アサート No.350(2007年1月20日)

 【コラム】 ひとりごと--加藤紘一「テロルの真犯人」を読んで

 加藤紘一、1939年生まれ、当選12回(山形第3選挙区)の衆議院議員。彼の実家・事務所は、昨年8月15日、65歳の右翼団体構成員によって放火され全焼。偶然にも散歩に出かけていた97歳の実母は、被害を免れている。
 加藤は、小泉の靖国参拝に異議を唱え続けてきた自民党議員である。右翼は彼に的を絞り、放火という手段で、脅しをかけてきた。放火された日の様子から、この本は書き始められている。事態を悪化させないために、記者会見でも、事実の究明を見守る姿勢を続け、冷静を保ち続けたが、「テロに屈せず、発言を続ける」ことは明言した。
 「私は、この種の事件に対抗するには社会全体が大きな声を挙げるほかはないとかんがえている。卑劣な手段を激しく批判し、たとえ自分と思想信条の違う人間であっても、「狙われた」ものを社会が守ろうという姿勢を示さないと、この種の事件は止むことがない。」
 小泉は、「夏休み」中を理由に10日以上も沈黙を守り、放火テロ事件への批判を避け続けた。加藤は、いつもは靖国参拝を支持している産経新聞が社説において、テロは許されないと批判したことに勇気づけられたと述べている。一方、「放火事件を支持する」と右翼団体が1000名以上を集めて集会を開催しているという。
 加藤は山形市長(後に衆議院議員)を父に持ち、東京大学法学部を卒業後、外務省に入省。中国外交に携わるというコースを選択する。大学時代は、まさに安保闘争の最中に東大に通い、安保デモへの参加に戸惑いを持ちつつ、社会主義中国を外交の対象にする道をえらび外務省入省。外務省入省後、海外研修の後、台湾・香港領事館に勤務。父の死後、後継者として要請されるも、固辞。別の後継候補が落選した後、1972年総選挙に地元山形で立候補し初当選している。
 本書は、題名にもあるように「テロルの真犯人」を突き止めるために書かれたという。生い立ちや大学時代の事、幾人かの自民党政治家の歴史的発言などを検証しつつ、こうしたテロ行為を生み出した「時代の空気」とも言うべき「怒りのナショナリズム」が如何に形成されてきたか、そして対抗する方策は何か、という構成である。
 注目は、第6章「時代の空気」だろうか。加藤は、若者を中心に人気のある小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」を「偏った歴史観」と批判しつつ、靖国神社「遊就館」展示に見られる「欧米によって日本が戦争をせざるをえなかった」など被害者日本という歴史観にも批判を行う(戊辰戦争では官軍のみを、日中戦争・太平洋戦争では日本軍の戦死者だけを祀る姿勢は、闘いの勝者も敗者も祀っている伊勢神宮・出雲大社など、日本古来の神道とかけ離れている事も批判している)。東京裁判についても、「判決は受け入れたが、裁判は受諾していない」「A級戦犯も戦争状態の中で死んだのであり、戦死者である。だから靖国合祀は正当である」との東京裁判否定論者への反論を、政府答弁を引用しつつ、展開するのである。
 小泉に対しても、「挑発する外交」「稚拙な外交」だったとして、対立を誘導することで支持率を維持しようとした政治手法に疑問を投げかけている。「小泉首相の5年半は、(派閥の領袖ですらない中で)、「いかに風を起こすか」に腐心する年月だったといったも過言ではない。道路公団しかり、郵政民営化しかりである。私には、靖国もそのひとつの手立てだったようにみえる。」
 そして終章において、スポーツの世界などに見られる「競うナショナリズム」、排外主義を煽る「闘うナショナリズム」に対して、自国のアイデンティティ、独自の文化・文明を見つめ、それに誇りを持つ「誇りのナショナリズム」こそ「きわめてまっとうなナショナリズム」であると言う。「(小泉のように)闘うナショナリズムをあおり、それを政権の支持浮揚のために利用することは「禁じ手」であり、必ず将来に大きな禍根を残す。決して政治的なツールとして使ってはならない」と。
 「闘うナショナリズム」の蔓延と、テレビでしか政治が語られない日本の現実が、「テロルの真犯人」であり、地域社会の再生・教育の再構築こそ、政治の復権などにより可能であること、コミュニティに対する愛着こそ国を愛することの原点だと結論付けている。
 自民党の中にも、中々気骨のあるリベラリストもいるものだと思った。議員になりたいだけの薄っぺらな連中とは、格が違う。こんな議員が民主党にもっといてほしいとも思うのである。時代への発言として、是非読む価値ありだと思った。(佐野秀夫)

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