アサート No.350(2007年1月20日)

【書評】 『途上国社会の現在──国家・開発・市民社会』
         
 (松下洌編、2006.2.10.発行、法律文化社、2,500円+税)

 『途上国社会の現在--国家・開発・市民社会』と題された本書は、次の4つのねらいを持っている。すなわち、@「発展途上国の現状を包括的・全体的に描く」こと、A「『国家』、『開発』、『(市民)社会』という基軸となる3つのカテゴリーから成る、相互に連関したトライアッドの枠組みを意識」すること、B途上国の位置については、「グローバル化の影響は決定的」であり、これが国家・経済・社会およびこれらの関係の再構築を強制することに注目すること、そしてC「途上国における新しい市民・民衆の運動や動向にも注目し、それらの積極的意義と可能性」を探ること、である。
 これらのねらいの基本的なところは、「序章 発展途上国の現在と可能性」(松下洌)に手際よくまとめられている。それによれば、グローバル化のさまざまな側面、特にそのイデオロギー的側面に留意しつつ、開発主義国家の経緯と動向を探っていく必要がある。その中で地方分権化と「参加」という世界的な傾向に着目するならば、「国家」に対して「市民社会」、「公共圏」の視点が検討されなければならない。また「市民社会」と「市場」との関係では、「社会的に責任ある資本主義」によるアプローチ(主流派アプローチ)と「資本主義へのオールタナティブ」アプローチ(代替的アプローチ)が、またトライアッドの枠組みでは、コンセンス型「国家-開発-市民社会」関係とシナジー(相乗効果)型のそれとが比較考察される。
 そしてポストコロニアルの途上国社会を3ないし4つの時期に区分し、本書の概観が示される。それは時代の流れで言えば、(1)「独立後の国家建設とナショナリズムの時代」、(2)「開発」の時代--この時期は「開発」の主体や方式、「理念」によって、(2−1)「国家主導の開発主義」と、(2−2)「市場の優位のネオリベラリズム型開発」の2つに区分されるが、「両者を明確に区分するのは必ずしも効果的でない」とされる。そして(3)「ポスト開発主義」の時代(1990年代以降)、である。
 本書では、上の区分の(2)の時期以降を対象としているが、それぞれの時期の大まかな特徴は次の通りである。
 (1)の時期:「国家」中心の議論に有利な条件であったが、「社会の実体はコロニアル社会との継続性が強く」、国民経済や市場は弱い。
 (2−1)の時期:「国家は経済領域に対して主導的、促進的、調整的役割を果たすが、国民や個人の利益は無視される」。(本書では「第T部 国家と開発」にあたる)
 (2−2)の時期:「開発」の進展と「市場」支配、ネオリベラリズムとグローバル化の中で、「『国家--開発』関係に収まらない『国家--社会』関係がダイナミックに展開し始めるが、民主化と民主主義の視点からはきわめて流動的で不安定でもある」。(本書ではおおよそ「第U部 国家と社会」にあたる。)
 (3)の時期:「この時期はネオリベラリズム型グローバリズムの負の側面が認識され問題視され、一部の国際機関は修正ネオリベラリズムに衣替えする。他方、『人間開発』、『社会開発』の流れが強まる。市民社会は民主化・民主主義に向けて各アクターが争う主要な場を提供する」。(本書では「第V部 躍動する市民社会」にあたる。)
 以下ではそれぞれの時期の興味深い論考を紹介しよう。
 (2−1)の時期:「第1章 アジアにおける『国家と企業』---産業政策の変容と『国家』の役割をめぐって」(井手文紀)は、国家(政府)と内外企業との関係の生成、経済開発における国家の役割を東南アジア諸国の事例で検証する。その中で現在、この関係と役割が国内外の大きな流れの中で変化しており、「中立的な産業政策が必要とされる余地は依然充分にあり、そこに各国は生き残りのための活路を見出していかねばならない」とされる。
