「新時代」誌 3号(1973年7月)
特 集
日本共産党(代々木派)、民青指導部の反民学同キャンペーンと我が同盟の任務

学生新聞 1973年6月6日
1、 「全学連」 を”踏み絵”とする日共(代々木派)、民青の新たな分裂、固定化策動の粉砕のために
Ⅱ、 日本共産党=代々木派の「民主連合」政府構想批判 (略)
Ⅲ、 日本共産党(代々木派)、反部落解放同盟、差別キャンペーン批判(略)
特集Ⅰ 「全学連」 を”踏み絵”とする日共(代々木派)、民青の新たな分裂、固定化策動の粉砕のために
< はじめに>
我が同盟が七三年三月に、第一二回全国大会を開催し、日本学生運動の大衆的発展とその原則的統一のために一層精力的に活動を展開している時、また我が同盟の活動方針と政策が数多くの民主諸団体によって支持・歓迎されている時、日本共産党(代々木派)と民青指導部は、ヒステリックな我が同盟に対する誹誇と中傷を加え、学生の中に民学同不信を穣成しようとしている。とくに、六月に入ってからは日共(代々木派)中央委員会機関紙「学生新聞」 (六月六日付) を中心として、各大学で一斉に反民学同キャンペーンが展開されてきた。彼らは、 「全学連」 の歴史的事実を次々と書きかえ、歪曲しているだけでなく、今では、ますますセクト主義と議会主義にのめり込みながら「全学連」 の承認を踏み絵に、日共(代々木派)の議会での 「躍進」をかくれみのに新たな”分裂固定化の策動” を強めている。
彼らのこのような策動は成功するであろうか?成功させてはならないのは当然ではあるが、かれらの方針があまりにも露骨なセクト主義と大衆団体のひきまわし、大衆運動のネグレクトと分裂主義、議会主義に基礎をおくかぎり、そして現在の日共(代々木派)のいう社共「統一戦線」 の一時的成功と議会での躍進の幻想が効力を有する条件の下でのみ、 「全学連」を踏み絵とした”分裂固定化”策動が一定の 「成功」を保証されるのであり、その意味ではかれらの悪質な分裂策動は成功の見通しを持たないばかりか、タテマエと本音の自己矛盾と彼ら自身の内部矛盾によって自壊する”危険”さえ内包していると言えよう。
しかし、 一連のウソとデマ、悪質なレッテリ貼り((日共(代々木派)、民青指導部の分裂活動の常套手段))も、放置され、それに大衆的反撃を怠るならば、学生運動に重大な不利益をもたらしかねない。
全世界的規模で、民主主義、社会主義をめざす反帝、反独占民主主義の諸闘争が高揚し、とくに、フランスやイタリア、チリなどにおいては、広汎な統一戦線が結成され、あるいは前進しているとき、また、日本においても日本帝国主義ー日本独占資本主義の反動諸攻勢が強まり、広汎かつ激しい階級闘争が激発せんとしているとき、原則的かつ大衆的な反独占の統一戦線の結成は全民主勢力の共通の課題となっている。学生運動は、反独占統一戦線の自覚的一翼としてその政治的任務を果さなけれぱならない。独占資本家と自民党、田中反動内閣の諸攻撃を粉砕し、全国百八〇万学友の政治的、経済的、社会的利益を守るために、日共(代々木派)、民青指導部の”分裂固定化”策動を断乎として粉砕しなければならない理由はまさにここにある。
1、最近の日共(代々木派)、民青の民学同攻撃への反批判
日本共産党(代々木派)、民青による同盟攻撃の新聞、ビラが関西を中心に大量配布されている。全国的には、”赤旗”や”学生新聞” を通じて、大阪では民青 「府学連」 機関紙「団結と躍進」、「全学連支持会議」、民青諸君が「指導」する自治会執行委、そして各大学の日本共産党(代々木派)学生支部機関紙”〇〇大新報”など、また愛知「県学連」執行委員会などが反民学同のキヤンペーンをヒステリックに展開している。党機関紙、民青の各種機関紙から、彼らの 「指導」する大衆団体を根こそぎ動員しての攻撃である。
