【投稿】「地方分権と政治改革」(by 依辺 瞬) 
【投稿】 地方分権と政治改革  総目次へ(ASSERT No205 1994-12
【投稿】 地方分権と政治改革(7)--Assert No.211 に掲載--
4.地方分権と政治改革
<介護保険制度の争点化の必要性>
 前号までの繰り返しになるが、現在、急ピッチで検討が進められている高齢者介護保障のための社会保険制度の導入について、私は大いに疑問を持っている。
 それは、制度の各論に問題を感じるからというよりも、「徹底した地方分権と公的福祉の充実した社会をめざす」(これが社会民主主義と呼ばれる考え方の核心であると思うが)という21世紀の社会のあり方についての私なりのビジョンなり戦略的判断に照らした時に、妥当でない対応だと考えるからである。具体的な課題への対応手法の適否は、戦略的な方向づけの中での妥当性が担保されていなければ、結局のところ大きな誤りとなる。変化の時代にあっては、とりわけ注意しなければならない点だろう。
 ところが、この課題について、政治レベルでの議論や対応はまったく見えてこない。現在の状況について福山真劫・自治労健康福祉局次長は次のように述べている。

「…前述してきた状況の中で、社会保険導入絶対の大きな社会的勢力は見当たらず、具体の制度内容が見えてきた段階で、関係団体によりせめぎあいがあったとしても、厚生省として社会保険方式の導入を基本にした高齢者介護保障システム案の作成が予測される」(「新たな介護システム構築にむけて」、自治労通信No.616、1995.6.1)

 そして、自治労としても具体的な内容に関わる判断ポイントの検討を行った上で、「社会保険方式の導入も含む高齢者介護保障制度の方針の確立を図ることが重要だと考える」と述べているのである。新聞報道によると、厚生省は来春の国会にも介護保険削度の創設案と医療保険制度の改革案を国会に提出する予定だという。事態は急ピッチで進んでいるのである。
 厚生省が現状を前提とした厚生行政の範囲内で現実的対応策を考えることや、労働組合が現状に適応した対応方針を確立すること自体、何ら非難されるべきことではない。しかし、官僚の発想には限界がある。その限界を突破するのが「政治」の役割であろう。ところが悲しいかな、現在の政治勢力には、将来構想を描く戦略性とその実現のための具体的な政策を構築する能力、また現実に進行している課題への対応能力が著しく欠けている。
 前号までに述べたように、介護保険構想は、高齢者福祉対策にとどまらず、保育・子育て支援施策などを含む福祉政策全般の再構築へとつながる。そして、そのめざすところの原理的な意味は、課税権を通じて所得と資産への干渉を行い所得を再配分するという「福祉国家」の縮小方向での見直しであるように、私には思える。ただ、社会保険制度であっても、所得に応じた保険料徴収や企業主負担、さらに国庫や地方自治体の負担が当然行われるものであり、所得再配分機能を持つ社会保障政策としては何ら変わることはないとの反論があり得よう。例えば、伊田広行・大阪経済大学講師は、アサートNo.207で紹介のあった「性差別と資本制−シングル単位社会の提唱」(啓文社)において次のように述べている。


「しかも、社会保障制度の場合、徴収された保険料は基本的にその目的(福祉)に限定されて使用されるので、(B)方式(医療保障制度のような、所得に応じた拠出であるが定められた事故に対して必要に応じて一律の保険給付がなされる『比例拠出定額給付制』の意:引用者注)である限り、その保険料は目的税であり、社会福祉の充実にとって確実な財源といえる。税の使途に対するコントロールカが弱く、消費税を7%に上げても、増収分のほとんどは社会福祉に使われないという日本の現状を考えるなら、所得に応じて拠出(できれば累進的拠出)し、必要に応じて給付される(B)方式の方が、現実的には積極的な選択といえるであろう。こうした観点から、これからの焦眉の課題とされている高齢者や障害者の介護保障の財源は、当面、社会福祉への移転が保障されない『間接税』ルートよりも、介護保険ルートの方が現実的であると、私は考えている」

