ASSERT 406号 (2011年9月24日発行)

【投稿】 増税・原発再稼動を担う民主・野田政権
【投稿】 核から今すぐ撤退せよ
【投稿】 牙をむく橋下・大阪維新の会
           反ファッショ統一戦線の形成を

【投稿】 大阪府「日の丸・君が代条例」と「橋下主義(ハシズム)」
【投稿】 ロシア脅威論の虚構
【追悼】 横田三郎先生 一周忌に寄せて
【日々雑感】 ある日の親子の会話

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【写真】9月19日 さよなら原発全国集会のパレードから。
 行進しているのは、呼びかけ人の大江健三郎さん、内橋克人さん、落合恵子さんなど。
 
 9月19日 さようなら原発全国集会の詳細は、平和フォーラムHPを参照ください



【投稿】 増税・原発再稼動を担う民主・野田政権

<<「最大限の協力を申し上げたい」>>
 東日本大震災と内外に放射能汚染を拡大し続けている福島第一原発の重大な事故の衝撃によって、菅政権は曲がりなりにも脱原発路線への転換を余儀なくされたが、そのあいまいで弱腰きわまる政治姿勢によって自滅せざるを得なかった。歴史的、あるいは人類的使命がかけられ、なおかつ現実的可能性が今ほど高まっているときはないこの脱原発路線への全面的な転換が、後継・野田政権によってさらに後退させられようとしている事態に対し、厳しく監視することが必要とされていると言えよう。
 野田首相は首相就任後の初会見で、今後の原発については「新たに造るのは現実的に困難。寿命が来たものは更新せず、廃炉にしたい」と述べていたにもかかわらず、9/13の所信表明演説では、「『脱原発』と『推進』という二項対立でとらえるのは不毛」と言い切り、「定期検査後の再稼働を進める」と表明したのである。
 首相就任直後からこの所信表明演説に至るまでの間に、首相は先ず最初に、日本の原発を礼賛してやまず、「再稼働しないと電力不足で工場を海外移転せざるを得なくなる」などと脅し発言を続ける経団連の米倉会長に挨拶に伺い、互いにエールをかわし、米倉氏は浜岡原発稼動中止を契機に一種の断絶状態にあった菅前首相との関係とは打って変わって、野田首相に対しては「最大限の協力を申し上げたい」と応じたのであった。もちろん、「最大限の協力」の対象は、TPP(環太平洋連携協定)推進、法人税減税、消費税の大幅増税、原発の再稼動と輸出促進、そしてこれらを支える大連立等であることは言うまでもない。
 野田氏は、月刊誌『文藝春秋』2011年9月号の「わが政権構想」の中で、「日本の電力不足は日に日に悪化する懸念があります。東日本に加え、関西電力など西日本地域も不足しています。現在稼動している原発は来年四月までには、すべての発電所が定期検査を迎えます。これらの原発が再稼動しない場合、電力の予備率はさらに悪化します。」と、米倉氏と同じ認識をたてにして、「厳しい現実を直視すれば、安全性を徹底的に検証した原発について、当面は再稼動に向けて努力することが最善の策ではないでしょうか。」と述べ、さらには原発輸出についてさえも肯定的な意見を述べている。

