【投稿】「地方分権と政治改革」(by 依辺 瞬) 
【投稿】 地方分権と政治改革  総目次へ(ASSERT No205 1994-12
【投稿】 地方分権と政治改革(3)--Assert No.207 に掲載
3.行政の果たす役割と地方分権
<「地方自治の反動的再編」?>
 前号で少しふれたが、日本共産党や「左翼」諸党派及びその影響下にある運動団体の最近の地方分権をめぐる動向に対する評価は、おおむね次のようなものである。すなわち、地方分権を口実に国民生活に直接関わる福祉・教育を切り捨て、国家支出の大半を軍拡やODA・公共投資にふりむけていると見るのである。日本共産党系の自治体労働組合である自治労連の機関紙は次のように述べている。

「今、地方制度再編のプログラムが進行しています。国は『防衛と外交』を中心とする『国際貢献国家』をめざし、国や都道府県の事務や権限を地方自治体に委譲する必要から、その『受け皿』として市町村合併を促進し『中核都市』をつくり、『広域連合』をつくっていくことを『地方分権』と称してすすめています。そのためにじゃまになる規制は緩和し、市町村合併は促進され、都道府県を空洞化し、しだいに『機運』を高めながら『道州制』へと進めようとしています。この一連のプログラムを担い、推進する自治体作りのために『第二次地方行革・【自治体リストラ】』が出されているのです」(「自治体の仲間」1994年11月5日号)

 現在の地方分権の動きを「地方自治の反動的再編」ととらえ、「憲法50年になろうとするもとで定着してきた地方自治が、最も危険な状況におかれようとしている」(「自治体の仲間」1994年1月5日号)との認識は、あまりにも一面的で、地方分権をすすめる必要性
や意義を損ねるものである。
 とはいえ、最近の地方分権に関する事態の進展は、こうした評価を生む「質」を充分に内包している。

<地方分権と「行政改革」>
 前号で、地方分権を中央政府の危機管理機能強化のための「国家改造」手段としてとらえる「上からの分権論」について述べたが、基本的にはこの立場に立ちながら、具体的な達成課題の強調点をやや異にするものがある。すなわち、「行政の縮小」を基本的内容とする行政改革の一環として地方分権を位置づける考え方である。例えば、経済団体連合会(経団連)が1993年2月に明らかにした「21世紀に向けた行政改革に関する基本的な考え」では、行政をスリム化するための手法として地方分権と規制複和を同列に扱っている。同提言は、次のように述べている。

「まず、規制緩和と権限委譲によって現在の肥大化した中央行政を徹底的にスリム化した上で、国の役割が真に必要とされる重要課題について、迅速な意思決定や総合的な施策展開が図れるよう、行政組織等の制度改革に取り組むべきである」(1.取組みの基本方向)「縦割り行政の弊害は、そもそも国の規制が多くの分野に複雑に張り巡らされていることから生じている面が強く、その是正の基本は、『官から民へ』、『国から地方へ』という理念に則って規制緩和や地方分権を推進することである」(3.縦割り行政の弊害是正)

 また、自由民主党大阪府議会議員有志により結成された「21世紀の政治を考える会」(会長:東 武・大阪府会議員)が1994年9月にまとめた「地方分権の実現をめざして--活力ある大阪と豊かな府民生活の実現のために--」においては、もう一歩楷み込んだ表現を行っている。同提言では、地方分権の意義について、「活力ある地域の形成」「豊かな府民生活の実現」と並べて「行政の効率化」「小さな行政」を掲げ、次のように述べている。

 「地方分権の推進によって、前述したように個々の事務執行の効率化が図られるとともに、国と地方の二つの政府が同一の事務に重複して関わることが解消されることとなるが、これを、国・地方をあわせた行政全体の効率化、縮小に結びつけなければならない」「地方分権は、それによって組織の簡素・効率化など小さな行政を実現し、住民の負担を軽減することによってこそ、住民と地域にとって意味あるものとなる」

 そして、地方分権を「小さな政府」をめざす「行政改革」のための実現手法ととらえる考え方は、政府方針にも折り込まれることとなった。1994年12月25日に閣議決定された「地方分権の推進に関する大綱方針」では、国及び地方公共団体の斉務として、次の事項を掲げている。

