アサート No.471(2017年2月25日)

【書評】 『入門 被差別部落の歴史』
  
(寺木伸明・黒川みどり著、発行、解放出版社、2016年5月、2,200円+税) 

 「今日、いつの時代のことかと思うような差別が行われていることを見聞きしたりもします。しかし、総じて部落問題は見えにくくなっています。そうであるがゆえに、部落差別は解消しつつあり、そっとしておけばいい、何も知らせない方がいいという見方はずっと底流にあり、繰り返し頭をもたげてきます。しかしながら、近世社会には賤民身分が存在し、近代においては、『解放令』が発布されたにもかかわらず今日にいたるまで部落問題を存続させてきたという歴史的事実は消すことはできません」。
 だからこそ、中学・高校の歴史教科書にはこのことが掲載され、部落問題を直視することからは免れることはできない、と著者の一人(黒川)は指摘する。ならば、部落問題に向き合う努力が必要であり、本書はこのための手引きとなる。
 本書は、「前近代編」(寺木)と「近現代編」(黒川)の2部に分かれており、それぞれの専門家が執筆している。
 「前近代編」は、「第1章、国家の成立と身分差別の発生・変遷」から、古代律令国家、中世社会を経て、近世社会(織豊政権、江戸前期・中期・末期「第7章、近世社会の動揺・崩壊と被差別民衆」)までを扱い、それぞれの時代における被差別民衆--「賤民身分」(律令体制)、「穢多」「非人」身分(中世)、「皮多/長吏」身分(近世)等--の成立、身分制度、生業等について考察を進める。これらについてはその実態が充分に解明されていない点も多いが、著者は、諸説を紹介した上で、例えば近世部落の成立について、自説を次のように述べる。
 「筆者は、このように豊臣時代から江戸時代前記までに皮多/長吏が被差別身分として位置づけられた点が、系譜的には河原者・かわたにかなりつながっているとしても、中世において、程度の差はあれ、差別された職人身分であると推測されるところの河原者・かわたと質的にちがうところであると考え、身分差別としての部落差別あるいはそうした差別を受ける地域(被差別部落)は、この時期に成立したと見るのです。ただし、このことは、まだ十分検証されていいない研究状況なので、これはあくまで私の仮説であることに留意していただきたい」と。
 また江戸時代の身分制度についてはこうである。
 「従来、江戸時代の身分序列について『士農工商・えた・ひにん』という図式が使われていました。しかし、現在ではその図式は問題があるとして、小学校・中学校の教科書でも『士農工商』の部分は『百姓・町人』と表記されるようになってきています。筆者も、(略)『天皇--公家・武士--姓・町人--被差別身分』と表記しました」として、「士農工商」の図式の不備を指摘する。すなわちこの図式では「天皇・公家および漁師や杣人(そまびと)(林業従事者)など」が洩れてしまう。その他、僧侶・神官・医者・学者なども存在した。そしてそれぞれの身分の内でも、複雑な身分制度が存在した----武士では将軍のもとに、旗本・御家人、大名のもとに、家中・徒士(かち)・足軽、農民では、本百姓・水呑・名子、町人では、地主・家主・地借・店借(たながり)・奉公人の別があった。「被差別民についても、(略)皮多/長吏・『非人』だけではなく、藤内・簓・茶筅・鉢屋・掃除・慶賀・猿曳・物吉などがいました。また皮多/長吏がどこの地域でも『非人』より上位の身分であったわけでもありません。関西などでは、両者に上下関係がなかった場合が多かったのです」と述べ、「このように江戸時代の身分制度はなかなか複雑でありまして、その全容解明は今後の研究課題です」とする。
 このような著者の記述の仕方は公平性を保つとともに、周囲に存在する他の諸問題にも関心を向けさせるという意味でも有効であると言えよう。
「近現代編」は、1871年(明治4)に出された「解放令」が「身分に基づく一切の境界を廃止すること」であり、それがその布告通りに実現していれば、今日、部落問題は存在していないはずであるのに、「何故に今日にいたるまで、そのことに因る差別が存在してきたのでしょうか」と問う。
 そして「解放令」発布以来140年以上を経て、「部落問題--むろんそのありようも大きく変化していますが--が存在しつづけてきた理由を、封建遺制のみに求めるのではなく、さらに近代社会のなかで存在しつづけるための理由づけが与えられ、境界の補強、ないしひき直しが行われてきたとみるべきではないでしょうか」と、近代社会における問題として提起する。
 「女性差別の存在理由も、かつては封建的性格をもった『家』制度によって説明がされてきました。しかし、近年の研究は、そればかりではなく、むしろ近代に適合的な『近代家族』というあり方が男女の役割分業をつくりだし、それが今日にいたる女性差別を支えてきた側面があることを明らかにしてきました。同様に部落差別についても、現実に近代社会が部落差別を存続させてきたことを正面から見据える必要があるはずです」。
 このような問題意識に立ち、明治以降の部落問題を検討する。そこには、「解放令」をめぐる「四民平等」と地租改正の問題、自由民権運動との関わり、「大和同志会」、「帝国公道会」、「同愛会」の成立、米騒動においてつくられた「暴民」・「特種民」像、そして「全国水平社」の創立と社会主義への接近、戦時下での「同和運動」の消滅、戦後の「部落解放委員会」、「部落解放同盟」の運動と広がり、全同教の成立、「同対審答申」、「特別措置法」の成立と廃止等の流れが取り上げられている。
 そして最後に、「第18章、『市民社会』への包摂と排除」、「第19章、部落問題の〈いま〉を見つめて」において、被差別部落の「悲惨さ」や「みじめさ」、反対に「ゆたかさ」のみの強調に走るのではなく、「いかに等身大の被差別部落像を伝えていくことができるかは、問われつづける課題です」と指摘する。
 また近年「部落問題を他の人権問題とのかかわりのなかで考えるという“開かれた”視野」を持つことについては、「それ自体は重要なことに違いありません。しかし、同時にそれは、部落問題の“人権一般”への解消として、かねてから部落問題を避けて通りたいと思ってきた人びとが部落問題を避けることの正当化のための方便になるとしたら、重大な問題をはらんでいるといわねばなりません」と警告を発し、「部落問題への向き合い方が問われている」、「部落問題を正面突破する道を断念していいのか」と批判する。
 本書は、被差別民衆の問題を歴史に沿って概説し、現在もなお厳然と存在している部落差別に対してどのように立ち向かうかについての手がかりと資料を与えてくれる適切な入門書である。広く読まれることを期待する。(R)

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