にのっとり、核廃絶に向けた積極的な外交を展開することとともに、「広島・長崎の記憶と声そして祈りを世界、とりわけ米国に伝え、明日の世界のために戦争を未然に防ぐ責任を果たす」ことを求め、同時に、日本政府が「ミサイル防衛」システムの導入を推進していることに言及。「広島としては、この計画が、世界の核兵器体制をより不安定なものとし、宇宙における新たな核軍拡競争を招きかねないことを強く危惧している」と批判している。
 そして伊藤一長長崎市長も、「長崎平和宣言」の中で核兵器廃絶に真摯に取り組もうとしない核保有国を批判し、日本政府に対しては、憲法の平和理念を守り、非核三原則の法制化、被爆者援護の充実を要求している。いずれも当然の要求である。
 ところが小泉首相は、式典への6年「連続出席」の実績を強調すれども、一度としてこうしたヒロシマ・ナガサキの要望や訴えに応えるどころか、それとは逆の好戦的で挑発的な敵対的外交、軍拡と憲法改悪路線を順次エスカレートさせ、レールに乗せてきたのである。首相のあいさつがうつろに響くのは当然でもあり、早く式典から逃げ出したかったのであろう。

<<「公約は守るべき」>>
 そして首相が今年もやはり出席しなかったのが、6日の平和記念式典後、広島市内で開かれた「被爆者代表から要望を聞く会」である。首相が被爆者代表と会うこの場は、30年前に原爆症認定訴訟の判決が直前にあり、国の不認定処分が取り消され、当時の三木首相がこの会に出席し、被爆者代表を前に「控訴しない方針」を表明した。その後、00年の森首相まで計15回、首相が被爆者代表と会見し、被爆者の要望を聞いてきたものである。ところが、小泉首相は就任直後の01年だけ出席したが、その後は欠席。
 折りしもこの8月4日には広島地裁で原爆症を訴える被爆者41人が全員勝訴したばかりであり、首相は当然この場からも逃げ出したかったのであろう。「控訴断念」を期待していた、「最後になぜ小泉さんはこの場に来てくれなかったのか」という被爆者の声は、その後の国側の控訴という、冷酷無慈悲な小泉政権の政治判断にかき消されてしまったのである。被爆者援護という国の公約、「被爆者の実態に即した人間本位の温かい援護策」とはかけ離れた、被爆者にまったく冷たい仕打ちである。
 ところがその一方で首相は、広島の平和記念式典出席後、取り囲まれた記者団に対して、8月15日の靖国参拝について、これまで靖国参拝は私的、個人的な「心の問題」であるとしていたものを、突如、これは公約であり、「公約は守るべき」だと意図的に言い出したのである。
 ところでこの靖国についての公約なるもの、01年4月の自民党総裁選において、遺族会票を獲得して、公式参拝を控えていた対立候補の橋本龍太郎・遺族会会長に勝つために、「8月15日に靖国神社に公式参拝する」との取り引きを行ったに過ぎないものである。この取り引きは、靖国神社問題を自民党の総裁選挙に利用するための、それまで靖国参拝など無縁であった小泉首相の、遺族会票欲しさの政略的取り引きであった。その行動の出発点からして、そもそも「心の問題」どころか、特定集団との取り引きという、政治家としても人間としても「よこしまな」動機にしかすぎないもので、およそ「公約」とは縁遠いものである。取り引きと公約を区別できない、あるいは意図的に混同させる、首相が得意としている薄っぺらで無責任なご都合主義がここでも顔を出している。

