【投稿】選挙は「ナラティブ化」され、金融資本のマーケティングの対象に
福井 杉本達也
1 議院内閣制にもかかわらず、「大統領」を選らぶ?
高市首相は今回の衆院選で、「高市早苗が首相で良いのかどうか、国民に決めていただく。」(1月19日高市首相会見)とし、選挙期間中は、「国論を二分するような問題に取り組めるように信任をもらいたい」と、国家の命運を決めるような問題にまでその内容も示さず、白紙委任を求めた。あたかもアメリカの大統領選の間接選挙のように、高市氏を選ぶために、小選挙区の候補者は「個々の州に割り当てられた選挙人」として振る舞い、「選挙人」は首班指名選挙で高市氏に投票するということである。あたかも高市氏という「大統領」を国民が直接選ぶように錯覚させた。
2 「自由」な個人という中間層の解体と収奪者のマーケティング選挙
近代社会は経済成長によって国民の豊かな生活を保障するシステムであり、それによって社会の秩序を図ってきた。ところが、日本では1990年代後半から経済成長が低下したことから、成果を労働者の賃金に分配するのではなく、資本家の利潤により多くを分配することを行ってきた。結果、上位層に富が集中し、「近代最大の発明」である中産階級は危機に瀕している(水野和夫『シンボルエコノミー』)。
2025年の家計調査によると、2人以上の世帯が使ったお金のうち、食費に充てた割合を示す「エンゲル係数」は28・6%に上昇した。1981年以来41年ぶりの高水準となった。富が一部の社会エリート層に独占され、賃上げや人的投資が疎かにされ、金権政治がまかり通る収奪的な社会にシフトしている。多くの国民が直面し呻吟している物価高騰と生活苦がある。このリアルな現実に、既存の社会保障と税、さらには雇用の制度が機能していない。今の政府の長い間の所業はそのイメージとは乖離し、世代間格差や年金破綻など、国民の間の分断や政府不信を煽るものとなっている。
大統領(日本では首相)を選ぶ「自由」な個人は、中産階級のそれではなく、社会から切り離され、アトム化された消費者であり、収奪する側の社会エリート層によるマーケティングの対象となってしまった。
3 「ファンダム政治」
「『ファンダム(Fandom)』は『ファン(Fan)』と領域や集団を意味する接尾辞『ダム(-dom)』が合わさった英語由来の造語である。それは、特定のアニメや⾳楽、アイドル、スポーツなどに対する熱狂的なファンの集まりやその集団が形成する⽂化・世界観全体を指す。最近の⽇本語の語彙で⾔うと、『推し活』のニュアンスと重なる。
ファンダム政治は、政策や理念よりも特定の政治家・政党に対する感情的同⼀化・物語的共感・帰属意識を軸に成⽴する⽀持形態を指す。」「ファンダム政治は⺠意ではなく、関係性を起点とする。⽀持が個⼈のアイデンティティと直結すると⾔ってもよい。⽀持者は『この政策が正しいから』ではなく、『この⼈が⾔うなら正しい』や『この⼈は攻撃されているから守るべきだ』という感情的論理によって動員される。ここでは、政治家は代表者と⾔うよりも、物語の主⼈公であり、⽀持者は批判的市⺠ではなく、共同体の構成員である。⽀持者は愛する政治家や政党への批判を⾃⾝に対する否定と認知し、激しい反撃⾏動に⾛る」(「ファンダム政治としての⽇本的ポピュリズム―⽀持の感情化と⺠主主義の空洞化」Saven Satow 2026.1.19)。
4 SNS空間のアルゴリズム
「SNSのアルゴリズムは閉鎖的な信仰をもたらす装置である。ファンダム政治の核である物語的共感は、都合の悪い事実を遮断することで維持される。アルゴリズムが『推し』に有利な情報のみを供給し続けるため、外部からの批判はすべて既得権益層──オールドメディアや敵対勢⼒──による不当な攻撃として処理される。加えて、たんに扇動されるだけでなく、ファン⾃らが擁護投稿や反論キャンペーンを組織することで、⽀持者は⾃分が歴史の主⼈公(政治家)と共に戦っているという物語の当事者性を獲得する。」(同上:Saven Satow 2026.1.19)
5 「物語」・「ストーリー」・「ナラティブ」――『イン・ザ・メガチャーチ』朝井リョウ