前記「学生新聞」は、我が同盟第一二回大会テーゼを引用し、或いは、大阪における我が同盟の闘いを誹誇・中傷することに血まなこになっている。学生新聞は 「民学同の反学生的本質と役割」と題して我が同盟を次のように論難している。『「民学同」 とは第一に、その結成以来、 一貫して日本共産党と日本民主青年同盟に敵対し、 その破壊をたくらんできた反党反共集団である・・・。第二に 「民学同」はまた対外盲従の集団である。・・・・・第三に「民学同」とは、口を開けば ”民主主義”を語りながら、それを平然とふみにじって恥じない無責任な反民主主義の集団である。・・・第四に、 「民学同」は、その結成以来、 一貫して学生運動統一の敵対者となって策動してきた反学生集団である』。 このように、日本共産党(代々木派)機関紙は、我が同盟を民主勢力の統一した闘争から排除することを直接の目的として、我が同盟を醜い反共集団として描き出している。
だが我々の立場はすでに明らかである。 一九六三年九月一五日の民学同の創立は、毛沢東主義に感染した当時の民青指導部の小ブル民族主義、セクト主義、官僚主義的諸偏向がすでに国際的に達成された優れた理論的諸原則にことごとく対立し、平和共存、反独占民主主義の旗印を「フルシチョフ」的修正主義として、我々の諸先輩を組織的に排除したことの不可避的結果であった。それは日本共産党宮本指導部の誤りの直接の結果であったことは疑う余地がない。我々は、自ら分裂し、青年学生運動や民主運動の中に基本的に依拠すべき階級や階層を同じくする複数の政治指導部が存在し、対立することを是としない。だが、労働者階級の利害に基礎をおかない誤った理論や思想に対しては非妥協的に闘争する。従って現在および過去の共産党(代々木派)、民青指導部の誤りを批判するのは当然の原則であり任務であると考えている。批判することをもって 「反党反共」 とするならば、そこには反共主義の政治的概念の著しい歪曲があるだけでなく、それなしには意見の相異や対立を克服し、更に高い次元で統一することができない思想闘争における民主主義は存在しない。ひからびた教
条(ドグマ)—-しかも誤った—-の押し付けしか存在しないのである。我々は、創立以来、 一度たりとも「日共、民青打倒」を掲げたことはない。
我々は、第一二回大会の成功を、日本共産党(代々木派) や民青の指導部の正しい路線への復帰を願い、また、常に労働者階級をはじめ全ての反独占勢力の中でその利益を守り、平和共存、反独占民主主義、社会主義のために全ゆる戦線で闘う民主的、進歩的諸団体、個人から祝福をうけた。「日本のこえ」「知識と労働社 」「労働者党全国協議会」「大阪唯物論研究会] 「大阪労働講座」 「部落解放同盟大阪府連、大賀氏」その他の団体、個人は、我が同盟の掲げる立場を支持協力する人々である。
彼らは、我が同盟が 「志賀一派の言い分をロ移し」していると非難している。だが日本帝国主義の対ソ領土要求や日ソ平和条約締結のひきのばしの危険な民族主義的、報復主義的本質を見ず、第二次世界大戦後の国境変更を公然と支持(否、自民党をうわまわる要求をもち出している)する共産党(代々木派) の民族主義こそ国際主義を捨て、階級的節操を欠落させた重大な大衆追随的誤謬である。我々は、 一二回大会以前から「北方領土」問題に対して志賀氏と同様現存国境の承認に基づく日ソ平和条約の締結の立場をとってきたし、それは正しい政策であると確信している。社会主義諸国の平和共存政策を支持することを ”対外盲従” とし、 その正しい内容は問題にすらせず、独自の立場をとること(実は、日本帝国主義と共通の立場に立っている)をのみ正当化する彼らこそ、日本国内の遅れた階層の意識ー支配階級の要求でもあるーに迎合しているのである。右翼的保守的意識への ”盲従” こそ、選挙目当の階級協調主義、大衆迎合主義なのだ。
