ASSERT 409号 (2011年12月24日発行)

【投稿】 あきれ果てた原発事故収束宣言と大阪維新の勝利
【投稿】 日本地図から「福島」の抹殺を図る「原子力帝国主義」
【投稿】 大阪ダブル選挙が示した「民意」の意味
【投稿】 ダブル選挙 維新完勝で変わる政治地図
【投稿】 私の主張(老いの繰り言)
【日々雑感】 日の丸、君が代、バクチ打ち、
        挙句の果ては・・・・?
【訃報】 小野みどりさんが、11月16日に亡くなられました。

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【投稿】 あきれ果てた原発事故収束宣言と大阪維新の勝利

<<「幕引きとはあきれ返る」>>
 野田首相は12/16の記者会見で「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断される」と福島原発事故の「収束」を内外に宣言し、細野原発担当相は「事故収束は極めて難しいと考えていた。なんとか年内の冷温停止状態の達成、そして事故の収束を達成することができたことは、極めて厳しい状況の中で日本が瀬戸際で踏みとどまったという意味で、今日(12/16)は大きな日ではないかと感じている」と胸を張った。東京電力の西沢社長も政府・東電の統合会見で「事故の収束がはかられた」と右へならえの発言である。この日、政府・東電の事態のごまかし、現実を直視しない、不信をいっそう拡大させる無責任きわまる姿勢が頂点に達したともいえよう。
 記者団の質問の矢面にたった細野氏が「工程表は『事故の収束に向けた道筋』となっている。『冷温停止状態』が実現されたから『収束』だ」と無理やりにこじつけたことに対して、記者団から「冷温停止=事故収束」とは書いていない、と詰め寄られると、自らの論理破綻に窮して、「あんまり言葉尻をとらえないほうがいいと思う」と正面から答えることができずに、質疑が続く中、テレビ番組出演のために逃げるように記者会見から退席している。
 12/17付け東京新聞・社説は「事故収束宣言 幕引きとはあきれ返る」と題して、その冒頭から「福島第一原発の『事故収束』を野田佳彦首相が宣言した。放射性物質の放出や汚染水の懸念も残り、絶対安全の保証はどこにもない。廃炉までの長き道のりを考えれば、幕引きとはあきれ返る。『原子炉は冷温停止状態に達し、事故そのものが収束に至った』と述べた野田首相の言葉に誰もが耳を疑ったことだろう。」と断じている。
 同紙が報じているように、原発建屋内ではいまだに高い放射線量が計測され、人が立ち入れない場所もある。さっそく現場作業員から「政府はウソばかり」と批判の声が上がったほどだ。「発電所の事故そのものは収束に至った」はずの肝心の福島第一原発の現場で働く作業員からは、「冷温停止状態」を通り越し「事故収束」にまで踏み込んだ首相発言に、あきれと憤りの入り交じった声が上がり、汚染水の浄化システムを担当してきた作業員は「本当かよ、と思った。収束のわけがない。今は大量の汚染水を生みだしながら、核燃料を冷やしているから温度が保たれているだけ。安定状態とは程遠い」と話し、ベテラン作業員は「収束作業はこれから。今も被ばくと闘いながら作業をしている。また地震が起きたり、冷やせなくなったら終わり。核燃料が取り出せる状況でもない。大量のゴミはどうするのか。状況を軽く見ているとしか思えない」と憤り、別の作業員も「政府はウソばっかりだ。誰が核燃料を取り出しに行くのか。被害は甚大なのに、たいしたことないように言って。本当の状況をなぜ言わないのか」と話している。
 1979年にメルトダウンにいたった米スリーマイル島原発事故では10年超かけて溶融核燃料を回収し、汚染水処理を終えた後に、内外の専門家が「収束」を認めた経緯がからすれば、今回の野田政権の一方的な「発電所の事故そのものは収束に至った」という宣言は、現実と全く乖離したものであり、内外の叡智と努力を結集せずに、まったく自己の政治的都合、原発再稼動、原発輸出継続路線にあわせた、つじつまあわせによって「冷温停止状態・事故収束」を宣言したものに過ぎない。こんなことを平然と宣言できる野田内閣、東電、電力業界、原子力ムラの無責任体質、こうした政権、経産省や文科省、そこに巣食う原子力安全保安院や学会、原子力ムラをこそ「収束」、解体、撤去、廃止させなければならない、と言えよう。

