アサート No.402(2011年5月28日)

【投稿】 浜岡原発全面停止を歓迎する
                            福井 杉本達也 

1 浜岡原発全面停止は英断
 「東海地震に十分耐えられるよう、防潮堤など中長期的対策が完成するまで浜岡原発は全て止める」5月6日夜、菅首相は会見でこう言い切った。情報は原子力安全・保安院にも原子力安全委員会にも知らせなかった。「浜岡原発を止めるための法律的な根拠もなければ、新たな法律を作りという話もない」(政府関係者)、「中電とは打ち合わせもしていない。パフォーマンスも甚だしい」(官邸スタッフ:朝日:5.7)、「党内調整が不十分だ。そもそも、なぜ浜岡原発だけなのか、理解に苦しむ」(小沢グループ)「唐突な発表だ」、「国民生活に重大な影響を与える話なのでもっと政府内で熟議を重ねるべきではないか。拙速な発表との印象だ」(自民党脇雅史国対委員長:読売:5.7)、東京電力や関西電力の需給にも影響が生じる」(資源エネルギー庁)と経済産業省・官邸・民主党内・野党からの抵抗は凄まじい。首相周辺が一番気にしたのは、どう経産省や電力会社の巻き返しを防ぐかだったと発表前に情報が漏れて原発推進派に抵抗の余地を与えることを警戒したとしている(毎日:5.10)。原発を止めたくない推進派には不意打ちだが、もし、『民主的』手続きに従ってあれこれ議論をすれば、官僚・原子力業界や与野党内の原発推進派に潰されてしまう。浜岡原発の危険性については十分議論されている。だから既に1・2号機を廃炉にすることが決定していた。東日本大震災に匹敵する地震や津波が浜岡原発を襲えば対応は不可能である。中部電力も東海地震への対応による費用と運転停止を天秤にかけたのであろう。菅内閣の浜岡原発全面停止を素直に歓迎する。

2 エネルギー基本政策の転換
 さらに首相は10日に2030年に「総電力に占める原子力発電の割合を50%以上とする政府のエネルギー基本計画について『いったん白紙に戻して議論する必要がある』と表明した。さらに『再生可能な自然エネルギーと、エネルギーを今ほど使わない省エネ社会(構築)にこれまで以上に大きな力を注ぎ、エネルギー政策全体を検討したい』どの考えを示した(毎日:5.11)。脱原発に向け大きく舵を切るということである。さらには、首相は17日の共産党の志位委員長との会談でも「核燃料サイクル」の見直しについても踏み込んだ発言をしている(福井:5.18)。こうした一連の動きも歓迎したい。

3 なぜ、日本は原発を受け入れたのか?
 有馬哲夫著『原発・正力・CIA』(新潮新書)や1994年3月16日に放送されたNHK、「原発導入のシナリオ〜冷戦下の対日原子力戦略〜」は日本への原発導入の歴史に詳しい。1945年の日本の広島・長崎への原爆投下後核兵器を独占してきた米国が、ソ連の核実験による核独占の破綻と平和攻勢・社会主義勢力の台頭により外交の転換を迫られる中で、1953年 12月、アイゼンハワー大統領は「アトムズ・フィア・ピース」(平和のための原子力)演説によって米国の核政策=核兵器の独占・秘密主義を転換し、濃縮ウランを外交カードとして各国をアメリカの勢力下におこうとしたのである。その政策にのっかり、密かに独自核武装への道を選択しようとしたのが、読売新聞社主の正力松太郎であり、新進気鋭の政治家として登場したばかりの中曽根康弘である。したがって、日本の原発はその導入当初から核兵器と切っても切れない関係にあったのである。原発は日本の核所有への欲求を満足させると共に、濃縮ウランを安定的に日本に供給することによって米国の核軍事産業を安定的に維持し、また、日本の原発で核兵器の原料であるプルトニウムを生産し万一の時にアメリカに持ち帰り大量の核兵器を生産できるようにするものであった。その過程で原爆投下で反米感情の強かった当時の日本で「日本のメディアを操作して、再軍備に賛成するものを支援し、共産主義者や反米感情を持つ人々に反感を持つよう世論を導く」心理戦を遂行したのである(上記:有馬)。そこで、「原子力の平和利用」=原発という意識が世論に刷り込まれたのである。しかし、核兵器と原発の技術は同じモノである。核分裂に1.25個のずつの中性子が使われる。核分裂のたびごとに核分裂の数が1.25倍ずつ上昇していくと出力は無限大に上昇し『暴走』し核爆発を起こしてしまう=核兵器。一定の安定した出力発生状態にするには核分裂に使われる中性子数は1個でなければならない=原発(石川迪夫:『原子力の暴走』)。つまり、無限大のエネルギーを人間が制御できる安定した状態に維持しなければならない。今回核暴走ではないが原発の炉心を冷却できないことによって核のエネルギー暴走が起きてしまった。我々は「スリーマイル」・「チェルノブイリ」そして今回の福島でようやく原発が核兵器と同じ、無限大のエネルギーを持つ制御できないしろものであることを再認識させられたのである。