彼らは又、我が同盟を「反民主主義の集団」 として描くためにありもしないデマと中傷をあびせている。大学闘争をかれらがいかに 「闘ったか」 はここではふれない。だが、われわれが彼らのデッチ上げた「阪大教養臨執委員長に重傷を負わせる事件をひきおこした。」『大阪教育大などで反共暴力集団「解同」朝田一派と手をくみ、かれらの暴力を背景に朝田一派の立場で・・・大学の自治と民主主義をおびやかす策動をおこなっている』などの許し難いデマに対してはこれを厳しく糾弾するとともに事実で反論しておこう。最初の問題については、我々は諸君らの常套手段、権力への告訴、売り渡し手段によって、起訴されたことは一度もないという事実だけで十分である。 一九六九年一二月六日のデッチ上げ「臨執」 と教授会の 「交渉」 は、機動隊を連日のように導入し、大学法を恫喝のテコとして民主的改革闘争を圧殺しようとした阪大釜洞執行部の弾圧の嵐に反する数千の学友のストへの決起をよそにした交渉であり、民青諸君は、 「授業再開」と「暴力学生へのキ然たる処置」 を教授会にコソコソと、 しかもにこやかに要求していたのが事の本質である。
大阪教育大学で過去三年間にわたって闘われた部落解放教育の確立や教育実習制度民主化の闘争は、いま「同和教育推進校実習生組合」 (同実組)運動として発展している。同実組は毎年五〇名にも及ぶ実習生を推進校に組織し、現場の教育労働者、部落解放同盟と連帯した民主教育運動の一翼を担うとともに、大学教育と制度の民主的改革のために一貫して闘っている。民青諸君にとっては、大学の講議や教育制度に、部落解放教育を盛り込むことが 「大学の自治と民主主義をおびやかす」様である。連日のごとく部落差別キャンペーンにあけくれ、大学での差別発言に眼をつむり、大学教育の民主化を要求する闘いは ”自治破壊”、と決めつける日共(代々木派)民青諸君! もっと素直に自らの見解を述べるべきだ。教育大における同実組運動の発展は、諸君らにまさに批判的な教育労働者を大量に生みだし、せっかく牛耳った大教組執行部の機関私物化を危険にする! と。日本共産党(代々木派)民青諸君こそ、 「党派」エゴをむき出しにしたセクト主義=反民主主義者ではないだろうか。諸君こそ学生運動と教育労働者との連帯、部落解放運動との原則的な連帯の道を選択すべきであろう。それが民主主義を守り、発展させる唯一の道である。
「学生運動統一の破壊者」 とのレッテルはそのままお返しする(後述)として、以上見てきたように、彼らの我が同盟への論難は、全く根拠を持たないばかりか、逆に彼らの誤りを明らかにしている。相も変らぬレッテル貼りと事実の歪曲、 その大量的宣伝、これが彼らの反民学同キャンペーンの特徴である。
以上、簡単に反批判をおこなったが、このような類の反民学同キャンペーンに対して我が同盟は、筑波法案–反動諸法案粉砕、田中反動内閣打倒の学園内外の大衆的決起の実例の力でわれわれの日本共産党(代々木派)、民青への明確な回答とするであろう。また、我が同盟は、平和共存、反独占民主主義、反独占統一戦線の一翼としての学生戦線の統一、という原則的路線をあらゆる大衆運動の中で、隊列を拡大・強化し、日本共産党 (代々木派)民青諸君の国際主義を放棄した「自主独立」論、全く陳腐な 「ドグマ」 になり破産した対米従属論による反米小ブル民族主義、労働運動を中核とする下からの大衆的な反独占闘争を不当に軽視し、小ブルジョァ層に娼をうる議会主義、議会での一時的伸長をカクレミノにセクト主義的な「社共統一戦線」を合理化する統一戦線戦術の歪曲、と断固として闘い、その転換を迫っていくであろう。
2、民青「全学連」 の現状とその評価ー彼らは全国学友の代表者、学生運動統一の母体になりうるのか?!