 伊田氏の「現実的判断」も理解できないわけではない。しかし、社会保険料方式では、個々人がサービスを市場経済メカニズムの中で調達することを原則とすることに伴う問題点が多いこと(詳しくは前号で述べた)、所得再配分機能が弱いこと、また、負担できない者を排除する性格を持つことなどを考えると、やはり私には問題の方が多いと思える。
 例えば、社会保険制度の先行事例である国民健康保険制度は、今やどの自治体においても大きな悩みの一つである。すなわち、保険料収入と保険支出の間の収支バランスが崩れ、多額の一般財源負担(税による赤字の補填)を余儀なくされているのである。収入を増加させ得ないのは、保険料負担には理解が得られる限度があり、すでにその限度を超えているので保険料改定が困難なこと、また、滞納者の増加による徴収率の低下がその主な原因である。支出の増加は、言うまでもなく国民医療費の増大や国民健康保険加入者の階層的特性に起因している。
 こうした国民健康保険制度の現状をみると、介護保険導入のメリットとして指摘される「税に比べれ理解が得やすい」ということ自体に私は懐疑的にならざるを得ない。また、社会保険方式でなおかつ所得再配分機能を強化するための累進的拠出などの導入は、まず不可能であると考えている。なぜなら、介護保険における「介護」というリスクは、病気や怪我という健康保険におけるリスクに比べると相当縁遠いものであるし、まして高額所得者には、介護というリスクに遭遇した時の選択肢が多数あり、長年高額の介護保険料を支払い続ける必要性が希薄だからである。保険料滞納者に健康保険証を渡さない自治体が新聞報道で問題にされたりしたが、介護保険制度の場合、結局保険にしか頼れない者だけが保険料にあえぎ、いざ保険が必要な際には保険から排除されているという泣くになけない事態になるおそれが多分にあるように思う。
  結局、介護保険の導入によって拡大するとされている「権利性」とはあくまでも契約当事者としての権利性であって、社会権を拡大する方向における権利性の拡大ではないのである。
 もう一つ重要なことは、社会保険制度は地方自治の拡大にはつながりにくいということである。保険基盤を確実なものにするには、地域を限定することは好ましくない。現に、国民健康保険制度においても、制度の抜本的改革が常に課題として取り上げられているのである。
 高齢者介護保険制度の問題を突き詰めていけば、理念や政策の分岐が相当明瞭になるように思われる。新党論議には欠かせない争点だと、あらためて強く指摘しておきたい。

