ASSERT No.241(1997年12月) No.242(1998年1月)に掲載

(投稿)小野義彦没後7年に寄せて
今市 右田代

 小野義彦が逝って、今年11月19日で満7年が経過した。小野義彦が残した多くの事績について、この辺で振り返って見たい。
 改めて言うまでもなく、小野義彦は共産主義者であった。だが私は、従来の意味での「共産主義者」ではなかったし、四半世紀以上前に小野の書を読み講演を聞いて私淑していた者に過ぎず、学卒後は小野の教えからも遠く離れ、如何なる政治運動や思想からも無縁の市井の一市民・一読者として暮らしてきた。近頃、多少はモノを書くようにもなったが、左からは右翼反動と言われ右からは極左と見なされているようで、つまりは気楽な放言者に過ぎない。従って、小野の言説と活動とに対する評価者としての資格に欠けるであろうことは十分に承知しているが、まるで異なる立場に立つからこそ言い得ることもあろう。

<戦前・戦後を共産党とともに>
 小野は旧制高校1年で共産党員となり、数度の投獄・拷問を経て結局、放校処分となった。その後、大検を経て京大に入り、共産主義者として戦前の関西の学生運動や労働運動に指導的に関わりを持つ。当時の小野はすでにして教条的・独善的なセクト主義者ではなく、意見の相違より行動の一致を最優先する「人民戦線」主義者となっていた。それこそは、小野の生涯の歩みの原点であった。その後、太平洋戦争に数年間従軍した後、治安維持法違反で軍法会議にかけられ獄中生活を数年間経験する。言ってみれば、投獄が小野の命を救ったのであった。敗戦直後の一時期、小野は日本共産党の機関紙「赤旗」の実質的編集責任者として党指導部の中枢にいたが、有名なコミンフォルム批判を契機に党指導部に対する批判派(いわゆる国際派)に転じ、指導部を追われた。激しい党内対立の一時期、宮本顕治の側に与することともなったが、宮本の民族主義路線にもとより同調できるわけもなく「国際」派本来の道を歩み、そして「六全協」後の宮本指導部の確立後すぐに彼らとも決定的に対立して、結局、除名処分となった。

<帝国主義的復活を「予言」>
 小野は、1950年代から、敗戦日本資本主義の独占資本主義としての経済的復活を予想していた。それゆえ、今日のような日米経済紛争の必然たるべきことを早くから予言し、従って日本における革命路線として、共産党主流派の言うような封建的天皇制への対応としての「天皇制打倒民主革命」とか、アメリカ占領軍政からの「民族独立」闘争を経た後の「民族民主革命」から「社会主義革命」へという多段階的路線ではなく、敗戦によっても死に絶えることのなかった独占的経済構造ゆえに日本資本主義は必ず「帝国主義的」復活を遂げるはずだとの想定の下に、独占資本主義的経済構造に対する対応としての「反独占民主主義」政府(それは人民戦線の戦後日本版であった)の樹立から「社会主義」的構造改革へと前進していく柔軟な路線こそが必要であると主張し続けた。小野は、社会の基本的動因としての経済構造を見つめ続け、そこからのみ上の結論を引き出した。そこには、如何なる種類の民族主義のかけらも無かった。

 今の時点で、経済学の学問的観点だけに絞ってその主張を振り返って見るなら、共産党主流派の見地が誤りであり、小野の「予言」こそが正しかったことは疑問の余地なく明らかである。小野がそうした「予言」を為し得たのは、敗戦後資本主義の運動傾向を現実に即して見ようとした現実的スタンスの故であったと言って良いであろうが、その結果得られた自己の思想的学問的立場に関して、小野はどのような迫害や窮境にもおのれの学問上の信念を曲げることは決してなかった。そして、小野の思想的立場は、戦前の京大という学問社会に生きた多くの人々や関西労働運動の先達の人々らによって守られ、戦後においてはそのネットワークの生き残りでもあった大阪市大の人々に迎えられ学問世界に生き続けることができたし、それを足場として、一時は全国的規模での「平和共存と反独占民主主義」を目指す運動組織を築き上げることに成功する。そうした過程で、小野の思想は多くの学生・労働運動家を育て、部落解放運動に一定の指針を与え、学者・思想家たちに影響を与えた。そうした思想的強靭さを小野に与えたもの、それは一体何だったのであろうか。

