【投稿】「地方分権と政治改革」(by 依辺 瞬) 
【投稿】 地方分権と政治改革  総目次へ(ASSERT No205 1994-12
【投稿】 地方分権と政治改革(8)--Assert No.212 に掲載--
 4.地方分権と政治改革(続き)
<「新たな統治空間」の形成と政治の改革>
 これまでの7回の連載では、はじめに地方分権の流れや基本的な村立構造を概括し、次に介護保険制度導入の問題など福祉政策のあり方を通して「政府」、すなわち公的責任・公的役割のあり方について検討し、そして地方自治体の現状と課題、とりわけ自治が育たない根本的な原因となっている地方財政の構造について述べた。
 その都度思いつきで色々なことを書き連ねたため、随分とまわりくどくなってしまったが、私の問題意識の中心は次のようなものである。
 すなわち、地方分権という「新たな統治空間」の形成の中で「政治」をどう抜本的に再生するのかということ、もう一歩踏み込んで言えば、今日、「政治」の抜本的再生を図るためには、地方分権を進め、「新たな統治空間」を形成すること以外に道はないということである。
 そして、その前提として今一度はっきりとさせなくてはならないことは、「政治」とは何なのかということだろう。
「政治」とは「選挙」ではない。「地元や支援団体への利益奉仕」でもない。個々人の自助努力で解決できない「公共的」な課題解決のための共同体、それが国家であり自治体であると思うが、その共同体の取り組むべき課題や負担のあり方に関する利害調整や意思の形成過程が「政治」だと、私は考えている。
 ところが、東西の冷戟構造と高度経済成長の中で、日本の「政治」は著しくスポイルされ続けてきた。国際的には対米追随、国内的には経済成長重視と「中をとる」式の村立回避型政策パターン、これが総てといっても過言ではなかったし、またそれで十分通用した。
 主役は中央官僚。そして中央官僚と一体化した自民党がそうした政策を推進し、敵役をつとめる社会党などの野党が反対、最後はほどほどのところでおさめる、これが日本の政治と称されるものであった。
  最近になって自民党の一党政治支配が崩れ、細川・羽田の連立政権を経て村山政権ができたが、何かが変わっただろうか。敵役と呼べる政党が見当たらなくなっただけというのが率直なところだろう。新しい「政治」を担えるだけの質をどの既成政党も確立し得ず、選挙での生き残りをかけたパワーゲームに明け暮れている。これでは無党派層と呼ばれる「既成政党不支持層」が多数を占めるのは当然である。来る7月23日に投票を迎える参議院選挙では、社会党が歴史的大敗を喫し、自民党は復調するだろう。しかし、選挙全体の評価としては、特に社会党だけが敗者という訳ではなく、すべての既成政党が敗北したと言えるような結果になると、私は予想している。

<政治が機能するための規模と自治体の可能性>
 さて、地方分権を進め、「新たな統治空間」を形成することによって、なぜ「政治」を改革し得るのか、その理由は、煎じ詰めれば「政治」が機能するために適切な空間の規模は「国」ではなく、「地方自治体」レベルであるということに尽きる。もう少し付け加えるならば、次のことが指摘できよう。
 第1に、地方自治体における市民と行政の間の「距離」が、官僚制の弊害克服を可能にする近さだということがある。私は、日本の官僚が持つ能力や献身性は極めて優れたものだと考えている。しかし、官僚には限界がある。それは、詰まるところ、現存する法や施策体系の中での安定性や論理的整合性を価値基準として絶対化しすぎていることであろう。一度決定されたものが覆ろうものなら、この世の終わりでもやってくるかのような危機感を官僚、特に中央官僚は強く持っている。これは、判断がいわば高度に抽象化された世界、観念の世界で行われているので、トライ・アンド・エラーを許容することができない心理特性を形成してしまっているからである。その点、自治体行政の場合は、現場に直面しているだけにどうしても現実優先にならざるを得ないし、首長公選という制度上の背景もあって、官僚をして「選択肢の提供」という本来の役割に徹させることが、比較的容易なのである。
 第2に、市民が何らかの課題について「公共性」を見出し、それを地域政策として意思決定し、また、納税など自らの負担を引き受けつつ実施するという市民の「選択と負担」をシステム化する可能性が、自治体には残されているということである。なぜならば、1つには自治体が行う諸活動は、国とは異なり、市民自らの生活に身近で、理解を得やすいこと。2つには、選択された自治体の諸活動とコストの関係が国ほど複雑にならず、負担との関係が明確になりやすいからである。
 第3に、地方自治体における首長や議員選挙は、国政選挙と比べれば、比較的政策や争点を明確にしやすく、市民の意思形成を図る場としての選挙、すなわち市民の政治参加の場としての選挙としての意味を持たせられる可能性が高い。もちろん、これはあくまでも可能性の問題であって、その具体化のために乗り越えられなければならない課題は多い。しかし、自治体と呼ぶには巨大すぎる東京都ですら、今回の東京都知事選挙が都市博の中止という政策変更をもたらしたのだから、その可能性の高さは実証済といえよう。

