【投稿】「負け組ゼロ」で、競り勝つ

【投稿】「負け組ゼロ」で、競り勝つ
                    —-千葉7区補選雑感——
 
 衆院千葉7区(松戸市北部、野田市、流山市)補欠選挙は4月23日投開票され、民主党公認の前千葉県議、太田和美氏(26)が、自民党公認の前埼玉県副知事、斎藤健氏(46)=公明党推薦=ら4氏を破り、初当選した。この選挙の勝因なりについて、少し考えてみたい。
 当初自民党は、民主党の「メール問題」での混迷もあり、楽勝ムードそのものであった。自民党候補の斉藤氏は安心しきってか、当選後の秘書探しまで始めていた、との話もあるぐらいである。しかしながら、「小沢自民党」の誕生以降ムードが一変し、自民党が危機感を持ち、武部幹事長が先頭になって「小泉チルドレン」の連日の動員や、訳のわからない「じゃんけんパフォーマンス」を繰り広げたのは、ご存知の通りである。

<上滑っていた自民党選挙>
 この選挙での自民党選挙の特徴は、パフォーマンス型選挙とよく言われている。しかし、厳密に言うならば中央指導型選挙+パフォーマンス型選挙であろう。
 自民党は国会議員、秘書集団に対し、厳しい動員体制をとった。おかげで主要駅の駅頭は、自民党の秘書集団に占領され、民主の側は、人はいるが目立ちたくても目立てないぐらいであった。選挙区で一番大きな、「新松戸駅」のある日の光景を再現するならば、武部と小泉チルドレンが駅のまん前に立ち、それを取材する報道カメラと、チルドレンと写真を撮りたい高校生がワーワーと騒ぎ、黒山の人となっている。もちろん候補は、そこになおらず、政策の訴えは無しという状況である。共産党系は、駅前でがんばってはいるものの、本当に高齢化が進み、年齢からして70歳以上の活動家のみが頑張っている感じである。 民主は前述の通りである。
 このような光景が連日各駅で行なわれた。ある自民党のビラまき要員(国会議員秘書)に聞いたところ、武部幹事長の指示で夜の12時まで帰れないと、我々に愚痴をこぼすありさまである。またある駅では、女性の秘書も駆り出され、夜の11時半過ぎまで黙々とビラをまいている。おもわず、こんなにしてまでも…..。と思ってしまうぐらいである。
 でも、なにかおかしい。いつもビラまきをする地元の商工業者や農家のおばちゃんがいないのである。居るのは地元とは関係のない自民党の国会議員や秘書ばかり、こんな選挙は初めてである。おかげで今までの千葉の選挙と比べ、お行儀は、いいのだが。
 全てがこんな調子である。この流れの中で、武部のくだらないパフォーマンスが連発されていくのである。

<公明党ー創価学会の異常な熱意>
 地元の公明党ー創価学会は当初、自民党斉藤候補には、あまり乗り気でなかったと聞く。前回の知事選では、公明党は堂本知事推薦、自民党は森田健作を推薦と対立、結果として僅差で堂本が勝った。しかし自民党は、次期知事選をにらみ、ことごとく堂本知事と対立、男女共同参画問題や障害者福祉では、公明党がアグレマンを与えた条例を葬り去ったのである。このことに公明党が面白いわけはない。千葉県段階では自民党と公明党のギクシャクした関係が続いていた。しかし、そこは公明党ー創価学会である。中央からの一声で「反小沢」一本で結束、終盤に浜四津や創価学会婦人部長も現地入りし、相当な梃入れをした。
 その結果、出口調査では、公明党支持者のなんと97.4%が自民党斉藤候補に投票したのである。
 また、選挙のさなかに太田候補は、元「キャバクラ嬢」という週刊誌報道が突然始まりだした。世間では、太田候補がすぐに認めたことで、かえって庶民性をアピール出来た、などと言っているが、実際、そんなに甘くは無い、地元を走る常磐線、千代田線には「週刊文春」と「週刊新潮」のつり革広告が並べられ、真っ赤な字体で「キャバクラ嬢」と大宣伝している。まさに「走る怪文書」といった感じである。
 また駅頭では、中年の女性が通りすがりに「キャバクラ嬢のところかい」と捨て台詞をはいていく。そんな姿を見るときに、職業やその人物の過去により、自分より下のものとして決めつけ、差別する姿が垣間見えた。
 ボディブローとして、前述のような女性層のある部分には、効果があったかもしれない。このネガティブは、当たっているかどうかわからないが、創価学会女性部対策で、小泉官邸筋が流したのではないかと思うくらいである。

<この地域の特殊性ー社民投票のゆくえ>
 出口調査によれば、社民支持者の7割が太田候補に投票している。実際の票数はともかく、社民票をまとめ上げたのは事実である。この地域、特に、野田・流山地区は伝統的に社会党の強かった地区である。ご存知の方もいるかもしれないが野田の地は、戦前の労働争議の中で、218日の長期ストと同盟休校など家族ぐるみ地域ぐるみの争議を戦った有名な「野田醤油争議(後のキッコーマン醤油)」の地である、戦後も革新首長や社会党の国会議員、各地方議員を多く生み出している。現在も衰えたにせよ、底流としては残っている。その力を小沢民主党は、うまく取り込んだ。社民系の地方議員も太田支持で動き、一定の集票につながった。民主党が前原党首だったら、労組関係、社民グループは、寄りつきもしなかったに違いない。

<政権獲得に向け大同団結を>
 新聞では、9.11の小泉旋風とは逆に、小沢民主党が、マスコミをうまく利用し、無党派の流れを作ったと評価している。それもその通りだと思う。しかし、底流で何があったのかが大事である。格差の拡大という中で、太田候補がキャッチコピーにした「負け組みゼロ」という言葉が自民党との対抗軸となり、また一方では、小沢民主党が自民党支持母体まで食い込み、また前原時代に疎遠となった労組との関係を修復するなど、ウイングを左右に広げたこと、このことが、今回の選挙総括の一番大事な部分だと私は考えている。そうであるならば、政権獲得への道はおのずと見えてくる。民主党が前原の時のような、つまらない自意識をすて、大同団結の要になることである。
 格差拡大、小さな政府路線を推し進める小泉路線との対決を、ただ一つの結集軸に据えて、市民派や社民グループとも連携し、また右では国民新党などとも連携する。そのような大きな絵の下書きが出来たとすれば、意味のある選挙結果だったのではないだろうか。 (千葉県在住 A)

 【出典】 アサート No.342 2006年5月20日

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