ASSERT 385号 (2009年12月19日発行)

【投稿】 路線転換に抵抗する大連立策動
【投稿】 「成長なき安定」へどう軟着陸するか
【本の紹介】 『貧者を喰らう国 中国格差社会からの警告
【コラム】ひとりごと---第2のセーフティネット論について---

トップページに戻る

【投稿】 路線転換に抵抗する大連立策動

<<「平和賞」受賞で戦争の合理化>>
 ノーベル平和賞受賞は、オバマ米大統領の苦い現実をさらけ出せてしまった。「平和賞」受賞の場で「戦争の合理化」を強調する受賞者が過去にいたであろうか。
 12/10、オスロで行ったノーベル平和賞受賞演説で、「平和を維持するためには戦争という手段が演じる役割もあるのだ」と述べ、アフガンへの米軍追加増派を引き合いに出して、「米国民が直面している脅威を座視は出来ない。交渉でアル・カーイダを武装解除することは出来ないのだ」として、これを "just war" 、「正義の戦争」だと居直り、「依然としてわれわれは現在、戦争状態にあり、私には、何千というアメリカの青年を遠く離れた地の戦闘に派兵していることに責任がある。彼らの何人かは人を殺し、また何人かは殺されるであろう。」(Still, we are at war, and I'm responsible for the deployment of thousands of young Americans to battle in a distant land. Some will kill, and some will be killed.)と平然と述べたのである。パキスタンを巻き込んだ泥沼の戦争にのめりこむことを公然と宣言し、熾烈な攻撃と犠牲者を前提に、「殺し、殺される」ことを当然視したのである。
 これでは、ホワイトハウスが恒例としてきたノーベル平和賞受賞者の記者会見をキャンセルし、ノルウエイのノーベル委員会とのディナー、テレビインタビュー、平和促進のための子供向けイベント、ノーベル平和センターでの受賞者を称える展覧会への訪問など、その他のすべてのイベントもキャンセルせざるを得なかったのは当然といえよう。「なぜ平和賞の場で、戦争を正当化するのか」という当然な詰問から逃げ出したのである。

<<「両立しがたい難問」>>
 しかしオバマ氏は同時に、この受賞演説の中で「戦争そのものは決して栄誉あるものではないし、我々は決して戦争を栄誉あるものとして吹聴してはならない。とすれば我々は、戦争は時には必要であり、また同時に戦争は一面では人類の愚かさの表現でもあるという、この一見両立しがたい二つの真実を両立させるという難問に直面しているのである。」(But war itself is never glorious, and we must never trumpet it as such. So part of our challenge is reconciling these two seemingly inreconcilable truths -- that war is sometimes necessary, and war at some level is an expression of human folly.)とも述べている。言葉の使い分け、レトリック、ごまかしとはいえ、これが前政権との違いといえば、違いともいえよう。
 しかし、このような両立しがたい現実、難問を認識するのであれば、そもそも「平和賞」受賞を辞退すべきであったのだ。核兵器廃絶への道を現実化させたその段階でこそ、受賞候補になりえたにもかかわらず、先行投資が急がれたのであろう。現実のオバマ氏は、期待されるオバマ氏とは違ったのである。イラク戦争に一貫して反対してきたはずのオバマ氏にとって、アフガン戦争への転戦は自己矛盾であり、戦争の泥沼化に利益を見出す勢力への迎合でしかない。アメリカの世論調査では、オバマ氏のノーベル平和賞受賞について圧倒的多数の人々が「時期尚早」、アフガンへの増派にも反対と答え、支持率はどんどん低下しており、逆に共和党のペイリンやギングリッチが、オバマ演説を米国の理念を擁護した演説だとして激賞しているというのもうなずけよう。戦争政策では、オバマ民主と共和党の大連立が事実上成立したわけである。
 このようなオバマ氏の中途半端で一貫性のない政治姿勢は、金融恐慌から経済恐慌へとアメリカ経済を転落させたウォール街の金融資本とその代弁者をあくまでも救済し、その責任者を重要閣僚や地位にとどまらせ、マネーゲームに対する抜け穴だらけの規制策しか打ち出せず、国民皆保険制度改革でも次から次へと譲歩を重ね、チェンジとは程遠い現実にも現れていえるといえよう。