5.分権・自治の拡大に向けた新たなシステム
 地方分権という「新たな統治空間」の形成の中で、「政治」を抜本的に再生するということは、市民の自治を拡大するということ、すなわち地域民主主義(ローカル・デモクラシー)を確立することを意味する。これまでにも繰り返し述べたが、高齢社会となる21世紀の社会はこれを抜きにして成り立ちえない。ただ、自治体が先に述べたような「政治」が機能するための適切な空間と可能性を持っているとしても、それを現実のものとするには様々な改革が必要である。大きく分けて課題は次の3つであろう。

<地方行政(政府)の改革>
 第1は、地方行政(政府)の改革である。この点については、前号で、自治体が獲得しなければならない能力として、T地域最適水準となる施策を確立するための政策形成能力、J諸資源の効率的、最適配分をなし得る経営能力や自己改革能力、K政策立案・遂行過程の透明性を高め、市民の信頼を得ることなどを指摘し、少し詳しく述べたので、ここではポイントを指摘するにとどめたい。
 地方行政(政府)に与えられた課題は、端的に言うと「質」のアップである。これまでの自治体行政においては、中央大学の辻山教授が指摘されているように、議員の要望をうまくさばくことが職員の能力とされたり、首長が人気取り的な公約を掲げたりすることに起因して、極めて場当たり的な施策展開が行われてきたのが現実である。それを改革し、もう少し理念や計画性に裏付けられた行政を遂行できるようにすることが必要なのである。そのためには、人材の確保・育成・登用などについての人事管理システムを見直すなど、行政内部の運営スタイルを大胆に変革することが必要だと考えるが、ここでは詳細に立ち入らないこととしたい。

<地方財政の改革>
 第2の課題は、地方財政の改革である。地方自治体の無責任さの根源となっているのが、仕事に見合った徴税をしない現在の地方の税財政構造であることは前号で述べた。ただ、地方の税財政構造が具体的にどうあるべきかは、国と地方の役割分担など地方分権の具体的なあり方が見えてこないと設計しにくいものらしく、研究者による提言等もあまり見受けられない。もちろん私の手にも余る課題なので、ここでは次のことを指摘するにとどめたい。
 1つは、所得・資産・消費という税源を国と地方に合理的に、また地方に厚く配分し、固から地方への財政移転をできる限り小さくすること。
  2つは、税率や税目の設定、起債発行等の財源調達の方法については、地方の自主性に任せること。
  3つは、地方政府間の財政均衡を図るシステムは、現在の地方交付税制度とは違ったまったく新しいシステムとして確立することである。財政再配分においては、現在大きなウエイトを占めつつある「交付税付きの起債(交付税の事業費補正)」などという手法による個別事業に村する中央政府介入の余地のない包括的かつ第三者機関による客観的調整が行われなくてはならない。
 ただ、地方政府が独自に税率を決めるなどということは、かなり長期的な課題であり、かつ市民意識も相当変わらなければ実現できないものである。現実の市民意識は、税のみならず公共料金は安ければ安いほどよいという極めて素朴なレベルでの感覚でしかないからである。市民の「選択と負担」をシステム化するには、行政が納税者に村する会計責任(アカウンタビリテイ)をもっと明確にしなければならないし、あらたな仕組みを導入するなどの工夫も必要だろう。沼田良・国立国会図書館主査は、「地方分権改革一市民の政府を設計する−」(公人社)で、次のような仕組みを紹介している。

