【映画評】 『13DAYS』— 核戦争の危機との闘い

【映画評】 『13DAYS』— 核戦争の危機との闘い

 昨年末の話題作ということなのだが、複雑な思いで「13DAYS」を観た。「13DAYS」は、キューバ危機を描いたケビン・コスナー主演のアメリカ映画だ。

 冷戦の時代、核の脅威と東西の均衡による「平和」を維持していた時代。それは、ほんの10年前まで、91年のソ連崩壊まで少なくとも続いていたわけである。
 70年代・80年代、私の認識も、平和勢力としての社会主義世界体制、その盟主としてのソ連、そして帝国主主義勢力の盟主としてのアメリカ、という構図の中でソ連を見、アメリカを見ていた。そういう意味で、アメリカの権力中枢ともいえる最高決定機関「エクスコム(国家安全保障会議執行委員会)」の中で、キューバ危機にどのような議論と葛藤と決断があったのか、興味深いものがある。この映画の脚本については、ケネディ自身が録音した「ケネディ・テープ」、そして公開されたCIAの秘密文書、元大統領補佐官ケネス・オドネルへの10時間を越えるインタビューなどをもとに作成され、主人公であるオドネル大統領補佐官、ケネディ大統領、ロバート・ケネディ司法長官の3人の葛藤が描かれているのである。

 1962年10月15日アメリカのU2偵察機が撮影したキューバ上空からの写真を分析した結果、CIAはソ連の核ミサイルのキューバ配備が進行していることを確認する。
 同10月16日 、ケネディ大統領、ラスク国務長官、マクナマラ国防長官、マコーンCIA長官、テイラー統合参謀本部議長、レメイ戦略空軍最高司令官などで構成されるエクスコムが秘密裏に召集され、ソ連核ミサイルのキューバ配備を最高秘密事項とすることが決定され、情報収集と議論が開始された。

 映画は、この日をスタートにして、最終的にソ連がキューバからの核ミサイルの撤去を表明するまでの13日間を描く。即時侵攻(上陸戦)か、空爆か、海上封鎖か、外交交渉かをめぐり「エクスコム」内部では、軍服組がソ連との交渉は無駄だと、最初から即時空爆を唱え、ミサイルが発射可能な状態になる前に空爆や即時侵攻を唱えたのに対して、ケネディらが、核戦争への突入の序曲となる軍事行動を極力さける方法を模索するという展開になる。
 
 5日目の10月20日、エクスコムは「海上封鎖」を決定。10月21日には、軍事機構DEFCON3に入り(DEFCON1は交戦状態、DEFCON3は平時ということ)、大統領のテレビ放送までのマスコミ報道対策が行われる。ラスク国務長官を中心に各国、国際機関への事情説明が行われる。10月7日ケネディ大統領がキューバへのソ連核ミサイル配備の事実と海上封鎖策をテレビで国民に告げる。

 10月23日国連安保理でミサイル配備と海上封鎖などのアメリカ提案を説明するも、ソ連ゾーリン代表はミサイルの存在を否定。(ソ連アメリカ大使、国連代表ともミサイル配備の事実が知らされていなかった)
 10月24日アメリカ艦隊19隻がキューバ沖1400㎞に展開し、海上封鎖始まり、ソ連船と向き合う。封鎖ラインに接近するも、ソ連船が停船・反転。アメリカ軍参謀本部、DEFCON2に、B52爆撃機が空中待機。
 10月25日NATO軍の要請を受け、ケネディがヨーロッパの全爆撃機に核弾頭搭載を許可。在キューバソ連軍、モスクワに核使用許可を要請。

 核ミサイル基地確認から10日が経過し、海上封鎖による危機勃発はないものの交渉はこう着状態になり、再び軍服組から即時空爆案が強行に主張される。25日には、非外交ルートを通じて、フルシチョフソ連首相の親書が届く。「アメリカがキューバ不侵攻を保証すればミサイルを撤去する」との内容。

 10月27日、12日目にフルシチョフ親書を覆すモスクワ放送があり、エクスコム内部ではソ連におけるフルシチョフ失脚の懸念も生じる。U2偵察機がキューバ上空でソ連機により撃墜される。シベリアでアメリカ偵察機が領空侵犯、ミグ機によるスクランブル発生。

 再び即時空爆議論が強まるも、ロバート司法長官がソ連大使と接触。アメリカ軍のトルコ基地からの核ミサイル撤去を暗黙の条件に、キューバからの核ミサイル撤去を要請し、明日の回答を待つことになった。

 10月28日午前9時、モスクワ放送はフルシチョフによるキューバ核ミサイル撤去を伝え、核戦争の危機は回避される。

 全体で3時間を越える超大作だが、緊張の連続であっという間だった。核戦争により数百万の人間が殺される、という結論を前にした議論と交渉。確かに映画はフィクションで作られたものだが、どちらが平和勢力か、などという議論を超えて、核戦争瀬戸際で苦しむ人々の葛藤と感動の映画だと思う。昨年末、すなわち20世紀の終わりに、冷戦の象徴的な事件をリアルに描き出したという意味でも興味深いものだった。「階級闘争」という舞台に「人類の生存の危機」という新たなテーマを現実に示し、60年代前半、新しい運動の方向を考えさせた事件でもあったという意味でも。(佐野) 

 【出典】 アサート No.279 2001年2月17日

カテゴリー: 芸術・文学・映画 パーマリンク