<<「日本政府のプロパガンダ」>>
 そもそも「冷温停止」という言葉は、メルトダウンなどを前提にしていない、通常運転している原発で核燃料を制御できている段階で、定期点検等、原子炉の核分裂反応を制御棒の挿入によって停止させ、原子炉の安定した冷却状態を確保している段階で用いられる用語である。核燃料が溶融してメルトダウンからメルトスルーにまでいたって、核燃料の状態さえまったく把握できない、その具体的な溶融核燃料の形態、位置、状況さえ掌握できない、ましてや制御などまったく不可能な段階で、おこごましくも「冷温停止」などといえる代物ではない。東京電力に30年余り勤めた蓮池透氏が指摘するように、「冷温停止は、正常な原発に使う言葉。事故を起こした原発に冷温停止という概念はない」のである。ましてや、2号機では11月に放射性キセノンが検出され、臨界が疑われる事態であり、1号機から4号機までいずれも炉心、燃料、燃料プール、冷却系配管、汚染水処理、すべてが不安定極まりない、原子炉建屋内にはいまだに作業員が近づけない、当然、原子炉内部の状態を正確に把握できない、放射性物質の外部への飛散は続き、コントロール自体が不可能な事態に直面し続けている。手前勝手な、都合のいい解釈で、「冷温停止」ではなく、ただ水を注ぎ込み、冷却しているにすぎない現段階を「冷温停止状態」などと用語のすり替えでごまかして済ませられる問題ではない。
 しかも、「事故収束」宣言翌日の12/17には、この「事故収束」をあざ笑うかのような、1号機原子炉建屋にある使用済み燃料プールの代替冷却装置から、2次系冷却水約100リットルの水漏れ事故を発表している。そしてその直前の12/4には、高濃度汚染水の処理システムのうち、淡水化するための蒸発濃縮装置の建屋内で約45トンの水漏れが見つかったと発表しており、漏れた水は、海水に放出できる基準の約百万倍という高濃度のストロンチウムを含むとみられる、犯罪的な水準でさえあり、海洋への放射能の流出はむしろ拡大しているのである。
 このような冷温停止宣言について、ニューヨークタイムズは、「現実を無視した宣言であり、原子炉の安全性への脅威から目をそらせることがねらいだ」、「安定状態だという日本政府の発表を多くの専門家は疑っており、世論の怒りをなだめるために勝利宣言をしたのではないかと懸念している」と伝え、米CNNテレビは「日本政府は大きな出来事としようとしているが、現実は違う」「(原発の安全性に関する状況は)6月時点と基本的に変わっていない」との専門家の見方を紹介、ドイツの公共放送ZDFは、「危機が存在しないというような言い方は誤り」、「冷温停止の発表は日本政府のプロパガンダだ」など専門家の見方を紹介、シュピーゲルも「東京電力には良いことだが住民にとっては意味がない」と報じる事態である。韓国聯合ニュースでも「事故の収拾作業が峠を越えたと国内外に示そうとする意図」であり、「一部の専門家は『性急だ』と批判している」と報じ、中国国営の新華社通信も、「損傷した原子炉内の温度を正確に測定することはできず、原子炉がどれほど安定した状態にある かを断定することはできない」としたうえで、「世界の人々に間違った印象を与えるおそれがあり、日本政府はステップ2を年内に達成するということに固執しすぎるべきではない」と報じている。
 小出裕章京都大原子炉実験所助教(原子核工学)は、12/17付け夕刊紙フジで「なんてあきれた人たちなんだ」とし、「炉心が溶け落ちて圧力容器の底を抜いて出ていき、どこにいったか分からない。誰もその状態を見に行けないし、測定器すらない。そんな状態で冷温停止もへったくれもない。溶けた炉心が地下水と混ざれば、どこまで拡散するか分からない。せめて炉心と地下水が接触しないような防護壁を作るなどしてから宣言すべきだ」と語っている。

<<枝野「福島のような事故が発生し得る」>>
 さらに今後の原発再稼動を狙う野田政権の、看過し得ない、許しがたい、危険極まりない路線が、枝野経産相によって吐露されている。それは、12/6の衆議院震災復興特別委員会で社民党の服部良一議員の質問に対する答弁で示されたものである。
 服部議員が、原発の再稼働について、原発安全神話が崩壊した以上、福島のような原発事故が再び起こり得るとの前提の下で再稼働を認めるのかと質問したことに対して、枝野経産相は、「福島第一原発のような原子力事故を二度と発生させてはならないが、人間のやることに”100%”はありえない。原発再稼働に際しては、福島のような事故が発生し得るとの前提の下で進める。事故が起きてはまずいが、もし事故が起きた場合でも、周辺の住民の方が安心して暮らしてゆけるように、損害賠償のあり方について、心配のないような体制を整備しておくことが重要で、そのために支援機構などを発足させ、従来の原賠法を抜本的に見直すこととした。」と答弁したのである。
 なんと驚くべきことに「原発再稼働に際しては、福島のような事故が発生し得る」ことを請け合っているのである。「原発再稼働に際しては、福島のような事故」をそもそも二度と発生させてはならないのである。これは人災であり、人類的犯罪なのである。損害賠償のあり方以前の問題なのである。「人間のやることに”100%”はありえない」からこそ、脱原発を明確にし、原発再稼動をそもそも認めるべきではないのである。
 ところが枝野氏は、「福島のような事故が発生し得るとの前提」をなんのてらいもなく当然視し、「原発事故が仮に発生しても、損害賠償のスキームがしっかりと確立されていれば、周辺の住民は安心して暮らしてゆける」と請け合う。とんでもない暴論である。これほどの原発事故被災者の存在を無視した酷薄で冷酷、無慈悲で衝撃的な発言は過去に例を見ないのではないだろうか。いったん原発事故が起きてしまえば、今回のように、たとえ「損害賠償のスキームがしっかりと確立」されていようと、放射性物質は国内外に広く拡散・放出され、その被害は底知れず深く、広く、長く続き、「周辺の住民は安心して暮らして」ゆけないのである。「損害賠償のスキーム」と放射能汚染は何の関係もない。第一、周辺の住民を二度とわが故郷に帰れない事態に追い込むのである。こんな基本的で根本的な原発災害の現実を直視することも、感覚として受け止めることもできないような人物は、完全に政治家として失格しているといえよう。枝野氏は辞職すべきであろう。こんな暴論を吐ける人物が政権の中枢に居座り、しかも原発再稼動の路線を左右している、許しがたい事態と言えよう。このような暴論を見過ごしている国会も、大手メディアもいったいどこに目をつけているのであろうか。野田内閣、民主党政権の実態が、ある意味ではこの枝野発言に浮き彫りにされているともいえよう。いまや、政権交代に託した庶民の期待とまったく相反する事態が進行しているのである。