民青諸君は、量的多数をもて遊ぶのがお得意である(実は、そのこと以外に、我が同盟をはじめ、幾多の民主的学友に 「優位性」を示すことができないからである!!)。
かれらは、 『「思想信条のちがいをこえ、要求で一致し、行動で団結する」最も道理ある組織方針をかかげてたたかい、全国一二九大学二五六自治会が加盟し、約三百自治会を支持・結集し、文字通り全国百八〇万学友の ”統一と団結の要”=全日本学生自治会総連合(全学連)の姿を誰もおおいかくすことはできない。』(民青系大阪「府学連」機関紙「団結と躍進」と述べ、 「全国学生六割を結集」 していることを強調する。
われわれは、最的多数のもつ意義と重要性を何ら否定するものではない。また、民青「全学連」 に結集する多くの地方の学生自治会と学友が日夜、学生運動の利益のために奪闘しているであろうことを信じて疑わない。
だが 「全学連」承認を踏み絵に共闘問題が語られる以上、 「全学連」 の性格が問題にされる必要がある。そのためには、第一に日本学生運動の伝統的拠点、首都や関西(京都府、大阪府、兵庫県など)、九州、 など全国百八〇万学友の過半数を擁し、不断に学生の大衆的な運動が存在する地域における大学での現状はどうか、このことがまず検討される必要があろう。第ニに、民青諸君が 「指導」する学生自治会の下での学生運動の現状—-民青「全字連」 の全国的、統一的政治機能、学生のナショナル・センターとしての機能をここ数年間の現実に照らして検討してみる必要がある。第三に、今日の民青「全学連」 の基本性格を規定した一九六四年一二月の 「再建」過程の犯罪的役割が検討される必要があろう。
なぜなら、この三つの基本問題は、学生運動全体の前進と統一にとって解決されなければならない課題となっており、少なくとも、その量的多数という意味においては最大の組織力を有する日本共産党(代々木派)、民青諸君の矛盾に満ちた、 アキレス健でもあるからである。更に重要なことは、巨万の学生を抱摂する都市部における学生運動の大衆的発展こそが学生運動統一の最も基本的な要素となっていることである。
まず第一の問題であるが、そこの大学の学生自治会と政治指導 部の問題を除いて、民青「全学連」 に未加盟・未結集の主要な大学を列挙してみよう(いわゆる ”トロツスト” や”新左翼” の諸君の 「指導」 下で生じている重大の諸問題は後述する)。前もってことわっておくがあえてこのような、ある意味では愚行と論難されかねないことを行わざるをえなくしたのは、他ならぬ民青諸君が自己を正当化するにあたり、唯々数をのみ持ちだしているからである。首都の場合、学生の殆んどを擁するマンモス私立大学の中で、日本大学、明治大学、法政大学、早稲田大学、慶応大学、中央大学、立教大学、東洋大学、東京理科大学、芝浦工大、をはじめ、学生数1~10万人の私学の多くが結集していない。また、国公立では、東京工業大学、東京学芸大学、がそうである。
関西の場合、彼らの拠点と言われる京都府では、私学では同志社大学、竜谷大学、大谷大学など。京都大学でも一部の学部を除いて、主導権を完全に失っている。大阪府の場合、私学の関西大学、桃山学院大学、大阪工業大学、大阪経済大学、国公立では、大阪大学、大阪市立大学、大阪教育大学という主要な国公立は未結集となっている。兵庫県の場合、関西学院大学、神戸大学(教育学部を除く)の教養部と殆んどの学部、神戸外語大学は結集せず。その他、数ある私学、公立大も未結集となっている。
真偽の程度は、かなり疑わしいが”ー二九大学二五六自治会加盟、約三百自治会支持、学生の六割を結集” これが民青諸君の 「全学連」正当化のうたい文句であるが、いま簡単に見たように、日本学生戦線の中心部における主要大学の殆んどを結集しえていない、という現実、また、それらの大学が光輝ある日本全学連の主たる推進力であったという事を民青諸君は真剣に考えてみる必要があるのではないだろうか。そして、現在もなお分裂と混乱の状態を克服しえない学生運動の否定的状況を克服する主要な鍵が都市部における学生自治会運の民主的、大衆的再建とその統一にあ ることを銘記すべきであろう。諸君が唯々、数をのみ、しかもその大部分は地方の国立大学と〇〇短大や〇〇女子短大などの、現在の段階では政治的に訓練されておらず、学生運動の民主主義的伝統が定着せず、諸君らの全く大衆追随的な”幅広・囲い込み”路線で「組織された人々であることを忘れ去るならば、それは、諸君らの業病ともいうべきセクト主義、分裂主義を自己暴露するだけなのだ。
