ASSERT 360号 (2007年11月17日発行)

【投稿】 「大連立」構想の破綻と小沢代表の辞意撤回
【投稿】 原油高騰と「ピークオイル論」
【書評】 『茶色の朝』
【本の紹介】 『素描・1960年代』

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【投稿】 「大連立」構想の破綻と小沢代表の辞意撤回

<<仕掛けられたワナ>>
 安倍政権が突如、9/12、前代未聞の無責任きわまる政権投げ出しを行って退場し、まだ二か月も経たないうちに今度は、11/4、小沢民主党代表が突如記者会見を開き、二回にわたる党首会談を経て、自民党との大連立を前提とした政策協議について持ち帰り、民主党役員会にはかったところ、それが拒否されたことは「代表として不信任を受けたに等しい」、「多くの議員、党員を指導する代表として、また党首会談で誠実に対応して下さった福田総理に対し、けじめをつける必要があると判断した」と発言し、党代表の辞職願を提出したことを明らかにした。これまた党首の座を投げ出したのである。日本の二大政党の指導者のあきれ果てた未熟さぶりには驚かされるばかりである。安倍氏と対比された小沢氏の「豪腕、らつ腕、こわもて」はこの程度のものでしかなかったこと、いとも簡単に大連立構想に乗せられ、踊らせられ、有権者を裏切る小心者でしかなかったことをぶざまに見せつけたといえよう。
 そもそもこの「大連立」構想なるもの、きわめて謀略的であり、一部マスコミの情報操作、世論誘導が露骨に行われ、意図的に小沢代表に仕掛けられたものといえよう。すでに周知の事実として明らかにされているように、参院選の自民党の敗北直後の八月初めから読売新聞が社説で「大連立」構想を提起し、福田政権登場と共に、渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長が「仲介人」として直接乗り出し、小沢氏の記者会見によれば、10月半ば以降、また連絡があり、「福田総理もぜひそうしたいとの考えだ。ついては、総理の代理の人と会ってくれ」という話があった。私も、むげにお断りできる相手の方ではないので、じゃあ参りますと言って指定の場所に行き、「本当に総理はそんなことを考えているのか」と質問すると、「総理もぜひ連立をしたい、ということだ」。「では、あなたも本気か」とその総理の代理という方に質問したら、「おれも本気だ」という話でした。この総理の「代理人」というのが森元首相であった。つまりは渡辺恒雄氏と森元首相の作り上げた「大連立」シナリオどおりに福田・小沢両党首会談が行われ、合意にこぎつけたと仕掛けた側は見たのである。
 11月4日付読売新聞朝刊は、小沢氏の提案が民主党役員会で拒否されたことを知るや、1面トップの見出しで、「『大連立』小沢氏が提案」、「絶対党内まとめる」と報じ、その記事の中で、「小沢氏は「これで決める。(連立参加で)私が党内をまとめます」と明言。首相が「大丈夫ですか」と問いかけると、小沢氏は「絶対にまとめます」と重ねて強調した。」、「そもそも、10月30日の最初の党首会談を持ちかけたのも小沢氏の側だった。」と、謀略的な暴露記事を掲載したのである。この報道は毎日新聞側にも流された。
 小沢氏は記者会見で、「『小沢首謀説』なるものまでが、社会の公器を自称する新聞、テレビで公然と報道されています。いずれも、全くの事実無根です。事実無根の報道が氾濫していることは、朝日新聞、日経新聞等を除き、ほとんどの報道機関が政府・自民党の情報を垂れ流し、自らその世論操作の一翼を担っているとしか考えられません。」と強く抗議したが、ときすでに遅しであった。