書店には本屋大賞のノミネート作品として、平成生まれの直木賞作家・朝井リョウの最新作『イン・ザ・メガチャーチ』(2025年9月・日本経済新聞出版)が積み上げられている。作品では、音楽業界で生きる主人公・久保田慶彦を中心に、売り上げのために物語化に血道をあげる様子が描かれていく。商品を売るにあたり。マーケティングをする側からは、商品のスペックの高さではなく、消費者が感情移入し、没入できるストーリー(物語)を提供することにある。それがうまくいけば、本来1個しか売れないはずのものが何個も売れるようになる。「百万人にそれなりに利用されるよりも、一万人の利用者を深く没頭させるほうが、リターンがおおきくなる」「プレイヤーの没頭度という指標は、ファンダムの熱量」であり、「熱量の低い百万人ではなく、熱量の高い一万人」が結果として「母体の勢力拡大に繋がる」とする。物語化には「物語に没入し、共感能力を高め、自他の境界が曖昧になるほどの視野狭窄」が必要となる。そんな魔法のようなことを起こす力が物語にはある。、物語化は、視野を狭くし、自分たちの関心事のみに関心を持ち、違う価値観の人々とは混じらず、従って距離は取るが尊重し合うわけではないという分断された世の中を作り上げる。そして、自分の信じる物語をあなたも信じてみませんか、と布教活動を始める。資本主義社会における会社組織は黒字を出し続けなければならない。「物語化」をマーケティングの中核に据え売上アップと利益の最大化を目指す。そのプロセスで自ら視野を狭くし、周囲を見ずに没入し、感情の高揚に任せた先に、多様性を容認しない分断社会がある(鴻巣友季子の文学潮流(第31回)朝井リョウ分析の精度に慄然とする「イン・ザ・メガチャーチ」:2025.10.31)。
作中の隅川絢子は語る。「おかしいと思わない?真面目に働いて残業して、特別な贅沢もせずただ生きているだけなのに生活がギリギリって。そんなのもう国として成り立ってないんじゃない。税金と物価だけが上が続けて平均年収は横ばいで生きている間に年金を受け取れるかもわからない。それなのに政府は海外にお金をバラ撒いてばかり。でも日本人は何も言わない。気づかない。目覚めない。自己責任って言葉に呑まれて、自分は努力不足だから仕方がないって反省している人ばかり」と。こうした不安と不満をナラティブ化したのが、女性で初めてガラスの天井を破った「高市早苗」である。「責任ある積極財政」を掲げ、その中身は全く不明であるにもかかわらず、あたかも、失われた30年の救世主であるかのように振舞った。
6 SNSが揺さぶる社会秩序
「情報過多は注意の貧困をもたらす」(ハーバード・サイモン)。人間の認知脳録には限界があり、どんな多くの情報があっても、それを処理するための時間や関心には上限がある。知識をインプットしたら、ある程度それを反芻する時間を置かなければ定着しない。安易に「わかった気にさせる」情報発信は、何もしていない状態よりも、有害な部分がある(『世界経済の死角』:河野龍太郎+唐鎌大輔)。
人類は、限られた時間の中で創意工夫を重ね、考える時間を確保しながら、徐々に豊かさを築いてきた。人類は150人規模の集団で行動し、集団ととしての強みを発揮してきた。人間同士が顔と名前を一致させ、信頼と規律が保たれる上限である。それを、国家や宗教、法律といった「共同主観的な虚構」により、その限界を乗り越えてきた。特に、政治の領域では「政党」や「議会」といった中間組織の存在が、限界を超えて社会を統治することを可能としてきた。ところが、SNSを駆使することによって、この中間組織が弱体化しつつある。「SNSを通じて有権者と直接つながる」こと、政党や議会といった中間組織を蔑ろにして、中間的な組織を介さずに政治のトップが人々と直接つながることを可能とした。しかし、それは政治の意思決定におけるバランスを崩し、長い時間をかけて築いてきた「協力の仕組み」を機能させなくし、近視眼的な判断や、一時的なブームによる軽率な意思決定生みだす(同上:河野・唐鎌)。
米・イスラエルによるイラン攻撃は長引く公算が大きくなった。ホルムズ海峡の封鎖により、原油の供給懸念が強まりつつある。日本はサウジアラビア、アラブ首長国連邦などの中東地域からの輸入比率は9割を超える。石油ショックの再来である(参考:堺屋太一『油断』1975)。
「物価上昇が家計を苦しめ、再エネも『悪者扱い』されやすくなった。日本が貧しくなった」「今や円の実質実効為替レートは1970年代並みの低水準である。かつての『有事の円買い』も期待薄だ。2026年の『油断!』には往時のように国の総力を挙げて取り組まねばなるまい。金融緩和などで『強い日本』は戻ってはこない」(日経:「大機小機」 2026.3.7)。高市内閣の「責任ある積極財政」は、アベノミクスの二番煎じ過ぎず、「石油ショック」の荒波に翻弄され、ロシアへの積極的アプローチといった長期的なエネルギー供給の戦略を欠き、早晩沈没せざるをえない。