現代の資本主義ー国家独占資本主義が生みだした深刻な政治的経済的社会諸矛盾の中で不断にかつ敏感に行動に決起している大都市の広汎な学生の大衆的決起に関心を寄せず大都市の主要大学で自らの主導権が確立しないことを”トロツキスト” や ”反党修正主義分子” の責任に転嫁することは、諸君の全き政治的無能をさらけだすのみである。
ちなみに、全学連の結成(第一期)当時の参加校は、国立一六六、公立三一、 私立六九、合計二六六校であった。
第二の問題に移ろう。日本共産党(代々木派)民青の諸君は、最近の学生の死活の利害に関わる闘争をいかに闘ったか。彼らが”全学連” としての正当性を強弁する限り、全学連のもつ最も本質的な組織的機能を問題にしなければならない。
学生運動は、各大学に限定された自治会運動やサークルの運動にのみとどまらず、これらの学生自治会が全国的に連合して、共通の政治的、経済的、社会的諸課題を統一的に闘うことが要求されている。それは、支配階級の学生に対する攻撃が個別的、分散的にではなく、学費問題や大学教育の反動的再編攻撃のように、「国家独占資本主義のもとで、独占の攻撃が国家を通じて系統的体系的にかけられている現在、学生層のすべての民主的利益の擁護は全員加盟制の自治会の強力な全国的連合組織ー全日本学生自治会総連合(全学連) なしには全く不十分であり、闘いの成功は保障されない」 (民学同趣意)からである。
六八ー六九年の全国学園闘争、七〇年ー七二年の沖縄、安保闘争、七二年の国公私大学費闘争、そして現在闘われている筑波大学法粉砕闘争、など一連の全国的闘争を民青「全学連」はいかに闘い、 闘っているのか。
「思想信条のちがいをこえ、要求で一致し行動で団結する」 はずの 「全学連」 は、結成当初から”大衆団体” としての組織性格をかなぐり捨て、 ”反全学連諸派” ”トロツキスト、暴力学生””分裂主義者” というレッテルを前面に押し出し、政治同盟を公然と論難し、統一行動を破壊することを常としている。日本共産党(代々木派)、民青が主導権を確立していない大学では、自治会や学生大会の決定に拘束されない「全学連支持会議」なる分裂組織がデッチ上げられた。
いわゆる「全国統一行動」は、この様な「全学連支持会議」と民青系自治会のみの統一行動(平民学連方式)でしかなく、その方針(諸要求羅列、幅広主義)とセクト主義の誤りは、何ら全百八〇万学友の切実な諸課題を効果的に闘いとることができないぱかりか、むしろ戦線を分裂させ、自治会運動を弱め、他方では、 ”トロツキスト” や無政府主義的運動を拡大再生産していくだけであった。
全国大学闘争の悲劇的結果は、その無政府主義的欠陥故の敗北としてだけでなく、それを独占資本とその政府を主敵とする全国的な反独占民主主義闘争として闘わず、 ”トロツキスト” や「反党修正主義者」 「反全学連諸派」との 「党派」闘争に血道をあげた日本共産党(代々木派)、民青諸君の度し難いセクト主義と階級的節操を見失なった右翼日和見主義の結果として評価せねばならない。 (この項、詳しくは、本誌創刊号参照)。
学費値上げ阻止の闘いにおいても全く同様であった。七一年~七二年の国立大授業料三倍化攻撃に対し、彼らは全くといってよい程に闘争を放棄した。唯一提起した一・二八統一行動に関しても、ストライキで闘う阪大、阪市大、神戸大、京大の学生自治会、学友との統一行動を拒否した。 「全学連」を認めないという理由で。
「全学連」を標傍しながら、全国的統一行動のセンターとしての機能を果しえず、大衆団体としての性格をかなぐりすて、 「全学連」の名の下に、拙劣な、民青以外の政治同盟や民主団体に「分裂主義者」「修正主義者」 「暴力分子」 のレッテルを押し付ける「全学連」 に対し、 ”民青全学連” と呼称するのに何の不思議もないのは当然であろう。
