民学同の運動史を考えていく時に、共産主義・社会主義運動の影響を無視できない。
特に日本共産党第8回大会を前後して、離党・脱党・除名と言う形で、「社会主義革命論」あるいは、「日本帝国主義復活論」を支持した人たちが、日本共産党を離れて「構造改革派」が出現した。60年代を通じてその動向は、民学同に大きな影響を与えた。
私は、70年代以降の世代であり、実感はないわけだが、文字になっているものを通じて、これらの構造改革派、あるいは共産主義・社会主義運動の流れを考えてみたい。
私の記憶では、民学同は自らを構造改革派と規定したことはないのだが・・・・。
【目次】
1、日本構造改良派の軌跡(勝部元氏の文書紹介)
2,学生運動各派の解説 (引用)
3,1960年代後半の「共産主義者の結集と統一をめざす」動きについて
4,【試論】日本のこえと民学同
5,【試論】日本共産党 市大細胞について
6、「構造改革各派の機関紙・誌」リスト(工事中)
1、日本構造改良派の軌跡
まず、最初は、日本構造改良派の軌跡を解明した勝部元氏の文章を紹介することとする。
★現代革命論としての構造改良論(その3) 日本構造改良派の軌跡
勝部 元 (初出 季刊構造改良 第5号 1971年10月5日)
★現代革命論としての構造改良論(完) 日本構造改良各派の総括とその批判
勝部 元 (初出 季刊構造改良 第6号 1972年2月5日)
以上、初出としたのは、後に単行本(新書)となって発行されているからである。
【「構造改良–先進国における社会主義への道」(1972年 潮新書)】
2,学生運動各派の解説 (引用)
★次に紹介する以下の文章は、1969年発行の「学生運動辞典」から引用したものです。
「 五 構造改革系各派 」
3,1960年代後半の「共産主義者の結集と統一をめざす」動きについて
★1965年-67年 「共産主義者の結集と統一」をめざす動きについて
いわゆる「総結集」運動をめぐる資料を集めました。
党派新聞と、「組織統一準備委員会」の報告集です。
テキスト化はしておりませんので、PDFファイルでご覧ください。
<関連する「日本のこえ」・「新しい路線」紙>
日本のこえ 67号 1965年10月26日 | 「共産主義運動の統一と党建設を」 |
新しい路線 164号1965年12月13日 | 「こえ」との協議進む |
新しい路線 174号 1966年3月7日 | 全国会議の成功を |
新しい路線 号外 1966年3月7日 | 社革第5回総会のための討論 |
日本のこえ 90号 1966年4月13日 | 「全国会議のまとめ」 |
日本のこえ 91号 1966年4月19日 | 「よびかけ」(共産主義者の結集と統一をめざす全国会議) |
新しい路線 197号 1966年9月5日 | 統一大会は11月下旬 |
新しい路線 206号1966年11月21日 | 共労党結党委員会発足(終刊号) |
日本のこえ 123号1966年11月29日 | 第2回全国会議(11/11)志賀提案を討議 |
★「共産主義者組織統一準備委員会会報」です。(PDFで公開いたします)
共産主義者の結集と統一をめざす全国会議(まとめ・よびかけ) パンフ 8P 1966/3/23
共産主義者組織統一準備委員会会報 1号 1966/05/01 10P
共産主義者組織統一準備委員会会報 2号 1966/05/15 23P
共産主義者組織統一準備委員会会報 3号 1966/06/01 10P
共産主義者組織統一準備委員会会報 4号 1966/06/15 12P
共産主義者組織統一準備委員会会報 6号 1966/07/15 10P
共産主義者組織統一準備委員会会報 7号 1966/08/01 21P
おそらく個人名が出ている皆さんは、すでに鬼籍に入られたと思いますので、トリミング等の処理は行っておりません。また、書き込み、傍線等は故小野義彦先生によるものです。
日本のこえと民学同との関係について、試論として掲載します。
民学同創設の基礎となった「日本共産党大阪市大細胞」の経過について、試論として掲載します。
6、 「構造改革各派の機関紙・誌」リスト(工事中)
アサート事務局で保存している、各派機関紙・誌をリスト化しています。