大阪の戦後学生運動史
このページで紹介するのは、大阪の戦後学生運動の歴史です。
出典は、大阪社会運動協会が、1991年に出版された「大阪社会労働運動史」(第4巻 高度成長期(上)並びに、第5巻 高度成長期(下))です。
執筆されたのは、井上淳一さん(故人)。私、佐野も交流がありました。
井上さんは、大阪市大理学部出身、1960年安保闘争時、大阪府学連委員長でした。
卒業後も、医療関係労働組合運動に従事、退職後も「9条改憲阻止の集い」の代表を務められ、私も何度か「集い」に参加しました。「故井上淳一さんお別れ会」にも出席させていただき、その折、以下に紹介する文書が配布されました。
井上さんから星宮煥生さん(全学連第九回大会副委員長、立命館大学経済学部、9条改憲阻止の集いの会員・元革共同関西派))に宛てられた手紙でした。そこには、大阪社会労働運動史の学生運動部分について執筆された経過が綴られていました。井上さんの「統一戦線思考」「民主主義の思想」の原点にも触れる貴重な手紙でした。この文章も掲載いたしますので、参考にしてください。
「大阪社会労働運動史」より
★第4巻 高度成長期(上) 第4節 学生運動 (1955年から1964年)
★第5巻 高度成長期(下) 第3節 学生運動 (1965年から1974年)
★【資料】大阪市立大学 学生運動史 (1960年以降)
この文章は、2011年2月に発行された「大阪市立大学の歴史」(大阪市立大学・大学史資料室編集 大阪市立大学発行)から、市大学生運動の経過に係る文章(P105以降)を転載したものである。同書は、これが初版であり、幾冊かの改定本が出来ているが、いずれも非売品となっている。現在最新版が電子ブックとして公開されている。(大阪市大の歴史電子ブック)参照されたい。
★井上淳一さんから星宮煥生さんへの手紙
星宮 煥生様
お求めの学生運動史のコピーをお送り します。 拙文なのに過分のお誉めを頂き、 恐縮しております。 ◎ 「大阪社会運動協会」 から本文の執筆の打診を私と故鍋野市蔵君の二人が受け、 井上が書くのが良かろう、任せると言うことで執筆を小生が行ったと言う経緯があります。 お読み頂いてお判りのことと存じますが私がこれを執筆した姿勢は以下の通りでした。監修者(大阪社会労働運動史 第四巻55年~64年=西村豁通、木村敏男、中岡哲郎。 第五巻 65年~74年=中岡哲郎、吉村励)の下で当時の新聞等のデータを(商業新聞、大阪市立大学学生新聞等のスクラップをファイルケース15冊以上)蒐集し、事実に忠実に=個人的評価を極力避け=執筆しました。 従って団体 (各自治会など)、及びその大衆運動の動きに焦点を絞り政派、党派の動向・意図、その離合集散に係る事項は除外し、評価を避けて記述しました。 また個人の名前なども事件などの関係以外は殆ど記しませんでした。 余談になりますが、 私がこのような考えを持つに至った根底には、故森信成氏(大阪市大文学部哲学教授) の教えがあります。大阪の、学生運動に限らぬ大衆運動の担い手に広く共有され続けてきた思想です。 大阪府学連委員長として私は、民主主義の確保に常に腐心しました。当時の府学連には、私を含めた自治会のリーダーの多数は共産党に所属していました (但し、共産党中央の大衆運動を私するような立場でなく大衆運動は大衆のものであってその民主主義に従わなければならないとの思想を共有していました)。 少数でしたが鍋野君の影響で旧「革共同」 系自治会として国立大阪外語大学自治会、 (一昨年正月に亡くなった清水君が中心でした。 鍋野君も彼と府学連の書記長を務めた橋井君も清水君もかっての共産党の同志でしたがー)、と大阪経済大学自治会があり、ブンド系は市大経済学部自治会のみでした。しかし府学連の各種会議では常にこの三者、三派を論争においては対等とする、発言を制限するなどはもってのほか、しかし行動方針はまた必ず多数決を持って決める。これを私の運動論の根底としていました。 (其のせいでしょうか。 かっての学生達勤の仲間から、立場が違った友人から、私は恨みを買い、憎しみを受けることなく、今も「淳ちゃん」と呼ばれていますが、 これを私は誇りとすることができます。 ) 当時、私は府学連傘下の大阪府立大学、大阪府立女子大学、大阪府立社会事業短期大(後日四年制大学に昇格。 さらに下って府立女子大ととも府立大学に併合) の三自治会に対して府立である共通点を重視し協調するようにとの考えを示していましたが、不幸にもその後この三大学自治会が共産党の指導のもとに 「平民学連」 に学連を割って行きました。党派の勢力を誇り、セクト主義の安きに流されて大衆運動を私する傾向はいわゆる後の三派全学連や、中核、革マルにのみ責めを負わせることではなく、共産党も同列であると、この一事からも思います。 閑話休題 余談が長くなりましたが、以上のような姿勢で、おこがましくも府学連運動の歴史を執筆しましたが、貴方に多少評価を戴いているのが、この姿勢だとすれば喜びとするところです。「改憲阻止の集い」 の運動もまたこの姿勢で続けたいと思います。 どなたがお読みくださるか存じませんが、 小史が大衆運動の再生の参考に少しでもなればと願っています。 |