六〇年安保闘争の過程で、全学連を暴力的に破壊し、分裂させた社学同やマル学同 (後に中核派と革マル派に分裂) の諸君が、分派抗争と赤色自治会主義の誤りに終始している時、地方大学を中心に、個別学園での諸要求、諸課題を中心に一定の多数を形成’I した民青諸君が、その寄せ集めをもって 「全学連」を「再建」したとしても、それは一方における度し難いセクト主義、他方における諸要求羅列、幅広主義の限界と誤りを克服しないかぎり、また、この項の最初に提起した大都市主要大学における学生運動を結集しない限りにおいて、 「全学連」たりえないことは明白である 。
第三の問題。これは、民青「全学連」 のもつ今日的性格を歴史的に限定する重大な政治的誤謬であった。
自派以外はすべて分裂主義者、修正主義者と決めつける日本共産党(代々木派)民青諸君は、 ”安保反対・平和と民主主義を守る全国学生連絡会議” (民青系自治会代表と民青活動家のセクト的連絡組織)をいわゆる平民学連(安保反対・平和と民主主義を守る全国学生自治会連合) に改組(六三年七月)し、全学連の「再建」 へ本格的に乗り出した。当時の状況と彼らの対応を広谷俊二著「現代日本の学生運動」 (青木新書)は次のように述べている。
『多くの学生はトロツキスト、修正主義者のひとりよがりな「政治主義」や非民主的なやり方に強い不満をもっていたので、平民学連の民主的な学生運動の方針と全学連再建のよびかけに、それが大胆に提起されたところではどこでも大きな支持と共鳴を与えた。・・・ 当時はなお、トロツキスト、修正主義者がかなりの自治会を握っており、東京、京都大阪など学生数の多いところで彼らの勢力は強かった。しかし彼らは幾派にも分裂していたし、広汎な学生から遊離していた。平民学連は結集した自治会の数が多いというだけでなく、 一つーつの自治会が広汎な学生の参加する、みんなの自治会になったという点でまさに民主的であった。」
(214頁~216頁)。 「トロツキスト」諸派の全く主観主義的な「革命戦略」や政治的空文旬の押し付けと自治会の暴力的私物化の中で、大衆運動が大きく後退し、学友の政治的無関心や自治会不信が増大していくという状態に日本共産党(代々木派)、民青指導部は、「あらゆる要求を出し合う」 「あらゆる身近な要求、文化、スポーツ、レクリエーションなどの要求」 「すべての学生の参加する学生運動」などに象徴されるように 「諸要求羅列主義」 「大衆追随主義」を対置して一時期、相対的な多数を目治会選挙において形成していった。だが、都市部にあっては彼らのこの様な方針は一部の大学を際いて殆んど成功しながった。
又、九州、中国地方でもそれは同様であった。大管法闘争後、再び高まった関西の大阪、京都両府学連、兵庫県学連に結集する学生連動の高揚(原潜寄港反対闘争)は、指導性なき大衆追随主義と諸要求主義、セクト主義、分裂主義による平民学連運動の崩壊の気運を生み出し、焦りを感じた日本共産党(代々木派)、民青は、なりふり構わぬ「全学連」 の 「再建」を強行したのである。
分裂した学生運運動を統一し、更に、全国単一全学連(組織的統一)へと発展させるためには、まず、分裂した大衆行動を統一(行動の統一) していくことは不可欠の前提である。課題と基本戦術の一致、批判の自由の原則の下で全国的な統一行動を組織することを拒否した、あるいは、その努力さえも放棄した「全学連」再建とは何か。
それは明らかに、民青「全学連」と呼ぶにふさわしい歴史的性格を刻印しているのだ。 「たとえ再建に応じない自治会があろうとも、賛成する自治会でまず全学連を再建して」 (広谷俊二、同上) とする独善的、排他的な路線は、それまでのボイコット=分裂戦術の延長上に 「分裂主義者が支配している地方自治会では、地方協議会、全学連支持会議を」という悪質な分裂主義路線を打ち出したことによって、六四年一二月の 「全学連」 の 「再建」強行が一層分裂を助長し、学生内部の反目を促進し、分裂を固定化する役割しか果さなかったことを証明したのである。
このセクト主義、分裂主義に加えて、全国的大衆的統一行動を闘うという全学連の不可欠の基本性格は、その諸要求羅列主義、無原則幅広主義によって失なわれ、そのような全学連を全国百八〇万学友の団結の要としての全国単一全学連として強硬に主張しようとすればする程、 「反全学連諸派」などというおよそ大衆組織にふさわしくない言動によって、そのセクト主義的本質を自己暴露していかざるを得ないのである。