4 子どもに20ミリシーベルトも被曝させるのは戦争状態
 小学校の校庭利用を制限する年間限界放射線量を文科省が20ミリシーベルトとしたことに抗議して、小佐古敏荘内閣官房参与が辞任した。ICRPは一般人が年間に浴びる放射線量を1ミリシーベルトと定めている。今回の基準は原発事故のような緊急事態では1〜20ミリシーベルトの範囲内で考えるとしていることに対応したものであるが、子どもは放射線に対し大人の3〜4倍影響を受けるという。緊急事態とは戦争状態のことである。これからの日本を担う子どもを戦争状態に置いておくとはどういう考えなのか。
 同様の発想は原発冷却のための「決死の作業の正当化」にも見られる。東京電力や関連・協力会社の社員、そして東京消防庁、警察機動隊、自衛隊員が「決死の作業」に当たった。それを多くのマスコミは「50人の勇士」などと称賛した。「国民の生命を守るために」=最大多数の最大幸福の為に少数者を犠牲にしてもよいものか。「決死の作業」を賛美する者の影には核戦争への誘惑が潜んでいる。20ミリシーベルトもある地域へは軍隊を派遣できないとなれば核戦争などできないからである。小学校校庭の年間限度放射線量の考え方にも核戦争の影がかかっている。
 福島県放射線健康リスク管理アドバイザーとなっている長崎大学大学院の山下俊一氏は福島県内での講演で「100ミリシーベルト浴びると、100人、その生涯ずっと調査すると、100人の内1人ガンが起こるかどうかという頻度です。100人が、平均78歳としましょうか、生きて1人ガンが起こるかどうかという、そういう確率論的な問題です。でも、70も80も生きれば1/3はガンで死んどる。33人はガンで死んどるうちの、1人は放射線のせいかわからんという量」(3.21 山下俊一氏)、と述べているが、元々、原爆の被害・放射能の人への影響を確認するために米軍の主導で長崎大や広島大などに講座が作られたのがきっかけである。核戦争をいかに効率的に進めるかのということのために大学に研究講座が設置されたのであるから、核戦争を遂行する上の研究では「安全」と言わざるを得ない。
  「いろいろ考えていくと、現在の原発のもとになっている、原爆技術の平和利用という発想に無理があったのではないかというところに私は行きついてしまうのだ。」(県民福井:5.19)と作家の辻井喬氏は書く。核は無限大(∞)の技術である。無限大は制御できない。我々は戦後米国の軍産複合体とわが国の独自核武装論者、短期的利益のみを追求した経済界・電力資本・政治家・官僚に騙され、たった40年間の電気を発電するために数千年にも亘って開拓し耕してきた貴重な国土を放射能で汚染させてしまった。また、世界の海を汚染させてしまった。物理学者武谷三男らが追究した「民主・自主・公開」という原子力3原則の効果はなかった。いまこそ核技術=原発と決別する時である。 

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