<思想的強靭さの原点>
 生前の小野がよく語っていたことだが、小野が共産主義運動に加わるきっかけになった決定的できごと、それは一高時代に「夜空の星」を眺めるよう党のオルグ(あの伊藤律である)に言われたことだった。その含意は今となっては判然としないが、恐らく、永遠の未来、永遠の希望を、突然そこに見出したのではあるまいか。突然の脱皮・変容感覚とも言うべき感覚が、その時の小野には感じられたのではないかと思う。その結果としての確信は、拷問や戦火の地獄、牢獄の責め苦、戦後の党除名等々の迫害にも、まったく揺るがぬほどの強靭さを小野に与え得た。
 私が小野から学びたい点の第一は、まさにこの確信である。「思想の漂流」と言われる今日、かつて世界の民の導きの星となった共産主義思想はすでに無く、星の死=超新星爆発の後に残された星のかけらだけが、無秩序に四散し浮遊するだけの虚空の中に我々はいる。新たな星の形成への胎動は、まだどこにも見出されてはいない。今の世界の民を導き得る星はどこにあるのか。我々が求めて止まない新たな星の形成は、すでに宇宙のどこかで始まっているのか、それとも永遠に虚無が続くのか。小野が見つめた星とは、しかし一体如何なる星であったのか。

 逆説的と思われるかも知れないが、小野が見た星の輝きの中にあったもの、それは共産主義という思想「体系」ではなかったと私には思える。小野が見出したのは、マルクスやレーニンの語り残した言葉から後世に構成された共産主義神学体系ではなかった。高校生の小野が見た星光は、死後硬直的体系の後光や残光ではなく、生きたマルクスやレーニンの「確信」すなわち「人類は解放されねばならないし、解放は可能だ」との信念(それは救いや癒しへの希求と同義である)が放つ強烈な放射光であったはずだ。世界の何億もの人々が共産主義運動に参加した、その最初のきっかけも同様であったことだろう。そして、今の我々には何の信念もない。必要なことは、そうした原初的にして包括的な確信を取り戻すことだ。人類は解放され得る、抑圧からの解放への道を歩むことができる−−そうした確信が、今は欠けている。

 小野からの学びの第二として、さらに言えば、確信の放射光を見ることができる者とは、体系ではなく「方法」を導きの星光とし得る者だったという点にある。マルクスの方法、それは科学の方法でもある。科学を科学たらしめるのは、複雑極まりない「現実」を徹底して見据え得るか否かだ。マルクスやレーニンはそうしたし、小野もまたそれを見習った。だからこそ、時代をはるかに超える「長期予測」をも為し得たのだと言えよう。小野は、マルクス教の司祭の道ではなく、確信へと人々を導く方法の道を歩んだ。それは辛苦を伴う茨の道でもあっただろうが。

<小野義彦の限界>
 だが、同時に、小野の限界をも指摘しておくべきだろう。それは小野ひとりの限界ではなく、近代世界そのものの限界でもあったと言えようが、「方法としての科学」の「科学性」を徹底できなかったことである。社会科学の科学性とは、どこまでも社会の現実に依拠することでとりあえず担保されるが、それだけでは十分ではない。現実社会とは人間の行為の無限の連鎖であるから、科学を徹底するなら、社会の分析の果てには必ず人間個人の行為動因の謎へと逢着しなければならず、また人間を如何なる存在と見なすかが分析の出発点でもなければならない。そして、社会的諸関係の連鎖は空間的にも時間的にも無限なのだから、本来、上の要請を全的に満たしうる理論・社会科学法則は存在し得ない。

 それゆえ、演繹と帰納との無限連鎖を通じた無限連関構造への深い認識が、社会科学の科学性を支える決定的な柱となるはずだが、如何なる精緻な科学理論も所詮は限定時空間における大局的傾向ないし部分的近似系としてのパターン化に過ぎないとすれば、科学性を担保するための最低必要条件は、歴史の究極的動因として「人間個人」ひとりひとりの活動の自由度・選択可能性の増大への要求を如何に至高の「エネルギー」として承認するかにあると言えよう。物質がエネルギーの塊であるように、人間もまた何ものにも成り得るエネルギーを持っている。ならば、個人的自由を何ものにも優る至誠の価値として分析と考察とを出発させるべきこと、それこそが人間社会の科学の、科学の名に値する唯一の方法ではないか。言い換えれば、社会科学の方法それ自体に、個人の至高性からの出発=徹底された民主主義が内在していなければならないということでもある。

