アサート No.479(2017年10月28日)

【書評】 『人間なき復興──原発避難と国民の「不理解」をめぐって』
        (山下祐介・市村高志・佐藤彰彦共著、2016年、ちくま文庫、1,200円+税) 

 本書は、福島第一原発事故の「避難」と「復興」を解明する。その構成は、社会学者である山下(首都大学東京)、佐藤(高崎経大)と、市村(双葉郡富岡町住民、NPO法人とみおか子ども未来ネットワーク)の3者の対談がもとになっている。なお本書は、事故後2年目の2013年に発行され、2016年に文庫化されたものであるが、発行時点で論議された諸問題の矛盾が年を経ていよいよ露呈してきた深刻な事実がある。
 本書を貫くキーワードは、「不理解」である。例えば、市村は言う。
 「警戒区域が解除されるまで、避難者たちは『一時帰宅』というかたちで帰っていた。その何度目かにも、専門家の方(註:災害・復興などに関わっている研究者や支援者たち)からこんなふうに言われた。『帰って何かあるの?』とか、『行って何やってるの?』とか。『3回も4回も帰って、何持ってくるの?』と言う人もいる。そういうことのなかに、専門家自身がこの事態を本当は理解してないんじゃないかとすごく感じる」。
 これは次のように言い換えられる。
 「専門家たちだからこそ、あの場所がちょっとやそっとでは帰れるところではないことを知っているのだ。だが、その理解では駄目なのだ。もはや帰れる場所ではないことをほとんどの人が知っているのだが、あの場所が『帰れない場所だ』と言ったとき、その先に何が起きるのか、おそらく多くの当事者は気がついてもいる。だからこそ『帰りたい』はあっても『帰れない』の声はなかなか出てこないのだが、それを理解してくれていると思っていたはずの専門家が、いとも簡単に『帰れない』を口にするのである」。
 この状態を本書は「不理解」と呼ぶ。それは「無理解」ではない。「理解できない」のではなくて、「理解していないにもかかわらず、したつもりになっている」ということなのである。原発問題をめぐっては、この視点が様々なところで顔を出し、多くの国民のなかにも潜んでいると指摘される。
 そしてこの理解を困難なものにしているのが、「ダブルバインド」(二重拘束状態)の問題であるとする。
 「例えば、『低線量の放射線でもリスクは高い』という言説。一見、放射線リスクの危険性を強調する議論は、避難者たちに味方するもののように思える。しかしながら、すでに被曝してしまっている以上、リスクが強調されれば、あなたやあなたの子どもの身体はもう駄目だ、と言われているのと同じ意味を持つことになる。(略)だからといって、『放射線リスクは非常に低い』のだから,早くあの場所に帰りなさいと言われれば、それもまた拒否せざるを得ない。少なくとも自分の子どもを喜んであの場所に戻せる人はいないからだ」。
 つまり放射線リスクは「高い」も「低い」も、避難者にとっては「真実/敵」であり、「採用/拒否」なのである。
 本書は指摘する。
 「こうした論理の二重拘束があまりに多いのが、この原発災害の特徴だ。危険だけど安全、自由にしていいけど帰る以外の選択を許さない、被災者はかわいそうだけど焼け太りは許さない、こうしたまるっきり矛盾した命令や言説が多重に重ねられている。しかもそのなかで、被災者はできない決断を強要されており、ただ被災者であるだけでなく、論理的に極めて苦しい立場にたたされているのである」。
 これに対して本書は、この論理矛盾に対して一つずつ紐を解きほぐしていく作業を提案し、原発被災で使用されている言葉の再吟味を試みる。
 例えば「復興」という言葉では、「専門家たちが、『帰れませんよね』という理解で語るのに対して、原発事故後の地域政策に携わる側は、まったく反対の方向(帰還政策)で復興を理解し、現実に進めつつある」。「ここには何が潜んでいるのか」と問う。
 或いは、支援領域のなかでいわれる「人」についても、「復興は人であり、支援も人に向かわねばならないと」と主張される。しかし「国や政府が『人が戻ることが復興だ』と言うときの『人』に違和感を覚えるのと同じように、支援者が『一人ひとりに向き合う』と言った場合の『人』にも、『何か違う気がしてくる』のである。一方は、『個人個人は要らない、人は数さえあれば復興になる』と言っており、他方は『全体は要らない、個人個人さえいればよい』と言っているかのようだ。これではどちらに転んでも、本当の復興にはならない」と疑問を呈する。
 本書はその他、「支援」「避難」「被災」「被害」等々を吟味検討し、「不理解」という言葉から始まる原発避難問題の奇怪な事態を解明していく。それはわれわれ自身が当たり前のこととして見がち考えがちな視点そのものを再検討し、その後ろに潜む日本社会の構造を洞察する手がかりを与えてくれる。(R)

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