 「(3)国及び地方公共団体は、地方分権の推進に伴い、国及び地方公共田体を通じた行政全体の簡素効率化を進めるものとする」

 また、政府は、同大綱方針策定に先立つ1994年10月7日、「地方公共団体における行政改革推進のための指針の策定について」という自治事務次官通知を出したが、同通知では、「来るべき地方分権の時代にふさわしい簡素で効率的な行政システムを確立することが急務」とされた。「簡素で効率的な行政の確立」という課題が地方分権を具体化する大きな柱であるかのような状況がつくりだされているのである。
 地方分権を推進するにあたっての障害の一つに、自治体の行財政運営についての不信や懸念があることは事実である。実際、後で述べるように、地方自治体の行財政運営には改革すベき課題も多く、先の次官通知についても、内容的には妥当だと思われるものも多く含まれている。「簡素で効率的」という言葉も、それ自体、否定すべきものではない。
 しかし、「第二臨調行革路線」と呼ばれる民間活力の導入、行政組織・機能の一律的縮小など一連の政策の功罪についての総括がなされないままに、再び「簡素・効率化」が一人歩きすることには、やはり大きな危惧を感ぜざるを得ない。私は、「民間活力の導入」という名の下での公的責任の縮小・市場経済への全面的依拠を基調とするこの路線(「小さな政府」路線)は21世紀の高齢社会への対応において不適切であり、現時点ではっきりと清算すべきものと考えている。
 地方分権の主要課題は、あくまでも国と地方の役割や権限、そして財源の適切な配分である。地方が地方分権の時代を見据えて独自の改革を自ら進めることは当然必要であるが、国が自らなすべきことをなさずして地方の「効率化」だけを押しを進めようとするのでは、地方分権に名を借りた「福祉・教育の切り捨て」との批判が起こるのも当然であろう。

<国と地方の役割分担をめぐって>
 地方分権の性格をめぐる問題は、国と地方の役割分担のあり方をめぐる記述に特徴的に現れる。以下にポイントとなる提言等を抜粋し、比較してみる。

○経団連「21世紀に向けた行政改革に関する基本的な考え」(1993年2月)
 中央政府の担当分野は、外交、防衛、国際協力などの対外政策やマクロ経済対策等、国全体としての整合性が必要な最小限の範囲に限定

○連合「1993〜94年度政策・制度要求と提言」(1993年6月)
 外交、防衛、司法など国としての統一的対応が不可欠な分野及びナショナルミニマムの確保を目的とする分野は国の役割、生活に密着した分野は地方自治体の役割とすることを基本

○第3次臨時行政改革推進審議会答申(1993年10月)
 国は、国家の存立に直接かかわる政策、国内の民間活動や地方自治に関して全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定、全国的規模・視点で行われることが必要不可欠な施策・事業など国が本来果たすべき役割を重点的に分担するものとし、思い切った見直しが必要。一方、地域に関する行政は、基本的に地方自治体において立案、調整、実施する

○自治労「分権自治構想」(1994年8月)
 国は国家間外交・安全保障、政府内部での組織管理事務、国内施策の全国的最低水準(nationl minimum /ナショナル ミニマム)の設定等を行うにとどめ、原則として内政事務は、すべて自治体が担う体制を構築するべき

○第24次地方制度調査会専門小委員会・中間報告「地方分権の推進について」(1994年10月)
 国は、(ア)国家の存立に直接関わる政策に関する事務(例えば、外交、防衛、通貨、司法など)を行うほか、(イ)国内の民間活動や地方自治に関して全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定に関する事務(例えば、公正取引の確保、生活保護基準、労働基準など)、及び(ウ)全国的規模・視点で行われることが必要不可欠な施策・事業に関する事務(例えば、公的年金、宇宙開発、骨格的・基幹的交通基盤など)を重点的に行うこととし、その役割を限定的なものにしていくべきである。地方公共団体は、国が行う事務以外の内政に関する広範な事務を処理する

○地方分権の准進に関する大綱方針(1994年12月)
 国は、国家の存立に直接関わる政策、国内の民間活動や地方自治に関して全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定、全国的規模・視点で行われることが必要不可欠な施策・事業など国が本来果たすべき役割を重点的に分担することとし、その役割を
明確なものにしていくものとする。地方公共団体は、地域の実情に応じた行政を積極的に展開できるよう、地域に関する行政を主体的に担い、企画・立案、調整、実施などを一貫して処理していくものとする

 これらを比較すると、次のことが注目される。
 すなわち、労働組合関係の二つの文書(連合提言、自治労構想)では、福祉施策などを念頭において、国内施策の全国的最低水準(ナショナルミニマム)の確保・設定を国の役割として提示しているが、政府関係の三つの文書(第三次行革審答申、第24次地制調中間
報告、大綱方針。内容は、ほほ同じ)では、「全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定」という表現になっていることである。
 実は、「施策の最低水準の設定」と「統一した基本ルールの制定」という両者の表現の差は、見過ごしにできない重大な意味を持っている。
 それは、一言でいうならば、社会権と呼ばれる基本的人権の実現に対して中央政府が果たすべき責任の放棄につながるということである。もちろん、中央政府の役割が徹底して縮小され、国と地方の財源の配分もそれに見合ったものになるならば、何の問題もない。しかし、現実的はそんな段階にないので、国の役割を「統一した基本ルールの制定」に縮小することは、実質的には国の地方への財政負担の転嫁、ないしは個人の自助努力の拡大を意味するだけになる。そして、個々の具体的な政策をめぐっては、すでにそうした方向の具体化がすすめられつつあり、その是非をめぐって色々な運動団体との間で厳しい対立が続いているのである。(大阪 依辺 瞬)
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