 すべての人間を至高の存在と見なすことなき考察・分析は、現実の切り取りとパターン化的再構築において、必ず何らかのバイアス・予断や方向違いを生み出すだろう。マルクスには、「生産者諸個人の連合」「個人的所有の再建」「諸個人の協同組合的結合集団による生産の自発的調整」等々という、それなりの「人間観」に裏打ちされた構想が存在したが(今日まで、それらが「個人性」を強調していることの意義はほとんど見忘れられてきた−−例えばそれは、「個人的所有の再建」問題に関する議論の混迷と考察放棄を見れば一目瞭然であろう)、小野にはそうした人間個人からの現実再構築という指向性があまり見られなかった。とは言え、それは当時にあっても今日においても、いわゆる学者や思想家のほとんどに共通する学的態度であって、人間観を学的出発点に堅く据え得ている人々などほぼ皆無であるのだが。

 小野の場合、哲学的人間観については、盟友・哲学者・森信成に全面的に委ねたが故でもあろうが、小野の議論は常に政治経済学の領域においてのみ論争的に展開され、その枠を超えることはなかった。森とて、上のマルクス人間観の「個人性」問題についてはカヤの外にあったと言って良い。人間観への深い考究の自制、それは、小野自身が自らに課した厳しい学的節度でもあったに違いないが、恐らくは、そうした学的常識に忠実たらんとするが故の狭さが、小野の後に続く者たちの中に度重なる思想的・行動論的な分裂を生じさせた奥深い原因でもあったろう。

 だが、それは小野や森ひとりの罪ではない。活動領域の自己限定とは、近代学問世界の悪しき常識でもあったし、人間観に即して言えば、人間個人に対する理解を根本的に欠いた近代という時代の罪であり、そしてマルクスその人もその意味では罪を負わねばなるまい。マルクスの人間観は個人性への深い洞察に裏打ちされていたとは言え、それが現実の社会経済分析に応用される段になると、個人と社会・個人と国家等々の無限複雑系の分析困難の前にマルクス本来の個人至高主義的性格は著しく弱められていく。資本・国家・宗教を三つの疎外態と見なしたマルクスは、それらの地獄社会が善意の人々によって作り出されていくさまを精緻に描写し分析したが、それらはあくまでも抽象的な集合的観念として捉えられ、元々の土台たる個人性との理論的立体化作業は後方へと退く。疎外論において主役を演じるのは集合的観念形態であり、個人そのものではなかった。それゆえ、それらが現実には諸個人の集団的編成様式としての、「会社」「政党や官僚機構や軍隊」「教団」として実体的に「組織」されていることから生じる疎外であるという現実的契機を軽視ないし見落とした。抽象的な「資本」という観念は、何らの実体をも有さない。その意味では、マルクス以後の共産主義者たちは、実体のない幻像のような「資本」観念を相手として闘ってきたのだ
<資本の現実の姿とは>
 人々が闘うべき相手とは、実体不明の「資本」性向、すなわち搾取や奢侈や貪欲や詐欺や肥大化志向や敵対的競合戦その他だと見なされた。資本の唯一の実体としては、ただ「資本家」だけが「敵」と想定された。実体があろうがなかろうが、資本とはとりあえず利潤を生み出すものだから、共産主義者たちは利潤を生み出すすべての行為をブルジョア的悪と見なし、利益を追求するすべての人々(資本家、経営者、自営業者、農民等々)をブルジョア=悪魔の手先と呼んで強引かつ権力的に死滅させようとしてきた。だが、人々が闘うべきであったのは、そうした見えない資本の幻覚作用や特定の一群の人々だけであったのではない。資本の現実の姿とは、まさしく「会社」という確固たる人間組織体に体現された存在、それが資本なのだ。資本の特殊資本主義的組織形態である、資本制法人企業という人間集団の専制排他的な囲い込み様式(組織の人格化、人間のロボット化ゆえの組織への絶対的忠誠の強要)、それこそが資本の真の実体である。