<<躊躇し混迷する路線転換>>
 その中途半端で一貫性のない政治姿勢は、日米相呼応しているかのように、共鳴しあい、鳩山政権をも迷走状態に落とし込んでいる。
 ブッシュ政権のイラク・アフガン戦争政策を徹底して支持、協力し、それに付き従い、その弱肉強食の自由競争原理主義を金科玉条のように振り回してきた小泉・竹中路線、安部・福田・麻生と続いた自公連立政権、その破綻こそが民主党を中心とする三党連立政権を生み出したのであるが、これまた路線転換に躊躇し、混迷の度を深めている。
 客観的政治・経済情勢は、戦争挑発と侵略と軍事介入、軍事力増強と軍事同盟強化、軍事費拡大の路線から、平和と緊張緩和、軍備縮小と軍事基地の撤去、核軍縮から核廃絶への、相互協力と対話の路線への転換、そして自由競争原理主義と格差拡大、規制緩和と緊縮財政・社会保障費削減、セイフティネット切り捨て路線からの転換をこそ要請しており、それが「国民生活が第一」という民主党の路線に勝利をもたらしたものであった。この外交・内政・経済にわたる二つの路線転換は、密接に結びついており、それはまた時代の要請でもあり、またこの決定的で明確な平和路線、グリーンニューディールや社会的セイフティネットの再建・拡充を目指した積極的経済再建路線への転換なくしては、日米ともに現在の政治的経済的苦境から脱出することは不可能なことがますます明らかとなっている。この路線転換での混迷と躊躇が、危機を深化させているのである。
 その意味では、この路線転換には大いなる可能性と現実性が確固として存在しているのであり、希望を現実化させる根拠が存在しているのである。少々時間がかかり、抵抗もあり、軋みがあったとしても、現在の鳩山連立政権はこの路線転換をこそ達成すべきであるし、それは可能なのである。

<<「人の痛みを自分の問題として」>>
 当然このような路線転換に抵抗する旧支配勢力や自民党、主要メディアは、鳩山政権を脅し、危機感をあおり、その迷走状態に乗じて分裂をまで策すことに懸命である。
 12/13日付け読売新聞社説は、「連立党首会談 首相は小党に振り回されるな」と題して、「3党連立を組んでいるせいで政権運営が混乱し、内政・外交とも危機的状況に陥っている。」として、「鳩山首相が社民党党首の福島消費者相、国民新党代表の亀井金融相と会談し、米海兵隊普天間飛行場移設問題の解決に向け、3党で協議していくことを確認した」こと、そして首相が会談で、「具体的方針が出るのはだいぶ先になる」との見通しを示したことを非難し、「社民党の理解が得られなくても、現行計画で早期決着を図るしか道はないはずだ。社民党が連立離脱をほのめかせば、自民、公明両党に協力を仰ぐ選択肢もありえよう。」と、アメリカ追従外交を要求し、またぞろそれを支える大連立工作を公然と表明しているのである。
 さらに「経済問題では、国民新党が積極財政出動の持論を押し通す場面が目立っている。・・・財政規律を優先して歳出規模を抑えたい菅氏らに対し、亀井氏が歳出の大幅な積み増しを求め、基本政策閣僚委員会を欠席した。このため、緊急経済対策の決定がずれ込む騒ぎになった。来年度予算についても、国民新党は歳出増を求めており、第2次補正予算と同じことが繰り返されれば、鳩山内閣が目指す年内編成が危うくなりかねない。・・・ここまで少数党に振り回されている政権は例がない。3党連立とはいえ、国の最高指導者は鳩山首相だ。首相はそのことを強く自覚し、早急に態勢の立て直しを図る必要がある。もはや八方美人では済まされない。」と、財政規律優先の財務省の緊縮路線、規制緩和と福祉切り捨ての小さな政府路線への復帰を促し、それと相反する連立の解消と旧勢力との大連立を要求しているのである。しかしこのような路線には未来がないし、すでに破綻した路線でしかない。
 鳩山連立政権は、じっくり、しっかりと地歩を固め、具体的で着実な政策転換を現実化し、このような旧路線への復帰を許してはならないといえよう。
(生駒 敬)