【書評】日野行介『原発再稼働──葬られた過酷事故の教訓』
(2022年8月刊、集英社新書、900円+税)
本書は、元毎日新聞記者の原発再稼働をめぐる詳細な報道調査を通して、その安全規制と避難計画の実態を告発する。本書の内容を端的に表しているのが、最後に補遺として掲載の著者による「広瀨弘忠氏インタビュー」である。広瀨氏(東京女子大学名誉教授)は、災害リスク学の専門家であり、著者の伴走者として専門的見地から助言した。そのインタビューでは避難計画について、こう語られている。
「避難計画がなければ再稼働は認められないということになったので、作っていますが、どう作っても実現不可能な避難計画になる。だから机上の空論、絵に描いた餅と同じです。骨抜きよりももっと悪質で、官僚の作文によって実効性を虚偽的に作り出している。(略)根拠となるデータを国も県も隠すとなると、まったく検証ができない。安倍政権で相次いだ公文書スキャンダルと同根です」。
「確かに稼働していなくても事故は起きますが、運転しているとリスクは格段に大きくなる。それは言わずに、『核燃料があるから避難計画に協力してください』と迫られると、避難先の自治体や住民は『それならいいよ』と受け入れざるを得ない。そうすると、原発を再稼働するときに反対したとしても、『避難計画を受け入れただろ』と反論を受けてしまう。こうした詐欺的な手法を『フット・イン・ザ・ドア』と言います。何かを売りつけるときに、ドアをノックして、開いた瞬間に足先だけを差し込んで、断れない状態にしてしまう。避難計画は再稼働するための方便ですよね」。
つまり「日本が歩んでいるのは、原子力規制委員会による安全審査に『合格』した原発は動かすことができるという、フクシマ以前から続く一本道である。多くの政治家や官僚たちはこれを『安全が確認された原発は動かす』という常套句に言い換えている」ということであると本書は指摘する。まさにこの視点を押さえることが、原発再稼働への動きの本質を捉えることである。
この視点から本書は、「第一部 安全規制編」では原発規制の基準の曖昧さを、「第二部 避難計画編」では避難所の確保計画の杜撰さを鋭く追及する。それはまさに著者自身が「狂気と執念」と名付るような地道な調査の記録である。それだけに読者としては忍耐強く足跡を追って行く他ないが、しかしそこに次々と現れる原発行政の再稼働への固執の姿勢には驚くばかりである。
例えば「第一部 安全規制編」では、新規制基準の火山噴火リスクの影響評価で、関電三原発の再稼働へ向けた空気中の火山灰の最大層厚の予測の問題で関電側が過小評価していた疑惑が詳細に検討される。
また「第二部 避難計画編」では、本書では日本原電東海第二原発(茨城県東海村)を対象にしての避難計画が検証されている。しかしそこでは30キロ圏外への避難計画が策定されてはいるが、避難する住民の収容可能人数をめぐっての問題が多数指摘される。即ち受け入れ先の自治体において収容可能人数の算定(1人2平方メートルで計算するとされる)にあたって、避難所の体育館等の面積にトイレや倉庫等の非居住面積を含んで計算していたという事実=収容人数の水増しをしていた自治体、あるいは避難先とはされていなかった県立高校も避難所とされていた等々の報告である。これについては茨城県と受け入れ先の自治体との間での齟齬があり、未だに整合性のとれた結論は出ていない。つまり茨城県も内閣府も収容可能人数の辻褄合わせに終始していた可能性があるということ、しかもそのことについては、「実は避難所が不足しています」とは言いにくいとして、情報公開でも明らかにされてこなかったということが指摘される。
さらには受け入れ側から、収容可能人数を出したとしても、実際に受け入れられる人数=「(機械的に出した)収容可能人数が1000人でも、校庭が狭くて50人分しか駐車場が確保できない場合はどうするのか」といった質問が出ても、茨城県と内閣府の担当者からはまともな回答はなかったという事実も暴露される。「しかし、よく考えてみると、基本的に自家用車で避難する前提なのだから、駐車場のキャパを超える人数の受け入れはできない。そもそも、現実には受け入れられない収容人数などはじき出す意味はないはずだった」と本書は批判する。
こうした地道な取材の結果から、本書は指摘する。
「原発避難計画は対象人員が数十万人規模に上り、実効性を確かめられるほど大規模な訓練を行うのは現実的に難しい。とはいえ、机上のシミュレーションには限界がある。そうすると、計画の記載事項を一つひとつ、何が根拠なのか、裏付けとなるデータはあるのか、誰がどのように決めたのか、策定プロセスを検証する以外に、計画の実効性というより、信頼性を確かめる方法はない。だが、原発避難計画の策定プログラムはほとんど明らかにされていない」。
そしてこう結ぶ。
「この取材を経て分かったことがある。原発再稼働を後押しするだけの避難計画など作らないほうがマシだ。原発行政につきまとう大きなウソに騙されてはいけない。思考停止した傍観者になることなく、そこにウソがないのか、疑い続けなければならない。大きなウソほど見抜くのが難しい」と。(R)
【補遺】本書でも少し触れられているが、避難所に関しての国際基準である「スフィア基準(人道憲章と人道支援における最低基準)」(1998年初版)については、もっと広く知られる必要がある。これは、「避難所だから仕方がない」という意識を変える、被災者の権利と支援活動の基準を定めたものであるが、日本ではまだ十分に知られていない。
スフィア基準では、「人道憲章」、「権利保護の原則」、「コア基準必須のプロジェクト基準」とともに、命を守る4分野──(1)給水、衛生、衛生推進、(2)食料の確保と栄養、(3)シェルター、居留地、ノン・フードアイテム(非食糧物資)、(4)保健活動──の最低基準が記されている。そこでは、生命維持に必要最小限な水の供給量、食料の栄養価、居留地内のトイレの設置基準・数、避難所一人当たりの最小面積、保健サービスの概要などが具体的に紹介されている。被災者の人間としての尊厳ある生活を保障する意識の向上が目指されなければならない。こういった事項を考慮せずに避難所の収容人数だけで作られている避難計画がどのようなものであるかは想像に難くない。