 自己利益追求とは、人間である以上いつの時代も生きていくために当然不可欠の行為であるから、利益追求それ自体を悪と見なす共産主義たちの視点からの「資本との闘い」とは、まさしく人間否定であり人間的本源的欲求の否認以外の何ものでもなかった。また、言うまでもなく、資本家や経営者それ自体が悪なのではない。問題は、資本が会社法人組織として体現された時に、会社内では「民主主義は工場の門前で立ち止まる」と言われる専制的会社支配機構が確立され、その結果、ヒトでないものがヒトになり、逆に生身のヒトがモノ扱いされるという本末転倒・価値倒錯が会社組織の常態となった社会で、経済的協業・分業集団システムのあり方としてそれ以外の可能性など一切考えることすらできなかった人々の「組織」神聖視の中にこそあった。
近代組織社会においては、人間の生活空間に存在するありとあらゆるものが「組織」された。会社、自治体、病院、学校、政党、教会、趣味団体等々、すべてが法人化された。今では、ボランティア団体までが法人化を志向している。それゆえ、想像世界の資本悪と闘う人々も、労働者たちを「共産主義の学校」たる「労働組合」へと「組織化」することのみを追究し、労働者=従属者の立場から離れることを極度に恐れた。労働者の解放とは、少なくとも会社組織への従属からの解放=人間的自立であったはずであるのに。そしてまた、子供たちの解放とは、「学校」組織への強制的囲い込みと従属・抑圧からの解放でなければならなかったはずであるのに。

<政党への従属という陥穽>
 人間への理解を欠いた結果たる今ひとつの倒錯、それは経済領域における会社「組織」および労組「組織」への従属同様に、政治的領域においても「政党」という「組織」への忠誠を誓うことが解放への道だと人々を信じ込ませたことだ。会社組織という人間労働集団の専制的・排他的あり方を否認せずに資本の抽象的運動・作用の一切をブルジョア的として拒否し、政党組織を解放運動の指導的担い手として宗教教団の如くに神聖視する人々、それがマルクス以後の共産主義者たちであった。当然にも、その原因はマルクスその人にあっただろう。ヒトに成り代わって人格を保持する組織とは、組織内部のヒトのモノ扱いを必然的帰結としてもたらすから、それは人間を縛り付ける拘束衣であり、牢獄であり、人間の集団的協力の形態を軍隊式階級機構にからめとる罠である。そのことに、マルクスはもっと意を用いるべきであったろうが、組織のすさまじい威力(ヒトをモノ扱いすることによる経済効率性の飛躍的向上)を経済的領域で初めて知り始めた時代にあって、それは無い物ねだりに過ぎた。小野の限界とは、それゆえに避け難い時代の限界なのでもあった。

 それに代えて、私は人間個人の存在それ自体を至高の価値を有する存在として捉えたいし、人間の生命が唯一的である以上、ひとりひとりの生命それ自体を至尊の意義を有するかけがえのないものとして扱いたい。この理解は、従来の共産主義者の理解(国有化と計画化、つまり組織化こそが共産主義への道だとの思い込み)とは真っ向から対立する。だが、「万国の労働者よ団結せよ」と「組織化」を呼びかけたマルクスその人こそは、他方では近代的「人権」観念つまり人間個人を個人として尊ぶという近代的価値観の徹底的追究者たらんとした矛盾に満ちた人ではなかったか。

 以上のようにマルクスの言葉を理解するなら、資本・国家・宗教が人間にとっての疎外態であるという、マルクスの指摘それ自体は今なお妥当かつ有効である。それらがすべて「組織体」という外皮をまとうからこそ、その組織の中で人間個人は疎外されてしまうのだ。組織という外皮を持たないなら、資本・国家・宗教はそれぞれ、社会的富の蓄積を個人の経済生活の向上のために自由にアクセス・利用可能とする新たな資本管理・再利用システム、誰もが等しく参加し得る地球規模の新たな政治的協議機構・システム、組織宗教と無縁の汎神論的宇宙観(宇宙の謎=未知なる科学的検証対象であり科学の根源的駆動因)として、人間社会に必要かつ有用なものに再編成されるだろう。後者のシステムは、人間の個人性を最大限に尊重する「自由で平等な友愛社会」を建設・維持・発展させていく上で、今後の社会にも不可欠なものである。
そうした方向性の下でのみ、人類は資本・国家・宗教を越えていくことができるようになるだろう。そして、それが実現されたなら、それこそはまさしく、マルクスが夢想した共産主義社会なのではあるまいか。

