アサート No.477(2017年8月26日)

【書評】 『みんなの道徳解体新書』
  
(パオロ・マッツアーニ著、ちくまプリマー新書、2016年、780円+税)  

 本書は、「一九五七年」のある本からの引用で始まります。
「『このごろの子どもたちは、自由をはきちがえていて、口先ばかりで実行がともなわない。また自由、自由とばかりいって、責任ということを考えない。これでは、放任の教育だ』」。
 そしてこう続きます。「いまから六〇年くらい前の“このごろ”に、自由をはき違えているとやり玉にあげられていたこどもたちは、二〇一六年現在、六〇代から七〇代になられています。前期・後期高齢者となった彼らはいま、現代のこどもたちを見て嘆きます。いまどきのこどもたちは自由と責任をはき違えている。わたしらのこども時代はもっとしつけがしっかりしていた。こどもたちから道徳心が失われてしまったのだ・・・」と。
 かくして「日本社会が悪くなったのは、戦後の民主主義的自由教育のせいで日本人の道徳心が低下・劣化したからだ!根拠もないし論理も飛躍してるこんな主張を信じる人たちの希望がかない、義務教育の道徳授業が強化される運びとなりました」。
 しかし、と本書は言います。よく考えてみれば、「道徳は、とても特殊な科目です」。
 というのも、「数学の先生は、数学が得意で数学をよく勉強した人です。(略)なにかが得意な人が得意でない人に教えて得意になってもらう。これが万国共通の、基本的な教育のしくみです」。ところが「学校で道徳を教える先生は、道徳に詳しいのでしょうか。こどものころから道徳が好きで好きでたまらなくて、道徳クラブに入って早朝や放課後に練習したのでしょうか」。あるいは「日頃から道徳的なことを実践していて、それが上手な人なのでしょうか。電車の中でとてもスマートな身のこなしで老人に席を譲れるのでしょうか。いじめや差別を解決するエキスパートなのでしょうか。(略)/このどれにもあてはまらない人が、学校で道徳の授業をやっているのです」。「なんとも不思議なしくみではありませんか」。
 「しかも道徳の授業では、実技はぜんぜん教えてくれません。『○○はいけません』『○○をしましょう』といった精神論、理想論のみを教えます」。「サッカーのコーチが実技を教えずに、『得点を入れましょう』『相手に得点されてはいけません』と理想論だけを教えていたら、『だから、それをどうやったらできるのかを具体的に教えろや!』って生徒がキレますよ」。
 本書は、きわめて常識的な視点から、道徳教育のしくみを解剖し、その不自然さを批判します。極めつけは、「『なぜ?』禁じる道徳教育」です。すべての学問は「なぜ?」という疑問に始まり、常識を疑うところに進歩と改革があります。「ところが道徳は『なぜ』という質問を許可しませんし、先生やオトナはしくみを説明するのをいやがります。/それは、道徳が進歩と改革を目的としていないからです。すでに正解が決まっている善悪の規準をこどもたちに押しつけて、規準をブレさせないように維持することが目的なので、道徳にとって進歩や改革は敵なんです」。「そういうわけで、道徳は必然的に、『○○しましょう』『○○してはいけません』という教え方になるんです。『素直になりましょう』『オトナのいうことに逆らってはいけません』みたいな」。
 こうした関心を持って本書は、各教科書会社の道徳副読本をオトナ目線で読んで「選りすぐった道徳エピソード」を紹介し、コメントします。その詳細な内容は本書を読んでいただければと思います。かなり笑わせる内容もありますが、考えさせられます。
 ただ本書の最後に紹介されている事柄については触れておかねばならないでしょう。
 それは、「『なぜ人を殺してはいけないのか』に答えられないオトナたち」の問題です。この問題は、数年前、オトナたちが子どもに答えようとして、ちょっとしたブームになりました。
 その中で、ある政治家が「そういう質問をするこどもは、どこかおかしいのだ。だから道徳教育で直さなきゃいけない」というのがありました。
 これについて本書は、こう言います。
 「出ちゃいましたね。道徳教育のドス黒い本性が。善悪の判断はオトナが決めること。こどもはなにも考えるな。オトナを尊敬して信じて、オトナの決めたことに素直に従えばそれでよい。オトナに逆らうようなこどもは異常者予備軍だから矯正しなければいかないのだ・・・。/この政治家は卑怯です。なぜ人を殺してはいけないのかという質問に答えてません。うまく答えられないから、論点をずらしてごまかしたんです。逃げたんです」。
 そして「実際に人を殺すことは不道徳ですが、なぜ人を殺してはいけないのかと考えることは、道徳的になんの問題もありません」。「人を殺してはいけない」ということについてオトナたちは、「そのしくみをきちんと考えずに道徳的な判断を最優先してしまいました」から、的外れな回答となってしまったと指摘します。その上で、この質問自体が成立しているのかどうか----現実の社会では人を殺すことを容認している部分があるのではないか(死刑、戦争、身近にはクルマの運転等)----と極めて重要な問いかけをします。(※)
 そして「殺人のおもな理由は憎しみなのだから、殺人を減らしたいのなら、いかに他人を憎まないようにするかを教えるのがもっとも効果的です。/ゆえに道徳の授業で教えるべきは、いのちの大切さではなく、多様性の尊重です」と提言します。つまり「その差異が他人に危害を加えないかぎりは差異をできるだけ認めること」、「考えが自分と異なる相手を頭ごなしに否定・排除するのでなく、自由に議論できるようにすること。憎しみや殺人やいじめを減らすには、その方法しかありません」ということです。
 このように本書は、現在行われつつある道徳教育に対しての疑問を、平易な日常生活者の視点から展開する中高生向けの本ではありますが、一読に値する書です。(R)
 
(※)死刑廃止の議論が、実はクルマの運転での事故による犠牲と通底する問題を持つことを指摘したものに、小林和之『「おろかもの」の正義論』(ちくま新書、二〇〇四年)があります。こちらも興味深い書です。

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