少なくとも、そのセクト主義と分裂・ボイコット路線が変更されないかぎり、民青「全学連」は戦線統一の母体となりえないと言えよう。
3、日本共産党(代々木派)、民青の反民学同キャンペーンの背景とわが同盟および全ての民主的学友の任務
小選挙区制、筑波ー反動諸法案粉砕、田中内閣打倒の一致したスローガンの下、院内では社、共、公、民社の四野党共闘が成立し、院外でも初の公明党を加えた三野党+総評の共闘が成功し、全民主勢力の統一した闘いが発展しているとき、我が同盟をはじめ他の団体を統一行動から実力で排除、更には、官憲をも使って排除するという日共 (代々木派)、「民青の悪質な分裂策動が行なわれた。また、これと機をーにして、 一連の反民学同宣伝が大量に展開された。
われわれは、このような”排除行為” と”反民学同”宣伝と闘うだけでなく、更に進んでその背景を分析し、我々の政治的、理論的組織的活動上の任務を明らかにしなければならない。
では我が同盟に対する執擁な攻撃の契機は何か。
それは、先述した”学生新聞” の内容と最近の 「前衛」誌上に発表された 「新日和見主義の学生運動論批判」、昨12月。パリで開催された国際理論会議での重要な出来事(最近、「日本のこえ」紙上に掲載「平和と社会主義の諸問題」誌日本版、夏孝号にも掲載されている)等々がその鍵を与えてくれている。
結論的に列挙するならば、次の様なことが言えるであろう。その第一は、学生運動の分野における我が同盟を中心とする首都、関西における筑波法案粉砕闘争、大学と教育の民主的改革の闘い、全員加盟制自治会再建・強化の闘いの前進である。
第二に、この様な闘いの出発点ともなった民主主義学生同盟第一二回大会の成功と、この大会に寄せられた多くの民主的・進歩的団体(「日本のこえ」「労働者党全国協議会」 「知識と労働社」「大阪唯物論研究会」 「部落解放同盟」「大阪労働講座」その他、多くの青年労働者学生の団体)の支持と協力関係の前進。それに3 応える民学同の組織活動の強化。
第三に、昨年一二月、パリで開かれた国際理論会議—- 「現在の国家独占資本主義の新段階と資本主義諸国における階級闘争」—-で、日本共産党(代々木派)代表に対して諸国の共産党.労働者党代表から鋭い批判が続出したこと(とくに、現綱領の日本資本主義の対米従属規定と「二つの敵」論による日本帝国主義を主敵としない反米闘争の一面的強調への批判)、諸党の代々木批判は、かねてから我々が行なってきた批判内容と全面的に合致している。
第四に、日本民主青年同盟をはじめ幾つかの重要な分野において一昨年から昨年にかけて発生した「新しい日和見主義」を「理論的にも組織的にも粉砕した」はずの日共(代々木派)がその中央委理論政治誌「前衛」誌上にふたたび長文の 「新日和見主義の学生運動論批判」を掲載していること。 その中で、批判の重点は①議会主義、改良主義的偏向を深めている共産党(代々木派)が、「新日和見主義の『大衆闘争「社会変革の原動力』論」に対して、「結局は自民党政府の文教政策と対決しなければならない運動を、大学当局の糾弾や学園内での活動だけに限り 」と極論することによって、議会、選挙闘争第一主義を巧みに弁護すること②「一つの敵」論への傾斜が 「わが党綱領のしめす革命の展望についての科学的確信さえ動揺させるにいたった」 としていること (以上は 「階級闘争論上の誤り」として展開されている)。③その他、学生運動論上の誤りに言及していくのだが、 一貫した基調は、学生運動の独自性や、大学の民主的改革の闘争を重視すること、などに対して、 「社会全体の民主主義的変革、つまり民主主義革命の以前に大学だけが孤立的に根本的に変革されたりするものではない」 という類の事柄の一面を対置して、学生がその要求を達成するための闘いを組織することを「調和と連関を保ちつつ、計画的に」 の名の下に党の討画=議会闘争とそのための選挙、に従属させること、になっている。 これらの事実は、いまだ根強い指導部批判= 「新日和見主義」が組織内部に存在していることを示している。
