【コラム】ひとりごと–マイフェアーレディに思う

【コラム】ひとりごと–マイフェアーレディに思う

*先日、女優のオードリイー・ヘップバーンが亡くなった。私は特にヘップバーンのファンというわけではないが、彼女を追悼して彼女の主演映画がいくつもテレビ放映されており、そんな中で「マイフェアレディー」を見た。*映画の中でのヘツプバーンの魅力もさることながら、予想に反し結構内容にも感動した。ヘップバーン扮する下町の花売り娘をレディーに仕立て上げるという賭けに勝って有頂天になっている言語学者に対してヘップバーンは言う。「あなたが私をレディーにしたのではない。あなたは私にいろいろ教えてくれたが、私を花売り娘としてしか扱わなかった。あなたの友人は私をいつもレディーとして扱ってくれた。レディーと花売り娘との違いはどう振舞うかではなくて、どう扱われるかによって決まるのだ。」*この言葉にドキッとするものがあった。私は現在同和地域の児童施設に勤めている。学力的にも、生活的にもしんどい子どもたちに対してどう対応したら良いかいつも悩んでいる。しかし、根本的なことを忘れていたことに気がついた。子どもたちを自立した尊敬すべき人間に育てるためにはあれこれ教え込むことより、まず、彼らを自立した尊敬すべき人間として扱わなければならない。いまの私に本当にそれができているだろうか。今年にも批准されようとしている「子どもの権利条約」の本質が少しだけ分かったような気がした。(若松)

【出典】 青年の旗 No.185 1993年3月15日

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