<組織の否認へと向かう流れ>
 今、組織の否認へと向かう潮流は、多くの領域でそのうねりを急速に強め始め、眼に見える波涛・しぶきとして大海の表面に現実に見てとることができる動きとなり始めている。会社への従属を拒否して自律的に働く人々の急増、大企業の徹底したスリム化策としての子会社化や分社化や社内起業家の育成や従業員の自立支援活動、複能チーム制の採用、現場従業員のTQC活動の全国的展開、政党への囲い込みを拒絶して勝手連的に自発的な政治を始めようとする人々、脱政党への大きな流れ、教団の教えと呪縛を否認して自己体験として直接的救済を求めようとする人々、環境運動や平和運動・女性運動・差別反対運動等々の分野で世界的に活躍するボランティアNGOやNPO、それらは皆同じ潮流の異なる波頭である。

 それは、今では膨大な起業家やその予備軍の登場、政党候補の相次ぐ落選、政党批判票が共産党という反民主主義政党に大量に流れる皮肉、等々の形で誰の目にも見えるものとなっている。人間たちはようやく、経済的に自律し政治的に自立することこそ本当の人間個人の解放なのだ、そうした自立の自由が万人平等に与えられる社会こそが望ましい友愛社会なのだ、ということを理解し始めた。近代という「組織の時代」こそが、組織化の限界まで組織を巨大化させ組織支配を社会の最末端まで浸透させた結果として、その理解を生み出したのだ。

 つまり、「資本主義の最期を告げる鐘」は、実は資本主義の最初の頃から鳴り続けていたのだし、今では大音響を発し始めているのではあるまいか。王侯貴族の特許による特権的独占会社しか存在し得なかった時代から、カネとカンとネットワークさえあれば誰でも創業できるようになった近代という時代への移行、それは実は資本主義の開始でもあり同時に最期を告げる鐘が鳴り始めた時でもあったと言って良いだろう。小野は「反独占」民主主義についてよく語ったし、「反独占」への志向から中小企業の重要性についても認識し得ていた。だが、「反独占」の究極的な姿が、無数の自律的諸個人の事業活動の複雑なネットワークとして存在する可能性について、はっきりと見据えることができなかった。それが小野の、そしてすべての近代共産主義者たちの限界であったのである。

<今必要な作業とは>
 資本性向や市場メカニズムなど、見えない敵と闘っても何も益はない。他方、闘いを挑む者たちが組織で自らを縛り付けようとするなら、その闘いは徒労に終わるだけでなく、巨大な反民主主義的専制体制・専制帝国を生み出すだけだ。ソ連はそのようにして生まれ、そして巨大な専制・独裁組織がたどるべき必然的結果として自己崩壊・消滅した。そのプロセスを多少とも理解したいなら、ロボット化された人間たちの本源的欲求からの叫びを聞き取ることだ。歴史から学びたいなら、人間の自立・自律への希求を、そのエネルギーのすさまじさを読み取ることだ。

 今、必要な作業は、個人の自律的諸活動の無限連鎖という未来社会構想が、具体的に如何なるプロセスとメカニズムによって可能となるのか、万人の自由の万人平等な保証という友愛システムの経済的土台は何か、その時、国家機構・軍隊や宗教教団が如何なるプロセスをたどって死滅していくのか、地球的環境汚染(それは直接的には会社の罪であり、そして会社組織を神聖視してきた我々ひとりひとりの罪である)が個人の自発的諸活動の展開に伴って如何に克服され得るか、国連という超国家機構を世界平和を実現できる力(それは民族国家を眠り込ませていく現実の力となる)を備えた地球政治協議体に変えていくことが如何にすれば可能となるか、そうした具体的課題の解明に取り組むことだ。

 もちろん、そのためには、抽象的観念と闘うことを空しい努力と認識できていなければならない。幽霊や幻覚と闘っても、何も残らないのだから。従来の共産主義者たちの空しい思い込みや偏狭な人間理解から本当に解放されなければ、新たな星の誕生に気付くこともできまい。

 『アサート』の先達たる小野義彦の生きざま・思想・運動から学ぶべきもの、それがもし今日もなお存在し続けるとするなら、またそれを受け継いでいこうとするなら、それは新たなる星は必ず再び頭上に輝き始めるとの確信の下に、上のような巨大な潮流を現実そのものとして直視し続けること、そして人間ひとりひとりの至高性と至尊性という旗をすべての思想的作業の出発点に高々と掲げることではあるまいか。そうして初めて、我々は希望なき時代から脱出し、シングル・イッシューにのみ埋没するのではなく、再び包括的な人間行動の全戦線において、闘いの相手を明確に認識することが可能になるのではないだろうか。
( 文書中の見出しは、編集委員会が加筆したものです。)