<<「無分別の極み」>>
 そして小泉首相は、8月15日、やめる寸前の最後っ屁のようにして、文字通りの靖国神社公式参拝を強行した。これは日本の平和憲法に意図的に背反する違憲行為であり、中国、韓国を始めとするアジア諸国民、国際社会への挑発行為である。任期切れを待たずして、首相失格を自ら宣言したものである。
 しかし、批判されるとメンツをつぶされたかのごとく怒り、中国、韓国から批判されると内政干渉のごとく事態を偽ってナショナリズムを煽り、ムキになって反発し、外交断絶もいとわない、こんな愚かな行為も、マスコミにかかると、筋の通った人気者に仕立てられてしまい、世論操作がまかり通ってしまう。危険な体制翼賛政治への傾斜である。
 そして事実、この挑発行為は、報道ヘリが空を飛び交い、前夜から待機するテレビカメラの放列、数千人にも及ぶ厳重警戒網の中、公用車が空から生中継され、到着するやフラッシュが次から次へとたかれ、メディアは首相の公式参拝を持ち上げ、全面協力するかのように報道する、空疎だが物々しく、行く末が危ぶまれる政治ショーとして展開された。
 8/16付け英フィナンシャル・タイムズは、「日本の犯罪を名誉としアジアでの日本の侵略を無視するこの記念碑・靖国神社を小泉首相がしつこく参拝したことはアジアでの日本のリーダーシップの望みを傷つけ、日本の国連安保理常任理事国への支持を失わせた」と論評している。
 同じく16日付のフランス紙リベラシオンは、小泉首相を、オーストリアの極右政治家ハイダー氏になぞらえ、2人の共通点として「急進的自由主義と過去への愛惜の思いに加え、人類に対する罪を擁護しようという傾向がある」と指摘、「ハイダー氏が権力の座に就き、(ナチス政権下の)ドイツ帝国の犠牲者らを愚弄)する様子を想像してみればいい。小泉首相のしたことはそれに近い」と批判する社説を掲載した。
 また同じ16日付の南ドイツ新聞は、「小泉首相は、靖国神社参拝という反抗的で愚かな行為を最後に国際政治の舞台から去ることになった」とし、今回の参拝で小泉政権の外交は「無分別の極みに達した」とまで批判している。

<<「次の首相もその次の首相も」>>
 さて、このような小泉首相が「反抗的で愚かな行為を最後に国際政治の舞台から去ることになった」ことによって、今後の事態がどのように展開するのか、事態はより悪い方向への警戒を必要としていると言えよう。
 問題は、小泉後の最有力候補とされている安倍官房長官である。安倍氏は、小泉首相の最初の参拝のときは、「ここ数年間、(歴代)首相の参拝ができていない中で、小泉首相が行かれた意義は大きい。大切なのは何年も連続で参拝することだ」(01年8月)として靖国参拝を称賛し、04年4月に小泉首相の靖国参拝に違憲の司法判断が出ても「判断を気にせず今後も参拝してほしい」と司法判断を無視し、05年5月には「次の首相もその次の首相も当然お参りしてほしい」と首相の靖国参拝を自らの基本的政治姿勢としてきた人物である。そして本人自身が自民党幹事長、幹事長代理として八月十五日に連続参拝し、官房長官就任後も、今年四月に参拝しているのである。今回は、情勢が不利と見たのか、「(靖国に)行くか行かないか、あるいは(今年4月に)参拝したかしないかについて申し上げるつもりはない」と卑劣な論法に逃げている。しかし、私人として参拝したと言いながら、「内閣官房長官安倍晋三」と記帳としたという。小泉首相と同じく支離滅裂であるが、首相の取り引き公約とはちがって、より悪質な確信犯である。
 さらにより悪質なのは、安倍氏は「A級戦犯を含めた先の大戦の評価は歴史家の判断に任せたい」、「東京裁判はわが国が主体的に裁いたわけではない。彼ら(A級戦犯)が犯罪人かと言えば、そうではない」などとして、靖国神社へのA級戦犯合祀の妥当性をしきりに強調していることである。小泉首相がA級戦犯を戦争犯罪人と認めているのに対して、安倍氏はこれを否定しており、自民党の加藤紘一・元幹事長も、「安倍さんは基本的に東京裁判を認めないというニュアンスだ。小泉さんより、きつい靖国観だ」(8/15)と語っている通りである。
 そして安倍氏はこのところ「闘う政治家」を気取りだしたのであるが、その中身は要するに反中国、反韓国的姿勢をより鮮明にし、従来からの核武装論をも含めて「先制攻撃」論を公然と掲げ、憲法九条改悪に執念を燃やすところに、小泉「亜流」以上の危険な路線が横たわっているのである。「再チャレンジ」などとオブラートで包んではいるが、これは日本の政治的経済的破滅の路線である。
 ところがこんな人物をマスコミはおだて挙げ、人気者に仕立てているところに日本の危険な状況が位置していると言えよう。
(生駒 敬)