【書評】『日本経済の死角』河野龍太郎著 ちくま新書

【書評】『日本経済の死角』河野龍太郎著 ちくま新書

                            福井 杉本達也

著者の河野龍太郎氏はBNPパリバ証券株式会社経済調査本部長・チーフエコノミストであり、『エコノミスト』をはじめ経済雑誌に現況経済を解説するなど著名な経済学者であるが、証券会社出身という経歴から、どちらかといえば、株価や「貯蓄から投資へ」派に属するかと思っていたが、本書はそうした河野氏に対するこれまでの偏見とは全く異なる内容である。

 

1 収奪的社会に移行した日本

著者は過去25年で労働生産性が30%向上したにもかかわらず、実質賃金が横ばいであると指摘。大企業の現在の管理職でさえ、賃金は25年前より低下していると指摘し、「日本の問題は、生産性が低いから実質賃金を引き上げることができない、ということではない」とし、「生産性が上がっても、実質賃金が全く引き上げられていない、というのが真実」であり、「喫緊の課題は所得再分配である」と主張する。「包摂的だったはずの日本の社会制度は、いつの間にか、収奪的な社会に向かっている」と述べ、「企業がリスクを取って、人的投資や無形資産投資、人的投資を行わない」で、「長期雇用制度を維持するために、非正規雇用にすっかり依存するようになり、収奪的な『二重労働市場性』を生みだした」と批判する。

2 安倍政権での「異次元緩和」への批判

著者は、安倍政権下の「異次元緩和」による超低金利政策を「家計を犠牲にする政策」という。企業は潤沢な貯蓄を持っているため、「金利が下がっても、借入を増やす必要はありません」とし、「利上げで増加するはずの家計の利子所得を不当に抑え込んだ」とし、低金利が「円安を逆に助長し、実質購買力を大きく損なっています」とし、「円高が進めば、輸入物価の下落を通じて、家計の実質購買力の改善につながった」これでは「個人消費が回復しないのは当たり前」だと「アベノミクス」の失政を一刀両断で切り捨てた。石破政権は夏の参院選対策としてガソリン価格や電気・ガス料金の補助を復活するというが(日経:2025.4.19)、円高政策をとっていれば、当然に輸入物価は下がっていたはずであり、安倍―菅―岸田政権下の大失政(というよりも売国政策)を尻拭いするものである。

3 ゼロベアの弊害が適切に把握されていない

著者は日本のエリート層である大企業の経営者は「日本の時間当たり実質賃金が横ばいであるという事実を」「十分に認識していない」とし、その原因を長期雇用制の下で、ベアゼロでも、「正社員は昇格・昇給によって、毎年、平均で2%の定期昇給が行われているため」「自らの実質賃金は確かに累積では大きく増えている」が、会社全体・一国全体では「毎年の生産性上昇は全く反映されていない」という。これは既に濱口桂一郎氏は『賃金とは何かー職務給の蹉跌と所属給の呪縛』において、定期昇給によって、ベースアップを行わなくても、個々の労働者の賃金は毎年着実に上がることか、「上げなくても上がるから上げないので上がらない賃金」と読み解いている。

4 近代の「労働所有論」の見直し

著者は「我々が当然視してきた『所有権的個人主義』についても、その行き過ぎた解釈を改める必要があります」とし、「自らの労働が生みだしたものは自らの所有物というジョン・ロックに始まる労働所有論」は近代社会の礎となったが、「新自由主義の下で、市場至上主義と合わさり、行き過ぎが生じ」ているとする。「人は所有物を自己の延長と捉えて、…占有者を重視し、対象物を支配する人を尊重」する。しかし、社会は「過去、現在、そして未来の人々の共同事業であって、現代の世代が自由気ままに扱ってよいものではない」。「次世代に受け継ぐために、保全する」という考えが重要であると説く。これは哲学者・鷲田清一の『所有論』に通底した考えである。

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