 「…スイス、アメリカ、ニュージーランドなどの一部自治体においては、一定額以上の投資的事業を住民の財政投票に付すことが義務づけられている。たとえばスイスのチューリッヒ市では、予算や付加税率を市議会が議決したとしても、住民の一定数の要求があれば一般の住民投票に付さなければならない。‥またアメリカの一部の自治体は、事業資金の起債とその償還にあてるための税率引き上げなどが一括して住民投票に付されるしくみをもっている」(205頁)

 こうした仕組みの導入によって、市民と自治体が責任を分有することができるようになってはじめて、ローカル・デモクラシーが確立できるのだと、私は考えている。

<地方政治の改革>
 第3の課題は、地方政治の改革である。このポイントを端的に表現すると、個々の議員が「個別利害」を超えられるかどうか、すなわち、議員というものが特定の地域や特定の支持者の個別的な利益のため活動するものではないという実態を作りだすことにある。これが相当困難な課題であることは確かだが、議員がこうした活動に精を出している限り、ローカル・デモクラシーの確立など「夢のまた夢」であろう。この課題の実現のためには、北欧などを参考に、次のようなシステムをつくることが必要だと考えている。
 1つには、優れた人材を議員に引き入れられるように議員の兼職を一般化することである。議員という職業は、それまでの職を投げ打って就くには、あまりにもハイ・リスクである。専業議員というと聞こえは良いが、落選すると失業者という不安定さでは、「選挙に向けた票あさり」に走ることを誰も責められない。現在は民間大企業の労組出身議員や自営業者だけが事実上兼職しているが、公務員の兼職禁止の廃止や、育児休業や介護休業制度のような「議員休業制度」の創設によって、誰もが不安なく議員になれる条件を整備すべきであろう。福祉の専門職や教師など、多彩な職業の人々が議員になるようになれば、議会における議論は、もっと質の高いものになると思われる。
 2つには、議員の兼職を前提にすれば、当然、議会の運営のあり方なども大きな改革が必要である。例えば議会の開催時間を夕方にすることなども必要かもしれない。
 3つめは、選挙制度の改革である。地方自治体における選挙を政策によって戦われるものにするためには、地方選挙にこそ比例代表制を導入するべきなのかもしれない。そして、様々なメディアを使っての公営選挙を保障することで、市民の政治参加は極めて容易になる。自らの自治体の政策や運営のあり方について考えを同じくするものが「政党」を結成し、候補者名簿を作成して公営選挙を戦う。こうすれば、女性議員の占める割合もー気に上昇し、議会は根本的に刷新されるだろう。最近、地域政党(ローカル・パーティ)が注目されているが、こうしたシステムを確立していかなければ大きくは育たないように思われる。いずれにしても、地方選挙のあり方は全国一律に決めるのではなく、それぞれの地方自治体で決めることとすべきであろう。
 4つめは、自治体内分権を更に進め、地域整備に関する計画策定について直接市民が参加し、権限を持つことのできる組織を整備する、または既存の自治組織にそうした役割を付与していくことが必要である。豊中市など一部の先進都市で実施されている「まちづくり協議会」によるまちづくりの推進と行政によるイまちづくり支援」という手法は、こうした点で今後の方向性を指し示しているように思われる。このように、地域の整備やまちづくりの上で重要な事項について市民と行政が直接共同作業を進める場が確立できれば、行政に地域の「個別利害」を要望し、影響力を行使するという議員の役割は、当然失われていくことになるのではないだろうか。    (1995.7.10)