<地方自治体の現状と課題>
 21世紀に向けて重要なのは、これまで「私的領域」とされてきた介護や子育て、さらには環境問題や生涯学習など様々な分野における「公共性」を確立すること、そしてそのコストを誰がどのような形で負担するのかという市民間の利害調整をしっかりと行うことである。そして、そのために、民主的な意見形成や意思形成が実現し得るための条件として地方主権を確立することが必要である。
 実際、自治体が対応を迫られている課題の広がりと深まりには実に著しいものがある。
 高齢者や障害者福祉の充実、子育て支援施策の充実などの福祉施策はもちろんのこと、道路・下水・住宅などの社会基盤の整備、ごみ問題・水問題などの環境問題への対応、生涯学習を保障するための社会教育や文化の充実、急速に進む国際化への対応、さらには地域経済の活性化、農業の振興など例を挙げはじめるときりがないほどである。最近の大阪府や東京都における課題を見れば、国際ハブ空港を整備することや金融秩序の維持など、どう考えても国の仕事だと思われる課題まで自治体が大きな役割を負わされるのだから、今や自治体こそが「政府」だと言っても過言ではないだろう。
 ところが、財政構造や人的配置をはじめとして、地方自治体の対応能力はもはや「臨界点」を超えつつあるのが実情である。自治体が新たにどの程度の規模の新規事業に取り組めるかは、自治体の総収入から国の補助金や起債など特定の事業に対応した収入を差し引いた一般財源によって規定される。ところが、この一般財源もすべてを新たな投資に振り向けられるわけでない。人件費や起債の償還費用、施設の維持管理経費など当然に必要な経費に充当する財源を差し引かねばならないのである。近年の様々な施策の拡大の中で、職員数も施設も相当に増大し、どこの自治体でもこうした費用は年々拡大の一途にある。行政では、経常的な収入に占める経常的な支出の割合を経常収支比率と呼び、財政構造の判断の目安の一つにしているが、この数値の悪化が最近特に著しい。特に大阪府下の自治体では、100に近いところが多くなってきた。経常収支比率が100というのはどんな状態かというと、稼いだ金がすべてランニングコストに消えている状態、民間会社でいうと利益率0の状態である。自治体が現状を維持するだけでよいなら問題はないが、取り組むべき課題を多数抱えている今日において、これだけ硬直した財政構造になっているのは致命的であろう。
  課題の広がりと深化、財政状況の厳しさ、自治体の責務の高まり−−こうした要素を見ると、自治体に求められている「質」すなわち統治(govern)能力がいかに高度化しているかが容易に想像できる。
 具体的には、自治体は次の4つの能力を獲得しなければならないと、私は考えている。
 第1は、それぞれの自治体において各施策の地域最適水準(1ocal optimum)がどの程度のものであるかを提示し、それについて合意形成を図る能力である。前号で述べたように、様々な分野の課題において、何をどの程度まで公的に保障するのか、換言すれば、市民が負担している租税をどの程度投入するのが妥当なのかは、一般原則から導きだせるものではない。一定程度のミニマムが確保された上ならば、子どもを預けて働くことは自己選択によるリスクであるから親のために保育所を整備するなどの公的保障は必要最小限でよいと判断する地域もあれば、地域住民層の性格やまちづくりにおける戦略的判断で手厚い公的保障をするのだという地域があってもよいのである。高齢者介護保障にしても、公的サービスで需要を満たすのか(税負担型か)、相互扶助型のボランティアで需要を満たすのか(労働負担型か)は地域住民自らが決定すればよいのである。大事なのは、そのための民主的な意見形成や意思形成の過程である。国家という枠は、こうした過程実現のためにはもはや巨大すぎて機能を果たし得ず、地方自治体のみがその受け皿となり得ることに注目しなければならない。
 第2は、市民から信託されている諸資源の効率的かつ最適な配分を行うためのいわば経営能力である。自治体には市場における競争原理のような社会的規制力が及びにくい。そのため、前例尊重・慣例尊重の「事なかれ主義」がはびこりやすく、状況の変化に応じた自己改革が行われにくい。行政改革が単なる行政責任の切り捨てを意味するならば問題だが、目的達成のための効果性・効率性追求の改革はもっとシビアに行われならなくてはならない。この点における市民の不信が、課題達成のために当然行われるべき税負担のアップに対する本能的とでも表現できそうな拒否反応にあらわれる現状は不幸である。
 第3は、資源配分の透明性を高め、市民の信頼を得ることである。具体的には、例えば政策決定過程が透明で、その判断基準が明確であるならば、市民の政治的関心はもっと高まるだろうし、行政に村する不信も減少しよう。ただ、後に述べるように、透明性を高めるためには、政治過程や政治のあり方そのものの根本的な転換が必要である。
 第4は、資源配分の決定過程における新しい「利害の調整・合意形成機能」を創出することである。この点については、章をあらためて述べることとする。

<必要な地方税財政の改革>
 現在の地方自治体は、確実に制度的限界に達しているが、その主要な原因は、国と地方にまたがる税財政の根本的な構造にある。
 図@とAは、国と地方の間の財政関係を数量的にとらえるため、92年度の決算ベースに基づいて作成されたものである(95.2.23 日本経済新聞、解説同じ)。

図@
図A

 まず、図@で国および地方自治体から「国民」に向かう矢印は、それぞれの歳出額である。大体92年度に国および地方自治体が国民または地域住民に供給した行政サービスを表している。したがって、2つの矢印のかっこ書きの比率は、そのまま国と地方自治体の間の事務配分比率を示す。このため、92年度に、地方自治体は国と約2倍の事務量を分担したといえる。
 これに対して、図Aは国と地方自治体間の税源配分を表し、92年度では国の方が地方に比べて約2倍の税を徴収したことが示されている。この事務配分と税源配分率のかい難が国と地方の財政関係を非常に複雑にし、地方自治の進展を遅らせている。

 例えて言うなら、月8万8千円で生活している下宿生が、3万4千円を働いて稼ぎ、残りの5万5千円を親から仕送りしてもらっていたとして、この青年は自立しているといえるだろうか。
 現在、地方自治体が抱える体質的な問題点や様々な課題の根本的な原因は、実施する施策に必要なコストに見合った財源調達(徴税)を自らの責任で行わないこうした構造に規定されていると、私は考えている。
                  (1995.6.11)
 続くへ(No212 1995-07)