<<幸福度最下位の大阪府>>
 二年前の政権交代選挙の結果が、民主党の度重なる公約の背反と、裏切りとも言える路線転換によって、かくも情けない事態を生み出してしまった。こうした事態をもたらした根本的背景には、「国民生活が第一」という民主党がマニフェストで掲げた路線と相反する路線、すなわち、市場経済万能・効率重視の、グローバル経済の名の下に強欲資本主義が主導する新自由主義・市場競争原理主義・規制緩和路線が、いまだに根強く民主党政権を支配し、その路線が今や民主党を牛耳り、動かしていることにあるといえよう。
 そのもう一つの象徴が、今回の大阪府知事・大阪市長ダブル選挙の結果にも現れているといえよう。
 10月に発表された「47都道府県幸福度ランキング」(坂本光司・法政大学教授、発表)によれば、幸福度最下位は大阪府であった(詳細は「エコノミスト」2011/12/13号に掲載されている)。ランキング上位に共通しているのは、労働・企業部門の充実、雇用の安定が生活、治安、社会福祉へと好循環をもたらしているが、ランキング最下位の大阪府は、働きやすさを測る「労働・企業部門」が46位、住みやすさを測る「生活・家族部門」が44位、他の「安全・安心部門」、「医療・健康部門」も30位台とすべての部門が悪い。特に完全失業率=46位、正社員比率=45位、障害者の就業支援施設の平均工賃月額=47位と、「労働・企業部門」の指標が悪く、生活保護=47位、悩み・ストレス=46位と「生活・家族部門」や「安全・安心部門」へ連鎖的に悪影響が出ている。それ以外にも刑法犯認知数=47位、老衰死亡者数=46位、保育所定員=44位と改善が必要な指標が実に多いのである。
 橋下氏は、大阪維新の会は、まさに大阪の庶民のこの幸福度最下位の現実から出発し、「弱者の心理」に巧みに付け入り、既成政党を罵倒し、雇用の安定を享受している公務員を罵倒し、既得権益の象徴としての市役所の解体を叫び、それをもって「社会を変える」と息巻いて、貧困と格差、非正規就業、低賃金にあえぐ庶民の「とにかく早く社会を変えてほしい」という声を悪誘導して票をかっさらったといえよう。
 橋下氏の政策そのものは、新自由主義路線であり、弱肉強食・効率重視・市場原理主義そのものであり、セーフティネットを解体し、公的社会資本を民営化し、マネーゲームをもてあそぶカジノ誘致路線であるが、選挙活動は「既存秩序の破壊」にすべての重点を置いたのであった。平松氏陣営は、前回得票よりも票を伸ばし、よく健闘したと評価できるが、こうしたファシズム的悪煽動の前には、時代的状況の前にそれを上回る対抗状況を作り出すには至らなかったといえよう。つまり橋下氏に票を集中させた庶民は、よりいっそう弱者を増大させ、格差をさらに拡大させる、自らの首を締め付ける路線に手を貸してしまったのである。いずれ化けの皮がはがれざるを得ないが、全体の政治状況が混迷している中では、よりいっそうの危険な路線展開も警戒しなければならないであろう。
 こうした時代状況を跳ね返し、ファシスト的政治手法を許さない、幸福度最下位をもたらすような路線との明確な路線対決を形成し、それにもとづいた広範な庶民を結集した粘り強い、創意ある闘いこそが要請されているといえよう。
(生駒 敬)