【経済展望】岐路に立つ日本経済
<市場に無視された緊急経済対策>
3月31日、政府は深まる不況の進行を食い止めるために、緊急経済対策を決定し、公共事業の75%上期前倒しをはじめ電力など公共事業の設備投資増額、住宅、省力化投資の促進など7項目の景気テコ入れ対策を発表した。宮沢首相は「効果は5兆円」にのぼると胸をはった。
これを受けて、自民党から「総裁の首を切ってでも利下げを」と圧力をかけられていた日銀も翌4月1日、公定歩合を当初予想の0.5%を上回って、0.75%引下げた。首相は取引所及び証券業界幹部と会談し、低迷する株式市場の活性化に期待をかけた。
しかし政府、日銀の期待に反し、当日の日経平均株価は764円の大幅下落となり、失望をもって迎えられた。さらに4月3日には18000円の大台を割込むに至った(17898円)。発表後3日間で株価は1383円28銭もの値下がりを記録、加えて円安、債券安のトリプル安となった0利下げしても、緊急経済対策を打ち出し、首相が働きかけても、むしろ株下落に拍車がかかり、その景気浮揚効果は無視されたのである。
<金融システムの崩壊?>
株価は、86年末の19000円から、89年12月に日経平均が38000円台にまで上昇し、株式投資は土地投機とともに我が世の春を謳歌していたのであるが、現象的にはバブル経済の崩壊と軌を一にして崩れ始め、底値は2万円、景気の実態からすればこれから反転上昇するとの専門家のご託宣や期待もむなしく、今年3月には2万円を割込み、4月にはピーク時の半値以下にまで下落してきたのである。
「これ以上の株価の下げは、日本の金融システムの崩壊にもつながりかねない」と声高に叫ばれ始めている。
しかしバブル時代、暴騰させた不動産を担保に貸しまくったのは銀行やノンバンクであり、証券会社は企業に対してタダ同然の低コストで大量の資金を調達し、企業はそれらの資金を設備投資に拘さず、特金、ファントラ等財テクや不動産に投じ、金融・証券会社自身も不正取引と株価操作で不透明な価格形成を行ない、よってたかって投機熱をあおり、バブルを膨張させたのが日本の金融システムなのである。
バブル崩壊によってこれら金融システムが大きな痛手を負い、信用システムそのもののありかたが問われるのは当然のことであろう。
<「生活大国」とは無縁な対策>
不況期には積極的な景気テコ入れ策が取られなければならないことはいうまでもない。それではなぜ市場はいっそう厳しい反応を示したのであろうか。
財政で需要が喚起され、金利負担が軽減されても、当面救われるのはバブル崩壊で不良債券を抱え、その借入金利負担で苦しんでいる企業や金融機関のみであろうという冷めた判断、逆に言えば、金融緩和と積極財政はバブルの再膨張を助長することはあるにせよ、実体経済に対する内需を喚起し、景気を浮揚させる効果は微々たるものにとどまるであろうという判断である。
92年度の公共事業規模は15兆円弱で、このうち上半期の契約額は約11兆3千億で前年度上期を15.7%上回る規模であり、確かにその前倒し効果は無視し得ない。
しかし異常なほど地価の高い首都圏の公共投資をいくら増額しても、7~8割が用地費にとられるようでは社会資本の形成にはそれほど寄与せず、地価暴騰を再燃しかねない。公共投資は、従来のような大企業優先の産業基盤型から、生活基盤型の社会資本形成への明確な転換、地方への大胆な配分こそが緊急の課題となっているにもかかわらず、政府の対策にはそれが欠けているのである。「生活大国」は単なるかけ声だけで、緊急対策も7月の参院選挙をにらんだ政治色優先のものにしかすぎないという判断である。
さらにいえば、所得税減税や住宅投資の本格的な促進策など、GNPの6割近くを占める個人消費に波及効果の大きい政策がまったく抜け落ちていることである。春闘は金属労協大手に対する回答が、昨年を1%近く下回る4.7-4.8%水準に抑え込まれ、なかでも電機は、自動車の担当役員が驚くほどのペア抑制姿勢を示し、時短がペア抑制の材料とされて、実質賃金低下の事態である。
<黄金時代の終了?>
それでは今後の経済の動きはどのようになるのであろうか。最近の景気指標を見てみよう。
まず91年10-12月期GNP速報では2年半ぶりのマイナス成長になり、景気後退が予想以上に深刻なことを裏付けた。鉱工業生産は昨年10月から今年2月まで連続5カ月減少を続けている。2月は前年同月比4.2%減で、75年11月以来最高である。92年度の設備投資計画は前年度に比ベ4.9%減と円高不況期の86年度以来6年ぶりにマイナスになる。
東京電力社長は「産業用電力需要の世界は、あれあれという間にどしゃぶりになった。回復には1年かかる」(4/1日経)と述べている。事実、製造業の所定外労働時間は、前年同月比20%減少、これは75年7月以来、16年7カ月ぶりの大幅な減少で15カ月連続前年同月を下回っている。自動車関連の下請けは30%の受注減、建設・ゼネコン関連では40%前後の受注減となっている。設備投資とならんで大型景気を支えてきた個人消費にも波は及び、耐久消費財は昨年秋以降軒並出荷額が前年水準を下回っている。半導体、家電の販売不振で電機主要16社が軒並大幅減益。鉄鋼大手5社も2桁台の大幅な減益率、等々、深刻な不況への突入を裏付けるデータには事欠かない。
このような事態について米誌タイムは「日本経済のゴールデン・エイジは終った」(3/23)と述べている。
<楽観論 悲観論>
不景気時には成長悲観論、好景気の時には成長楽観論が勢力を伸ばす、つまり景気見通しも「景気循環とともに循環する」という皮肉な観察が紹介されていたが(4/2日経)、マルクス主義者あるいは左派の分析は、資本主義経済はうまく行くはずがないという大前提のもとに、常に成長悲観論、全般的危機激化論に必ず結論が落ち着く傾向が強かったのではないだろうか。これは自らの反省でもある。事態は楽観論をも悲観論をも乗り越えてきたといえよう。今回の不況突入についても悲観論と楽観論が交錯している。
一つは、「雇用面の過剰がはっきりし、個人の生活も防衛的になる。消費は崩れ、戦後最大級の不況になる」(野村総研経済調査部長4/1日経)という主張である。
いま一つは「不況は悪性なものではない。供給側の力が強すぎて、需要がそれに追いつかないだけのことであるから、緊急経済対策による内需拡大によってじきに景気はよくなる」(日本経済研究センター会長4/3日経)というものである。
いずれの主張についても、すでに述べたことを含めて重要な視点が欠落しているといえよう。それは日本経済が重要な転換点にさしかかっていることとも関連している。米ソ冷戦体制と緊張激化、軍拡競争のはざまで、米ソの経済の疲弊を最大限に利用し、いわば漁夫の利をもかせいできた世界的な条件が、ここ数年来で大きく変化し、これまでのようなやり方ではもはや通用しない状況が出現してきているのではないだろうか。技術革新、地域統合、環境問題、旧社会主義圏との交流・支援、貿易摩擦、等々、いずれをとっても転換が求められているにもかかわらず、場当り的な対応しかなし得ない状況が現在の事態をもたらしているのではないだろうか。
(生駒 敬)
【出典】 青年の旗 No.174 1992年4月15日