 「第2章 改革開放時代の中国--『国家』と『市場』の関係」(下野寿子)は、中国の急速な経済成長を可能にしたのは「計画経済から市場経済への転換」であったとし、「改革開放は国家と市場との関係を再構築する試みであったと同時に、近代化・国際化・計画から市場への経済体制移行という3つの側面が同時進行する過程でもあった」と見る。
 (2-2)の時期:「第4章 途上国における軍の役割---フィリピンにおける国軍の政治関与の諸相」(山根健至)と「第5章 民主化時代のインドネシアにおける国家暴力の変容」(本名純)は、途上国における政軍関係について、日本では余り言及されていない視点を提供する。特に権威主義体制から民主化への移行の時期に軍隊がどのような役割を担うかは重要であり、途上国の性格すら決定付ける要因となるという指摘は的確である。
 また「第6章 中東政治におけるイスラーム主義運動の位置--多様化・多極化する方向性」(吉川卓郎)は、イスラーム主義運動の考察から、そこに「両極化」と「多様化」が見られるとし、それが「中東の政治・社会変動の過程において成長した、イスラームという伝統的価値観を近代的に再解釈する運動」であること=「一見すると反近代的で地域横断的なイスラーム主義運動には近代性と地域的特性が見え隠れして」いること、従って「中東諸国の政治領域でイスラーム主義運動が拡大するにつれて、多くは地域特有の事情を背負わざるを得なくなった」ことを指摘する。
 (3)の時期:「第7章 韓国における市民社会と公共圏--デジタル・デモクラシーの射程」(文京洙)は、2004年の大統領訴追事件をテーマに、「周辺フォード主義」下の韓国の民主化の過程で、韓国の民主主義が、「プレ・モダンとポスト・モダンの二重苦にあって」その建て直しの道筋を模索している状況を分析する。
 「第9章 交錯するエスニシティとネイション---中央アメリカの先住民運動を例に」(小澤卓也)では、現代社会における従属的集団(サバルタン)のヘゲモニー集団に対する抵抗・解放運動の新しい可能性を、中央アメリカのサパティスタ解放軍(EZLN)を例として考察する。それによれば、従来の先住民集団の抵抗運動=「国民的」価値観に対して自分たちのエスニックな価値観を対峙させる形態ではなく、EZLNは、「ネイションを否定せず、逆に白人系住民と同じ『メキシコ国民』として先住民の権利を侵害している『非国民的な政府』を非難」する。そしてこのことで、「かれらは『国民』という枠組みを利用しながらも、その『国民』イメージを『国民国家』の中心部分から周縁部分へとずらし、彼ら自身の視点から修正を施し」、「自集団のエスニックなマイノリティ性と市民社会というマジョリティ性を共存させている」のである。この抵抗・解放運動のユニークさは今後注目される価値があると思われる。
 さらにこれらの(1)〜(3)の市民社会の発展の時期を通じて、民主化との関連で、「人権」概念が認識されてきたことも重要である。本書では「第W部 グローバル化と対峙する途上国」において、「第12章 国連の民主化政策及びアフリカの人権」(龍沢邦彦)が「人及び人民の権利に関するアフリカ憲章」(バンジュール憲章)を分析している。そして「第13章 帝国の逆襲---グローバルな世界の南側におけるグローバリゼーション、テロとの戦い、そして人間の安全保障(の欠如)」(ジョルジョ・シャーニー)では、「人間の安全保障概念」について考察がなされている。

 以上のように本書は、発展途上国社会の現在をさまざまな角度から切り取って検討を加えたものであるが、ここで言及できなかったものも含めて、それぞれの論考には興味深い諸問題が提起されている。ただその対象とするところが余りに広範囲であるために、充分把握できているとは言いがたい側面が存在しているのは止むを得ないであろう。しかしグローバリゼーション概念そのものの分析から、これに対する諸方向の検討までを考える上で、本書は貴重な示唆を与えてくれる。将来的にこれに続く多くの諸論考が世に出ることを期待したい。(R)

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