第五、総じて、国際的にもその綱領の破産が宣告され、組織内部でも「新日和見主義」が発生し、 「処分」したにもかかわらずそのような傾向が根強く存在していること、そして学生運動をはじめとして我が同盟やその他の民主的、進歩的諸組織が国際主義と原則的な反独占民主主義、社会主義をめざすマルクスレーニン主義の立場を堅持していることが、今回の反民学同宣伝の基礎にあると言えよう。
そして、このような事態は、国家独占資本主義の危機と独占資本の 「危機解決」策が勤労人民内部に絶え難いまでの憤満と怒りとなって、深刻な反独占闘争に、労働者階級、反独占勢力を闘いに、決起させており、又、させずにはおかない七〇年代の客観的情勢の反映なのである。
日本独占資本との対決を回避する対米従属規定ー(反米)民族民主統一戦線と議会改良主義に対する、組織された労働者階級、闘うェネルギーに充満した青年労働者、学生の現社会の根本的変革を要求する熱意が日共(代々木派)、民青現 「指導部」 批判となって現象するのは全く必然的である。
「新しい日和見主義」は、科学的で体系的な現「指導部」批判を持ちえない折衷主義と自然成長主義、 一面での 「新左翼」的傾向のために組織的「処分」 で鎮圧されたが、 「前衛」 を名のる”前衛らしからぬ”戦略・戦術への鋭い批判の先ぶれであった。従って、日共(代々木派)、民青の誤りが多少とも原則的に ”修正” されない限り今後予想される批判は更に激しさを増し、規模を拡大することは疑いない。
しばしば誤った形であれ、闘争の立ち遅れや指導上の誤りを鋭く感じとり、それを行動化する傾向をもつ青年労働者、学生活動家の批判を行政的官僚的に処分し、権威主義的に押し潰す日共(代々木派)民青現指導部は、党や民青の外部で原則的活動を展開する我々をはじめ諸勢力とこれら内部”批判勢力” との結び付きを阻止するためにこれまた官僚主義的に警察力まで動員して、排除を強行しようとしたのである。学生運動の分野で 「全学連」を踏み絵として、又、 「反党修正主義者」 =敵のスパィ・挑発者とめ姿意的レッテルで民主勢力の統一行動から”実力排除”する論理は、タテマエ=「思想信条」 の相異を超えて要求で団結し」と ”本音” の間の矛盾を鋭どく暴露しているとともに、以上のような理論的、政治的、組織的背景を持っているのである。
従って、我々の任務は、客観的情勢および民主勢力の要請に最大限応え、要求される統一戦線の原則的強化のために日本共産党(代々木派)、民青現「指導部」の誤りを全面的に批判し、最大限の努力でもって大衆運動を創り上げ、労働者階級を中心とした”下からの統一” と ”上からの統ー” の同時的進行を推進することでなければならない。
学生運動においては、大学内外の大衆運動の強化とともに、下からの統一を支える全員加盟制自治会の大衆的強化と民主的再建、とりわけ、都市部における主要大学での自治会再建と自治会間の連携強化は急務であり、再び六八ー六九年大学闘争の悲劇をくり返さないためにもそれは最重要の課題である。
これらの闘争を目的意識的、組織的に推進するための組織的中核部隊=民学同の大衆的全国的建設が要求されている。
また、この様な闘いは、学生部隊だけでは決定的に不十分であり、政党、労働組合、全ての民主団体、進歩的知識人などとの協力・提携が要求されている。とりわけ、青年労働者階級と学生の協力提携は、このような任務の遂行の重要な原動力となるであろう。
以下、資科I、Ⅱとして掲載する文書は日本共産党(代々木派)、民青の諸君による学生運動の歴史的事実の歪曲を暴露、反駁するとともに、彼らが今尚、全国百八〇万学友の統一と団結の要nナンョナルセンターとなれなし歴史的誤謬を明らかにしている。
資料Iは、大阪市立大学統一会議、資料Ⅱは、民学同阪大支部委員会(文責○○)によるものである。民青諸君が「全学連」を踏み絵として、新たな分裂固定化の誤りを犯そうとしているとき、歴史の真実と教訓を明らかにすることは意義深い。全ての民主的学友が、民青諸君を歴史的犯罪から救出し、学生運動統一へ大きく前進するために、一層原則的立場を明確にして奪闘されることを期待する。
民主主義学生同盟中央委員会新時代編集局