アサート No.419(2012年10月27日)

【投稿】 原発事故で誰も責任をとらないなら「日本に明日はない」
                           福井 杉本達也 

1 「自分のケツ、拭けてるか?」
 「僕は中小企業の経営者が、いちばんまじめに生きてるんじゃないかと思う。大企業や国家が今いちばんヤバいのは、自分でケツを拭いていないってところ。今回の原発関係者全員、誰もケツ拭かない。みんなで渡ってるからケツ拭かない。犯人がいないから。これ、官僚がそういう仕組みを作ったのかもしれないけど、ケツを拭かない国家に明日があると思いますか?」(矢沢永吉:『Rolling Stone Japan Edition』8月号巻頭インタヴュー)。 福島原発事故から1年半が経過したが、いまだ16万人が避難し、国際赤十字「世界災害報告書2012」からは「科学技術の事故によって(住民が)移住させられた。人道の危機だ」(朝日:2012.10.16)と発展途上国の独裁国家並みの「強制移住」を非難されているにもかかわらず、誰も事故の責任をとって辞任した者も、逮捕された者も、首になった者も、降格された者もいない。日本の官僚機構は明治以来の「絶対・無謬」の「国家観念」の中で安穏としている。官僚の政策決定は「絶対・無謬」であるとするから誰も責任をとらないのである。記者会見で「大幅な原子力抑制は大規模な停電を意味する」(WSJ:2011.3.23)と国民を恫喝したスポークスマンの旧原子力安全・保安院の西山審議官は後にスキャンダルで更迭させられるが、環境省の除染推進チーム次長として“復活”している。

2 何があっても原発建設を継続
 10月からJパワーの青森・大間原発の工事が再開された。9月15日に枝野経産相が「建設途上のものは(「原発ゼロ」)原則の外側にある」としてすでに着工した原発は建設継続を容認する考えを示したからである。一旦許可したものは何があって止めないという官僚内閣制の典型である。旧自治省出身の西川福井県知事の「ぶれるな」発言も同様の精神構造から出てくる。日本国憲法では国会は国権の最高機関となっているが、実態は国会が選任した内閣が変わっても、省庁は個別施策について政策の「継続性」を強調する(松下圭一:『政治・行政の考え方』1998.4.20)。官僚内閣制で省庁間の個別政策を調整し政治決定を集約するものとして法的には存在しない非合法の「次官会議」があった。国会答弁も「政府委員」としての官僚が行い、内閣・国会は官僚の筋書きで動いていた。2009年の政権交代で鳩山内閣は一旦「次官会議」を廃止したが、その後、菅内閣で東日本大震災への対応として「被災者支援各府省連絡会議」が設置され事実上の「次官会議」を復活させてしまった。これでは、官僚の犯罪に踏み込める訳がなく、責任追及はうやむやになるだけである(松下:『成熟と洗練』2012.8.27)。

3 原発直下の活断層を見逃した官僚の無責任
 最近になって大間原発で活断層が発見されたと報道されているが、実は着工前から活断層があるのではと指摘されていた。2008年6月に開催された原子力安全委員会でも中田高広島工業大学教授(変動地形学)は原発付近に「海岸段丘」など海底活断層を疑わせる地形があると指摘していた。これに対し旧保安院・Jパワーは海の水準が昔より下がっただけだと黙殺した(福井:2008.7.5)。渡辺満久東洋大教授(変動地形学)から、今回新たに津軽海峡にある40キロの活断層が連動して動くと指摘された原発敷地内の活断層も発見された(福井:2012.10.4)。さらには、産総研・東海大からも原発東側の平舘海峡でも14キロの撓曲(とうきょく)=活断層(未知の部分がさらに北=原発東海岸付近へ伸びると推定される)があると指摘された(福井:2012.10.14)。これらの活断層が動くとすればマグニチュード7クラスの地震を引き起こすとされ、マグニチュード6.8の耐震基準で設計された大間原発は当然見直さなければならない。0.2違えば10倍違うからである。
 活断層については、大間原発以外にも、志賀原発・敦賀原発・大飯原発などで敷地内に活断層が走っていることが確認されている。六ヶ所再処理工場敷地でも撓曲が確認されている。志賀原発では1987〜88年に1号機原子炉建屋直下を横切るS-1断層をトレンチ調査したにもかかわらず、旧通産省や原子力安全委員会が見逃した疑いが浮上している。当時の安全委員会の専門家(?)はトレンチ調査を見た記憶もないと回答している(福井:2012.7.30)。渡辺教授は国や事業者は基本的に活断層と認めない。認めざるを得ない場合は短くとらえて評価を値切ってきたと指摘する(福井:2011.7.14)。いわゆる「活断層カッター」といわれる旧通産省出身の衣笠善博氏(東工大)らの存在である(広瀬隆)。全く無責任極まりない状態である。原発訴訟画期的だった2003年1月27日のもんじゅ原発訴訟差戻第二審名古屋高裁金沢支部(川崎和夫裁判長)判決文を今改めて読むと「原子力安全委員会は,本件申請者のした解析に不備や誤りがあるとしてその補正を求めたことは一度もないことが認められる。科学技術庁が安全審査をした結果をまとめた安全審査書案を見ても,本件許可申請書の記載をそのまま書き写したか,又は要約したものに過ぎない。これでは,本件安全審査が本件申請者の主張にとらわれない独自の調査審議を尽くしたと認めるには多大な疑念を抱かざるを得ない。…誠に無責任であり,ほとんど審査の放棄といっても過言ではない。」と鋭く指摘している。にもかかわらず、官僚が責任を問われず「ニゲキレル」のは、官僚は担当行政について、のちのちに個人責任が問われないよう、短期間でのはげしい「配転」があるからであり、さらには「海外派遣」つまり海外逃亡すらお膳立てされている。責任官僚は責任行政のポストから、いわば「消えて」しまうからである(松下:『成熟と洗練』)。さらに官僚は職務権限のはっきりしたときのみの収賄をのぞき、国家行政組織法、国家公務員法などの不備もあって、個別行政決定権については個人行政責任の追及ができないというかたちで、国法を超えた位置にあり、「国家」の名において責任をのがれるシクミとなっているのである(松下:『政治・行政の考え方』)。