<<乗せられた小沢代表>>
 小沢氏は明らかに乗せられたのである。乗せられるだけの弱点、政治経歴、政治姿勢が付きまとっていたからこそ引っ掛けられたとも言えよう。その一つのきっかけは、先月号でもすでに筆者が指摘したことであるが、月刊誌「世界」(岩波書店)11月号で、「国連の活動に積極的に参加することは、たとえ結果的に武力の行使を含むものであってもむしろ憲法の理念に合致する」とした政治姿勢であった。これなら「大連立」出来ると評価されたのであろう。「世界」12月号では、この小沢論文に石破防衛大臣が現行憲法に反するとして反論するという攻守逆転現象が生じている。もちろんその他にも、防衛疑惑やアメリカ側からのさまざまなリーク説などが流されている。
 しかし、たとえそうであったとしても、問題の基本は、小沢氏が、自らこれまで何度となく強調してきた「総選挙による政権交代」を放棄し、「自民党との大連立」の方向に擦り寄ったことは、公約違反であり、有権者に対する背信行為であったということである。七月の参院選で示された民意は、衆院においても徹底的に自民党を追及、孤立させ、解散総選挙に追い込み、野党連合の結束を強め、自民・公明連合の議席を過半数以下に激減させること、その結果として「政権交代」を勝ち取ること、自民党政治に幕を下ろさせることこそが、民主党の果たすべき役割であり、党代表の最大の責務であった。「政権交代」が公約であって、「大連立参加」は公約ではなかった。有権者は「政権交代」、「生活第一」という公約を支持したのであって、小沢氏個人を支持したのではなかった。それが、総選挙近しといわれる現下の状況の下で、窮地の自民党に手を差し伸べ、大連立構想に乗せられ、もっとも安易な政策協議の道に踏み出そうとしたことは、有権者に対する裏切りであり、その責任は重く、有権者の政治不信と失望が一挙に拡大したことは間違いがないし、その悪影響は計り知れないほど重大であり、深刻でさえある。メディアの策謀だけが先行し、政治不信が拡大され、結果として福田政権がほくそえんでいる構図である。
 民主党の役員会がこの大連立構想を拒否したことは当然のことであり、このような策謀に加担した小沢氏が党代表を辞任することも当然であったといえよう。
 ところが問題は、この大連立構想に乗せられた経過、内容、党首会談の一切合切が、民主党の側からは、今に至っても一切公表も説明さえもなされず、それに対する民主党の態度が一向に明らかになっていないし、むしろあいまいでさえある。

<<「慰留」大合唱>>
 その象徴が、民主党全体を覆いつくしたかのような「小沢さん、やめないで」コール、「慰留」大合唱であった。小沢代表は記者会見で辞意に至った理由を「不徳のいたすことから党に迷惑をかけた。そういう思いが強くて、気力を張りつめていたものが途切れたというか、ぷっつんした。そのため、これ以上、表に立っていれば党に迷惑をかけ、国民に迷惑をかける。けじめをつけなきゃと心がいっぱいになった。」と述べている。民主党はこれをそのまま受け止め、了承すべきであった。「ぷっつん」体質は、本人が吐露しているように気力を張り詰めていればこれからも起こりうる「不徳のいたす」ところである。その意味では危険極まりない。即刻代表選を実施し、速やかに後継者を決定し、負の遺産を最小限で食い止め、再生民主党のスタートを切り開くべきであったし、出来たはずである。200人以上の衆参議員を抱えていれば、これまでの党首とは異なったすぐれた人材もいるはずであるし、発掘すべきであろう。ところが出てきたのは小沢氏にすがりつく「辞めないで」コールであった。鳩山幹事長や菅副代表など民主党幹部のうろたえぶりも、実に情けない姿であった。そして小沢代表自身が、当選回数別の民主党議員の会合で慰留工作が拡大することを期待し、それを待ってから態度を決めるかのような態度を取り、ホテルの一室でその報告を聞くという横柄さである。
 その結果として、小沢氏は「恥をさらすようだがもう一度頑張りたい」と辞意を撤回した。ところが小沢氏はこの11/7の辞意撤回の記者会見で、「私の無精や口べたで誤解があるなら反省し、わかりやすく丁寧にいろんな場面に応じていきたい。」と語りはしたが、党内で議論さえ行わずに大連立構想に加担したことへの反省の弁は、遂に語らずじまいである。政策協議についても、「政治は国民のためにいいことをやるというのが、最終目標。年金でも農業でも、基本的な考えは全く違うが、我々の主張が一つでも実行できるなら、それもひとつの方法ではないか。政策協議をするというのはいいんじゃないか、ということを役員会に諮ったら反対だったので、やめた。」と語っている。こうも態度をコロコロ変え、ゴタゴタとお騒がせを得意芸とするような党首を担いでいては、民主党内はもちろん、他の野党にとってもどこまで信用できるのか疑心暗鬼をかえって拡大し、信頼回復などできようはずがないし、有権者はそれ以上に厳しい目で民主党を評価するであろう。
(生駒 敬)