【投稿】 「NEXUS 情報の人類史」を読んで
「NEXUS 情報の人類史(上・下) ユヴァル・ノア・ハラリ 著」
HPを見ていると、画面に昨日見た商品の一覧が現れる。
グーグルで検索すると、関心のあるHPが勝手に表示される。
YouTUBE画面に、以前見たものと関連する動画が表示される。
アマゾンで閲覧した商品の関連情報が、表示される。
日常的にこんな経験をした人は多い。これらは、どんなサイトを見たのか、ユーザーが何に関心をもっているのか、という情報が収集され、そのデータに基づいて、ユーザーのPCやスマホに表示されているのだが、ユーザーが知らないうちに情報が集積され商品の販売促進に利用されている。
グーグルは既に集積したデータを利用するサービスを商品化している。例えば、野球用具の販売会社が、新製品のバットを販売しようとする。10代から20代の青年、野球に興味がある、過去に野球用品を購入した履歴がある、などの条件を設定して契約をすれば、グーグルなどの検索画面の目立つ箇所に、当該企業のバットの販売や、利用者の投稿した動画が、掲載される仕組みである。
ユーザーの購買意欲を刺激するだけなら、何のことはない。しかし、どんな政治的サイトをよく見るか、どんな政治的傾向のYouTUBE動画を閲覧しているか、など政治的傾向のデータ集積となると話が違ってくる。
運転免許証の顔写真はすでにデジタル化されている。マイナーカードも同様だ。顔認証技術が飛躍的に進んでおり、大量の顔データは、警察や総務省に集積されている。例えば、日本が独裁国家になった場合、これらデータは以下のように活用される可能性がある。例えば、反政府デモの参加者を、顔認証システムで特定が可能になる。今の自民党政権でも、個人情報保護を無視して、弾圧を強化しようとすれば、いつでも可能になると考える方がいい。
すでに、管理社会化が進んでいる中国では、通行人が信号無視をして交差点に進入すると、スマホに交通違反の警告が届くと言われている。
2021年1月アメリカの連邦議会議事堂にトランプ支持者のデモ隊が乱入した。多くの乱入者は、侵入した際の動画をFacebookやYouTUBEにアップ。捜査当局は、これらの動画から侵入者を特定した。また、議事堂周辺の監視カメラに映った自動車のナンバーから所有者を特定し、監視カメラ映像や動画と照合し、乱入者の逮捕に至ったという。
アメリカでは、CIAが、ネットを利用したメールを不当に閲覧・盗聴していたことが暴露された。スノーデン・ショックと言われた事件だが、ネット上のやり取りを蓄積し、政府に都合の悪い情報やその発信源、発信者と受信者を特定していたと言われている。
飛躍的に発達したコンピューターの情報処理能力は、すでに人間の想像を越えるスピードで進化している。その情報の管理と利用を誤れば、どんな社会が出現するのだろうか。
本書「情報の人類史」は、情報をめぐる歴史を概観するとともに、フェイクニュースや偽情報の蔓延する現状に警鐘を鳴らす。かつて、インターネットが登場した時、すべての人が、より多くの情報に接して、より正しい判断が可能になる、といった楽観論が唱えられた。しかし、現実には、フェイクニュースや偽情報が蔓延し、さらにコンピューターのアルゴリズムが、より多いアクセスを獲得するために、過激で陰謀論的な情報を垂れ流し、正しい情報が駆逐される現実があると指摘する。
コンピューターが感情や意識などの知能を獲得する時が来る、という未来は決して夢ではない。これをどう制御していくか、これからの課題だと著者は警鐘を鳴らしている。
さらに、現代の情報収集の特徴は、支配や強制による収集ではなく、人々が意識しない内にネット上に情報が収集され集積されていることである。ネット閲覧の履歴、ネットで購入履歴、SNSで自発的に投稿される動画や写真。また、メール交信の履歴なども。
本書では、書名のとおり、情報が粘土板に記録された古代、ローマ帝国などの古代国家の情報手段と支配、聖書の歴史、印刷技術が発明された中世、そしてナチスが宣伝に利用したラジオの普及、そしてインターネットとコンピューター技術の飛躍的発展による情報社会という「情報の歴史」を振り返る。
そして、スターリン時代の密告社会・情報監視社会、ナチス独裁政権、ルーマニアのチャウシェスク政権の密告監視システムなど、全体主義政権が生み出した情報管理社会の実態に触れ、情報の収集と管理が一元化されれば、支配の道具として情報ネットワークが利用される危険性を指摘する。
日本においても、すでに数万台の監視カメラ、ネット上にあふれる投稿写真や動画、さらに、免許証やマイナナンバーカードの顔写真が連結・統合されれば、情報管理による監視社会の到来はすぐそこに迫っている。
著者が指摘するのは、情報の分散管理と、コンピューターシステムの勝手な暴走を防ぐための適切な対応である。
現状でも、様々な分野での情報のデジタル化と集積が進んでいる。医療・健康情報は、健康保険の利用情報から、各種税の課税・納入情報、資産の情報は銀行口座や証券取引情報から、という具合だ。これらを紐付けたい欲望は、財務省に強いだろう。情報管理の分散化は、個人のプライバシー保護という観点からも、また、民主主義を守るため、支配のための情報利用を許さないという点からも、必要だ。
「歴史を学べば、AI革命の重要性と、AIについての私たちの決定の重要性が浮き彫りになるだけではない。情報ネットワークと情報革命に対する、ありふれてはいるものの人を誤らせる二つのアプローチに警鐘をならすこともできる。私たちは一方では、過度で素朴で楽観的な見方に用心するべきだ。情報は真実ではない。情報の主な仕事は事実を表すことではなく、人々をつなげることであり、情報ネットワークは歴史を通してしばしば真実よりも秩序を優先してきた。納税記録や聖典、政治綱領、秘密警察の捜査記録などは、強力な国家や教会を生み出す上で極めて効率的な手段になりうるが、それらの国家や教会は歪んだ世界観をもっており、権力を濫用しがちだ。皮肉にも、情報量が多いと、より多くの魔女狩りにつながる場合もありうる」(下P268)
「・・・したがって、ネットワークが力をつけるにつれて、自己修正メカニズムが一層重要になる。石器時代の部族や青銅器時代の都市国家が自らの間違いを突き止めて正すことができなくても、もたらされる被害は限られていた。・・・しかし、シリコン時代の超大国は、自己修正メカニズムが弱かったり欠けていたりしたら、人間という種の存続はもとより、他の無数の生き物の存続をも脅かすことだろう。・・・自ずからが生み出したものに簡単に操作され、危険に気づいたときには手遅れになっているかもしれない。」(下P272)
これからも、コンピューター技術の進化は止まらないだろう。情報の集積とその利用をめぐって、絶えず監視と修正の努力が必要になる。かつて、100年かかった進化は、今後数年単位で進む。「情報の人類史」は、社会と情報の未来への警鐘の書であると言えるだろう。(佐野秀夫)