4 被爆隠しなど国の犯罪の下請け機関と化す自治体
 国の官僚が責任を持たない以上にさらに地方自治体の官僚は国に追従して輪をかけて無責任である。その典型が福島県である。「東京電力福島第1原発事故を受けた福島県の県民健康管理調査について専門家が意見を交わす検討委員会で、事前に見解をすり合わせる「秘密会」の存在が明らかになった。昨年5月の検討委発足に伴い約1年半にわたり開かれた秘密会は、別会場で開いて配布資料は回収し、出席者に県が口止めするほど「保秘」を徹底。県の担当者は調査結果が事前にマスコミに漏れるのを防ぐことも目的の一つだと認めた。」(毎日:10.3)
 さらには議事シナリオには県が4月20日に福島第一原発事故直後にSPEEDIのデータを受け取りながら、県民に公開せず、削除していたことについて調査結果を発表したが、それに関し「SPEEDI再現データ(3月15日の課題)の質疑に終始しない。(SPEEDIの話題のみが着目される可能性あり、そうならないよう願います。また、そうなった場合は、『線量評価委員会』で検討とそらして下さい。)[○○先生と要調整]」などと記載されていた。」(毎日:10.5)というのであるからなにをか言わんやである。国会事故調の聴取で双葉町長はSPEEDIの非公表問題で、「知らされていれば違った方向にかじを切った。政府の罪の深さは計り知れない」(福井:2012.1.31)と答えているが、国と並んで、SPEEDIデータを消し去った福島県の犯罪も同罪である。
 福島県は事故直後から山下俊一氏を放射線健康リスク管理アドバイザーとして任命し計画的避難区域に指定される前の4月1日に飯舘村では「マスクを着けて外出しなくても大丈夫だ、放射線は心配することはない」と講演している。しかし、その直前の3月31日にIAEAは飯舘村が避難基準の2倍以上の汚染地域であると指摘していた。
 2000年の地方分権改革で「官治型下降論理」つまり「統治原理」にもとづく「機関委任事務」は廃止され、名実共に基礎自治体として自立するべきものであった(松下)。しかし、その無知と思考停止状態から放射能隠しの犯罪も含め相も変わらず「自治事務」や「法定受託事務」の発想はなく従来通りの「機関委任事務」の発想のまま、国の下請け【機関】と化している。特に酷いのは、佐藤雄平福島県知事の他、放射能汚染の事実を隠そうと画策する村井宮城県知事であり、子供の健康調査は必要なしとする橋本茨城県知事、新幹線と引き換えに大飯再稼働を認めた福井県知事であり、玄海原発再稼働を画策した佐賀県知事、六ヶ所村の権益擁護に汲々する青森県知事らである。
 発展途上国型の「進歩と発展」への幻想は終わった(松下)。我々は米国に従属する腐りきった官僚体制を変革できるのか、日本に明日はあるのか、今岐路にたっている。

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