<<「潜在的な核抑止力として機能」する原発>>
 そしてこれを後押しするかのように9/7日付・読売新聞は「エネルギー政策 展望なき『脱原発』と決別を」と題する社説を発表した。同社説は、「野田首相は、電力を『経済の血液』と位置づけ、安全が確認された原発を再稼働する方針を示している。唐突に『脱原発依存』を掲げた菅前首相とは一線を画す、現実的な対応は評価できる。」として首相を持ち上げる。しかし、「首相は将来も原発を活用し続けるかどうか、考えを明らかにしていない。この際、前首相の安易な『脱原発』に決別すべきだ。」と述べ、今や国内外問わず圧倒的な多数派に転化しつつある脱原発の世論に、敢えて真正面から棹差し、これに反対の意を表明し、野田首相に対して「脱原発」から明確に「決別」することを迫っているのである。原子力推進派の主張の核心をきわめて意図的かつ政治的に前面に押し出したものである。
 同社説はさらに、「新設断念」は早過ぎる、と題して「野田首相は就任記者会見で、原発新設を『現実的に困難』とし、寿命がきた原子炉は廃炉にすると述べた。これについて鉢呂経済産業相は、報道各社のインタビューで、将来は基本的に「原発ゼロ」になるとの見通しを示した。」「代替電源を確保する展望があるわけではないのに、原発新設の可能性を全否定するかのような見解を示すのは早すぎる。」と警告し、「高性能で安全な原発を今後も新設していく、という選択肢を排除すべきではない。」と忠告する。
 そして最後に同社説のあからさまな本音が吐露される。「日本は原子力の平和利用を通じて核拡散防止条約(NPT)体制の強化に努め、核兵器の材料になり得るプルトニウムの利用が認められている。こうした現状が、外交的には、潜在的な核抑止力として機能していることも事実だ。首相は感情的な「脱原発」ムードに流されず、原子力をめぐる世界情勢を冷静に分析して、エネルギー政策を推進すべきだ。」と結論付ける。
 ここに読売社説は、原発推進の核心となる役割について、「潜在的な核抑止力として機能」する原発、核兵器製造の核心となるプルトニウムを製造する原発、まさにそのような原発を「積極的に評価」する立場をここで鮮明に打ち出したのである。事故があろうが、放射能汚染を撒き散らそうが、そしてたとえ電力が余っていようが、原発推進は核武装と同様の核抑止力として必要なのだという驚くべき主張である。自民党の軍事オタク・石破氏の主張と同一である。読売にとって電力不足は原発推進のお飾り的理由であって、本音はここに集約されている。
 原発推進派でもここまで露骨な主張はできるものではない。それがたとえ本音であったとしても、それは明らかな暴論であり、外交的にも言ってはならないことを公然と吐露してしまったのである。「核の平和利用」は表面上の理由であって、実は日本は核兵器製造を準備万端怠りなく行うために、それが果たす核抑止力のために原発を推進しているという、国際的には許しがたい重大な逸脱行為として糾弾・追及されるべき犯罪的主張である。読売の伝統とはいえ、最大の発行部数を誇る新聞の社説が、守るべき原則を完全に踏み外してしまった、知的常識的抑制さえ効かない程度の新聞に成り下がってしまった、その意味では「画期的」社説である。強まる「脱原発」の流れに不安と焦りを感じた結果であろうが、この本音は見逃すことのできないものである。



<<節電キャンペーンが実証したもの>>
 ともあれ、読売の社説は原発推進・原発再稼動の第一の理由に挙げるのは、表面上は原発停止による電力不足である。同社説は、節電だけでは足りない、として「原発がなくなっても、節電さえすれば生活や産業に大きな影響はない、と考えるのは間違いだ。」と主張する。
 ところが、原発推進勢力にとっては、天気予報ならぬ電気予報や電力予報を駆使したこの夏の節電キャンペーンの結果は、「原発再稼動が絶対に必要」という彼らの意図に反して、実は原発に依存しなくても電力供給は十分に可能であるという現実を見せつけることとなったのである。
 年間で最大発電量を必要とするこの夏、稼動中の原発は11基、日本全国54基の20%にすぎず、少なくともこの時点で43基の原発は廃炉にしても差し支えない、電力不足も十分に乗り越えられるという事態を実際に示して見せたのである。しかも大震災に見舞われた東北電力(全4基)は地震で全基停止、問題の東京電力(全17基)でも地震等で15基停止、稼動しているのは2基、245万kw強のみであった。それでも東電は1,000万kw以上も余力があり、稼働中の東電柏崎・刈羽の2基の原発を停止しても電力供給に不足が生じない事態を実証して見せたのである。そして、中部電力(全3基)、北陸電力(全2基)では稼働中の原発は0であり、稼働中の全国の原発の電力合計は986万kWにしかならず、なおかつ定期検査を迎えて全国でこの年内に5基、来春には残りの全機が停止する予定である。
 なぜそれでは電力供給に不足が生じなかったのであろうか。それは電力独占事業にとって「国策」を理由に自らの懐を痛めずに最も利幅の多いうまみのある原発を24時間稼動させることをベースに、水力・火力発電を調整電力としてしか稼動させてこなかったのが、この非常事態の中で、これまで大半は休ませていた水力・火力を再稼動させれば発電余力は十分にあり、なおかつ原発と違って水力・火力は稼動と停止が容易であり、需要に応じた出力調整が自由自在であることを改めて立証してしまったのである。つまりは、定期検査後の原発の再稼働はすべて不要であり、地域的に不足する事態が予測されても、この間に必要かつ適切な対応をとれば電力供給に不足は生じないのである。もちろんそれと並行的に再生可能エネルギーの促進、他の電力資源の積極的活用を進めるとともに、なによりも独占的事業によって、その豊富な資金提供によって政財界、マスコミ、学会、労組をまで牛耳ってきた電力独占資本を、独占を許さない体制、送電・発電事業の分離と開放をさせることが、電力供給それ自体にとっても重要であることを示している。
 野田新政権が、原発推進・原発再稼動勢力に媚を売り、屈するならば、そして復興再生を台無しにさせるような増税路線を突き進むならば、またもやこの政権も不安定極まりない政権となって漂流する、と言えよう。
(生駒 敬)