【コラム】 ひとりごと -ぼちぼち、今年も春闘-
「ぼちぼち、今年も春闘」とは、いささか拍子抜けで、若干、不謹慎?でも、この三年間、史上最低の賃上げ続きで、労働側も本音のところ、あきらめムードで盛り上がり不足。他に妙手の戦略もなく、惰性の感は拭えない◆しかしまあ、そんなことばかり言っていても仕方ないから、筆者なりに厳しい今春闘の思うところを語ってみたい。先ずは賃上げの展望とやらでは、あまりにもこの間の賃上げ率が低いので、株価じゃないが、そろそろ、いい加減に下げ止まりじゃないかと思ってしまう。しかし、株価と違うところは、賃上げは人間の主体的力量がより問われるわけで、取り立てて「戦線の強化」が図られたことでもない。もし、全体としての賃上げ相場が引き上がるとすれば、中小組合をはじめとした底上げが成されることであろうが、その為には、同業種・同系列の企業が、全体として一定の賃上げ回答が出されなくては、妥結しないという強い結束力が重要であるし、産別の統一的な取り組み努力が求められる。しかし、実際のところは、当初の春闘戦術提起では「産別自決」と言うものの、春闘中盤になると「各単組の交渉を重視」と言い回しが変わるのが、最近の春闘の常である。現に低い賃上げ率の中でも、企業間格差はなお、拡がっているのが昨年の春闘結果の状況でもある◆「そんなこと言ったって、これだけ景気が悪くては、『労働側の主体性』を云々しても仕方ないじゃない」と言われる気もする。確かにそれはそのとおり。でも景気は、若干上向きと言われながらも、ここに来てアメリカ経済の急下降とも相まって、再び暗い陰がーー。いわば、この間の景気は、水面を飛ぶ飛び魚のようなもので、少なくとも長期低水準傾向は続くだろう。だとすれば、上述の産別結束だけではどうにもならないとも思うが、その一方で、要求額から要求水準-獲得目標と高度経済成長期からあまり変わらない賃上げ戦術も見直し・発想の転換も必要なのでは◆今、経営側は、単に賃上げを抑制しようとしているだけじゃなく、これまでの賃金体系も大きく見直そうとしている。すなわち、年功序列賃金体系に見切りを付け、年俸制・成果主義導入の徹底を図り、業務能力に応じた賃金制度の定着・浸透を図ろうとしている。これに対して労働側は、「生活給の保障」と言うだけで、従来どおりの要求設定で、はたして対抗できるのだろうか。もし、労働側がこれに「生活給」で対置するなら、最低賃金の引き上げ・労基法上の固定給率の遵守はもとより、固定幅の確保・引き上げ要求の設定に加え、社会システムとしての賃金政策も加味した「賃上げ要求」が求められるのではないだろうか◆しかし、これも雇用自体が揺るがされているときには、そんな議論の余裕もまたないのが、実態であろう。最近のリストラ合理化は、若干、止まったというものの、大体において雇用調整の山が過ぎたというのが大方の見方で、依然として大量失業時代には変わりない。ここにまで至った理由には、凄まじい企業間競争は言うまでもないが、それにしても労組の対応の緩さは否めない。結局のところ、企業内組合-労使協調の限界と言えば、それまでのところだが、あまりにも然したる抵抗もないことが不甲斐ない。こうした姿勢が今日の労組の組織率の低下と信頼を失っている大きな要因であろう。その意味では、ささやかながらも合同労組の取り組みの方が、期待感を感じるのも無理がない◆とは言え、今日の雇用問題を解決するに、あまりにも構造的で、その決定的な有効手段は、産別連携でもなければ、合同労組運動でもなければ、また景気の回復でもないだろう。ただ言えることは、企業の雇用需要の増大への期待、あるいは労使の対立点としてのみ考えるのではなく、ワークシェアリングも含めた社会的な雇用創出をどう創るかが大きな要素ともなるだろう。その意味では、企業にとっては広い意味での社会のセーフティシステムとして、労働者にとっては「豊かさ」の最低保障として、発想の転換とある種の割り切りが必要なのではないだろうか◆あれやこれやと、まとまらない考えを並べ立てたが、とにかく好むと好まざると関わらず、日本的雇用慣行の崩壊と雇用の流動化の時代。労働組合の組織形態も運動も、横断的発想と社会政策とをマッチング・コーディネートした戦略・戦術の模索から、何かが生み出されるのではないだろうか(民)
【出典】 アサート No.279 2001年2月17日